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第三章 試練の町カサル

84 泥だらけ

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 久々に顔を出した僕に、温室の植物たちが声を掛けてくる。
 どれもが僕の訪れを喜んでくれている。この草花たちの声があるから、僕は皆にいろいろ言われてもどうにか頑張れているのだと思う。

 水の入った重いバケツを運んで、生育状態に合わせて水をかける。枯れた葉や虫を取り除き、病気にかかっていないかひとつひとつチェックしていく。もっともっととねだる草花に、僕は笑いかけながら世話をする。
 僕が世話をした草花は、すごく育ちがいいらしい。
 それはきっと植物たちの声を聴くことができるから、何かあった時すぐに気づいてあげられるからなんだと思う。

「さて、もう少しだ」

 そう言ってしゃがんでいた僕が立ち上がろうとした時、頭の上から土や枯草が降ってきた。同時に押し殺した笑い声。
 夢中になって世話をしていたせいか、誰かが近づいてきたのに気づかなかった。

「サシャ君、土は足りていますかぁ?」
「きたねぇ草色の髪だから、そこらの雑草と見分け付かなかったわ」
「ほら、水もやるよ」

 言って柄杓ひしゃくで頭から水をかけてくる。べドジフたちだ。
 土や枯草が顔に張り付いて、泥水がぼたぼたとしたたり落ちていった。まぁ……ある程度予想していたから、まだ可愛いものかな。
 それにしてもヒマだなぁ。

 ちらり、と長い前髪の隙間から囲む人たちを見上げ、立ち上がる。
 ニヤニヤ笑っていた同年代の子供たちは、僕の視線に一歩後ずさった。

 最初にちょっかいをかけてきたのは相手でも、反撃すれば暴力をふるって暴れたと周囲の人たちに言われてしまう。彼らは大人の目が無い所で手を出してくるから証拠が無い。
 そもそも、仕事をする場所でそんなことをしていたなら、遊んでるような奴らは要らないと追い出されてしまう。

 一人対多数で分は悪い。
 でも、臆していなければ直ぐに飽きてどこかに行ってしまう……はずだ。

「何だよ。言いたいことがあれば言えよ」

 僕は、僕より体格のいい彼らを真っ直ぐ見据えた。
 威圧をもって視線をらさない。敵と遭遇した時の基本だと、アランに教えてもらった。背を向けたら負けなのだと。

 僕は、アランに育てられた。皆が憧れるランク持ちの冒険者だ。
 決して人には言えなくても、気高く優しい父さまと母さまの息子でもある。ここで負けたなら、魂となった両親に顔向けできない。
 誇りを持て。
 僕は何も悪くない。

「な……生意気に睨み返してんのかよ」
「オレたちに盾突いて無事でいられると思うのかよ」

 肩を押されても膝に力を込めて倒れたりしない。
 周囲を囲んで殴りかかってくるだろうか。そう思った時、大人の従業員が側を通った。こちらを見て「何騒いでるんだ」と声をかける。
 べドジフたちは「やばっ」と声を漏らして逃げていった。

 人前では何もできない。群れなければ何もできないんだ。
 だから僕は、怖がる必要は無い。そんな奴らに負けたりしない。

「遊んでないで仕事しろよ」

 そう言って従業員は通り過ぎていった。
 泥だらけになった僕の姿は見えていたかも知れないけれど、子供たちの軽いいざこざなんて日常茶飯事だ。春先の忙しい時期に、いちいち気にしていられない。

 僕は一人になって「ふぅ」と息をついた。

 友達が欲しいと思っていた頃もあった。新しい大きな町での暮らしに、期待を込めていた時も。でも……今はそんな大きな望みは持たない。

「早く大人になろう」

 アランの手を煩わせないぐらいに。そして一人でも生きていけるぐらいに。
 そしてふと、母さまの言葉を思い出す。「生き延びて、そして心から愛する人を見つけるのですよ」と。

「アラン……僕が心の中で想っているだけなら……許してくれるよね」

 アランにとって僕の存在はたくさんあるものの中に一つかもしれないけれど、僕には掛け替えのない、この世でたった一人の大切な人だ。
 報われない想いだと分かっていても。
 それでも首からかけた袋の中の魔石のように、僕にとっては宝物のような人なのだと視線を落とした。
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