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奪われたかもしれない【エヴァン】
しおりを挟む夕刻近い時間。第六騎士団の演習場には、数組の騎士と魔法師がそれぞれ鍛錬を行っていた。
私の顔を見つけた騎士たちが、「エヴァン様」と声をかけ挨拶をしていく。そのひとつひとつに言葉を返しながら、私は小さくため息をついた。
この団に居る者の多くは年明けに入団したての新人ばかり。今、半年余りが過ぎて、新人たちも大きくふたつに分かれ始めている。
ひとつは今、私の目の前にいるようにわずかな時間を惜しんで訓練に励む者。
そしてもうひとつは、休暇期間という言葉通りに遊んで過ごしている者。
もちろん、先の討伐の負傷で休んでいる者もいるし、片翼の魔法師に付き添い勉学に励んでいる者もいる。だがどのような理由であったとしても、更に研鑽に励もうとする者とそうではない者の差は、大きく開き始めていた。
そして今、私の目の前に目的としていた騎士、モーガン・イングリスの姿は無い。
たまたま不在なのではなく、休暇に入ってから一度も団に顔を出していないとの話だ。
休暇と言うからには団に出る義務は無い。休むことに集中していい。出動の命令を降りた時、更なる活躍を見せるならば誰も文句は言わないのだが……。
「己の未熟を自覚していないのか……」
先ほど、第六騎士団団長ロバート・ドイル伯爵に話を聞いたところ、先の討伐戦でも連携不足が見て取れた。
更に片翼の魔法師に無理をさせ、仲間たちを危険な局面に遭わせた。幸い敵の戦力が大きくなかったため、大事には至らなかったそうだが……。
セシル殿の、あの苦しそうな泣き顔が瞼の裏に浮かぶ。
今にも折れてしまいそうな体で必死に立ち尽くし、恐怖と孤独に耐えるように震えていた。ただ、抱きしめられることだけを望み、声を殺していた。
――胸が、引き裂かれる想いがした。
団に所属する魔法師がなぜ一人でこのような場所にと、疑問は私を突き動かした。
調べれば調べるほど、ひどい話が出てきた。
入団したての騎士や魔法師の中には己の状態や立場の自覚が足りず、問題を起こすものも少なくない。毎年のことだ。だからそれとなく耳にしていた噂に、いちいち興味を持つことは無かったのだが……。
「エヴァン兄上」
声をかけられて振り向いた。
私の双子の弟、ダニエルが軽く手を上げこちらに足を向けている。その顔は困ったように口元を歪め、苦笑していた。よほど私は険しい表情をしていたのだろう。
「傷の状態は?」
「私の怪我など大したことではない。それに私も、セシル殿に癒しを貰っていたからな」
「念のため神殿でも診てもらってたんだろ?」
「呪いも無く、特にしなければならないことはなかった」
元々、私は大怪我ではなかったが、セシル殿の治癒で問題ない状態にまで回復していた。他の団員達も見た神官は、魔法師がここまでの癒しを行えたことに驚いていたぐらいだ。
早くから正しい知識と修行を受けていれば、おそらくセシルは上級神官としても活躍できたのではないかと思う。
「それより、聖水は渡せたか?」
私の言葉にダニエルがうなずく。
「ああ、すっげぇ驚いて直ぐに突っ返してきたけどな」
「まさか……」
「大丈夫。ちゃんと受け取ってもらったよ。というか、さすがにあれだけ高価な品は引くって。手ごろな聖水は他にもあっただろ?」
「最高級品を渡すように言ったのは、兄上だ」
「クリフォード兄上が?」
深手を負った者たちに付き添い、一足先に馬車で王都についていたクリフォード兄上は、私から一連の出来事を聞いて最上級の聖水を渡すようにと言った。もともと、お礼に聖水をと考えてはいたのだが。
「セシル殿には失礼かと思ったが、彼を試したかったらしい」
「はぁーん」
納得がいった顔でダニエルは頷いた。
「下心ある奴なら、しっぽ振って聖水を受け取っただろうからな」
「セシル殿はそのようなお方では無いと言ったのだが、兄上が試したくなる気持ちも分かる」
「まぁな、俺たちは公爵令息だ。利用しようと近づいてくる者は山といる」
私たちと親密になり、その恩恵を受けようとする者は多い。
それどころか下手に取り込まれたなら、影響は伯父である国王陛下にも及びかねない。近づく者の本性を探ろうとするのは当然だ。
「エヴァン」
ダニエルが真剣な声で私の名を呼んだ。
「モーガンという男は、ダメだ」
「何があった?」
「今ここでは言えない。言ったなら、エヴァンはあの男を殺しに行くだろう」
「……私はそこまで物騒ではない」
そう静かに笑い返したが、ダニエルの真剣なまなざしから事の重大さを察知する。
「エヴァンはセシルを、片翼にしたいと思っているのか?」
率直に聞いてきた。
騎士の片翼。それは単に契約書だけの関係にとどまらず、互いの命を預け合う魂の伴侶に近い。だからこそ、一度片翼となれは、簡単に破棄できない。
「セシル殿は既に、騎士と契約している魔法師だ」
「エヴァンはセシルを、片翼にしたいと思っているのか?」
同じ言葉を繰り返す。
上辺だけの言葉は要らないということか。
「そうだな……」
抱きしめた、あの体の細さと冷たさが忘れられない。
震えた声と……馬上で朝日を浴びた、微笑みを忘れられない。
私の心は、セシル殿に奪われたかもしれない。
「彼が望むなら」
「望ませろ」
「ダニエル……」
私の腕を掴み、ダニエルが言う。
「俺はリオンの使い魔から現状を聞いた。モーガンという男はダメだ。セシルに望ませろ。奪え」
力強い瞳が訴える。
「エヴァンが片翼にと望むなら、俺とリオンは全力で協力する。クリフォード兄上やアンジェリカ様も同じだろう。未来ある魔法師を潰さないために」
す……と、私は瞳を細めた。
セシル殿はあの森での出来事を内緒にしてほしいと願った。その約束を破ることは無いが、私が明かさなくとも皆が現状を知り動き出そうとしている。
「未来ある魔法師を潰さないため……か」
できることがあればどのようなことでもすると、思う気持ちは今も変わらない。
私はダニエルに頷き返した。
「セシル殿を私の片翼に」
かつて魔法師を喪った時、もう二度と片翼を望むことは無いと思っていた。
だが違う。
命が消える間際、「エヴァンはいずれ、心より愛おしく思う片翼を求めるだろう」とあのお方が言った通り、新たな伴侶を求め始めている。
私の決意にダニエルが力強く「わかった」と頷いた。
その時、第六騎士団団長、ロバート殿が私たちを見つけ声をかけてきた。王城からの使者に呼ばれ、この場を離れていたのだが……。
「エヴァン様、ダニエル様もちょうどいい、ご報告があります。セシルの件で」
「何か?」
緊張が走る。
だがそんな私たちに、団長は口の端を上げて笑った。
「王城からの使者より国王陛下の言伝です。来週の王太子殿下お世継ぎ誕生の祝典に、第六騎士団はセシルを指名しました。国王陛下自ら、セシルを見定めるとのことです」
兄上から母上へと話が繋がり、陛下に進言したのだろう。
国王が動き始めたのなら、この件、もう誰にも止められない。
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