【本編完結】異世界の結界術師はたいせつな人を守りたい

鳴海カイリ

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第5章 この腕に帰るまで

168 二体目の魔物

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 次の瞬間、ズボンのポケットに手を突っ込み、俺は手のひらサイズの細長い物を取り出した。
 ――ペンライト。
 異世界から持ち込んでヴァンのお兄さんの手に渡っていた。数日前、お守りだと言って返してもらっていた物を、ずっとポケットに入れっぱなしにしていた。
 咄嗟とっさにライトスイッチを入れて、至近距離で魔物の目に向けた。

 獣のような叫び声をあげ、顔を覆ってのけ反る魔物。

 眼球があるように見えなかったが、呪いのせいで正しい姿を認識出来なかっただけだ。この反撃は有効だ。
 ライトを魔物に向け、その間に足を噛んでいた岩を転がっていた石で砕く。
 二度三度。
 やっと足が抜ける、と思ったと同時に風魔法が俺を襲った。

 軽々と、通路の向こう……広くなった穴の方まで吹き飛ばされて転がる。

 思いっきり肩や背中と足をぶつけ、ついた手のひらに痛みが走ったが、俺は直ぐに顔を上げた。
 こんな場所でうずくまっているヒマは無い。逃げなければ!

 辺りを見渡す。
 天井が高い。ざっと見ても三、四階分はありそうな高さに、壁も遠い広い空間。崩れた柱が何本と立ち並び、その向こうは暗い廊下の入り口な幾つも見える。
 二階部分には回廊が巡らされて、そこにもたくさんの暗い通路が口を開けていた。そのどの通路から魔物が現れてもおかしくない。

 本来は人間なのだろう俺を追って来た醜い魔物は、まだ通路の側から姿を現していない。けれど足音と気配は聞こえる。
 ぐすぐずしていられない。
 吹き飛ばされた衝撃で落としたのか、手に持っていたペンライトは無くなっていた。俺は砂や小石に足を取られながらも立ち上がり、また走り出す。

 じりじりと追い詰められている。
 その恐怖に耐えながらも、心の中で「ヴァン」と叫んだ。

 二年半前も、迷い込んだ薄暗い地下道を探し歩いていた。
 あの時は訳が分からず、ただ不安と恐怖しかなかった。
 知らない場所で頼る人も無く、自分一人の力でどうにかしなければと足掻あがいていた。元の世界にも頼る人はいないが、自分の知っている場所、というだけでも生きるすべがあるような気がした。

 今……俺は、ヴァンの元にさえ帰り着けたなら、生きられる。
 ヴァンが何度も俺に言ってくれたように、全身全霊をかけて俺を守ってくれていたんだ。その思いに応えるためにも、俺はヴァンの知らない場所で死ぬわけにはいかない。
 ましてやストルアンに捕まって、この国を亡ぼす道具になるなんて冗談じゃない。

 息を切らして走り続ける。
 ふらつく身体は何度も小石に足を取られて、転びそうになる。
 と、その時、瓦礫がれきが崩れる音が響いた。恐怖に顔を引きつらせながら振り向くと、あの……醜い魔物が、怒り狂ったように近づいてくる。
 まるで俺の足跡でも見つけているみたいに、迷いなく、真っ直ぐに。

 恐怖に喉が鳴る。

 もう……逃げられない。

「ヴァン!」

 思わず声を上げた。

「ヴァァアン!」

 呼んでも来るはずがない。
 ヴァンは儀式をしている。そうでなくても、重度の魔法酔いで動けないはずだ。そうわかっていても、呼ばずにはいられない。

 誰にも頼らず生きていこうと必死になっていた時があった。

 でも、たった一人で生きていけるほど――世界は優しくない。

 ヴァンがいないと生きていけない……。

「ヴァ……」

 追っ手はすぐそこまで迫っている。
 もう、走って逃げ切れるような距離ではない。一人で逃げてやると、助けなんか要らないと見栄をはったけれど……もう、ダメだ……。逃げ切れない。

「ヴァァァアアン!」

 叫んだ。

 その時、二階部分の回廊から黒い影が飛び降りて来た。

 転びそうになるところを柱にしがみ付いて耐える。
 新たな魔物だ。

 黒い、俺よりわずかに高い背丈の二本足の魔物は、手にボロボロの剣のような物を握っていた。身体全体に黒いもやのようなものをまとっていて、顔は分からない。
 それでも鋭く伸びた黒いつのやカマキリのような鋭角えいかくな腕は、とても人のように見えない。

 本物の魔物なのか。
 呪いのせいで魔物に見える人間なのか……分からない。

 その新たな黒い魔物が俺を見て声を発した。言葉としては聴き分けられないが、叫んでいることだけは分かる。
 俺は呆然としたまま首を横に振ると、黒い魔物は振り返り、迫りくる両腕が触手になった醜い魔物に向かっていった。
 魔物同士での戦い。
 仲間割れか……そうでなければ……。

「うわぁ!」

 風魔法で巻き上げられた砂や小石から頭を守る。
 黒い魔物も魔法をまともに喰らって吹き飛ばされるが、直ぐに立ち上がりまた襲い掛かっていく。その姿は鬼気迫るものがあって、俺はすくんだまま動けなくなる。

 黒い魔物はきっと人間だ。
 直感でしかないけれど、きっとそうだ。
 けれど、誰か……は分からない。

 戸惑う俺の前に、更にもう一つの影が俺の逃げて来た通路の方から飛び出してきた。ボロボロになり、大きな傷口から赤黒い血を流す黒いライオンの魔物――カタミミだ。
 何の躊躇ちゅうちょもなく、醜い魔物に襲い掛かる。
 カタミミは醜い魔物の防御魔法で弾かれるも、空中でひらりと体勢を立て直し、着地と同時にまた襲い掛かった。

 小鬼ゴブリンやオークのように簡単に牙は届かない。それでも醜い魔物の足止めになつている。
 カタミミと醜い魔物の攻防を見たもう一体の黒い魔物が、数歩下がってから俺の方に向き直った。そのままボロボロの剣先を後ろ向けて片膝を床につき、俺に手を伸ばす。
 助けなのか。
 王国の騎士の誰か……なのだろうか。それとも迷宮探索をしていた冒険者か。
 俺を傷つけようという様子は無い……けれど、信用ができない。ストルアンの罠とも限らない。

 俺はきびすを返して走り出した。
 てきとうな通路に逃げ込もうとすると、先回りした黒い魔物にさえぎられる。そうして追い詰められながら、俺は一つの通路に逃げ込んだ。
 今いた広い空間では、カタミミと魔物が戦い続けている音が響いている。
 ボロボロの剣を手にした黒い魔物は、一定の距離を置いたまま俺に攻撃するでもなく、ずっと後を追い続けている。

 暗い通路は長かった。
 もう走れない。そう思っていても、振り返れば黒い魔物がひたひたと俺を追う。その姿に急かされるように、俺は通路の先を急いだ。

「あ……」

 どれだけ走っただろう。わずかに明るい光が見え始めた。
 もしかすると外、か。
 期待に足元も見ないで走り抜けた通路の出口、俺は数段の下り階段になっていることに気づかず足を踏み外した。

「わぁああ!」

 またも転がり落ちて床に手をつく。
 ここも広い空間だ。
 高い天井の一部が崩れ落ちているのか、外の光が幾つもの筋状すじじょうになって下りている。

「い……てて……」

 眩しさに目を細め、痛む全身に顔をしかめながら上半身を起こす。
 そこで俺は、血の気が引いた。

 周囲には数十……いや、百体は超えるだろう魔物に溢れていた。





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