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第3章 成人の儀
96 ヴァンと一緒なら
しおりを挟む今までこんなことは無かったのに、怖い夢を見るようになった。
原因は分からない。
心配したヴァンが、ジャスパーに相談したのかな。
「あぁ……うん……」
俺は少しうつむいてから顔を向けた。
「大丈夫、ずっとヴァンがそばに居てくれたから」
「まぁな……あいつはそばに居ることしかできないだろうが」
「それだけで十分だよ」
「ここ半月こもっていたのは、そのせい?」
「いや……」
違う、と思う。本当に……なんかもう、ずっと我慢していた反動で、毎晩のように抱き合っていた、というのが正解で。けど……嫌な夢を見始めたのは、確かにヴァンと肌を重ねるようになってからだ。
ジャスパーは「ううむ」と唸ってから顎に手をあてて、少し考えるふうに口を噤んだ。そしてしばらく考えるようにしてから、ぽつりと呟く。
「おそらくだが……」
ジャスパーは遠くのヴァンに視線を向けながら言う。
「やっとリクは、過去を清算できる時が来たのだろう」
「過去を、清算……?」
「そう」
言葉を選んでジャスパーは続ける。
「元の世界での暮らし……聞いた話でしかないが、辛いものだったと思う」
「たしかに楽しくはなかったけど……言うほど辛くは……」
「リクはそう感じなかったか?」
それが俺にとっては当たり前だったから。寂しくはあったても、負けるものかと気を張って暮らしていた。
見せてやる、と。
世界が俺を要らないというのなら、いつか必要だと思わせてやる。そんな意地だけを糧に生きてきた。
俺は……辛かった、の、だろうか?
それすらも分からないということは……心が、半ば死んでいたかもしれない。
「分からない」
辛いとか感じる前に、どこか俺みたいな人間は、こういう扱いをされて当然だという感覚もあった。ジャスパーは小さくため息をついた。
「……俺なら辛い。ヴァンにとってもそうだろう。けど、リクがそう感じていなかったなら、感情に蓋をしていたところがあったんじゃないか?」
「辛いことを辛いと感じないように?」
「そう。それ自体は悪いことじゃない。そうやって心を守らなきゃいけない時ってあるだろうから」
「うん……」
「そして今、心も身体も満たされるようになったことで、蓋をしていた辛い記憶や感情に向き合えるだけの力を身に着けた、ということなんだろうな……」
俺の方を見る。
俺は、ここ数日のことを思い出すように視線を泳がせる。
もしヴァンがいなければ、きっと眠ることすら怖くなっていた。でも目が覚めるといつもあたかな腕の中にいたから、俺は怯えることなくまた眠ることができる。
どんなに怖いことや辛いことが起きても、絶対、大丈夫だって。
目を覚ませばそこにヴァンがいると、繰り返し、繰り返し、実感して、あの不安で寂しかった日々は過去のことだと思うことができる。
俺を嫌いで、利用して捨てようとした人たちがいても、それ以上に、俺を大切にして必要としてくれる人がいると実感できるから。
……だからもう、怖くはない。
「うん……そうかも……」
なんだろう。
すごく、嬉しい。
きっと俺は、ヴァンと一緒ならどんなことでも立ち向かえる。
へこたれて倒れたとしても、ヴァンと一緒に立ち上がることができる。
俺は強くなれる。
敵と戦うという意味での強さじゃなくて、もっとしなやかで自由なものだ。
……この気持ちは何だろう。
ただ、好き、という言葉だけじゃ収まらない。嬉しくて、嬉しくて、胸の奥がじんとなる。もしかすると……愛、なのかも……って。
「ぅわぁぁぁ……」
俺……何、恥ずかしいこと考えているんだ。か、顔が熱くなってくる。
「良かったな」
ジャスパーがニッと笑って言う。
俺は恥ずかしくて困ったような顔で返す。と、ちょうどその時、馬の準備が出来たと声がかけられた。ジャスパーが席を立つ。
「さて、ヴァンの家までもう少しだ。着いたら忙しくなるぞ」
「楽しみだ」
俺も立ち上がり、「待たせたね」と声をかけるヴァンに手を取られ、馬車に乗り込んだ。そのまま隣に座るのを見て、俺は少し照れくさい気持ちで見上げる。
優しい緑の瞳が、やわらかに俺を見つめ返す。
いつも俺を……真っ直ぐに見つめてくれる瞳だ。
「あ……」
何だろう……ヤバイ。
今、すっごい甘えたい気分になってきた。めちゃくちゃ甘えてヴァンの胸に顔をすつりけたい。ぎゅうっと、抱きしめたい。
目の前にジャスパーもいるし、御者の人たちもすぐ外にいるっていうのに。
ゆっくりと動きだした馬車は俺の気持ちまでも揺らしていく。
「どうしたの?」
顔を覗き込むヴァンがたずねた。
俺は、「何でもない」と答えながらも、そっとヴァンの腕に腕を絡ませてから頭を寄せる。なんかそれだけで、胸の奥が、ぶわわわぁ……とあたたかくなってくる。
「リク?」
「え……いや、その……」
向かいの席に座るジャスパーが、ニヤニヤしながら見ている。
くそっ。気合い入れなきゃって思っている時に、嬉しくてふわふわして、それどころじゃない感じになっているの、どうすればいいんだよ。
「えっと……その……ちょっと、眠くなってきた、かな……って」
そう言えば、こうやってヴァンにくっついていても不自然じゃないかな。
ヴァンは優しく微笑み返してくる。
「そう。だったら僕に寄りかかって少し眠るといいよ。朝早かったし、ずっと気を張っていただろうから」
そう言って、腕に絡めた俺の手のひらにヴァンは手のひらを合わせて、指を互い違いに重ねて握りしめた。これ、恋人繋ぎ……って言うんじゃなかっただろうか、確か。
絶対に離さないって言っているみたいで、顔が熱くなる。
散々、やらしいこととかしてるのに、今更手を繋ぐだけでドキドキしているとか、俺……おかしい。
「リク」
「……ん?」
「お披露目の場で……おそらく、その首元につけている守りの魔法石を、一度外すことになるだろう。けれど大丈夫だからね。僕がいる」
お披露目なのだから、俺の本当の能力も検める、ということだろうか。
試験はあるだろうな……と想像していたから驚かない。火の魔法を披露するのは無理そうだけれど。
「大丈夫って言うのなら、平気だ。ヴァンが外してくれるんでしょう?」
「それは僕にしか外せないからね」
「だったら、全部任せるよ」
そう言って俺は瞼を閉じて、ヴァンの肩に寄りかかった。
大丈夫。ヴァンと一緒なら何も怖くない。
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