86 / 202
第3章 成人の儀
83 ほんとうの現実
しおりを挟む夢を見た。
ここは……元の世界。昔、暮らしていた団地の廊下だ。打ちっぱなしのコンクリ―トの壁に、青白い蛍光灯。同じ形の鉄の扉。暗く長い廊下の果てが見えないほど長く伸びている。
人の気配は無くて、耳に痛いほどの静けさだけがある。
そんな廊下の中ほどに、俺はぽつんと立ちつくしていた。
夢というだけでなく……ひどく歪んだ世界だ。
けれど昔の俺には、この薄暗く冷たい空間が世界の全てだった。
人が触れて来てもすぐに通り過ぎて、最後はいつも、誰もいない場所に独り取り残される。だから自分の力で現実を変えてやろうともがいていた。
横を見ると、一つのドアがあった。
錆と傷のついた冷たい、けれど馴染みのあるドア。これは俺が暮らしていた部屋のドアだ。その向こうに……誰も居ない薄暗い部屋がある。どこにも行けず、誰も来ない。ただ時間だけが過ぎていく場所。
怖いのに。
もう二度と触れたくないと思うのに、俺はドアノブに手をかける。
ギィィィ……と音を立てて開く。
ドアの向こうは、真っ暗な穴が、口を開いていた。
「っあ!」
大きく息を吸って目を見開いた。
明るい部屋。
カントリーハウス調の壁と天井に本棚と、魔法石と薬草の束と……それらが、ある程度は整えられながら壁際を占領している部屋だ。薄く開いた窓からは、初夏の風が流れてきている。日は高く、昼前だろうけれど朝というには遅い。
そうと分かる時間のベッドの中に一人、俺は横たわっていた。
一瞬、ここがどこか分からなくなる。
起き上がり頭を軽く振って、自分の手を見た。
夢の中よりも大きくなっている手。
いや……夢の中の自分の手の方が、小さかったんだ。
「夢……だよな……」
こちらの側の方が夢のような気がして、周囲を見渡した。
さらさらのシーツの上で、裸で寝ている。何故? と混乱しながら、徐々に夕べの記憶が戻ってきた。
「そうだ俺……成人のお祝いをして、夜……ヴァンに……」
抱いてもらった。
夜明け近くまで、どろどろになるほど抱きつくされて……バスルームでも気持ちよくされて……。そのまま明け方からの記憶は曖昧だ。心地よさの中で、気を失うように眠ってしまったのだと思う。
ベッドも何もかもぐしょぐしょになっていたのに、俺を包む全ては乾いていた。きれいに整えられている。これ……全部、ヴァンがやってくれたのだろうか。
「ヴァン……」
薄手の大きなケットで体を包むようにして、階段を下りた。
階下の……キッチンの辺りで人の気配がする。そっと覗き込むと、ラフなシャツとスラックス姿のヴァンが湯を沸かしていた。
俺の気配に気がついて振り向き微笑む。
明るいクリームイエローの髪、緑の瞳。彫りが深いというほどではないけれど、明らかに日本人とは違う顔立ちの、見惚れてしまうほどカッコイイ人。
「リク……おはよう」
「ヴァン」
両手を広げて俺を迎え入れる。
そのまま歩み寄った俺に、おはようの挨拶のキスを額に……ではなく、じっと見つめてから唇に落とした。
啄ばむような優しくて温かい、柔らかな口づけが降る。
ヴァンのキスを受け入れた俺は、驚いたように見上げた。
「……今日はから、挨拶はここにしよう」
そう言って、親指の腹で俺の唇をそっと撫でる。
それだけで俺の背筋にぞくりと心地よさが走った。
「ヴァン……」
「……んん? どうしたの?」
腕を伸ばし、ヴァンにぎゅっとしがみ付いた。
その身体をヴァンが抱きしめ返してくれる。
「嬉しいんだ……」
「リク」
「ヴァンが今ここにいるのが、すごく、すごく嬉しくて。幸せで……俺、どうしていいか分からない……夢なら覚めないでほしい」
じわ……と目の奥が熱くなる。
ヴァンがぎゅっと抱きしめ返しながら、耳元で囁いた。
「夢じゃない。僕も、リクが僕の腕の中にいるのが、すごくすごく嬉しくて幸せで、たまらないよ」
「ヴァン……んっ」
囁きに遅れて深いキスが下りて来た。角度を変えながら、熱い舌が俺の歯列を割ってくる。それを迎え入れ、絡ませて、ぞくぞくする快感を感じ……息が、続かなくなってきた頃にそっとヴァンは唇を離した。
名残惜しそうに滴が糸を引く。
もう一度、ちゅっと唇に触れてからヴァンは笑った。
「ごちそうさま」
「あ……う、ぅ、あ……うん、おいし……かった」
「あれだけのことをしたのにまだ恥ずかしいの?」
「はずかしい、よぉ……」
「本当にリクは、可愛いなぁ」
嬉しそうに笑う。それがたまらなく嬉しくて、俺は耳まで顔を熱くしながらうつむいた。
間違いない。これが、この目の前の姿が、俺の、本当の現実だ。俺は異世界に迷い込んでこの場所を選んで、ヴァンに受け入れられた。
「まだ眠っていたいなら寝ていてもいいけれど、お腹が空いているなら食事にしよう」
「うん……お腹、空いている」
「だったら着替えておいで。まぁ……その姿のままでも、僕はいいけれどね」
ケットを羽織っただけの首元を広げ、今度は首筋にキスを落とす。
このままでいたら、その内キッチンの床に押し倒されて最後まで食べられてしまいそうだ。今更ながら腰のだるさに夕べのことを強く思い出して、俺は恥ずかしさに声を上げた。
「き、着替えてくる!」
「うん」
手を離すヴァンから逃げるように、俺は三階に駆け上った。
夢のことは忘れよう。
あれは……あの世界は俺が捨てた過去だ。今更思い出す必要もない。だから、早く忘れてしまえ。
21
あなたにおすすめの小説
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
溺愛の加速が尋常じゃない!?~味方作りに全振りしたら執着兄上たちの愛が重すぎました~
液体猫(299)
BL
毎日AM2時10分投稿
【《血の繋がりは"絶対"ではない。》この言葉を胸に、末っ子クリスは過保護な兄たちに溺愛されながら、大好きな四男と幸せに暮らす】
アルバディア王国の第五皇子クリスが目を覚ましたとき、九年前へと戻っていた。
巻き戻す前の世界とは異なるけれど同じ場所で、クリスは生き残るために知恵を振り絞る。
かわいい末っ子が過剰なまでにかわいがられて溺愛されていく──
やり直しもほどほどに。罪を着せた者への復讐はついで。そんな軽い気持ちで始まった新たな人生はコミカル&シリアス。だけどほのぼのとしたハッピーエンド確定物語。
主人公は後に18歳へと成長します(*・ω・)*_ _)ペコリ
⚠️濡れ場のサブタイトルに*のマークがついてます。冒頭のみ重い展開あり。それ以降はコミカルでほのぼの✌
⚠️本格的な塗れ場シーンは三章(18歳になって)からとなります。
⚠️若干の謎解き要素を含んでいますが、オマケ程度です!
公爵家の末っ子に転生しました〜出来損ないなので潔く退場しようとしたらうっかり溺愛されてしまった件について〜
上総啓
BL
公爵家の末っ子に転生したシルビオ。
体が弱く生まれて早々ぶっ倒れ、家族は見事に過保護ルートへと突き進んでしまった。
両親はめちゃくちゃ溺愛してくるし、超強い兄様はブラコンに育ち弟絶対守るマンに……。
せっかくファンタジーの世界に転生したんだから魔法も使えたり?と思ったら、我が家に代々伝わる上位氷魔法が俺にだけ使えない?
しかも俺に使える魔法は氷魔法じゃなく『神聖魔法』?というか『神聖魔法』を操れるのは神に選ばれた愛し子だけ……?
どうせ余命幾ばくもない出来損ないなら仕方ない、お荷物の僕はさっさと今世からも退場しよう……と思ってたのに?
偶然騎士たちを神聖魔法で救って、何故か天使と呼ばれて崇められたり。終いには帝国最強の狂血皇子に溺愛されて囲われちゃったり……いやいやちょっと待て。魔王様、主神様、まさかアンタらも?
……ってあれ、なんかめちゃくちゃ囲われてない??
―――
病弱ならどうせすぐ死ぬかー。ならちょっとばかし遊んでもいいよね?と自由にやってたら無駄に最強な奴らに溺愛されちゃってた受けの話。
※別名義で連載していた作品になります。
(名義を統合しこちらに移動することになりました)
愛していた王に捨てられて愛人になった少年は騎士に娶られる
彩月野生
BL
湖に落ちた十六歳の少年文斗は異世界にやって来てしまった。
国王と愛し合うようになった筈なのに、王は突然妃を迎え、文斗は愛人として扱われるようになり、さらには騎士と結婚して子供を産めと強要されてしまう。
王を愛する気持ちを捨てられないまま、文斗は騎士との結婚生活を送るのだが、騎士への感情の変化に戸惑うようになる。
(誤字脱字報告は不要)
《本編 完結 続編 完結》29歳、異世界人になっていました。日本に帰りたいのに、年下の英雄公爵に溺愛されています。
かざみはら まなか
BL
24歳の英雄公爵✕29歳の日本に帰りたい異世界転移した青年
【完結】気が付いたらマッチョなblゲーの主人公になっていた件
白井のわ
BL
雄っぱいが大好きな俺は、気が付いたら大好きなblゲーの主人公になっていた。
最初から好感度MAXのマッチョな攻略対象達に迫られて正直心臓がもちそうもない。
いつも俺を第一に考えてくれる幼なじみ、優しいイケオジの先生、憧れの先輩、皆とのイチャイチャハーレムエンドを目指す俺の学園生活が今始まる。
あなたの隣で初めての恋を知る
彩矢
BL
5歳のときバス事故で両親を失った四季。足に大怪我を負い車椅子での生活を余儀なくされる。しらさぎが丘養護施設で育ち、高校卒業後、施設を出て一人暮らしをはじめる。
その日暮らしの苦しい生活でも決して明るさを失わない四季。
そんなある日、突然の雷雨に身の危険を感じ、雨宿りするためにあるマンションの駐車場に避難する四季。そこで、運命の出会いをすることに。
一回りも年上の彼に一目惚れされ溺愛される四季。
初めての恋に戸惑いつつも四季は、やがて彼を愛するようになる。
表紙絵は絵師のkaworineさんに描いていただきました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる