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第2章 届かない背中と指の距離
69 心も体も強く大きく
しおりを挟む「リク……」
ヴァンが俺の名を呼ぶ。
皆がどれだけ俺のためにと手を尽くしてきたのか知っている。今もこうして、何かできることは無いかと探しているのだと思う。それでも……俺が……俺の弱い心が、挫けてしまった。
どうやっても怖い。
皆が思っている以上に、俺は、弱い……。
氷や風の簡単な魔法ですらまともに使えないのに、魅了のコントロールが一朝一夕でできるわけがない。ヴァンだってそれはよくわかっているはずだ。
その間にどんな犠牲が出るか分からない。細心の注意を払って犠牲を出さないようにしたとしても、俺の心が……もたない。首の守りの魔法石を引きちぎっても、欲しいという欲望を抑えられない。
一番皆が安全で、一番辛くない方法は、俺を完全に封じてしまうことだ。
「完全に封じたなら……俺の、意識とかそういうものは、無くなってしまう?」
「何も感じなくなる。ただ……息をしているだけのモノになる」
「皆が危険じゃないなら、それでいい……それがいい……」
うまく力の入らない腕に歯を食いしばりながら、起き上がろうとする。ヴァンが腕を伸ばして背中を支える。
目の前にいるのに。
手の届く場所にいるのに、俺は顔を上げることができない。
ヴァンのそばにいることができるなら、他に何も要らないと思っていたはずなのに。
「俺に……優しくしてくれた人たちを、傷つけるのは、嫌だ……いやだよ……」
ぱたぱたと涙が落ちて、俺を乗せていた台に染みをつくる。
あの魔物たちだって俺がここに来なければ、森の奥から出てくることも無かったかもしれない。そうすれば殺されずに済んだかも……しれない。
砂のように崩れて、石だけが残る。
俺の周囲ある何もかもが、崩れて消えてしまうような気がしてくる。俺は、この世界を滅ぼすかもしれない。そうなる前に……完全に、封じて欲しい。
ただ一つ。
たった一つ願いが叶うとしたら。
欲しい。
「俺を封じる前に……一度でいいから、抱いて……欲しい」
契りを……して欲しい。
こんなに誰かを傷つけることを恐れながら、それでも、ヴァンが欲しい。
それほどまでに俺は、欲深い。
ヴァンは何も答えない。
恐々と顔を上げる。
目の前のヴァンは――怒って、いた。
「それはできない」
「……ヴァン……」
「まだ大人になっていないリクを、抱くことはできない」
絶望に……血の気が引いていく思いがする。目の前が暗くなっていく。声が喉に張り付いて、出てこない。
大人になっていないって……一年……二年……いつまで待てばいい?
こんな状態のまま、何年もなんて待てない。
狂った俺は……何をしでかすか分からない。
俺は首を横に振る。ヴァンが両腕を掴み、真正面に見つめる。その緑の瞳を見つめ返したまま俺は声を絞り出す。
「つらい……んだ……」
ヴァンは俺を大切にしてくれる。大切にされ過ぎて、辛い。
飢えることには慣れていた。温かなものなど、決して手に入らないと思っていたから。だから最初から望みもしなかった。
今……俺の目の前にはヴァンがいる。
温かな腕も、胸も、何もかもが目の前にあるのに、ダメだという。
「ヴァンが……欲しい……」
ヴァンが欲しい。
今、こうしている間にも、またいつ暴走するか分からない。
目の前のヴァンを魅了で操って、おかしくしてしまうかもしれないのに。
「俺はもう……ダメ、だから……」
だから、いっそのこと……ヴァンの手で殺してほしい。
「僕はあきらめない」
痛いほど強く腕を掴む。ヴァンが真っ直ぐに俺を見て、言う。
「僕は絶対に、あきらめない」
「でも俺は……」
「リクがあきらめたとしても、僕はあきらめない」
ぐいっ、と引き寄せ胸に抱く。息が詰まる。俺の背中に回る腕が、熱い。
「世界中の全てがあきらめたとしても、僕はあきらめない」
「……ヴァン……」
「アーヴァイン・ヘンリー・ホールの名に懸けて、リクを護ると誓った。絶対に、リクを人形になどさせない」
耳元で囁く、声に強い意志がにじむ。
これがヴァンの強さなんだ。
絶対にあきらめない。才能だけではない、この強い意志があったからこそ、ヴァンは大魔法使いと呼ばれるまでになった。けれど俺は……。
「俺は……弱いよ……」
「その弱さも全て認めている」
また目の奥が熱くなって、じわり……と涙が溢れてくる。
「最初から強い人間なんていない」
「ヴァン……」
「リクは、リクのままでいていい。リクの弱さも優しさも、リク自身が気づいていない強さも、僕は知っている」
「う……うぅ……」
ヴァンの背に腕を伸ばす。
広くて大きくて熱い、届かない背中と指の距離を実感しながらも、しがみつく。
「ヴァン、ヴァン……怖い、怖いよぉ……」
「うん」
「こわいんだ……つらいんだ……たいせつなもの全部、壊してしまいそうで……」
「……うん」
ヴァンはただ頷いて、俺の言葉に頷いている。
「……こわい……」
肩を抱く腕を緩めて、涙でぐしゃぐしゃになった俺の顔を見つめる。
「僕は、リクに壊されたりはしない。決して……」
「……ヴァン」
「怪物級と皆が言う、僕がここにいる」
優しく微笑む。
こんな時ですら、ヴァンは微笑むことができる。
「魔法は修錬でコントロールできるようになる。僕が、全部教える」
指先で、俺の涙を拭う。
「リクに元の世界の全てを捨てさせた。だから、この世界で自由に、行きたい所があればどこでも自由に行って生きられるようにする。その為に、僕は僕のできる全てを教える」
どれだけ、ヴァンは俺のことを思っていてくれたのだろう。
刹那的なものじゃない。
遠い将来も見据えて、この世界で、しっかりと生きていく道筋を探している。
あぁ……俺は本当に、ヴァンには勝てない。
俺になんかたちうちできないほど、ヴァンは大人なんだ……。
「心も体も、強く、大きくなるんだ。僕は待っている」
「うん……」
嬉しさに涙が流れ落ちる。
優しく髪を梳いて、額に口付ける。
「守るよ……僕の、たいせつな人なのだから」
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