40 / 202
第2章 届かない背中と指の距離
39 一人の時間
しおりを挟む朝、水くみに行く。街の人たちの明るい笑顔に迎えられる。
昨日と変わらないはずの朝だ。
「おはよう、リクくん」
「おはようございます」
「あら、新しいアクセサリー?」
何となく照れくさくて、襟のあるシャツの中に着けていたチョーカーを見つけられた。俺は「えぇ……はい」と、笑いながら小さく答える。
「守りの魔法石なんです」
「旦那、リクくんのお守り、ずいぶんいろいろ探していたもんねぇ」
「あれ? アーヴァイン様、今いないの?」
「ほらもう、年に一度の大結界の時期だろ」
「あぁ……そうか。お帰りは二ヶ月後かい?」
「えっ?」
井戸のまわりに集まった人たちが口々に言う。
「えぇっ……っと、一ヶ月ほどで戻ると」
「リクくんが心配で急いで帰ってくるんじゃない?」
「留守を預かるのは大変だねぇ。後で採れたての野菜を持っていくよ」
「ありがとうございます」
他愛ない会話を切り上げ、水桶を手に家に戻る。
「はぁ……」
ヴァンの気配や声の無い家の中が、こんなに広く、静かに感じるとは思わなかった。なんとなく、グチっぽい言葉がこぼれてしまう。
「テレビやラジオでもあれば、違うのかな……」
音楽の再生機のような魔法石はあるけれど、俺には扱えない。
やっぱりもっといろいろな魔法を覚えておけばよかったと、今更ながらに思う。
火を熾し、お茶を淹れて、温め直すのがめんどうで冷たいスープにパンを浸しながら齧る。ウィセルがどこからともなく現れて、俺の顔を見上げている。
「……おまえたちがいるのに、寂しいなんて無いよね」
「キキッ」
ちょろちょろと現れては消えるウィセルは気まぐれだけれど、俺はひとりぼっちじゃないと教えてくれる。うん、大丈夫だ。俺はこの世界に来るまで、ずっと独りで過ごしてきたじゃないか。
「キッ⁉」
「ん……誰か、来た?」
顔を上げると、ノックの音が響いた。
あっという間に姿を消すウィセルの横で、食器を片づけて階下に降りる。
ドアの向こうで挨拶をしたのは、通いの家政婦、ローサさんだった。今までも季節によって四、五日に一度来ては、主に掃除や洗濯を担ってくれていた。
ヴァンが留守にする間は、二日に一度、来てくれるという。
「おはようございます。リクお坊ちゃま」
「……おはようございます。ローサさん」
何度か、「お坊ちゃま」は恥ずかしいから止めてと言ったのだけれど、どうやらそこは譲れない部分らしい。ちなみにヴァンは「旦那様」だ。それもあってか、街の人たちはヴァンのことを「旦那」と呼ぶ人もいる。
俺とたいして変わらない身長の、ゆったりと話すローサさんはけっこうなお年、だと思う。白髪の交じったココア色の髪と明るい茶色の瞳。笑顔で刻まれた皺。だけど歩き方や次々と家事をこなす動きを見ていると、とても「お婆ちゃん」とは呼べない。
「お食事中でしたか?」
「今終わったところです」
「さようでしたか。リクお坊ちゃまがちゃんとお食事されるよう見守って下さいと、旦那様から言付かっておりますからね」
もぅ、ヴァンは過保護なんだから。
「ちゃんと食べましたよ」
「では、次からスープは温めてから召し上がって下さい」
ばれた。
キッチンやリビングの掃除をローサさんに任せ、俺は三階の寝室に向かう。窓を開けて空気を流し、ベッドメイクをしてから棚やテーブルの埃を払う。日の光で力をチャージするタイプの魔法石を窓辺に移し、ローサさんから受け取った洗濯済みの衣類をしまう。
ヴァンがいない、ということを除いて、昨日と変わらない日々の日課だ。
そろそろゲイブの所に行く迎えが来るだろうか……と思ったタイミングで、来客の音がした。ローサさんが対応に出ている。
大きな剣を振り回すのは無理でも、最低限の護身術は覚えた方がいいだろうという話になって、数日に一度、ゲイブのところに通うことになった。体育系の習い事なんかしたこと無いから、ついていけるかちょっと心配だけれど。
「リクお坊ちゃま」
準備をして一階へと階段を下りていくと、ローサさんが振り向き声をかけた。ドアの向こうには、俺と同い年くらいの青年が二人立っている。帯剣もしていて本当に護衛っぽい。
「お迎えがいらっしゃいましたよ」
「ありがとうございます」
会釈をすると、びしっ、と背筋を伸ばした二人が自己紹介をした。
「ギャレット様の命によりお迎えに上がりました。ザック・ジョーンズです」
「マーク・ジョーンズです」
二人とも年上? 兄弟かな? クセのある赤毛とか目元が似てる。
そんなに緊張しなくていいのに。
いつも「ゲイブ」って呼んでいるから聞き慣れないけど、本名はガブリエル・ジョー・ギャレットっていう。ガブリエルって確か天使の名前だよね。イメージ合わないなぁ……。
「リク・カワバタと言います。どうぞよろしく」
「カワバタ様」
「あ、いや、リクと呼んで下さい」
もう滅多にその姓は使わない。捨てちゃってもいいぐらいだけれど、代わりになるものが無くて何となくそのままにしているだけだ。
「了解しました。リク様、ご案内します」
……これは、打ち解けるの時間かかるかなぁ。
「ローサさん、帰りは遅くなるかもしれないので後を頼みます。あ、それと今朝、井戸で声をかけてもらったご近所さんが、後で野菜を持ってくるかと」
「かしこまりました。いってらっしゃいませ、リクお坊ちゃま」
あぁ……慣れない。
苦笑いで応えつつ、俺はザックとマークの二人に挟まれながら、家を後にした。
そんなふうに、穏やかな日々が三日、四日と過ぎていった。
ゲイブのところで始まったのは体力と筋力をつける基礎訓練で、それは家でもできる。後は文字を覚えるために本を読んだり、教えてもらっていた魔法の練習をしたり。暇を持て余している……ということは無い。
五日目の夜、空にオーロラのような光が広がった。
きっとヴァンの魔法の影響だろう……と、漠然と感じた。
「いっしょに……見たかった、な」
この空の下のどこかにヴァンがいる。
そう分かっていても、ここではヴァンの熱を感じることができない。大切な仕事で留守にしているのだからワガママは言えない。ただ……ヴァンのいない時間が長すぎる。
もしかしたら……このまま、帰って来ないんじゃないか……なんて、嫌な想像まで浮かんでくる。
「バカなこと考えてないで、寝よ」
明日も早い。
日の出と共に水をくみに行って……それから、あぁ……明日は雨だそうだからゲイブのところの練習は無しだと言っていた。ローサさんも来ない日だ。いっそのこと、思いっきりだらだらして過ごそうかな。
ふと、イスの背もたれにかけっぱなしにしていたブランケットが目に入った。
冬の間はずっと肩にかけて使っていたのに、さすがに季節が変って触っていなかった。何気なく手に取り、肌に馴染んだ布地に顔を近づける。
懐かしさに、胸の奥が痛くなる……。
「ヴァンの匂いがする……」
……ヴァンの、匂いだ。
24
あなたにおすすめの小説
溺愛の加速が尋常じゃない!?~味方作りに全振りしたら執着兄上たちの愛が重すぎました~
液体猫(299)
BL
毎日AM2時10分投稿
【《血の繋がりは"絶対"ではない。》この言葉を胸に、末っ子クリスは過保護な兄たちに溺愛されながら、大好きな四男と幸せに暮らす】
アルバディア王国の第五皇子クリスが目を覚ましたとき、九年前へと戻っていた。
巻き戻す前の世界とは異なるけれど同じ場所で、クリスは生き残るために知恵を振り絞る。
かわいい末っ子が過剰なまでにかわいがられて溺愛されていく──
やり直しもほどほどに。罪を着せた者への復讐はついで。そんな軽い気持ちで始まった新たな人生はコミカル&シリアス。だけどほのぼのとしたハッピーエンド確定物語。
主人公は後に18歳へと成長します(*・ω・)*_ _)ペコリ
⚠️濡れ場のサブタイトルに*のマークがついてます。冒頭のみ重い展開あり。それ以降はコミカルでほのぼの✌
⚠️本格的な塗れ場シーンは三章(18歳になって)からとなります。
⚠️若干の謎解き要素を含んでいますが、オマケ程度です!
公爵家の末っ子に転生しました〜出来損ないなので潔く退場しようとしたらうっかり溺愛されてしまった件について〜
上総啓
BL
公爵家の末っ子に転生したシルビオ。
体が弱く生まれて早々ぶっ倒れ、家族は見事に過保護ルートへと突き進んでしまった。
両親はめちゃくちゃ溺愛してくるし、超強い兄様はブラコンに育ち弟絶対守るマンに……。
せっかくファンタジーの世界に転生したんだから魔法も使えたり?と思ったら、我が家に代々伝わる上位氷魔法が俺にだけ使えない?
しかも俺に使える魔法は氷魔法じゃなく『神聖魔法』?というか『神聖魔法』を操れるのは神に選ばれた愛し子だけ……?
どうせ余命幾ばくもない出来損ないなら仕方ない、お荷物の僕はさっさと今世からも退場しよう……と思ってたのに?
偶然騎士たちを神聖魔法で救って、何故か天使と呼ばれて崇められたり。終いには帝国最強の狂血皇子に溺愛されて囲われちゃったり……いやいやちょっと待て。魔王様、主神様、まさかアンタらも?
……ってあれ、なんかめちゃくちゃ囲われてない??
―――
病弱ならどうせすぐ死ぬかー。ならちょっとばかし遊んでもいいよね?と自由にやってたら無駄に最強な奴らに溺愛されちゃってた受けの話。
※別名義で連載していた作品になります。
(名義を統合しこちらに移動することになりました)
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
《本編 完結 続編 完結》29歳、異世界人になっていました。日本に帰りたいのに、年下の英雄公爵に溺愛されています。
かざみはら まなか
BL
24歳の英雄公爵✕29歳の日本に帰りたい異世界転移した青年
愛していた王に捨てられて愛人になった少年は騎士に娶られる
彩月野生
BL
湖に落ちた十六歳の少年文斗は異世界にやって来てしまった。
国王と愛し合うようになった筈なのに、王は突然妃を迎え、文斗は愛人として扱われるようになり、さらには騎士と結婚して子供を産めと強要されてしまう。
王を愛する気持ちを捨てられないまま、文斗は騎士との結婚生活を送るのだが、騎士への感情の変化に戸惑うようになる。
(誤字脱字報告は不要)
【完結】気が付いたらマッチョなblゲーの主人公になっていた件
白井のわ
BL
雄っぱいが大好きな俺は、気が付いたら大好きなblゲーの主人公になっていた。
最初から好感度MAXのマッチョな攻略対象達に迫られて正直心臓がもちそうもない。
いつも俺を第一に考えてくれる幼なじみ、優しいイケオジの先生、憧れの先輩、皆とのイチャイチャハーレムエンドを目指す俺の学園生活が今始まる。
あなたの隣で初めての恋を知る
彩矢
BL
5歳のときバス事故で両親を失った四季。足に大怪我を負い車椅子での生活を余儀なくされる。しらさぎが丘養護施設で育ち、高校卒業後、施設を出て一人暮らしをはじめる。
その日暮らしの苦しい生活でも決して明るさを失わない四季。
そんなある日、突然の雷雨に身の危険を感じ、雨宿りするためにあるマンションの駐車場に避難する四季。そこで、運命の出会いをすることに。
一回りも年上の彼に一目惚れされ溺愛される四季。
初めての恋に戸惑いつつも四季は、やがて彼を愛するようになる。
表紙絵は絵師のkaworineさんに描いていただきました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる