【本編完結】異世界の結界術師はたいせつな人を守りたい

鳴海カイリ

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第1章 廃ビルの向こうは異世界でした

29 誰かの一番になれるなんて、思っていない

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 小学生の時、近所に一つ年上の女の子が住んでいた。
 俺は放置されっぱなしの母子家庭。一方、お姉ちゃんも母子家庭ながら、母親は娘を大学まで行かせるのだと、朝も晩も働いていた。
 同じ片親ということもあって、お姉ちゃんにはよく勉強を見てもらったり、夕食をご馳走になったりしていた。境遇は似ているのに全然違う。そういう家庭もあるのだと、十歳になるかならないかの俺は感じていた。

 おばさんやお姉ちゃんはよく言っていた。「お母さんはきっと不器用で、里来りく君とどう接していいかわからないのよ」と。「こんなに可愛いのだから、誰も放って置いたりしないから」と。
 でも俺は知っている。

 酒に酔ったりイライラしている時、母親あのひとはいつも言っていた。「堕すタイミングを逃した」と。
 俺は、生むつもりじゃなかった子供だ。殺すつもりだった。
 たまたまタイミングを外して、仕方なく生まれてしまったに過ぎない。

 俺がもうすぐ五年生になる時、お姉ちゃんの母親の再婚が決まった。
 職場の同僚で、近々遠方へ転勤になるという。お姉ちゃんも一緒に遠くへ引っ越すことになった。その時、俺の母親の放置っぷりを見かねたおばさんが声をかけてくれた。「うちの子にならないか」と。

 あたたかくて明るい家で、毎日、ご飯が出てくる。
 熱を出したら側にいてくれる。
 怖い思いをして呼んだなら、いつでも駆けつけてくれる。
 そんな家族の一人にならないかと声をかけられたけれど、俺は断った。何の役にも立たない俺がついて行ったなら、迷惑にしかならない。

 いつでも連絡をしてと言って引っ越していったお姉ちゃんたちは、俺が返事を出さなかったこともあって、一年、二年と経つうちに手紙のやり取りも途切れていった。

 学校の先生や市の保護職員。
 いろんな人が手を差し伸べようとしていたのは知っている。
 仕事として。業務として。仕方なく……国の定めた決まりに従ってやっていただけだというのも分かっている。
 一時期、保護施設に移された時は、俺よりずっと悲惨な目に遭っている子がいることも知った。殴られることこそあまりなかったから、俺の「優先順位」はずっと低かったというのも。
 心だけじゃなく体にも傷を残された子たち。その子たちに比べれば、俺の不幸はまだ軽い。だったら……自分一人の力で立たなくては。
 
 誰かの一番になれるなんて、思っていない。

 俺は何かの間違いで、たまたま生まれ落ちてしまっただけだ。八十億に迫る人の一人二人が欠けたぐらい、足元の蟻が一匹消えた程度と変わらない。
 それでも、あの世界を忘れられないのは、腹を立てていたからだ。 

 母親あんたが要らないと言った子は、立派に育った。社会の役に立つ人間になった。ストレスのはけ口に俺を虐めていた、クラスのおまえたちより価値のある人間になった。
 見せてやる。
 世界が俺を要らないというのなら、いつか必要だと思わせてやる。
 そんな意地だけを糧に生きてきた。
 俺を嫌いで、利用しようとして、排除しようとする奴らとなら戦える。
 ――戦えたのに。


「ヴァン……」


 頭を撫でて微笑む。「もう心配しなくていいからね」と。何度も何度も言ってくれた「大丈夫」と。
 抱きしめて「ここは、安全だから」「誰も君を、傷つけることはできない」と。
 耳元で囁きながら、「傷つけさせない……」と。

 いつも側で見守っていてくれた。
 ずっと店を休んで、俺のことを一番に扱って、魔法を教えてくれた。
 温かい胸に寄り添って眠り。
 腕の中で笑った。

 俺には……何も、返せるものが無いのに。
 何の役にもたたないのに。

 やさしくされると、どうすればいいのか、わからなくなる。

 ヴァンが……ヴァンさんが俺にやってきたことは、打算とか、義務とか、そういうんじゃないのは感じている。本当は魔法院という所に引き渡すものを、無理を言って引き留めた。
 俺を元の世界に帰すと、約束したから。





「何か質問は?」

 ベッドの縁に座ったまま顔を上げると、高価な調度品がそろった部屋が目に入った。
 ここは俺を救出した廃墟の町の近隣にある、とある伯爵家の屋敷。目の前に立っているのは魔法院から来た顧問官で、三大結界術師の一人、ストルアン・バリー・ダウセットと名乗った。
 ギルドに所属していない冒険者たちの規律を逸脱した行いによって、貴重な「異世界人」を失うかもしれなかったという。
 それがどの程度重大な出来事か分からないが、とうとう魔法院まで出てきてしまった。このまま俺の身柄は今後、院が預かることになるという。

「俺は……元の世界に、帰るつもりです」

 退屈な質問だとでも言うように、ストルアンは自分の爪を眺め、答えた。

「それは諦めてください」

 細面の、たぶん三十代半ばと思われる神経質そうな男の人は、ヴァンさんと名を並べるこの国有数の大魔法使いだと聞いてもピンと来ない。薄暗い研究所で、資料や実験装置とにらみ合っているような……そんな雰囲気の人だ。

「異世界から来た貴重な標本サンプルを、自由にすることはできません」
「魔法院って……どこに?」
「王都近くの大きな都市です。それ以上は知る必要がありません」

 ヴァンさんとは離れ離れになるのだろう。

「別に、どこでもいい」

 これ以上ヴァンさんの迷惑にならないのなら、元の世界だろうと魔法院だろうと……どこでもいい。

 頭が痛い。
 まだ、吐き気が治まっていない。
 悪寒もして、火傷やけどただれた両手の痛みで意識を繋いでいる。

 ガチャリ、とドアの開く音がした。
 足音だけでわかる。ヴァンさんたちだ。ストルアンが部屋に入って来た人たちに声をかけた。

「院への出立しゅったつは夜明けです。面会は一つの間。暴れるようなら眠らせておいてください」

 そう言って、部屋を出ていった。
 残された時間は、一時間。
 駆け寄ったのはジャスパーさんだった。

「リク……あぁ、酷い……」

 膝を折り、俺の両手をそっと取って、呟く。ジャスパーさんの後ろから、ゲイブさんが覗き込んだ。

「火傷? あいつらがやったの?」

 首を横に振って答えた。

「縄で……しばられたから、焼いた……」
「なんて、無茶なことを……」

 全身の力が抜けるような声でジャスパーさんが言う。

「ジャスパー、治せる?」
「この程度の火傷なら……数日は痛むだろうけど、痕は残させない。それよりリク、ちょっと頭と首を触るよ」

 立ち上がって額とうなじに手を当てた。

「やっぱり……これは、酷い。可哀想に。ずいぶん強引に魔法をかけられたな」
「魔法酔い?」

 ゲイブさんの問いにジャスパーさんは頷いた。

「リク、吐き気は?」
「……あ、る……頭も……」
「守りの石をつけていたはずだ」

 数歩離れた場所で見ていたヴァンさんが、低い、静かな声で呟いた。
 声で、すごく怒っていると、わかる。怖くて顔を上げられない。
 ジャスパーさんが埃だらけの俺のシャツの襟をめくった。

「砕けている。きっと魔法石が身代わりになったから、この程度ですんだのだろう」

 そう言って、大きくため息をついた。





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