ケモとボクとの傭兵生活

Fantome

文字の大きさ
上 下
39 / 50
第三章 初仕事は蒼へと向かって

救いの白兎

しおりを挟む
「な、何しやがるこの野郎!さ、さっさと離しやがれ!」

ヴァルツの腕を振り払いに掛かるダリウスだったが、力仕事で鍛え上げられた彼の腕力をもってしてもヴァルツから逃れることは出来なかった。薫は猛禽類の獲物を掴む力は凄まじいと聞いたことがあったが、それは亜人であっても同じなのだろうか。

いや、今はそんなことを考えている場合ではない。このままさらに関係が悪化すれば、この仕事が頓挫する可能性だって否めない。そしてそれを回避する手段は、全て薫のみに託されていた。

「あ、あのっ、ヴァルツさん止めてください!僕のことは気にしなくても大丈夫ですから!」

「カオルもそう言ってますし、許してあげてもらえませんか?まだお仕事前なんですし、ね?」

「…………」

ダリウスの腕を掴んだまま、ヴァルツはアルトと薫を一瞥する。彼らを見下ろしながらしばらく沈黙した後、彼は掴んでいたダリウスの腕から手を離した。

「ぐっ……て、テメェ……ッ!薄汚ぇ傭兵風情が、ナメた真似してんじゃねェぞ!」

解放され、痛む腕を擦りながらヴァルツを睨み付けるダリウス。周囲には険悪な雰囲気が立ち込め、まさに一触即発といった様相である。迂闊に間に入ることも出来ず、殺気立って睨み合う二人の間でどうしたものかと焦る薫だったが、そこへ忙しない足音をさせて近付いてくる者の姿があった。

「ちょっとちょっとダリウスさん!こんなクソ忙しい時に何やってるんですか!」

そう声を上げながらやって来たのは、真っ白な毛並みとルビーのように赤い瞳が特徴的な兎の獣人であった。サイズは全く違うがダリウスと同じ服を身に付け、青色のバンダナを頭に巻いている。

「うるせェテクトォ!これからこの鳥野郎の羽根をむしってローストチキンにしてやるところなんだからよォッ!邪魔すんじゃねェ!」

「何言ってるんですか!その人達、今回雇われた傭兵さん達でしょ!?モメちまって帰られでもしたら叱られんのはこっちでしょうが!それに、まだ行かないのかって御者の連中が騒いでます!時間も押してますし、こっちで指揮を取ってもらわないと!」

「ぐ、ぬぐぐぎぎ……ッ!」

雇われの身であるのはお互い様だったらしい。ヴァルツとの喧嘩か仕事か、葛藤するようにヴァルツとテクトと呼ばれた兎獣人交互に視線を向けるダリウスだったが、僅差のところで今回は仕事へと軍配が上がった。

「く、くそ……ッ、覚えてやがれ!雇ったのはステッキンさんかもしれねぇが、ここを仕切ってんのはこの俺だ!勝手な真似は絶対に許さねぇからなッ!」

そんな捨て台詞を残して、ダリウスは怒り心頭といった様子で待機している馬車の群の中へと行ってしまった。一時はどうなることかと思ったが、どうやら大きなトラブルにならずに済んだようだ。この仕事の間に再燃する可能性は大いに考えられたが。

「あ、あの……ありがとうございました。一時はどうなることかと思いましたが、助かりました……」

テクトへと歩み寄り、薫はヴァルツに代わって深々と頭を下げる。獣人とは例外なく全員大柄かと思われたが、兎獣人であるテクトについては薫とあまり変わらない。とはいえ、それでも頭一つ分くらいの差はあり、テクトは薫を前にすると大きく溜め息をつき、疲れたような眼差しを向けた。

「ったく……勘弁しろよな。ただでさえ忙しいってのに、ダリウスの旦那は怒り出したら止まらねぇんだ。俺が来なけりゃ仕事どころじゃなくなってたぞ。頼むから、これ以上面倒事を起こすなよ?」

「ご、ごめんなさい。ほら、ヴァルツさんも謝って下さい。僕を気に掛けてくれたのかもしれませんけど……相手はお客さんなんですから、手荒なことをしたらダメですよ」

「…………」

返事もしないヴァルツでは薫の言葉を理解しているのかもわからない。一方、無言を貫く彼の性質を知らないテクトは不機嫌そうに眉根を寄せた。

「おいアンタ、助けてやったってのに、その態度は何なんだよ。曲がりなりにも仕事で来てるんだろうが。少しはこっちのチビと犬の兄ちゃんの態度を見習えよな」

「ち、チビ……あっ、すみません。ヴァルツさんは口数が異様に少ないというか、絶無というか……そういう人なんですよ。でも、多分僕を助けるために怒ってくれたんだと思います。ですから、あまり怒らないであげて下さい」

「ふーん……まぁ、いいや。どうせ今回限りの付き合いだしな。ああ、俺はテクトってんだ。アルドゴート商会の荷運びをしてる下っ端だよ」

「テクトさん、ですね。僕は薫といって、こっちはアルトさんとヴァルツさんです」

「よろしくね。さぁ、ヴァルツさんも」

「…………」

アルトが促すけれど、やっぱり無言のヴァルツ。かと思いきや、おもむろにテンガロンハットの端を摘むと頭から軽く浮かせてみせた。彼なりの最大限の挨拶なのかもしれない。

「カオルにアルト、そしてヴァルツか。まぁ、短い間だけどよろしくな」

テクトは薫達と握手を交わす。ふわりとした毛並みの中から顔を出したプニプニの肉球が掌を心地よく押し返してくる。先ほどから緊張感を途切れさせる暇のない薫の精神がちょっとだけ癒された。

「じゃあ、そろそろ出発するからついてきな。アンタらに守ってもらう積み荷はこっちにあるからよ」

「は、はい!」

名残惜しくも毛並みと肉球に別れを告げて、薫達は先導するテクトを追って歩き出した。壁のように行き交う通行人の間を縫って街門へと向かうと、そこには壮大な光景が広がっていた。

「う、うわぁ……」

思わず感嘆の声を洩らす薫。彼らを迎えたのは整然と隊列を組む八つの大きな荷馬車だった。周囲では慌ただしく運び人が駆け回り、御者台にはそれぞれ二頭の大きな馬が繋がれ、中にはぎっしりと商品らしき木箱が積まれている。

これを守ることが今回の仕事。自分がやり遂げるべき初仕事。大きな責任と使命感を背中に感じて、薫は掌に滲んだ汗と一緒に拳を握りしめた。

「凄いですね!テクトさん達はいつもこんなに荷物を運んでるんですか!?」

「おいおい、こんなもんで驚いてもらったら困るぜ。普段なら荷馬車十台は軽く越えるくらいの荷物を運んでるんだぞ。これくらいどうってことないぜ」

無垢な瞳を輝かせながら感動している薫の言葉にどこかテクトも得意げだ。一方のヴァルツはといえば相変わらず何を考えているのかわからない表情で馬車の群を眺めているだけだったが。

「テクトぉ!そろそろ出発だぁ!そいつらをさっさと乗せちまえ!」

「あいよ!さぁ、アンタらはこっちだ。ついてきてくれ」

「こっち……?」

薫達がテクトから案内されたのは最後尾の馬車だった。見た目は他の馬車と同じように見えるが、中には積み荷らしきものが積まれている様子は無い。しかも、他と比べると一回り小さい上に幌にはあちこち破れた箇所を補修したような跡が見受けられた。

「あ、あの、これは……?」

「ああ、こいつは俺達が寝床にしてる馬車だ。見た目はアレだけどよ、中は結構快適だぜ。さぁ、乗った乗った」

「は、はぁ……」

テクトに背中を押され、薫達は促されるまま馬車の後方から中を覗き込む。

そして、絶句した。

「な、何ですかこれ……!」

「こりゃひどいや……」

テクトの語った快適という言葉は一体何処からやってきたのかと言いたくなるくらい、馬車の中には凄惨な光景が広がっていた。麻の敷物が敷かれた上には妙な染みのある薄汚れた毛布が散らばっており、その中に紛れて空の酒瓶がゴロゴロと転がっている。

そして何より臭いがキツイ。獣臭というよりは強烈に雄臭い。薫は思わず口元を覆ったが、鼻の利くアルトにとってはさらに激烈に感じるらしい。鼻先を押さえて真っ白な毛並みの上からでもわかるくらい顔を真っ青にしている。

「あん?ああ、最近掃除とかしてなかったからなぁ、ちょっと汚れてたか。けど、こんなもん慣れちまえば綺麗も汚いも一緒だって。ほら、乗った乗った」

「ま、待ってください!まだ心の準備が……んむぅうう……っ!」

テクトによって無理矢理馬車に押し込まれ、名状しがたいほど雄臭い空気が全身を包み込む。そしてすぐにアルトとヴァルツもまた同様に押し込まれたが、三名の内二名は早くもノックダウン寸前だった。

「ダリウスさん、傭兵さん達は乗ったぜ!さっさと出発しよう!」

「おうよ!野郎共、配置に着け!目的地はブルーラグナだ!行くぞォッ!」

ダリウスが銅鑼を鳴らし、それを合図に馬車は隊列を保ったまま動き出した。

門を潜ると、涼やかな風が吹き抜ける広大な草原が広がっている。だけど、薫達の置かれた状況は相変わらず地獄だった。

「アルトさん……僕もう、ダメかもしれません……」

「僕もダメかも……ヴァルツさん、あとはお任せしました……」

「…………」

ぐったりと横たわったまま息も絶え絶えに呟く薫とアルト、そして顔色一つ変えることなく無言のヴァルツ。薫の長い長い初仕事の旅は、最悪の気分の中で始まりを告げたのだった。
しおりを挟む

処理中です...