ケモとボクとの傭兵生活

Fantome

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第二章 彼の期待と僕の覚悟

待ち人来ず、まさかの再会

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「遅いなぁ……ギランさん」

娼館の正面にある建物の隅の壁に寄り掛かりながら座り込んで膝を抱え、薫は建物を出入りする人々の姿を見つめながら呟いた。

娼婦達の手を逃れた先でギランが出てくるのを待っているのだが、待てど暮らせど彼が姿を見せることはない。部屋を出る直前で聞こえてきた騒音が恐らくその原因だと考えられたが、今更様子を見に行く勇気や度胸は無い。やむなく、こうして待ち惚けを余儀無くされていた。

「早く戻ってきてくれないかなぁ。こういうところ苦手なのに……」

しきりに辺りを見回しては、薫は居心地悪そうに溜め息をつく。娼館といった建物が建ち並ぶこの通りの客層というものは、どことなく大通りと比べて柄が悪いような気がするのは気のせいではないだろう。

こういう場所では、ちょっとした不手際で揉め事に発展する可能性があるのは自明の理。一人では人通りの多い街中を歩くことも出来ないほど気の弱い薫が一刻も早くこの場を離れたいと考えるのも道理だろう。

拠点までの帰路はなんとなく頭に入っているが、どんな厄介事に巻き込まれるかわからない街を一人で帰る度胸は無い。心細さもあって膝を抱える腕に自然と力をこもらせる薫だったが、もう一つ彼を悩ませる理由があった。

「よぉ、そこの嬢ちゃ……いや、ボウズか?まぁいいや、お前は幾らだ?」

頭上から降ってきた薫が顔を上げると、人の良さそうな笑みを浮かべた恰幅の良い灰色の犬人が自身を見下ろしていた。

またか。またなのか。もはやウンザリと項垂れる薫。溜め息をついて、薫は犬人を見上げた。

「すみません。僕、このお店で働いてるわけじゃないんです。ここで人を待ってるところなんですよ」

「なんだ、そうなのか。そりゃ悪かったな。しかし、勿体ねぇなぁ……せっかくだし、どうよ?金なら幾らでも弾んでやるから、俺とこれからーーー」

「遠慮しておきます」

取り付く島もない薫によってバッサリと切り捨てられ、とぼとぼと肩を落としながら足取り重く犬人は薫から離れると、声を掛けられた別の娼婦と共に娼館へと入っていった。

「まったく、もう何度目なんだか……」

ここに座り込んでから男娼と見間違われること、彼で既に五回目くらいになるだろうか。

元の世界では誰一人異性から声を掛けられたことのない薫だが、この異世界では意外にも人気者であった。ただし、声を掛けてきた全員が亜人の男であることを除いては。

よほど、自分は亜人受けする顔なのだろうか。それも一応長所なのかもしれないが、薫は全く、微塵も嬉しくはなかった。これが一人でも異性が声を掛けてくれたのであれば、もう少し心持ちは違ったのだろうが。

「もう……早く来てよギランさん。本当に一人で帰っちゃいますよ……?」

もはや堪えきれず、薫は思わずそうぼやいてみせるが、やっぱりギランは現れない。自分の膝に顔を押し付けて現実逃避を図る薫だったが、とある大柄な人影が彼を覆った。

「よぉ、ボウズ。ちょっといいか?」

荒々しさを感じさせる、野性味溢れる野太い声。六回目となる断りの言葉を、もう一度口にしなければならないのか。重い溜め息をついて、薫は心底嫌そうに顔を上げた。

「声を掛けてもらって申し訳ないんですけど、僕は……ぁ……」

薫の声が徐々に小さくなり、その先の言葉を紡げなくなった。彼の瞳は、まるで信じられないものを目の当たりにしたかのように見開かれている。

だが、それも無理はない。その一点を見つめる視線の先には、決して忘れるはずもない、この異世界に落とされたばかりの薫に最上の恐怖を植え付けた、盗賊達の頭目である牛人の姿があったからだ。

「まさかとは思ったが、やっぱお前だったか。へへっ、こんなところで会えるとはな。ずいぶん捜したぜぇ……?」

蘇る恐怖に硬直する薫の腕を掴み、牛人は腕力に任せて無理矢理彼を立たせる。さらに、立ち上がったところへ薫の腰に腕を回して震える彼を抱き寄せると、下卑た笑みを浮かべた表情を近付けてきた。

「な、なんで……ここに……!?」

「まぁ待ちな。こんなところじゃゆっくり話もできやしねぇ。ちょっとばかり付き合ってもらうぜ。まさか、嫌とは言わねぇよなぁ?」

そう牛人が囁くと、チクリとした痛みが薫の脇腹に走る。彼の握る短剣が薫の脇腹に押し付けられていた。

もはや、薫に選択の余地はない。薫が頷いてみせると、牛人は満足そうな笑みを浮かべて短剣を鞘に戻した。

「よしよし、聞き分けの良い奴は嫌いじゃねぇよ。んじゃ、静かなところに行くとするか。邪魔の入らねぇところに、なぁ……?」

「う、ぐ……」

歩き始めた牛人の足が並び立つ建物が作る薄暗い路地裏へと向かって進み、腕を引かれるまま、薫はおとなしく従うしかない。

未だにギランが姿を見せない建物を振り返りながら、薫と牛人の姿は路地裏の薄闇に消えたーーー
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