ケモとボクとの傭兵生活

Fantome

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第二章 彼の期待と僕の覚悟

ギランの思惑

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黄ばんだ羊皮紙の上を、黒いインクを先端に染み込ませた真っ白な羽根ペンが走る。紙面に描かれるのは、一種の記号のようにも見える不思議な文字。羽根ペンを握り、熱心にそれらの文字を書き連ねていた薫は、羊皮紙の余白が無くなった時点で顔を上げ、羽根ペンを置いた。

「ふぅ……」

「お疲れ様、カオル。コーヒーを淹れたから、一息入れなよ」

椅子の背もたれに寄り掛かる薫の前にコーヒーを満たしたカップを置き、アルトは薫が綴った文面を覗き込んだ。

一行目から順々に、一字たりとも見逃さないとばかりにアルトの視線が羊皮紙の上を滑り、薫はカップを両手に固唾を呑んでその様子を見守った。

激動の朝食を終えて、今日も今日とて仕事の無い紅蓮の剣の面々は暇を持て余し、思い思いの時間を過ごすことになったのだが、薫はアルトに頼み込み、この異世界『エルプラーナ』の文字を教えてもらっていた。

薫は普通に日本語を話しているつもりであったが、アルト達にはこの世界の言語に聞こえるらしい。過去、あらゆる地方の人々と対話する機会のあったアルトが言うには、普通に対話出来ることに加えて、言葉が内包する微かな感情の揺れ動きまで理解出来るほど、薫の言葉は劇団の役者以上に『上手く話せすぎる』のだという。

何の力が働いているのかはわからないが、とりあえず意志疎通が出来ることに越したことはない。しかし、やはり仕事をするとなれば文字くらい書けなければ支障が出ることもあるだろう。特に、非戦闘員である薫は必然的に事務作業に回ることが多くなることが予想された。

そんな理由もあって、薫は自室でアルトから文字を一通り、そして自分の名前の書き方を教わると、ひたすら書いて覚えようとしていたところであった。

やがて確認を終えたか、アルトは薫へと顔を向けると、微笑みを浮かべて彼の頭を撫でた。

「うん、よく書けてる。カオルは覚えが早いから、教え甲斐があるよ」

「あ、ありがとうございます!」

アルトの書いたお手本を書き写すばかりであったが、効果は得られたらしい。まだまだ実用性は皆無であり、読む練習もしなければならない。課題は山積みだが、まずは一歩前進したと言っていいだろう。

「じゃあ、僕は別の仕事があるから行くよ。お昼になったら呼ぶから、勉強頑張ってね。でも、あんまり無理はしないようにね?」

「はい、ありがとうございました。よし、この調子で頑張ろう」

アルトを見送り、薫は再びテーブルへと向かった。一日も早く、ギラン達の役に立てるようにならなければ。羽根ペンを握る手に自然と力がこもり、カリカリとペン先が羊皮紙を引っ掻く音が室内に響く。

どちらかと言えば、薫は勉強は得意な方であった。意識は目の前の羊皮紙へと一点に注がれ、文字の意味と形を記憶として頭に刻み込んでいく。やがて、彼の集中力が最大限発揮されようかというその時、扉が何の前触れもなく開け放たれた。

「邪魔するぜカオルぅッ!」

「うわぁああっ!?」

突然の乱入者に声を上げて薫が振り返ると、そこには案の定と言うべきか、ギランの姿があった。彼は薫が何か言うよりも早く、のしのしと薫の座るテーブルまで歩み寄ってきた。

「部屋に閉じ籠もって何やってんだ……って、うわっ!文字の練習ってお前……やっぱマジメだなオイ。肩の抜き方くらい覚えとかねぇと、いつかパンクしちまうぞ?特別に、俺様がヌキ方って奴を教えてやってもいいぜ?んん?」

「や、やめて下さいよ!一体何の用なんですか!?」

後ろから覆い被さり、頭越しに羊皮紙に書かれた薫の努力の結晶を目の当たりにしたギランのセクハラ紛い言葉を一蹴しつつ、薫は彼の巨体を押し返した。

「なぁに、たいしたことじゃねぇんだが、ちょっとばかりお前に用があんだよ。勉強中に悪いが、来れるか?」

「用、ですか?」

ひょっとしたら、適当な理由をつけて昨夜のように襲うつもりなのかもしれないという危機感を覚える薫だったが、ギランに限ってそれは無いだろうと思い直す。

回りくどいことを何より嫌う彼のことだ。襲うつもりがあるのならば、この場で有無を言わさず押し倒してくるだろう。そう考えると、本当に重要な用件があるのかもしれない。

「わかりました。ちょうど一段落しましたし、大丈夫です。それで、一体何をーーー」

「よしよし。んじゃ、とっとと行くぞ。期待してるぜ、カオルぅ?」

「えっ?ええっ?」

ギランは薫の襟首を掴み、猫でも持ち上げるように椅子から抱え上げると、何一つ詳細な説明も無いまま薫を小脇に抱え、部屋の外へと歩き出した。

その態度に物凄く嫌な予感を覚えた薫だったが、今の状態で抵抗できるはずもない。御機嫌なギランの顔を見上げ、薫は例えようのない不安を覚えながら、彼の足の行くがままに身を任せた。

薫がギランによって連行されてきたのは、一階の廊下奥にある扉から繋がる建物の裏庭であった。建物の正面から見た時はわからなかったが、テニスコートほどの大きさの裏庭は意外と広く、訓練場なのか隅には人の形を模した木人形がいくつか並べられている。

そこで薫を待っていたのは、訓練場の中央に立つコーラルと、建物の壁に背中を預けて寄り掛かるヴァルツ。これから一体何が行われるのか、不安げに周囲を見回す薫をギランはようやく地面に降ろした。

「待っていたぞ、カオル。さぁ、その中から自分が扱える物を選ぶんだ。こちらは準備万端だ。すぐにでも始められるぞ」

「頑張れよ、カオル!お前の力ってやつを俺様に見せてみろ!」

「え、ええっ?」

革製のグローブを装着した腕でコーラルが示す先には、ヴァルツの隣の壁に立て掛けられた剣や槍など、様々な種類の武器があった。

だが、武器と言っても本物ではなく、いずれも木で出来た模造品であり、訓練中の安全を考慮してか、刃に当たる部分には厚めに布が巻かれている。

それ以前に、さっぱり状況が把握できず、オロオロとするばかりの薫。それを見て、コーラルの方が先に彼の事情に気が付いたようであった。

「…団長、カオルに説明はしているのか?見たところ、ひどく狼狽しているようだが」

「お?ああ、そういやしてなかったな。悪い悪い。カオル、今からコーラルと模擬戦をしてもらう。もちろん、まともにやりゃお前に勝ち目なんてねぇが、アイツは手を出さねぇ。今回はお前がどの程度出来るのか確認するだけだからな」

そんな理由、説明をしてもらわなければ状況で察することなど出来はしない。ギランに文句を言ってやろうと口を開きかけた薫であったが、思うところがあるのか言葉を口にすることなく顔を俯かせた。

「…連れてこられた事情は、とりあえずわかりました。ですが、僕……御期待には添えないと思います。今までケンカだってしたことも無いですし……」

この小柄な体格と後ろ向きな性格が災いしてイジメられることはあっても、それに抵抗したことは無い。昔の嫌な記憶を思い出したか、薫は悲壮感もたっぷりにそう呟く。

昨日でさえ、ガウルに不意討ちを敢行しても結局無力化するには至らなかった。そんな自分は、戦闘員としては役に立てない。表には出ず、裏方に徹した方が良いに決まっている。そう考える薫の肩に、ギランは大きな手を置いた。

「カオル、何もコーラルを倒してみせろと言ってるわけじゃねぇ。団員の命を預かる身としては、間違った判断をしねぇようにそれぞれの力量を把握しておかなきゃならねぇんだ。だから、今のお前が出来ることを見せてくれりゃいいんだよ」

「…わかりました。そういうことなら、やるだけやってみます」

「よし、頑張れよ。得物はそこから好きなやつを選びな」

自分を拾ってくれたギランにそこまで言わせては、断るわけにはいかない。ギランに背中を押され、薫は気が乗らないままヴァルツの隣に立て掛けられた木剣等に歩み寄った。

「竹刀は……やっぱり無いよね」

軽く見渡してみたが、恐らく最も自分が使い慣れている品は見当たらない。似たようなもので、とりあえず長さと重さも手頃な木剣を手にした薫は再びギランの元へと向かっていった。

「おっ、やっぱそれを選んだか。多分そうだと思ってたぜ」

「はい?何故、そう思ったんです?」

「そりゃ簡単なことだ。お前、実は剣の扱いを習ってるよな?」

ギランの言葉に、ドキリと薫の心臓が一際大きく跳ねた。

「ど、どうしてそれを……?」

「なぁに、俺様くらいになりゃ一目でわかるんだよ。そうだなぁ……言うなれば、素人にしちゃ体幹もしっかりしてるし、姿勢も良い。何より、得物を選ぶのにほとんど迷わなかったからな。本命は無かったようだが……とりあえず素人じゃねぇってのは一目見た時から確信してたぜ」

やはり、ギランは凄い。膨大な経験が彼のあらゆる感性の感覚を研ぎ澄ましているのだろう。驚きを隠せないまま、薫は顔を頷かせる。

「す、凄いですね……確かに、道場を運営する祖父から武道の手解きを受けていました。運営していると言っても、いるのは僕と祖父の二人だけで、いつも僕はボロボロに負けていましたけど」

長く看板を掲げる道場に人が集まらない理由はただ一つ。時代錯誤としか思えない祖父のスパルタ指導のせいである。その指導を一身に受けさせられてきた薫も、どれだけの涙と汗を古びた床板に染み込ませてきたかわからなかった。

「やっぱりな。こりゃ思ったより期待出来そうだ。じいさんの顔に泥を塗らねぇように頑張れよ、カオル」

「変なプレッシャー掛けないで下さいよ……よし」

ギランによって緊張を解され、雀の涙ほどのやる気を出した薫は木剣を左手に帯刀し、コーラルの前へと進み出た。
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