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第一章 境界を越えて
揺られる景色は異界の情景
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晴れ渡る青空の下、どこまでも広がる青葉萌ゆる草原の中に一筋伸びる街道を、二頭の馬に引かれる一台の幌馬車が駆けていく。
御者台に座るは、パイプから立ち上る紫煙をくゆらせる年老いた犬人。薫は幌馬車の中から彼の背中越しに見える空を見つめていた。
「…空は、全然向こうと変わらないのにな」
自分が異世界に来てしまったという実感をようやく呑み込めてきて、薫はそう呟いた。
あれから盗賊団の居城をまんまと抜け出した薫と竜人は戦いの喧騒から逃れるように深い森を抜け、街道に出ると通り掛かりの行商の馬車に護衛という名目で同乗していた。
幌馬車の中は何かの毛皮で溢れ、居心地は悪くないのだが少々落ち着かない。いや、落ち着かないのは別の理由かもしれないが。
「あの……ギランさん、でしたっけ?」
「おう、どうした?」
「何で僕、貴方の膝の上に……?」
ギランと、薫を救った竜人はそう名乗った。そして、今の薫は胡座をかいた彼の膝の上にちょこんと乗せられ、幌馬車に揺られているのだった。
「こんなに狭ぇんだから仕方ねぇだろ。居心地は悪いだろうが、我慢してくれや」
「いえ、居心地は別に良いんですけど……この手は一体何ですか?」
やや疲れたような眼差しで、薫はギランを見上げた。
彼を膝の上に抱くギランはしきりに彼の頭やら腹やら太腿やらを撫で回しており、それが薫にとって物凄く落ち着かない要因であった。
「お前がずり落ちねぇように押さえてんだよ。不可抗力だ、不可抗力」
「その割に……んっ、手付きがおかしい……!」
ギランの薫を撫でる手付きは少女がお気に入りのぬいぐるみに対するものとは一線を画し、言うなればセクハラのそれに近い。さりげなく薫が彼の腕を払ったり、押さえたりするのだが、それにもめげずに向かってくるのだから尚更タチが悪い。
「まぁ、そう言うなって。お前結構抱き心地良いし、こちとら最近御無沙汰でなぁ。これくらい許してくれよ。同じ男なら分かるだろ?なっ?」
「だから分からないんですよ!何で男同士でこんな……っ!」
「いや、お前見た目も声も女みたいだし、俺様は全然イケるぜ?何ならすぐにでもお相手して欲しいもんだがな。がははははっ!」
もはや文句を言う気力も無くなり、薫はガックリと項垂れた。豪放磊落という言葉は、まさしく彼のためにあるのではないだろうか。
「それにしても、別の世界から来た、か……」
幌馬車に拾われるまでの会話を思い出し、ギランが呟く。その事実を証明するものを何も持たない薫の話にも彼は真剣に聞き、受け入れてくれた。その点に関しては、薫も非常に感謝していた。
「…どうして信じてくれたんですか?僕、嘘ついてるかもしれないんですよ?」
「あん?そりゃお前、この俺様に掛かれば嘘をついてる奴の見分けくらい簡単だ。そうでなきゃ、昨日今日会ったような奴の依頼を受ける傭兵なんて仕事、出来ねぇだろ?」
自信満々にそう語るギランは、聞けば自身を団長として傭兵団を運営しているそうだ。傭兵という響きは物騒だが、実際には行商の護衛や盗賊や危険な魔物の討伐等といった仕事が大半らしく、薫のイメージにあった国同士の戦争への加担といったことはしないとのこと。
今回も、他の傭兵団と共に盗賊団の討伐という依頼で訪れた際に偶然薫を発見したらしい。他の仲間に討伐を任せ、薫と共に宝を持ち逃げしたのは如何なものかとは思うが。
「さすがの俺も、別世界から来たなんて奴と会ったのは 初めてだ。良い機会だ、後で酒でも飲みながら詳しく聞かせてもらうからな」
「それは構いませんが……良かったんですか?自分だけ帰って来ちゃっても……」
「いいんだよ。もともと無理矢理連れて来られた気乗りしねぇ仕事だ。他の奴らもあれしきの手勢に手こずることも無いだろ。それに、人質の保護も立派な仕事だ。そうだろ?」
「は、はぁ……」
助けられた当事者である薫は、ギランの言葉に頷くしかない。彼の行動を全面的に肯定するわけではないけれど。
そんな会話を交わしていると、薫は次第に周囲の雰囲気が変わりつつあることに気付いた。
新たに感じたのは、大勢の人の気配。外を見てみようとギランの腕の中から逃れ、薫が身を乗り出そうとすると、同じタイミングで御者台に座る犬人が薫達を振り返った。
「旦那方、見えてきましたぜ。到着まで、もうしばらくってところだ」
「見えてきた、ですか?ちょっと、すみません」
好奇心から薫は幌馬車から顔を出し、犬人の脇から外の景色を覗き見た。
長く伸びる街道の先には、高い石の壁にぐるりと取り囲まれた街が見えてきた。いつの間にか周囲には同じ街を目指す行商人や冒険者達の姿があり、薫が感じた違和感は彼らによるざわめきのようであった。
「やっと見えてきやがったか。あれが俺達の向かってる街、『カーシェル』だ。王都から離れてはいるが、他の交易地に向かうための通り道になってる。毎日大勢の商人が出入りしてるから、この辺りじゃ割と賑やかな街だ。そしてーーー」
薫の頭に片手を置き、ギランもまた彼の隣から顔を覗かせる。迷惑そうな表情を浮かべる薫を余所に、彼の肩を抱き寄せ、彼方に見える街を指差した。
「天下無敵の俺様が率いる傭兵団、『紅蓮の剣』の拠点でもある。あとで他の奴も紹介してやるからな。着くまで話でもしながら、俺達の親睦を深めようじゃねぇか」
「紅蓮の、剣?あっ、ちょっと!?」
薫を背中から抱き上げ、ギランは再び自分の膝の上に乗せた。
彼はあの街には大勢の人達が集まると言った。ならば、自分が元の世界に戻るための情報を得られるかもしれない。
ギランの厚い胸板に背中を預けつつ、薫はそんな希望と不安を胸に、ぼんやりと幌馬車の薄汚れた天井を見上げた。
御者台に座るは、パイプから立ち上る紫煙をくゆらせる年老いた犬人。薫は幌馬車の中から彼の背中越しに見える空を見つめていた。
「…空は、全然向こうと変わらないのにな」
自分が異世界に来てしまったという実感をようやく呑み込めてきて、薫はそう呟いた。
あれから盗賊団の居城をまんまと抜け出した薫と竜人は戦いの喧騒から逃れるように深い森を抜け、街道に出ると通り掛かりの行商の馬車に護衛という名目で同乗していた。
幌馬車の中は何かの毛皮で溢れ、居心地は悪くないのだが少々落ち着かない。いや、落ち着かないのは別の理由かもしれないが。
「あの……ギランさん、でしたっけ?」
「おう、どうした?」
「何で僕、貴方の膝の上に……?」
ギランと、薫を救った竜人はそう名乗った。そして、今の薫は胡座をかいた彼の膝の上にちょこんと乗せられ、幌馬車に揺られているのだった。
「こんなに狭ぇんだから仕方ねぇだろ。居心地は悪いだろうが、我慢してくれや」
「いえ、居心地は別に良いんですけど……この手は一体何ですか?」
やや疲れたような眼差しで、薫はギランを見上げた。
彼を膝の上に抱くギランはしきりに彼の頭やら腹やら太腿やらを撫で回しており、それが薫にとって物凄く落ち着かない要因であった。
「お前がずり落ちねぇように押さえてんだよ。不可抗力だ、不可抗力」
「その割に……んっ、手付きがおかしい……!」
ギランの薫を撫でる手付きは少女がお気に入りのぬいぐるみに対するものとは一線を画し、言うなればセクハラのそれに近い。さりげなく薫が彼の腕を払ったり、押さえたりするのだが、それにもめげずに向かってくるのだから尚更タチが悪い。
「まぁ、そう言うなって。お前結構抱き心地良いし、こちとら最近御無沙汰でなぁ。これくらい許してくれよ。同じ男なら分かるだろ?なっ?」
「だから分からないんですよ!何で男同士でこんな……っ!」
「いや、お前見た目も声も女みたいだし、俺様は全然イケるぜ?何ならすぐにでもお相手して欲しいもんだがな。がははははっ!」
もはや文句を言う気力も無くなり、薫はガックリと項垂れた。豪放磊落という言葉は、まさしく彼のためにあるのではないだろうか。
「それにしても、別の世界から来た、か……」
幌馬車に拾われるまでの会話を思い出し、ギランが呟く。その事実を証明するものを何も持たない薫の話にも彼は真剣に聞き、受け入れてくれた。その点に関しては、薫も非常に感謝していた。
「…どうして信じてくれたんですか?僕、嘘ついてるかもしれないんですよ?」
「あん?そりゃお前、この俺様に掛かれば嘘をついてる奴の見分けくらい簡単だ。そうでなきゃ、昨日今日会ったような奴の依頼を受ける傭兵なんて仕事、出来ねぇだろ?」
自信満々にそう語るギランは、聞けば自身を団長として傭兵団を運営しているそうだ。傭兵という響きは物騒だが、実際には行商の護衛や盗賊や危険な魔物の討伐等といった仕事が大半らしく、薫のイメージにあった国同士の戦争への加担といったことはしないとのこと。
今回も、他の傭兵団と共に盗賊団の討伐という依頼で訪れた際に偶然薫を発見したらしい。他の仲間に討伐を任せ、薫と共に宝を持ち逃げしたのは如何なものかとは思うが。
「さすがの俺も、別世界から来たなんて奴と会ったのは 初めてだ。良い機会だ、後で酒でも飲みながら詳しく聞かせてもらうからな」
「それは構いませんが……良かったんですか?自分だけ帰って来ちゃっても……」
「いいんだよ。もともと無理矢理連れて来られた気乗りしねぇ仕事だ。他の奴らもあれしきの手勢に手こずることも無いだろ。それに、人質の保護も立派な仕事だ。そうだろ?」
「は、はぁ……」
助けられた当事者である薫は、ギランの言葉に頷くしかない。彼の行動を全面的に肯定するわけではないけれど。
そんな会話を交わしていると、薫は次第に周囲の雰囲気が変わりつつあることに気付いた。
新たに感じたのは、大勢の人の気配。外を見てみようとギランの腕の中から逃れ、薫が身を乗り出そうとすると、同じタイミングで御者台に座る犬人が薫達を振り返った。
「旦那方、見えてきましたぜ。到着まで、もうしばらくってところだ」
「見えてきた、ですか?ちょっと、すみません」
好奇心から薫は幌馬車から顔を出し、犬人の脇から外の景色を覗き見た。
長く伸びる街道の先には、高い石の壁にぐるりと取り囲まれた街が見えてきた。いつの間にか周囲には同じ街を目指す行商人や冒険者達の姿があり、薫が感じた違和感は彼らによるざわめきのようであった。
「やっと見えてきやがったか。あれが俺達の向かってる街、『カーシェル』だ。王都から離れてはいるが、他の交易地に向かうための通り道になってる。毎日大勢の商人が出入りしてるから、この辺りじゃ割と賑やかな街だ。そしてーーー」
薫の頭に片手を置き、ギランもまた彼の隣から顔を覗かせる。迷惑そうな表情を浮かべる薫を余所に、彼の肩を抱き寄せ、彼方に見える街を指差した。
「天下無敵の俺様が率いる傭兵団、『紅蓮の剣』の拠点でもある。あとで他の奴も紹介してやるからな。着くまで話でもしながら、俺達の親睦を深めようじゃねぇか」
「紅蓮の、剣?あっ、ちょっと!?」
薫を背中から抱き上げ、ギランは再び自分の膝の上に乗せた。
彼はあの街には大勢の人達が集まると言った。ならば、自分が元の世界に戻るための情報を得られるかもしれない。
ギランの厚い胸板に背中を預けつつ、薫はそんな希望と不安を胸に、ぼんやりと幌馬車の薄汚れた天井を見上げた。
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