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第一章
第四話「紺碧は、十字架の色。」その伍
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何故こんなことになってしまったのだろうか。そんなことを考えても仕方がないのだけれど。
武彦が気持ち良さそうに寝ている中、助手席を占領した橋本さんが淡々と言葉を発する。
「綾瀬さんも、クルスの海に行ったことがあるんですね」
「名古屋へ引っ越す前ですが、何回か行きました。とても綺麗ですよね!」
「そうなんですか。私も小さい頃はよく行ってました。恭司と二人で。最後に二人で行ったのはいつだったか、覚えてません」
橋本さんはルームミラー越しに私をちらちらと見てくる。
明らかに自慢されてる!?
思わず乾いた笑い声が漏れてしまった。
「麗子、そういうのやめろよな。ずっと前の話だろ?大体お前の親もいたんだから二人でもないし」
「あぁ、そう」
他人事みたいな返事をする橋本さんの顔は不貞腐れていた。
「まぁ親がいたにしてもデートはデートです。小さい頃だから親が同伴せざるを得ないでしょう?」
「は、はあ」
橋本さんのペースについていくことに必死で、返事をするのが精一杯だ。恭司はというと、呆れた顔はしているものの、もう慣れたと言わんばかりの余裕さを感じた。
「ちなみに綾瀬さん。今日はどうして私の婚約者である恭司と一緒にいたんですか?そんなに気合いの入った格好をして」
え!?やっぱり、気合い入れたのバレてる!?
そう言う橋本さんのメイクは薄くて、それがより彼女の可愛らしい顔を際立たせている。そして、橋本さんの言葉でデートだと勘違いしていたことを思い出し、顔が熱くなるのを感じた。
「俺が誘ったんだよ」
恭司がぶっきらぼうに言うと、それが意外だったのか、
「えっ」
と短く言って黙ってしまった。
そこから5分、体感的には15分くらいの無言で気まずい時間が流れると、ふいに
「着いたぜ」
と声がした。
車を降りると、小さい頃に数回見たことのある景色が広がっていた。海風が涼しくて心地いい。はしゃぎたい気持ちを抑えて、口をつぐむ。橋本さんがいると何だか話しづらいな。まだ幼い武彦はそんなことは気にも留めず、恭司の腕の中でキャッキャと声をあげていた。武彦は恭司のことが気に入ったらしい。
しばらく歩くと目の前に広い海が見えてきた。風に吹かれて波が大きく揺れている。
「綺麗……」
私は思わず声に出していた。
そして、展望台へと足を踏み入れる。
「俺も久しぶりに来たけど、大したもんだな」
「最後にこの海を見た時の記憶よりも、ずっとずっと綺麗に見える」
私と恭司の会話を、橋本さんは静かに聞いていた。その目は怒っているような目だった。そして、一呼吸置くと私に話しかけた。
「綾瀬さん。綾瀬さんには、まだ聞きたいことがあります。よろしいでしょうか」
私は前に進めていた足を止めて振り返ると、橋本さんに向き合った。それを心配そうに恭司が見てくる。
「いいですよ。答えられることなら、何でも答えます」
自分の手をぎゅっと握った。私は目で合図をし、恭司に武彦の世話を任せた。橋本さんと二人きりで話すのは初めてだ。
「先程……恭の店で話したことの続きです。武彦君の父親については何も言えない、と言っていたのは何故ですか?逃げられたんですか?」
相変わらず橋本さんは飛ばしてくるなぁと思うと同時に、どこから話せばいいのか分からなかった。でも隠したいわけでもなかった。橋本さんの立場からしたら、好きな人にまとわりつくシングルマザーなんて不安な存在でしかない。そのことは十分に分かっていた。だから私は、なるべく分かりやすく伝えようと試みた。
「武彦は私の子じゃありません」
息を呑む音が聞こえた気がした。祖父母以外に、初めてカミングアウトするのが橋本さんになるなんて。でもこの人には話してもいいと思えたから。私に対して敵意を向けてくるし、面倒な子だとも思うが、根は良い人なんだと分かる。恭司を心配しているから。誰よりも恭司のことを思っていてそれで、素直な人。
「武彦は、今はもういない私の友人が産みました。でも、友人の代わりでも、私は武彦を自分の子供として育ててます」
考え込むように黙った橋本さんは、やがて静かに言葉を連ねた。
「……どのような経緯でそうなったのかは分かりかねますが、では、恭司のことは一体どう思っているのですか」
恭司のことをどう思っている?
頭の中でその言葉が繰り返されたが、案外すぐに答えがまとまった。
「恋愛感情はないです」
「それを私が信じると思うんですね」
思わない。自分でもよく分からないんだから。様々な感情が混ざりすぎていて、どれを信じればいいのか、さっぱりだから。
「今日、橋本さんが言ってたように、気合い入れたんです。服もメイクも。でもそれって相手が恭司君だからとか、そういうのじゃないんです」
「異性なら誰でもいい、ということですか」
「そういうわけじゃなくて、私、誰かと出掛けるのは本当に久しぶりで、だから気合いが入ったんだと思います。もちろん、恭司君のかっこいい姿を見たり、優しい言葉をかけてくれたりすることに対して、意識しないとは言いません。ただ、恋愛的にちゃんと好きって思ったことはないです」
目の前の大きくて綺麗な瞳を見つめながら私はそう言った。
「なら、子供の父親は恭司じゃなくても、誰でもいいんですね?」
「いや、あの、結婚なんて全く考えていませんし、1人でやっていく覚悟だってあります!」
「そうなんですか。でもそう言っていられるのも今のうちだと思います。とりあえず、教えてくださりありがとうございました」
橋本さんは一礼し、御手洗に行ってくるとだけ告げると、私が答える暇もなくさっさと歩き出してしまった。私は恭司と武彦の元へ向かった。
武彦が気持ち良さそうに寝ている中、助手席を占領した橋本さんが淡々と言葉を発する。
「綾瀬さんも、クルスの海に行ったことがあるんですね」
「名古屋へ引っ越す前ですが、何回か行きました。とても綺麗ですよね!」
「そうなんですか。私も小さい頃はよく行ってました。恭司と二人で。最後に二人で行ったのはいつだったか、覚えてません」
橋本さんはルームミラー越しに私をちらちらと見てくる。
明らかに自慢されてる!?
思わず乾いた笑い声が漏れてしまった。
「麗子、そういうのやめろよな。ずっと前の話だろ?大体お前の親もいたんだから二人でもないし」
「あぁ、そう」
他人事みたいな返事をする橋本さんの顔は不貞腐れていた。
「まぁ親がいたにしてもデートはデートです。小さい頃だから親が同伴せざるを得ないでしょう?」
「は、はあ」
橋本さんのペースについていくことに必死で、返事をするのが精一杯だ。恭司はというと、呆れた顔はしているものの、もう慣れたと言わんばかりの余裕さを感じた。
「ちなみに綾瀬さん。今日はどうして私の婚約者である恭司と一緒にいたんですか?そんなに気合いの入った格好をして」
え!?やっぱり、気合い入れたのバレてる!?
そう言う橋本さんのメイクは薄くて、それがより彼女の可愛らしい顔を際立たせている。そして、橋本さんの言葉でデートだと勘違いしていたことを思い出し、顔が熱くなるのを感じた。
「俺が誘ったんだよ」
恭司がぶっきらぼうに言うと、それが意外だったのか、
「えっ」
と短く言って黙ってしまった。
そこから5分、体感的には15分くらいの無言で気まずい時間が流れると、ふいに
「着いたぜ」
と声がした。
車を降りると、小さい頃に数回見たことのある景色が広がっていた。海風が涼しくて心地いい。はしゃぎたい気持ちを抑えて、口をつぐむ。橋本さんがいると何だか話しづらいな。まだ幼い武彦はそんなことは気にも留めず、恭司の腕の中でキャッキャと声をあげていた。武彦は恭司のことが気に入ったらしい。
しばらく歩くと目の前に広い海が見えてきた。風に吹かれて波が大きく揺れている。
「綺麗……」
私は思わず声に出していた。
そして、展望台へと足を踏み入れる。
「俺も久しぶりに来たけど、大したもんだな」
「最後にこの海を見た時の記憶よりも、ずっとずっと綺麗に見える」
私と恭司の会話を、橋本さんは静かに聞いていた。その目は怒っているような目だった。そして、一呼吸置くと私に話しかけた。
「綾瀬さん。綾瀬さんには、まだ聞きたいことがあります。よろしいでしょうか」
私は前に進めていた足を止めて振り返ると、橋本さんに向き合った。それを心配そうに恭司が見てくる。
「いいですよ。答えられることなら、何でも答えます」
自分の手をぎゅっと握った。私は目で合図をし、恭司に武彦の世話を任せた。橋本さんと二人きりで話すのは初めてだ。
「先程……恭の店で話したことの続きです。武彦君の父親については何も言えない、と言っていたのは何故ですか?逃げられたんですか?」
相変わらず橋本さんは飛ばしてくるなぁと思うと同時に、どこから話せばいいのか分からなかった。でも隠したいわけでもなかった。橋本さんの立場からしたら、好きな人にまとわりつくシングルマザーなんて不安な存在でしかない。そのことは十分に分かっていた。だから私は、なるべく分かりやすく伝えようと試みた。
「武彦は私の子じゃありません」
息を呑む音が聞こえた気がした。祖父母以外に、初めてカミングアウトするのが橋本さんになるなんて。でもこの人には話してもいいと思えたから。私に対して敵意を向けてくるし、面倒な子だとも思うが、根は良い人なんだと分かる。恭司を心配しているから。誰よりも恭司のことを思っていてそれで、素直な人。
「武彦は、今はもういない私の友人が産みました。でも、友人の代わりでも、私は武彦を自分の子供として育ててます」
考え込むように黙った橋本さんは、やがて静かに言葉を連ねた。
「……どのような経緯でそうなったのかは分かりかねますが、では、恭司のことは一体どう思っているのですか」
恭司のことをどう思っている?
頭の中でその言葉が繰り返されたが、案外すぐに答えがまとまった。
「恋愛感情はないです」
「それを私が信じると思うんですね」
思わない。自分でもよく分からないんだから。様々な感情が混ざりすぎていて、どれを信じればいいのか、さっぱりだから。
「今日、橋本さんが言ってたように、気合い入れたんです。服もメイクも。でもそれって相手が恭司君だからとか、そういうのじゃないんです」
「異性なら誰でもいい、ということですか」
「そういうわけじゃなくて、私、誰かと出掛けるのは本当に久しぶりで、だから気合いが入ったんだと思います。もちろん、恭司君のかっこいい姿を見たり、優しい言葉をかけてくれたりすることに対して、意識しないとは言いません。ただ、恋愛的にちゃんと好きって思ったことはないです」
目の前の大きくて綺麗な瞳を見つめながら私はそう言った。
「なら、子供の父親は恭司じゃなくても、誰でもいいんですね?」
「いや、あの、結婚なんて全く考えていませんし、1人でやっていく覚悟だってあります!」
「そうなんですか。でもそう言っていられるのも今のうちだと思います。とりあえず、教えてくださりありがとうございました」
橋本さんは一礼し、御手洗に行ってくるとだけ告げると、私が答える暇もなくさっさと歩き出してしまった。私は恭司と武彦の元へ向かった。
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3月は連載を休止します。4月から連載再開です。楽しみにしていてください。励ましの感想いただけると嬉しいです!!!【小説家になろう】にて同時掲載(※アルファポリスより数週間遅れで更新)https://ncode.syosetu.com/n9510gt/
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