未来を夢に忘れて

野田莉帆

文字の大きさ
上 下
7 / 18

恋、焦がれるもの。

しおりを挟む
 5感を1つ失えば、他の感覚は敏感になる。人は体の中でさえ情報社会に生きていて、正しい情報を得るのに苦労しているのかもしれなかった。

 でも、2番めの神は本質を見抜くことに関して、あくまでも視覚にこだわっているように思える。やっぱり絵は、視覚で描くものなのだろうか……。

 神は再びチョークを持ち、黒板に文字を刻んだ。

 ——恋、焦がれるもの。

「君たちには、恋い焦がれるものがありますか? ……すぐに思い浮かんだ人も、思い浮かばなかった人も、それについて今日は考えてみてほしいのです」

「それは、」と。神は言葉を続ける。

 人かもしれないし、物かもしれない。
 目に見えるものかもしれないし、見えないものかもしれない。
 一時的なものかもしれないし、半永久的なものかもしれない。
 過去に失ってしまったものかもしれないし、今もまだ手元にあるものかもしれない。

 目を閉じた時、独りになった時。
 まぶたの裏側に、ふっと浮かび上がるものかもしれない。
 目を開けた時、誰かと一緒にいる時。
 ロウソクの火が、ぽっと灯るようにして映るものかもしれない。

「ちょっと、考えてみてください」

 2番めの神の言葉に対する、生徒たちの反応は多種多様だった。黒板を見つめる人、瞑想に耽る人、ノートに何かを書きこむ人、友人に意見を求める人。

 ——私は。

 やるせない気持ちで私が見上げた空は、窓ガラスを通しているのにも関わらず、青かった。瞳孔に突き刺さるような、まぶしさを感じる。無限に広がっているかのような空から、私は目をそらした。

 ——人には、触れられないものだって、あった。

 無意識のうちに、ため息をついていた。椅子に少しもたれかかると、机と体の間から足先が見える。
 刹那、私は反射的に両足を床から離して、戦慄した。

 床のタイルの1区画。私の足下だけに小蝿のような昆虫が、びっしりとくっついていた。濁った色の羽根が床に紛れようとしているかのように。

 しかも、どうやら昆虫は左のスリッパの側面の小さな穴から這い出てきたようだ。私は右足で左のスリッパの側面を、そっと押さえた。

 押しつぶした感覚はなかった。でも、昆虫は黒い点になって学年色の緑のスリッパにこびりついた。

 私は思い切って、床に両足を下ろした。おもむろに、足裏へ体重を乗せて床を押さえる。やっぱり感触はない。でも、再び足を上げると、床には足跡が付着していた。

 周りの昆虫はタイルから逃げることなく、床に同化している。私はタイルの1区画を、ゆっくりと踏み続けた。黒ずんでいる足跡を塗りつぶす。それから、黒くなったタイルを隠すように、両足をつける。

 足の裏には、ぴりぴりと痺れるような刺激がある。
 私は、私の、鼓動が早くなるのを感じていた。


 さまざまな反応を見せる生徒たちの中、2番めの神は再び机と机の間を縫うように歩き、口を開いた。

「恋焦がれるものであればあるほど、本質は見抜きやすくなります。頭によく思い浮かぶようになってきたら、絵に描き起こしてみてください。次回からは、『恋焦がれるもの』が持ってこられるものでしたら、持ってきても構いません」

「もっと早く言ってくれたら、今日持ってきたのに」

 ぽつり、と。誰かが呟いた。
 その言葉を受けて、2番めの神は不敵に笑う。

「最初から持ってきてくださいと言っていたら、君たちは恋い焦がれるものではなく、描きやすいものを持ってくるでしょう?」

 聞こえてるし、と数人の生徒が笑った。私だけが独りで、そわそわしている。一方で、室内の空気が和やかになったことを私は感じていた。
 誰かが、1つ質問をする。

「先生。先生の、恋焦がれるものって何ですか?」

「……手袋ですかね」
 
 その声は、私の心が落ちつきを取り戻すほどに穏やかで綺麗だった。いつになく先生は、優しい顔をしていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【今日も新作の予告!】『偽りのチャンピオン~元女子プロレスラー新人記者「安稀世」のスクープ日誌VOL.3』

M‐赤井翼
現代文学
元女子プロレスラー新人記者「安稀世」のスクープ日誌の3作目になります。 今回のお題は「闇スポーツ賭博」! この春、メジャーリーグのスーパースターの通訳が起こした「闇スポーツ賭博」事件を覚えていますか? 日本にも海外「ブックメーカー」が多数参入してきています。 その中で「反社」や「海外マフィア」の「闇スポーツ賭博」がネットを中心にはびこっています。 今作は「闇スポーツ賭博」、「デジタルカジノ」を稀世ちゃん達が暴きます。 毎回書いていますが、基本的に「ハッピーエンド」の「明るい小説」にしようと思ってますので、安心して「ゆるーく」お読みください。 今作も、読者さんから希望が多かった、「直さん」、「なつ&陽菜コンビ」も再登場します。 もちろん主役は「稀世ちゃん」です。 このネタは3月から寝かしてきましたがアメリカでの元通訳の裁判は司法取引もあり「はっきりしない」も判決で終わりましたので、小説の中でくらいすっきりしてもらおうと思います! もちろん、話の流れ上、「稀世ちゃん」が「レスラー復帰」しリングの上で暴れます! リング外では「稀世ちゃん」たち「ニコニコ商店街メンバー」も大暴れしますよー! 皆さんからのご意見、感想のメールも募集しまーす! では、10月9日本編スタートです! よーろーひーこー! (⋈◍>◡<◍)。✧♡

『私たち、JKロレスラーズ3 ~マチルダ女王様覚醒!C-MARTを壊滅せよ編~』

あらお☆ひろ
現代文学
「あらお☆ひろ」です! 「私たち、JKプロレスラーズ」シリーズの3作目です! 今回も、私がペンを入れてまーす! みなさん、嫌じゃないですよね(不安)。 「余命半年~④」の元ネタですねー! 今度は「幼児・児童売買組織CーMART《チャイルド・マーケット》」と対決ですよー! マリブ幼稚園の「ナンシーちゃん行方不明事件」と「ロス市警監察医デビッドのそっくりさん暴行事件」の2つの事件が複雑に絡まった「謎」が、アグネスとマチルダの前に立ちはだかります。 この話も「LAレスラー物語」のインディーズおっさんレスラーの「セシル」、「デビッド」、「ユジン」の3人もレギュラーとして参加しています! 4作ある「アグ&マチ」シリーズで「唯一」の「エロ」が描かれる「マチルダ女王様」のシーンが過去の掲載では大人気でした(笑)。 やっぱり「エロ」って強いね(笑)。 まあ、話自体は真面目な「推理&アクション」もの(笑)ですのでゆるーく読んでやってくださーい! (。-人-。) もちろん、この作品も「こども食堂応援企画」参加作品です! 投稿インセンティブは「こども食堂」に寄付されますので、応援していただける方は「エール」も協力していただけると嬉しいです! 「赤井翼」先生の「余命半年~」シリーズの原点ともいえる作品ですので「アグ&マチ」コンビも応援お願いしまーす! ✌('ω'✌ )三✌('ω')✌三( ✌'ω')✌

青空

転生新語
現代文学
 昨日は娘の、十五才の誕生日だった。そして午前一時過ぎ、寝室で、私は娘から銃を突きつけられていた。  この物語はフィクションです。  カクヨム、小説家になろうに投稿しています。  カクヨム→https://kakuyomu.jp/works/16817330659970259187  小説家になろう→https://ncode.syosetu.com/n6851ih/

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

ぐれい、すけいる。

羽上帆樽
現代文学
●時間は過ぎる。色を載せて。 近況報告代わりの日記帳です。描いてあるのは、この世界とは別の世界の、いつかの記録。とある二人の人生の欠片。1部1000文字程度、全50部を予定。毎週土曜日に更新します。

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

処理中です...