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第二章サーバル

⑥誕生日のサプライズ

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 月末が近づくにつれ、和樹かずきさんが吉祥寺の家に顔を出す回数がいつもの週二回よりも増えた。ふらっとやってきて、こうの部屋へ行き、二人でコソコソと何かを話し、一、二時間で帰ってしまったりもする。
 洸が昼間に出掛けることも頻繁になり、毎回買い物袋をぶら下げて帰ってくる。
 俺は鈍いタイプではないから、こういう時ピンときてしまうんだ。今月末には俺の誕生日がある。きっと和樹さんが洸をそそのかし、何かサプライズで祝わせようとしているのだろう。
 五年前、まだサーバルではなかった俺の誕生日に、脅すようにねだって初めて和樹さんとセックスをした。それからは俺たちは端的に言えばセフレのような関係になった。あれからずっと気まぐれにダラダラ続いているかのような関係も、毎年俺の誕生日当日だけは、少しだけ意味を持った行為としてセックスをしてきた。
 一昨年の誕生日には、前チームの皆でこの家に住んでいた。和樹さんがケーキを買って帰ってきて、夕食の後に皆で食べた。夜には俺の部屋で他の二人にバレないよう声を顰め、甘く甘くセックスをした。
 昨年の誕生日には、チームが解散していて、俺は本部事務所勤務だった。和樹さんは基本的に事務所で寝泊まりをしていたから、俺一人がこの広い家で暮らしていた。
「今夜は事務所に泊まっていきなさい」
 そう言ってもらってソファベッドで朝まで何度も何度も求め合い、セックスをした。
 ほんの少しずつ、理想の誕生日に近づいているように思う。
 今年はきっと洸に「誰かの誕生日を祝う」ということを体験させたいのだろう。俺としてもどんな誕生日になるのか楽しみだ。
 
 誕生日当日は相談者は来ない偶数日だった。朝食の後、いつも通り慌ただしく了也が出勤してしてしまえば、洸と二人のゆったりとした時間が流れる。
 食後のコーヒーを飲みながらも、洸が少しソワソワとしているのが分かって可愛く思えた。
 さぁ、どんなサプライズをしてくれるのだろう。
 前庭に車が停まる音がした。待ち構えていたように、洸が椅子から立ち上がる。
「あ、あのね、洋介ようすけさん。僕、今日が洋介さんの誕生日だって、聞いて……」
 え?言っちゃうんだ。サプライズじゃなかったのかと、むしろ驚く。
「俺の誕生日だと聞いて、どうしたの?」
「夜にパーティをしたいんだ」
 やっぱり全部言っちゃうんだと思ったら、洸らしくて笑ってしまった。
「そうなの?それはうれしいよ!とっても」
「うん。だからね、頑張ってパーティの準備をするから、その間、出掛けていてほしいんです」
 そういうことか。今から和樹さんと洸が準備をしてくれる訳か。そりゃここに俺がいたら、ダメだよね。
「いいよ。どこに行こうかなぁ。何時に帰ってくればいい?」
「それは和樹さんが、全部わかってるから」
「え?」

 玄関ドアが開く音がして、足音がキッチンのテーブルに近づいてくる。
「支度はできましたか?洋介。さぁ行きますよ」
 急かされて慌てて出かける準備をする。どうやら和樹さんは、俺を連れ出す役割らしい。
 洸に手を振られながら、車は出発した。
「……洸くん、一人で大丈夫なのかな?」
 思わぬ展開の驚きを鎮める為に、人の心配をしてみる。
了也りょうやが半休取って昼に帰ってくるので、大丈夫ですよ。さぁ、どこに行きましょうか。どこにでもお連れしますよ、洋介」
 今、この時間こそがサプライズだったのだ、とようやく気がついた。

 行きたいところと急に言われても、思いつかなかった。こうして、助手席に乗せてもらっているだけで、まるで恋人とデートをしているように感じられ幸せだった。冬に洸を迎えに新幹線に乗った時も二人旅だとはしゃいだけれど、あれは百パーセント仕事だったから。
「おまかせします」
 畏まってそう答えれば、ある程度プランを立ててくれていたようで、車は横浜方面に向けて速度を上げた。
 中華街で熱々の小籠包を食べて、赤煉瓦倉庫で洸へ土産の菓子を買って、ブラブラと潮風を感じながら海沿いを並んで歩いたりもした。
 本当にデートをしているみたいで妙に恥ずかしく、いつもより無口になってしまう。
 誕生日プレゼントに何か買ってくれると言うから、考えて考えてピアスを選んだ。
「きっと洋介に似合います」
 その言葉がうれしくて、駐車場に戻った時に車の中で付け替える。
「どう?似合うかな?」
 答えはなかったけれど、運転席から顔が近づいてきて、チュっとキスをしてくれた。驚いた顔をすれば、もう一度、今度はゆっくり唇が重なった。

 幸せで夢みたいで、どうやら俺は浮かれてしまっていたんだ。ふわふわと甘い気分に浸って、これが誕生日ひと時のサプライズだと、もっと自覚しておかなければいけなかった。なのに身の程も知らずに俺は、自分が和樹さんの特別になったように感じてしまった。
 だけどわざと試すような質問をした俺に、望んだ答えを返してくれたのだから、和樹さんだって悪いに決まっている。
 駐車場から走り出したばかりの車の中で、俺は聞いた。
「あのさ、もしももしもだよ。俺がサーバルを辞めたいって言ったらどうする?」
「え?」
「いやもしもだって。少しも辞めたい訳じゃない。例え話」
「もしも、本当に洋介がサーバルを辞めるなら……。そうですね、私もヘラジカを辞めますから、二人でどこか静かなところで暮らしましょうか」
「あっ、え?うん。いいね。あっ、いや、辞めないけどね」
 手のひらが変に汗ばむ。
「もちろん、洋介は優秀なサーバルですから、辞められては困りますよ」
「あ、あのさ、今夜なんだけど、和樹さんの部屋で、一緒に寝てもいい?ほら、俺、誕生日だし……」

 和樹さんのスマートフォンが鳴ったのは、そんなタイミングだった。彼はチラッと着信画面を見て、目を見開く。そして路肩に停車して電話に出た。
「もしもし。どうした?……日本に帰っていたのか?いつ帰ってきたんだ?え、横浜?うん、なんで?大丈夫?いや、今からはちょっと……。あっ、うん。そうだね。いや、困ってるなら行くよ。実は今、近くにいて。少し待っててくれればすぐに、うん」
 俺をチラチラと見ながら、親しげな電話の相手にそう告げた。
 俺はシートベルトを外し、後部座席に置いていた洸への土産の手提げ袋を掴んで車を降りる。
「俺、電車で帰るから」
 そう言って、バタンとドアを閉めたけれど、和樹さんはまだ電話中で、何も言ってはくれなかった。
 俺の知る限り、仕事関係者であんな親しげに喋る人はいない。プライベートな用事だとしても、今日だけは俺を優先してくれるだろうなんて、一瞬でも思った自分が恥ずかしい。
 今日横浜に来たのだって、そもそも今の電話の相手がいるからかもしれない……。あっという間にネガティブな方向へ思考が傾いていった。
 電車の中で窓の外を見ながら、和樹さんにとって、俺はけして特別ではないのだ、と何度も何度も自分に言い聞かせる。ヘラジカとして、サーバルの機嫌を取ってくれているだけなのだ、と。
 そもそもあの人には忘れられない人がいる。たぶん最初の獏人形を作った人だ。
 そうと知っているのに、デートごっこをしてくれた和樹さんに対して、本気で喜んでしまった俺は馬鹿みたいだ。

 吉祥寺の家につくと、洸と了也がクラッカーを鳴らして迎えてくれた。リビングには洸の手作りだろうハッピーバースデーという文字や飾りが、たくさん貼られていた。下手くそな動物のイラストも貼ってある。きっと、バクとサーバルとディンゴとヘラジカの絵なのだろう。
 キッチンからはビーフシチューのいい匂いもしている。こちらは了也が作ってくれたみたいだ。
 二人は俺が一人だということに驚かないから、最初からこういう予定だったのだろうか。それならそうと始めに言ってくれればよかったんだ。
 腹立たしい気持ちもあったけれど、全てを隠し、大げさなくらい喜び、ケーキのロウソクも笑顔で吹き消し、シチューをおかわりした。
 洸も了也も何度も「おめでとう」と言ってくれ、二人からだとプレゼントにデザインの良いエプロンをくれた。
 口角を上げていれば、心が騙されて楽しい気持ちになるって何処かで聞いたけれど、あながち嘘ではないのかもしれない。
 
 心のどこかで、俺が吉祥寺に帰ったら先回りした和樹さんが待ち受けてくれてるのではないか、と思っていた。それが無理でも、パーティの途中で帰ってきてくれるのではないか、と希望は捨てなかった。
 そして今、もうすぐ日付けが変わって誕生日が終わる。こうして待っていれば車の音が聞こえて、玄関が開いて一緒に寝てくれるのではないかと、まだ祈っている。
 照明が消えたリビングでソファに座りながら、意味もなく砂時計をひっくり返し、この砂が全て落ちたら諦めて寝ようと決めた。
 サラサラとした砂が一時間掛け全て落ちた時、情けないことに涙が流れ出た。最初の一滴が我慢できなかったら止まらなくなって、次から次へ流れ落ちる。そしてそのままグスグスと泣いてしまった。

 ふと、洸の部屋のドアが開く音がした。慌てて涙を拭ったけれど、隠しきれなかった。
「洋介さん、どうしたの?どこか痛い?」
 駆け寄ってきて、隣に座ってくれた。
「今日さ、和樹さんて、最初からここには来ない予定だったの?」
「ううん。連絡があって。急用ができたから、洋介さんは電車で帰るって」
「何の用かは言ってた?」
「電話は了也さんに掛かってきたから。長々と話し込んでたけど僕は聞いてない。とにかく急用だって」
「長々と……。急用なら仕方ないよな、うん」
「残念だったよね。僕もみんなでお祝いしたかった」
「あのさ、俺さ……」
 胸の内を話し始めようとしたら、洸が慌てる。
「ダメ、ダメだよ。僕は聞けない。話しを聞いてあげられない。ごめんなさい……」
 そうか、洸はバクだから。こういうとき彼に話すことはできないのだった。それでも隣に居続けてくれた。
「洋介さん、ココア飲みます?僕、喉が渇いたから起きてきたんです」
 洸がミルクパンで牛乳を温めてくれ、二人でココアを飲んだ。
 俺が明るい気持ちになるようにだろう。洸は壁に貼ったままになっている飾りをどうやって工作したか、一生懸命に話してくれた。
 寂しさは少し薄れ、弟のように可愛い洸を愛おしく思った。
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