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第一章

⑧天文部で祖父と面談

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十一月

 目覚まし時計の電子音が鳴る。それを圭吾けいごが止める時、俺の意識も浮上する。けれど、圭吾が起こしてくれるまでは、眼を閉じたまま布団の中に籠っている。甘えた幸せなひと時だ。
 いつもなら、圭吾は俺を気遣ってそっとベッドを抜け出し、トイレと共同洗面所に行く。顔を洗い、時間をかけ髪をセットし、部屋に戻ってきてから俺を起こしてくれる。
 しかし今日は目覚まし時計を止めた圭吾が、布団から出ようとしない。そっと眼を開けば、カーテンの隙間から真っ赤に紅葉し始めた森の木々が見えた。天気の良い一日になりそうだ。
 寝返りをうって、圭吾の姿が見えるように身体の向きを変えると至近距離で眼が合った。なんだ起きていたのか。
「おはよう」
「……おはようございます」
 いつもの朝の、爽やかな圭吾の表情ではなかった。
「どうした?頭でも痛い?」
 ふるふると首を横に振る。右手をオデコに当ててみたけれど、熱がある訳ではなさそうだ。
「ただの登校拒否です」
 そう言って布団に潜ろうとするから、足を絡みつけてホールドする。
「もう光夜こうや、何するんですか」
 圭吾も悪ふざけに乗るように、胴回りを抱きしめ返してくれた。俺は犬の真似をして、圭吾の顔や首をペロリ、ペロリと舐める。「はあ、はあ」と大型犬のような大げさな呼吸をして「ワン!」と吠えれば、声を立てて笑ってくれた。

 二人揃ってベッドから出て、二人揃ってトイレと洗面所に行った。圭吾のヘアセットの時間に合わせ、俺もいつもより念入りにモフモフな髪をいじる。
 食堂で朝食のアジの干物と大根おろしをつつきながら「今日、何か嫌な授業でもあんの?」と聞く。圭吾は「お祖父様が、面談に来るんです……」と気が重そうな顔をして溜息をついた。
 てっきり、圭吾は著名なじいさんのことが自慢であり、慕っているのかと思っていた。誰にでも家族の面倒ごとはあるのだな。それきりじいさんのことには、触れないでおいた。
 六限目の体育が終わり、和登かずとと二人で教室へ移動していた時、車寄せに黒塗りの車が到着した。
「うわ、すげぇ車。運転手付きだぜ」
 和登が立ち止まって、もの珍しそうに眺めている。白手袋の運転手がドアを開け、降りてきたのは圭吾の祖父、柚木ゆのき玄一郎げんいちろうだった。さすが大物政治家、こちらに向かって歩いてくる姿を見るだけで、後退りしたくなるほど威圧感がある。
 和登が、俺の腕をつかみ小声で「行こうぜ」と呟いた。ペコっと会釈だけして、二人で走って教室へと戻った。あの貫禄あるじいさんと面談だなんて、身内の圭吾でも登校拒否したくなる訳だ。

 放課後、美術室でパネルに水張りをしていると、担任であり、天文部顧問の黒部くろべ先生が俺を探しにきた。
「光夜、ちょっと来てくれるか」
 連れて行かれた先は、屋上にあるプラネタリウム。天文部の部室だった。初めて足を踏み入れたその場所には、圭吾と、部長の美智雄みちおと、それから柚木玄一郎がいた。
 じいさんは俺を一瞥するとよく響く低い声で「この子か?」と問う。圭吾が「はい、彼は……」と話し始めたが、すぐにそれは遮られた。
「それで圭吾は、縁を見る力、記憶を保持する力、見透かす力、どれか一つでも開花できたのか?」
「光夜がいてくれれば、いずれ……」
「だが、この子は八回目だ。残りは六十年程度だろう。私は、九回目の人間にしか興味はない。圭吾をこの学園へ入れたのは、ここは世間より九回目の人間の割合が多いからだ。九回目の生き方に関して学ぶだけなら、家庭教師でもよかったのだからな」
「お言葉ですが、九回目至上主義はこの学園では良しとされていません。今年に入って多発しているあの事件の原因も、九回目至上主義にあるのではないですか?」
 美智雄が堂々とじいさんに意見する。俺には、何についての会話が交わされているのか、少しも分からない。ただ、じいさんは美智雄をただの学生だとは思っていないようで、対等の者が発した意見として耳を傾けているのが分かった。
「柚木先生、光夜くんはもうよろしいですか?」
 黒部先生はこれ以上俺にこの話を聞かせたくないようだ。
「あぁ、君。圭吾が能力を開花できるよう、よく相手をしてやってくれ」
 それだけ言うと目線を外し、また美智雄に向かって「あの連続事件については……」と話し始める。黒部先生は、慌てて俺をプラネタリウムの外へと連れ出した。

 夜。じいさんが持ってきてくれたという青い缶に入ったクッキーを、二人で食べた。バターが贅沢に使われていて、とても美味い。
 圭吾はじいさんが帰った後も、何か考え込んでいるようだったが、俺の前では必死に普段通りに振る舞おうとしている。だから天文部でのことは話題にしにくく「美味いな、このクッキー。和登には内緒にしようぜ」と別の話ばかりをした。
「圭吾、面会だったんだろ!」
 突然部屋のドアが開く。和登だ。
「ノックしろよ」
「おっ、クッキーだ。美味そう」
 和登はきっと、運転手付きの車でやってきた人が、圭吾の面談相手だと気がついているだろう。父親という年齢ではないから、どういう関係の人なのかと思ったはずだ。もしくはテレビで見たことのある政治家だと、気がついたかもしれない。
 でも和登は家族のことには触れてこない。そういうところは配慮のできる奴なんだ。
「和登、酷い格好してんな。ジャージ二枚重ねに靴下二重って、お前のオシャレのポリシーは、毎年寒くなると無になるのな」
「仕方ないだろ、寒がりなんだから」
 そろそろ朝晩は冷える季節になった。和登はまた、同室の理久りくに土産にすると言って、多めにクッキーを持っていった。



 森の中で孤立している学園でも、文化祭はある。来場する者もいない内部だけの開催だけれど、単調で閉鎖的な学園生活だからこそ、体育祭や文化祭は、かなり盛り上がるのだ。
 花睡かすい学園の文化祭は、全校生徒三百人が、数人ずつのグループを組んで、グラウンドと体育館に模擬店を出す。
 圧倒的に食べ物屋が多い。食品系は、事前に寮の食堂の調理師と打ち合わせ、材料、道具を用意してもらう。
 俺と圭吾は園芸委員の二年生の二人、それから和登とその同室の理久、計六人で最も簡単なフランクフルト屋をやることになった。
 家庭で使うようなホットプレート一台とトング三本を借りる申請を出し、フランクフルト四十本、トマトケチャップ、粗びきマスタード、油、串、紙の皿を仕入れリストにして提出した。電源はどの模擬店も、学園備品の小型の発電機から取ることになる。あとは当日の朝、皆で串に刺せば準備完了だ。
 現金を扱うことがない学内では、十枚綴りの券が生徒皆に配布され、その券を使って買い物を楽しむ。まるで子どものお店さんごっこだ。
 どのグループも午前と午後で当番を分け、昼を挟んで売り手と買い手が交代する。
 学園の理事、教諭、事務員、司書、寮父、庭師、用務員、調理師、警備員、校医、美容師も店を出すし、客にもなる。全校挙げての大イベントだ。
 文化祭というからには、文化部は展示も行う。もちろん六人しか部員のいない美術部も美術室に作品を飾る。
 とはいえ皆、模擬店に夢中だから、美術室まで生徒が観にくることはほぼ無い。毎年教諭や寮父がお義理で覗きにくるだけだ。俺の描いた温室の絵を、一年生の時も二年生の時も欲しいという教諭がいたらしく、どこかに貰われてはいったが、どうせ生徒のやる気を出させるためのヤラセだろう。
 天文部は展示ではなく例年怪しい占いコーナーをやる。人手は充分に足りていて圭吾は手伝わないらしい。

 午前中に売り手だった俺、圭吾、和登は、十三時から買い手になった。買い手の者は、一旦駐車場に集まり、十三時に一斉入場をする。人気の店には行列ができるから、皆、臨戦態勢だ。
 開場とともにたこ焼き屋を目指して走り、列に並んだ。それでも前に既に五人が並んでいる。
「あれ?圭吾は?」
 和登とキョロキョロと見渡すけれど、一緒に走ったつもりだった圭吾の姿がない。仕方がないから、俺の券を使って、圭吾の分も買ってやった。熱々を体育館の片隅で立ったまま食べる。美味い。
「圭吾の分も食べちゃおうぜ」
 和登の提案を受け入れそうになった頃、圭吾が戻ってきた。
「どこ行ってたんだよ。たこ焼き買っておいたけど、冷めちゃったぞ」
 ぶつぶつ文句を言うと、圭吾はニコリと笑った。
「光夜の絵を見てきました」
「え?」
「とっても良かった。好きです、光夜の絵。ベースの暗い色と眼を引く明るい色の使い方が独特で、力強い。ダリアを描くのが好きなんですか?前に僕にくれたチョコレート色のダリアの絵も良かったけど、温室全体を描いた大きな絵も、素敵だったなぁ」
 嬉しかったけれど、照れくさくて「へー」としか返事ができなかった。また「好き」という言葉を使った圭吾に、心の中で恥ずかしくないのかよ、と悪態をつく。

 そこからは一緒に模擬店で食べまくった。クレープ、焼きそば、かき氷、綿菓子、じゃがバター、りんご飴、フライドポテト、糸引き飴。
 甘い物を食べれば、塩っぱい物が食べたくなり、また甘い物を食べる。自分の機嫌が良い自覚があって、ひたすらに楽しい時間となった。
 券を使い切って「あー腹いっぱい」と二人で休憩用に用意されたベンチに座り込む。体育館のステージ上では、和登がカラオケを歌っていた。俺たちは新しい曲に触れる機会がないから、中学生の頃に流行った曲だ。
「今度圭吾を描いてやるよ」
 圭吾に聴こえるか聴こえないかの声で伝えた。圭吾は「え?」とステージから俺に目線を移したけれど、ちょうど理久が「フランクフルト完売しました!」と報告に来たから、それきりになった。
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