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ケヤキ(26才)×コノヤ(26才)篇

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 自室のドアの向こう、リビングのフローリングで座り込んでいるコノヤが、必死に訴えてくる。
「ねぇ、最後に、最後にもう一度だけ、セックスしよ、ねぇ、ケヤキ」
 ドンドンと、ノックよりも少し強めにドアを叩かれる。
「ねぇ、開けて、開けてよ……。触れたいんだよ、ケヤキに。頼むからさ」
 それでも俺は鍵を開けず、ベッドの上でタオルケットをかぶって丸くなっている。
 あと六時間もすれば夜が明けるだろう。そして午前十時には引っ越しのトラックがやって来る。それまで、こうして想いを封じ込めて、引き籠っていたい。



 八年前、二人で暮らす家を探したとき「喧嘩したら引き篭もれる部屋があったほうが、互いにいいでしょ」と言ったのはコノヤだった。
 俺も「確かに」と頷き、コノヤの父親に援助してもらいながら2DKのマンションを借りた。
 けれど八年間、喧嘩なんて一度もなく、今晩は俺のベッドで、次の日はコノヤのベッドで、と気分で場所を変え毎晩一緒に眠っていた。
 明日、コノヤが出ていくという日になって、俺は初めて自室に鍵を掛けて引き篭もっている。部屋を分けておいてよかったと、今更ながらに思いながら。
 どうかこのまま、膨れ上がった感情を暴走させ、万が一にも「ずっと好きだった」とか「頼むから行かないでくれ」とか、想いを口走ってしまうことがないようにしたい。この同居生活を無事に終わらせたい。

 俺たちは幼稚園からの幼馴染で、大学進学とともに二人で東京に出てきた。
 コノヤの父親は、地元では有名な企業の社長さんだ。幼い頃から俺のことを気に入ってくれていて「ケヤキくんが一緒なら」と、東京への進学が許されたと聞いている。
 父親の会社へ就職し、東京支社で働き始めて四年が経ったコノヤの元に、地元に戻るよう辞令が出たのは、一週間前のことだ。
 地元友達の間では「コノヤ、どこぞの社長令嬢と見合いして結婚するらしいぜ」と噂が飛び交っている。
 コノヤは一人っ子で、こういう展開は俺もコノヤも充分に承知していたことだった。
 だからこそ俺たちは、高校生の頃から頻繁にセックスをしても、あくまで友達同士の悪ふざけの延長、性処理のための行為として、互いに認識しあってきた。
 どんなにコノヤの目が熱っぽく俺を見つめてきても、どんなに俺の指が愛おし気にコノヤを肌を滑っても、溢れる思いを口にだしたことは、一度もない。そして、セックスは沢山してもキスをしたことは、ただの一度もない。

 一週間前の夜に辞令のことを俺に告げてきたコノヤの声は、微かに震えていた。
「だからさ、もう地元に帰らないと。来週には引っ越すよ」
「へー、そうか」
 冷静を装って返事をした俺の声だって、動揺を隠しきれていなかっただろう。
「俺、出張で頻繁に東京にくるだろうし、そしたらここに泊まるし。会える時間は減るけど、変わらずよろしく」
「あぁ、そうだな」
 そうは言ってもコノヤは、結婚する相手が決まってからも俺とセックスし続けるような、不誠実な男ではない。
 俺たちは一度もキスをしたことがないまま、もう抱き合うことも、一緒に眠ることも、セックスすることも、できなくなるのだ。
 それなのに俺一人が、二人の思い出が沁みついたこの部屋に残され暮らし続けるなんて、どう考えても無理だった。
 だから俺も、コノヤには内緒で来週中に引っ越す予定だ。同じ都内でも、このマンションより随分と西の方にある、もっと狭いワンルームへ。

 不動産屋経由で俺の引っ越しがコノヤにバレ、送別会の席から電話を掛けてきたのが二時間前の出来事だ。
「ケヤキ、どういうこと?ねぇ?」
 スマホの向こう側で怒鳴っているコノヤを諭すように、静かに言い返す。
「コノヤが結婚した後も、今と変わらない友情を続ける為だ。俺たちは今後、世間一般の常識で考える範囲の関係になるべきだろ。もうオマエには二度と触らないから安心しろ」
 俺がそう告げると反論もなく電話はブチリと切られた。
 早々に送別会を切り上げたのか、コノヤは予定より早くに帰宅した。それが一時間前のこと。
 そして、俺が部屋に鍵が掛け引き篭もっていることに気が付いた彼は「ケヤキ、ケヤキ」と俺の名を呼びながら、ドアの向こう側に座り込んでいる。
 高校生の頃からギリギリに保っていた友達以上恋人未満の関係は、今夜、グラグラと音を立て壊れてしまうかもしれない。



 日付も変わり、俺への説得を諦めたのか、コノヤはドアに寄りかかったまま子どもの頃から今に至るまでの、楽しかった二人の思い出話を、喋り始めた。
 思いつくままに語られるそれは、小学五年の夏休みにした花火、高校二年の文化祭をサボって行った海、小学校の入学式で俺が泣いた話、一ヶ月前にいつもの居酒屋で食べた焼き鳥と、時系列ではなく行ったり来たりする。
 ボソボソと語られるその声を聞き逃したくなくて、俺はそっとベッドから降り、ドアに近づく。
 厚さ数センチのドアを挟んで、きっと背中合わせで座っているだろう俺たちは、一晩では語り尽くせない程の時間を今まで一緒に過ごしてきた。
 改めてコノヤへの愛おしさが込み上げてきて、せつない思いを噛み締めながら彼の声を聞いていると、幼稚園のお遊戯会の話になった。
「ケヤキが太陽の役でさ、段ボールで作られて岩戸の中に隠れるんだよ。俺は隠れてしまった太陽に出てきてもらう為に舞を踊る役だったんだけど、俺が踊り始めると、ケヤキがすぐに出てきちゃうの。「コノヤと一緒に踊る」って言って。何度も先生に「まだ出て来ちゃダメよ」って怒られててさ……」
 あったな、そんなこと。はっきりとした記憶はないけれど、コノヤの父親が撮ってくれた動画を見たことはある。懐かしい。

 コノヤはその話を最後に、黙ってしまった。寝てしまったのだろうかと、耳を澄ましていると何かを決意するような「よしっ」という小さな掛け声が聞こえた。
 続いてガチャガチャとベルトを外す音がする。まだスーツ姿のままで、着替えてもいなかったのだろう。
 説得を諦めスーツを脱いで眠ることにしたのかと、自分から引き篭もったくせに寂しさを覚えてしまった。
 しかししばらくして、ドアの向こうからは微かにコノヤの甘い息遣いが聴こえ始めた。
 俺はドアに耳をつけ、コノヤが何をしているのか探ろうとする。
「はぁはぁ」と荒い呼吸に「んっ」と鼻に掛かったような高い声が混じる。
 布が擦れるような音、指がドアを這うような音、体勢を入れ替えたのかギシリと床が立てる音。それら音は意図的に立てられているようだ。
 だから俺の頭の中には、コノヤが自分の陰茎を右手で握り、上下にしごいている姿が、リアルに思い浮かんだ。
 きっと靴下は履いたままで、ズボンは脱ぎ捨てられ、下着を膝までずらしているだろう。上はジャケットを脱いで、ネクタイを緩めて、喉元のボタンを二つほど外しているのではないか。
 もしかすると左手は、白いシャツの中に入り、胸の突起を摘まんでいるかもしれない。
 コノヤが片膝を立てて自分の陰茎を握り、それを昂らせようとするときの表情を、とてもよく知っている。眉をハの字に寄せ、口は半開きで、顎が少し上を向く。
 二人で自慰を見せ合い、その流れでセックスした経験が何度も何度もあったから……。

「ケ、ケヤキ、あっ、あっ」
 俺に聴かせようとしているだろう。アピールするようにいつもより大きな音で、甘く上擦った声が零れ落ちている。
「んっ……、ケ、ケヤキも、触って……ねぇ」
 俺にも自慰をするよう促してくる。なんの返事をしなくても、俺がドアの向こう側で耳を澄ませていることに、気が付いているのだろう。俺にはコノヤのことが手に取るように分かるのだから、コノヤにとってもそれは同じなのだ。
 俺は誘いには乗らず、コノヤの行為の全てを聴き取ろうと、ドアに耳をペタリとつけて集中する。
 そろそろ彼の先端からは先走りの雫が落ちているはずだ。このままコノヤが気持ちよさそうに達する声が聴きたい。その声をしっかりと聴いて、耳に留めて、一生の宝にしたい。
 けれど昂った吐息は突然途切れ、立ち上がるような物音に続き、足音が鳴る。ドアの向こうの気配が遠のいてしまった。
 まるで置いてけぼりにされたような、悲痛な思いが込み上げる。心の中で「コノヤ、コノヤ、行かないでくれ」と名を呼び続けた。
 広くはないリビングを数歩進み、コノヤの部屋の白いドアが開いた音がする。少し間を置いてそれがバタンと閉まる。
 コノヤも部屋に引き籠ってしまうのかと心が冷えかけたが、足音はすぐにこちらに向かって戻ってきた。
 そしてまたドアの前に座り込んだのだろう。ドスンとした音がして、戻ってきてくれたことに安堵の溜息をつく。

 彼が何をしに自室へ行ったのかは、次に聴こえた音で理解できた。粘度のあるローションを容器から出す「ブリュリュ」という汚らしい音が聴こえたから。
 目を閉じて、再びドアの向こうの光景を想像する。手を伸ばせば届くソファに置かれたクッションを枕にして、横向きに身体を倒し、片膝を立て後孔へと手を伸ばしているのだろう。
「んっ、んぁっ」
 聴こえてくる彼の声は、先ほどより一段と甘くなり「ケヤキ、ケヤキぃ」と俺を呼ぶ。グチュグチュという中を弄る水音まではドアを通して聴こえないはずだが、俺の耳が捏造する。
 指は何本入っただろう?長くてスラっとした中指に加えて、人差し指も中を擦っているだろうか。
「ねぇ、ケヤキ……。んっ、届かないよっ、指じゃ、無理っ、ねぇ……」
 コノヤのいい箇所を触ってやりたい、挿れて突き上げてやりたい、そう思いながらも必死に我慢をする。どんなに舞を踊られても、今、岩戸から出るわけには行かないのだ。
「もっと、奥、奥、さわって……イかせてよ」

 そう言ったきり無言になったコノヤからは、しばらく乱れた呼吸音だけが聴こえた。
「ねぇ、ケヤキ……」
 次に聴こえたその声は涙混じりだった。
「ねぇ、ケヤキ……今まで、互いに口には、しなかったけどさ、俺さ、幼稚園の頃から……、あのお遊戯会の頃からずっと、オマエのこと……」
 俺はそれ以上の言葉を、ケヤキに言わせたくなくて、咄嗟にガチャリと鍵を開け、勢いよくドアを内側に開く。
 そこには想像したとおり、クッションを枕にした酷くイヤらしい姿をしたコノヤが横たわっていた。
 目の周りが赤いのは、上気しているからなのか、涙が零れたからなのか。
「ケヤキ……」
 コノヤの目の前にしゃがみ、彼の肩を掴んで上半身を起こし、初めて唇を重ねた。口を塞いでこれ以上は喋らせない為に。
 思えば俺にとって、これがファーストキスだ。初めて合わせた柔らかい唇が、もっと深く繋がりたいという強い欲求をもたらす。
 だから、合わせていた下唇を甘噛みし、コノヤの唇の隙間に自分の舌をねじ込んだ。
 コノヤも最初こそ戸惑ってされるがままだったが、すぐに激しく俺に舌を絡みついてきた。互いに必死にその舌を、口内を、唾液を、舐め合う。口の端からはどちらのものか分からない唾液が零れるけれど、拭うこともせず求め続ける。
 すると、どんどんと息が苦しくなって、すっかり酸欠になって、コノヤがギブアップというように背中をタップしてきたから、空気を求めて二人の口が離れた。
 肩で息をして酸素を取り込みながら目が合うとどちらともなく、ゲラゲラと声に出して笑いだした。
「なに今のキス。俺たち必死すぎ」
「ホントに。なんなんだよ、恥ずかしい。あまりにも不慣れだったな」
「仕方がないよ。俺ファーストキスだもん。二十代半ばにしてさ。ケヤキは?」
「オマエが初めてなら、俺だって初めてに決まってるだろっ」
 俺の怒った声に、コノヤがまた笑う。二人とも口淫は得意なのにキスが下手って本当に笑える。

「どうだったファーストキスの感想は?」
 下半身を丸出しにして、勃ち上がったモノからはダラダラと先走りを溢し、後孔をローションまみれにした姿で言うセリフではない。
「ねぇ、どうだった?」
 返事をしないでいれば、昂りを俺の股間に押し付けてくるのだから質が悪い。
「もっとロマンチックなものかと思ってた」
 そう返事をし、コノヤをクッションの上に押し倒す。
「準備はできてるよ」
 コノヤがそんなイラやしいことを言うから、自分の短パンと下着をずらし、いつの間にか完全に太く硬く形を変えていた陰茎を、一息にコノヤの中に埋めていく。
 コノヤが目を潤ませながら感じているだろう圧迫感や異物感が馴染むまでの間、また唇を重ねる。今度はもっと優しく、愛をこめて。何度も何度も角度を変えて、上手に息継ぎをしながら。
 コノヤの腕は俺の首に回されて、愛おしそうにしがみついてきた。
 だんだんと彼の腰が気持ちよさそうに揺れ出し「動いて」と告げるから、揺さぶって中を刺激してやる。
「あっ……、いい、いい、きもち、いい、んっ」
 コノヤは嬌声をあげ続け、俺は誘われるように奥へ奥へと欲望をぶつけた。
 今晩のセックスが最後の触れ合いにだろう。コノヤだってそう思っているはずだ。
 だから、蕩けるような顔をした彼の顔を、見逃さないよう目に焼き付ける。コノヤの指は俺の背中をまさぐり、爪を立てている。
「もう、もう、ダメ、あっ、いっちゃう、イ、イクっ」
 コノヤが白濁を飛ばした瞬間、俺の全てを絞り取るように後孔が収縮すから、堪らなく気持ちがよかった。俺は最奥へ大きく突き上げて、コノヤの中で爆ぜるように吐精する。
 ゴムを付けていないことに気が付いたのは、もう一度する為に、一旦抜いたときだった。

 結局俺たちは、キスこそ交わしたけれど「好きだ」とも「愛してる」とも最後まで口にしなかった。友達であることを守りぬいた。だからこれからもまた、会うことができるだろう。
 その場所はこの部屋でなく、いつも居酒屋や、地元の定食屋や、もしかするとコノヤの結婚式かもしれないけれど。
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