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1.恋人が帰って来ません

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「ジゼル、何度言ったら分かるの?勝手に私の部屋に入って来ないで…!」
「別に部屋に入る位いいじゃない。私達、義姉妹なんだから」

 私の名前はニナ・ドール
 伯爵令嬢で最近16歳になったばかりだ。
 容姿については、薄茶色の癖のない真直ぐな髪は腰まで届き、瞳の色は淡い青い瞳。
 体格については小柄なほうだと思う。
 普段あまり外出しないせいか、肌の色も白い。
 
 そして私の部屋にいつも無断で入って来るのは、半年前に父が再婚した義母の連れ子のジゼル。
 ジゼルは私より1歳年下の15歳で気が強く傲慢で、私はジゼルの扱いに困っていた。
 無断で人の部屋に入って来るし、私の持ち物をいつも勝手に持ち出していく。
 何度注意してもそれは全く変わらなったので、私は半分諦めていた。

「ねえ、お義姉様…これ貸してくれない?」
「だ、だめっ!それだけは!お願い返してっ!」

 ジゼルの掌の中から青い宝石が付いた指輪が見えた瞬間、私は血相を変えて必死で取り返そうと手を伸ばした。
 年齢は私の方が上だが、身長はジゼルの方が高い。
 その為、簡単に取り返すことが出来なかった。

「ケチね、私は貸してって言っただけよ?くれなんて一言も言ってないわ」
「ジゼル、お願い返して…!それはお母様の形見なのっ…」

 私が涙目で訴えると、ジゼルは口端を小さく釣り上げた。
 その表情を見た瞬間私は嫌な予感を感じた。

「私、これ気に入っちゃった。貸してもらうわよ」

 ジゼルは私の事を勢い良く突き飛ばすと、指輪を持って部屋から出て行こうとした。
 私は痛みを感じながらもすぐに立ち上がり、急いでジゼルを追った。

「ジゼル、ふざけないで!本当に返してっ!」
「しつこいわね、もういい加減にしてよっ!!」

 私達は言い争いから、いつしか掴み合いにまで発展してしまう。
 ジゼルは借りたものは返さないのは日常茶飯事だった。
 その上私の大切なものと知ったからには絶対に返すつもりは無いのだと分かったからだ。
 今取り返さないと隠されてしまうと思った私は、無我夢中で取り返そうと必死になっていた。

「きゃああああっ!!」
「ジゼルっ…!」

 階段前でそんなことをしていると、逃げようとしたジゼルは足を滑らせ階段から転落していった。  
 私はこんな事にはなるとは思わず、階段の上で小さく震えていた。

(どうしてこんなことに…。どうしよう…)

 その後、駆け付けた使用人達によってジゼルは運ばれ医者にも見てもらったが、幸いな事に軽い打撲程度で済んだ様だ。
 私はそれを聞いて少しほっとした。


 ***


 私が階段の上で立ち尽くしていると、血相を変えた義母が私の前までやって来てすごい剣幕で睨みつけると、勢い良く私の頬を叩いた。
 パンッ!!と鋭い音が鳴り響くと同時に、頬が焼ける様にズキズキと痛み始める。私は驚いた顔で義母を見つめていた。

「私の娘にこんな酷い事をして…どういうつもり?」
「ジゼルが私の大切な指輪を盗もうとしたからっ…」

「盗む…?何馬鹿な事を言っているの?私の可愛いジゼルがそんなことをするはずが無いわ…」
「いつも私の部屋に無断で入って来るし、勝手に持って行くのは窃盗と何ら変わらないと思いますっ…!」

 義母の言葉に腹が立ち、私ははっきりとした口調で強く言い返した。

 私も悪いとは思うが、今回の事はジゼルにも責任はある。
 それに何度もジゼルの事を注意する様にお願いしているのに、この義母はいつも私の言葉なんて聞こうともしない。
 私に敵意を向け、なんでも私が悪いと決めつける。
 だから今回だって、いくら私が反論しても私の所為にされる事は分かっていた。
 それでも言わずには言われなかった。

 すると義母は私の事を怖い顔で睨みつけて来て、私はゾクッと体が震えた。

「そう…。貴女はそんな事言うのね。いいわ、それならば出て行きなさい」
「え…?」

「私達の事が気に食わないんでしょ?だからそんな言いがかりばかり付けて…。そんなに嫌なら出ていけばいいのよ。ちょっと…誰か来て…!」

 冷たい声を私に向けて放つと、義母は奥にいる執事を呼びつけた。
 それから暫くして、奥から執事が現れた。その執事は義母が雇った男で、普段からニヤニヤと薄気味悪い笑みを浮かべていて気味が悪い。

「この子は屋敷を出て行くそうよ。ジゼルの事を窃盗犯呼ばわりした挙句、階段から突き落として…、こんな怖い子と同じ空間にはいられないわ」
「はい、畏まりました」
 
 義母はニヤリと薄笑いを浮かべると執事と目配せを交わし、執事は私の方へと近づいて来る。

「こ…来ないでっ…!」
「奥様のご命令だ」

 私は後退し逃げようとするも、伸ばされた執事の手に簡単に掴まってしまい強引に引っ張られる。
 そして階段から下ろされ、出入り口の方まで連れて行かれる。
 私が抵抗しようとすると執事はキッときつく睨み、その腕には力が篭る。その所為で掴まれた場所から痛みを感じて、私は顔を歪めた。

「痛いっ…、離してっ!」

 私の抵抗も虚しく、強引に屋敷の外まで連れて行かれると勢い良く私の事を突き飛ばした。
 私は突き飛ばされた衝撃でその場に倒れ込んでしまう。
 そんな私の姿を嘲笑うかのように、執事はフンと鼻で笑うと扉を閉めた。

 突然の事で理解が追い付かず、私はその場に座り込んでいた。

(私、家から追い出されたの…?)

 今の状況が分かり始めて来ると不安も当然あったけど、どこか心はほっとしていた。

 このまま家を出て行けば、あの義母やジゼルから解放される。
 もうあんな嫌な思いはしなくていい、そう思うと心の奥にあった重い鎖がすぅっと消えた様な気がして、胸の奥が軽くなった。

 そして自分の手の中で強く握られているものに気付いて、ゆっくりと掌を開くと中にはあの指輪が入っていた。
 これは私の母の形見であり宝物だ。
 これさえあれば、この家には何の未練もない。

(あんな人、母親なんかじゃないわ。私に取っての母親は…お母様だけよ)

 私に指輪を大切そうにぎゅっと握りしめた。

 父は仕事で王城に籠っていて現在は不在だ。しかし、もしここに居たとしても私の事を助けてくれていたかは分からない。
 父は昔から私には一切興味を持っていなかった。だから私が居ても居なくても気にならないのだろう。寧ろ居なくなって喜んでいるのかもしれない。

(とりあえず街に向かおう…)

 私はそう思い、立ち上がると服に着いた土埃を手で払った。
 先程突き飛ばされた衝撃で膝の辺りが地面に擦れて、薄っすらと血が滲んでいた。


 ***


 2時間程歩き、大きな街へと辿り着いた。
 こんなに歩くのは久しぶりだったので、とても疲れてしまった。

 着の身着のままの状態で追い出されてしまったので、街に着いたのはいいが、この後どうしたら良いのか分からなくなってしまった。

(これから、どうしよう…)

 帰る家もお金も無い状態で、私はこれからどうやって過ごしていけば良いのだろう。
 そう考えると不安と絶望感に包まれ、目からは涙が零れた。

 あの屋敷に戻り、泣いて謝ったら許してもらえるかもしれない。
 だけど、また息が詰まりそうなあの生活にはどうしても戻りたくなかった。ジゼルの事だから、きっと私を恨んで更に酷い嫌がらせをしてくるに違いない。
 私は行き場も無く、取り合えず路上の端に蹲るように座っていた。


「大丈夫…?どこか具合でも悪いの…?」
「……?」

 それから暫く途方に暮れていると、頭上から不意に優しい声が響いて来て私は顔を上げた。
 そこには黒い長髪の紫色の瞳をした若い青年が心配そうに私の事を見つめていた。

 私の事を心配してくれる人がいるのだと思うと、急に胸の奥がじわじわと熱くなった。
 そして私は顔をぐちゃぐちゃに歪ませながら泣きじゃくってしまった。

「え…、そんなに泣いて…、大丈夫?どこか痛い?」

 その青年は戸惑った声をあげながらも、逃げることなく傍で私の事を気遣ってくれた。
 私はその問いかけに何度か首を横に振った。

「じゃあ、気持ち悪い…?」
「……っ…ちがうっ…」

 私が否定すると「違うのか、じゃあなんだろうな…」と独り言を吐く様に呟き、隣に座ったかと思えば私の頭を優しく撫でてくれた。まるで子供を宥める様に…。
 今までこんな風に私に接してくれた人は居ただろうか。しかも見ず知らずの、たまたま通りかかった人に優しくされて…。
 だけどその優しさが堪らなく嬉しくて、胸の奥に込み上げて来るものを止めることは出来なかった。

 それから私が泣き止むまでその青年はずっと傍にいてくれた。
 私が泣き止んで落ち着きを取り戻すと、今日起きたことを初めて会ったその青年に全て話した。
 今までの辛かった思いとか、耐えてたことを素直に伝えると、心の奥にあった枷が溶ける様にすぅっと消え、すっきりとした気分を感じた。

「ずっと辛かったんだね。だけど、そんな酷い家出て来て正解だよ。君は間違っていない」
「……はい。でも私、何も持たずに出て来てしまったから、これからどうやって生きて行けばいいんだろう…」

 そう考えると不安で胸がいっぱいになる。
 私が表情を曇らせていると、隣に座っていた青年は小さく笑った。

「そのことなら割と簡単に解決するんじゃないかな?」
「え…?」

「君が今までの生活を捨てて新たに一から頑張ると言うのならば、僕は協力してあげるよ。君にはその覚悟はある?」
「……もうそれしか道はないし。私、頑張りますっ!」

 私が不安そうな顔で答えると、青年は優しく微笑んだ。

「そっか、じゃあ住む所は僕が用意してあげる。君にやる気があるのなら働き口も紹介してあげれるよ。僕はジル・エステンって言うんだ。年は22歳。この街には僕の家が経営している店がいくつかあるから、君に合う店があればいつでも紹介してあげるよ」
「……会ったばかりなのに、どうしてそこまで良くしてくれるんですか?」

「なんか君ってさ、真面目そうだし…それに僕は困ってる人はほっとけない性分でね。泣いてる子を見捨てるような酷い人間にはなりたくないからね…」
「……っ…、ジルさん、ありがとうございますっ…。私はニナって言います。働いたことなんてないけど、一生懸命頑張りますっ」

「うん。ニナか…、可愛い名前だね。僕の事はジルでいいよ」
「ありがとう、ジルっ…」

 私は少し照れくさそうに答えた。

 それがジルとの出会いだった。
 ジルは商人から成りあがった男爵家の長男で、街にはジルの家が経営する商店がいくつか存在している。
 私に提供してくれた空き部屋は、住込みで働く者達の為に用意された部屋だった。
 丁度空きがあるので自由に使ってくれて良いと言ってくれた。
 それから仕事の紹介もしてくれて、私は暫くしてから食堂で働くことになった。

 ジルは私の命の恩人だ。
 あの時ジルに出会わなければ、今の私はどうなっていたのか分からない。

 ジルと過ごしていくうちに、私はジルの事が好きになっていった。
 いつも私の事を気に掛けてくれるし、優しくて一緒にいる時間がとても楽しくて…。
 こんなの絶対好きになって当然だと思う。
 ジルも私の事を好きだと言ってくれて、私達は晴れて恋人同士になった。

 それから一年間、幸せいっぱいの生活を送っていたが、ある日ジルは大口の仕事があると言って暫く街から離れることになった。
 期間は約一か月程かかるとのこと。
 私が離れることに不安を感じていると、ジルは「帰ってきたら結婚しよう」と言ってくれた。
 私はその言葉を信じて待つことにした。

 これからジルとの幸せな未来が続くと思っていた。
 だけどジルは一か月経っても戻って来ることは無かった。

 それから半年、一年と月日は流れていく。
 親しくしていた者達もジルの行方を知る者は誰もいなかった。

 何か事故や事件に巻き込まれたのではないかと噂する者まで出て来たが、私は絶対に生きて無事に帰って来てくれると信じていた。
 店の経営などは、ジルの傍で働いてた弟がそのまま引き継いでいるので問題なく経営は続いている。
 ただ変わったのはジルが居なくなったと言う事だけ。

 私はジルの行方が分からなくなってから、毎日教会に通っている。
 毎日お祈りをして、ジルの無事を願っていると少しだけ不安が無くなる気がした。

 願っていれば、いつかきっと帰って来てくれる。——そう信じていた。

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