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104.執務を手伝う②
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王宮内を歩いていると、普段以上に人の目が向けられていることに気付いた。
最初はただの違和感程度であまり気にしてはいなかったが、すれ違う者達と妙に目が合うことで、何かおかしいとさすがに思い始めていた。
私は落ち着きの無い様子で周囲にちらちらと視線を寄せていた。
隣を歩くアイロスの方に視線を向けると、彼は何も気付いていないといった様子で前を見たまま歩いている。
普段なら狼狽えている私を見れば、すぐにでも注意をしてくるはずなのに……。
やはり、何かがおかしい気がする。
「あのっ、アイロスさん……」
「そのまま歩いておけ。説明は着いたらする」
私は耐えられなくなりアイロスに声を掛けてしまう。
しかし彼は冷静な口調で静かにそう告げた。
だけど確実に何かを知っていそうな口ぶりだった。
「はい……」
視線を向けられることでいつもより緊張してしまい、表情も硬くなっているような気がする。
そして漸く目的地まで到着した。
ザシャの執務室に入るのは、初めて王宮に来た日以来だ。
(なんか懐かしいな……。あの日から、私の運命は変わったんだよね)
私はここに来た日のことを思い出し、一人懐かしんでいた。
そのおかげでいつの間にか緊張は解れ、変な力が体からスッと抜けていった。
***
「入ってくれ。まだここには誰も来ないから、今は気を抜いても構わないぞ」
「はあっ……、良かった」
アイロスが扉を閉めるのを確認すると、私の口元からは気の抜けたため息が漏れた。
それを見てアイロスは呆れたように苦笑していた。
「今日は朝早くから呼んでしまったから、朝食もまだだろう。軽食をここに用意しといた。食べながらで構わないので説明を聞いてくれ」
「えっ……、ここで食べて良いんですか!?」
普段なら作法に厳しいアイロスが、こんなことを許してくれるなんて。
意外過ぎて私は驚いた顔を見せてしまう。
「ああ、構わいぞ。今日は特に時間がないからな。王妃様が見えるのは午後からだが、それまでにある程度やり方を覚えて貰わないといけないからな。それと今日の授業は全てキャンセルして、一日ここで過ごして貰うことになる」
「分かりました!」
中央にあるテーブルの上には、食べやすいサイズにカットされたサンドウィッチが並べられている。
それにお茶や果物も用意されているようだ。
「早速説明を始めるぞ。そこに座ってくれ」
「は、はいっ」
私は慌てるようにテーブルの前まで移動すると、アイロスと対面するようにソファーに腰を掛けた。
するとアイロスは立ち上がり、カップにお茶を注いでくれた。
「ありがとうございますっ」
「これで準備は出来たな。勝手に食べて構わないぞ。簡単に説明をしていくから、食べながらしっかりと聞いておいてくれ」
そう言うと、アイロスはいつもの淡々とした口調で話し始めた。
私はカップを手に取り、お茶を一口喉に流し込んだ。
「まず、先程お前が気にしていた視線についてたが、昨晩のことでザシャ様がエミリーの私室に通っていることが周囲にバレた」
「……っ!?」
予想外の話に驚き過ぎて、飲んでいたお茶が気管に入り咳込んでしまう。
「ごほっ……ごほっ……」
「おい、大丈夫か?」
「だ、だいじょう……ごほっ」
「まあ、落ち着くまで待っててやるから」
「うっ、ごめんなさい」
私は再びゆっくりとお茶を喉に流し、呼吸を落ち着かせようとした。
アイロスは心配そうな顔でこちらを眺めている。
(今の話って、多分まずいことだよね……? ……どうしよう)
「一々謝らなくていいと、いつも言っているだろう。だが、お前らしいな……」
アイロスは柔らかい口調で小さく呟いていた。
こんな風に優しい雰囲気を見せるようになったのは、本当に最近のことだ。
私が落ち着くのを見計らって、アイロスは話を続けた。
「日頃から頻繁に離宮に通っていたが、あの場所は元々ザシャ様の住まいだからな。そこに戻ったとしても何ら問題は無い。だが今回は状況が違う。ザシャ様が倒れられた時、エミリーの部屋にいた。あんな遅い時刻にお前の部屋にいるなんて、考えられることは一つしかないからな」
「……っ」
アイロスに指摘され、カーッと顔の奥が熱くなるのを感じる。
昨晩は何もなかったが、あの部屋で何度もザシャに愛されていたのは事実だったので否定は出来なかった。
「顔に出し過ぎだ」
「……ごめんなさい」
「何故俺に謝るんだ? 俺は二人の仲を裂きたい訳でもないし、行動に出たのはザシャ様の意思だ。それに対して俺は口出しするつもりはない。それから、お前との婚約が認められたという話も聞いている。だからエミリーが謝る必要はどこにもない」
「アイロスさんも知っていたんですね」
「ああ、昨晩聞いた。バレてしまった以上、お前は堂々としていればいい。何も悪い事はしていないのだからな」
こんな形で、周囲に私達の関係が明るみになるなんて思っても見なかった。
それに下級貴族の私が、簡単に受け入れて貰えるとも思っていない。
先程廊下で向けられた視線には敵意こそ感じられなかったが、戸惑いのようなものはあった。
それは言い変えて見れば、祝福されていないという事だ。
いつかはこの問題で悩むことは分かっていたが、突然過ぎて心の準備が全く追いついていなかった。
そのためどうしたら良いのか分からず、不安を抱いてしまう。
(どうしよう……)
「おい、何故そんな顔をしている」
「え?」
アイロスは不満そうな顔で私のことをじっと見つめていた。
「お前は本当に何も分かっていないな」
「どういう意味ですか?」
アイロスは呆れたような声で呟くと、小さくため息を漏らした。
私は困惑を隠しきれず、眉根を寄せながら問いかける。
「予期せぬ形で周囲に関係がバレた訳だが、悪いことだけでは無いって意味だ。今回のことについて、ザシャ様は近いうちに真意を問われるはずだ。そこで間違いなく、お前を婚約者に選んだことを周囲に公表することになるだろうな。押し切る形にはなるが、陛下が認めた事であれば周囲も納得せざるを得なくなる。これは早くエミリーを婚約者として迎え入れたいという、ザシャ様の願いが叶ったという事だ」
「反発は生まれませんか?」
こんな強引な形で発表してしまうことに、私は戸惑っていた。
ザシャが私のことで色々責められたら……と思うと胸が苦しくなる。
「少し時期が早まったってだけで、大した問題にはならない。キストラー家は王家側に付いているし、ノイマン家も問題は無いだろう。残るはハスラー家だけだが、恐らく大した脅威にはならないはずだ」
「カトリナ様も、ユリアさんも納得しているんですか?」
「お前が知っているかは分からないが、カトリナは既にザシャ様の候補からは外されている。本人の意向でな」
「どうして……」
「お前が候補にならなければ、間違いなくカトリナが婚約者に選ばれていたはずだ。だが、カトリナがここに来たのにはもう一つ大きな目的があったようだ。友人であるエリーザ・ノイマンの死の真相を探るという目的がな」
「……っ!」
(カトリナ様がエリーザ様の友人……? ライバル同士で仲が悪かったわけじゃなかったの?)
初めて聞かされた事実に、私の頭の中は混乱し始めていた。
最初はただの違和感程度であまり気にしてはいなかったが、すれ違う者達と妙に目が合うことで、何かおかしいとさすがに思い始めていた。
私は落ち着きの無い様子で周囲にちらちらと視線を寄せていた。
隣を歩くアイロスの方に視線を向けると、彼は何も気付いていないといった様子で前を見たまま歩いている。
普段なら狼狽えている私を見れば、すぐにでも注意をしてくるはずなのに……。
やはり、何かがおかしい気がする。
「あのっ、アイロスさん……」
「そのまま歩いておけ。説明は着いたらする」
私は耐えられなくなりアイロスに声を掛けてしまう。
しかし彼は冷静な口調で静かにそう告げた。
だけど確実に何かを知っていそうな口ぶりだった。
「はい……」
視線を向けられることでいつもより緊張してしまい、表情も硬くなっているような気がする。
そして漸く目的地まで到着した。
ザシャの執務室に入るのは、初めて王宮に来た日以来だ。
(なんか懐かしいな……。あの日から、私の運命は変わったんだよね)
私はここに来た日のことを思い出し、一人懐かしんでいた。
そのおかげでいつの間にか緊張は解れ、変な力が体からスッと抜けていった。
***
「入ってくれ。まだここには誰も来ないから、今は気を抜いても構わないぞ」
「はあっ……、良かった」
アイロスが扉を閉めるのを確認すると、私の口元からは気の抜けたため息が漏れた。
それを見てアイロスは呆れたように苦笑していた。
「今日は朝早くから呼んでしまったから、朝食もまだだろう。軽食をここに用意しといた。食べながらで構わないので説明を聞いてくれ」
「えっ……、ここで食べて良いんですか!?」
普段なら作法に厳しいアイロスが、こんなことを許してくれるなんて。
意外過ぎて私は驚いた顔を見せてしまう。
「ああ、構わいぞ。今日は特に時間がないからな。王妃様が見えるのは午後からだが、それまでにある程度やり方を覚えて貰わないといけないからな。それと今日の授業は全てキャンセルして、一日ここで過ごして貰うことになる」
「分かりました!」
中央にあるテーブルの上には、食べやすいサイズにカットされたサンドウィッチが並べられている。
それにお茶や果物も用意されているようだ。
「早速説明を始めるぞ。そこに座ってくれ」
「は、はいっ」
私は慌てるようにテーブルの前まで移動すると、アイロスと対面するようにソファーに腰を掛けた。
するとアイロスは立ち上がり、カップにお茶を注いでくれた。
「ありがとうございますっ」
「これで準備は出来たな。勝手に食べて構わないぞ。簡単に説明をしていくから、食べながらしっかりと聞いておいてくれ」
そう言うと、アイロスはいつもの淡々とした口調で話し始めた。
私はカップを手に取り、お茶を一口喉に流し込んだ。
「まず、先程お前が気にしていた視線についてたが、昨晩のことでザシャ様がエミリーの私室に通っていることが周囲にバレた」
「……っ!?」
予想外の話に驚き過ぎて、飲んでいたお茶が気管に入り咳込んでしまう。
「ごほっ……ごほっ……」
「おい、大丈夫か?」
「だ、だいじょう……ごほっ」
「まあ、落ち着くまで待っててやるから」
「うっ、ごめんなさい」
私は再びゆっくりとお茶を喉に流し、呼吸を落ち着かせようとした。
アイロスは心配そうな顔でこちらを眺めている。
(今の話って、多分まずいことだよね……? ……どうしよう)
「一々謝らなくていいと、いつも言っているだろう。だが、お前らしいな……」
アイロスは柔らかい口調で小さく呟いていた。
こんな風に優しい雰囲気を見せるようになったのは、本当に最近のことだ。
私が落ち着くのを見計らって、アイロスは話を続けた。
「日頃から頻繁に離宮に通っていたが、あの場所は元々ザシャ様の住まいだからな。そこに戻ったとしても何ら問題は無い。だが今回は状況が違う。ザシャ様が倒れられた時、エミリーの部屋にいた。あんな遅い時刻にお前の部屋にいるなんて、考えられることは一つしかないからな」
「……っ」
アイロスに指摘され、カーッと顔の奥が熱くなるのを感じる。
昨晩は何もなかったが、あの部屋で何度もザシャに愛されていたのは事実だったので否定は出来なかった。
「顔に出し過ぎだ」
「……ごめんなさい」
「何故俺に謝るんだ? 俺は二人の仲を裂きたい訳でもないし、行動に出たのはザシャ様の意思だ。それに対して俺は口出しするつもりはない。それから、お前との婚約が認められたという話も聞いている。だからエミリーが謝る必要はどこにもない」
「アイロスさんも知っていたんですね」
「ああ、昨晩聞いた。バレてしまった以上、お前は堂々としていればいい。何も悪い事はしていないのだからな」
こんな形で、周囲に私達の関係が明るみになるなんて思っても見なかった。
それに下級貴族の私が、簡単に受け入れて貰えるとも思っていない。
先程廊下で向けられた視線には敵意こそ感じられなかったが、戸惑いのようなものはあった。
それは言い変えて見れば、祝福されていないという事だ。
いつかはこの問題で悩むことは分かっていたが、突然過ぎて心の準備が全く追いついていなかった。
そのためどうしたら良いのか分からず、不安を抱いてしまう。
(どうしよう……)
「おい、何故そんな顔をしている」
「え?」
アイロスは不満そうな顔で私のことをじっと見つめていた。
「お前は本当に何も分かっていないな」
「どういう意味ですか?」
アイロスは呆れたような声で呟くと、小さくため息を漏らした。
私は困惑を隠しきれず、眉根を寄せながら問いかける。
「予期せぬ形で周囲に関係がバレた訳だが、悪いことだけでは無いって意味だ。今回のことについて、ザシャ様は近いうちに真意を問われるはずだ。そこで間違いなく、お前を婚約者に選んだことを周囲に公表することになるだろうな。押し切る形にはなるが、陛下が認めた事であれば周囲も納得せざるを得なくなる。これは早くエミリーを婚約者として迎え入れたいという、ザシャ様の願いが叶ったという事だ」
「反発は生まれませんか?」
こんな強引な形で発表してしまうことに、私は戸惑っていた。
ザシャが私のことで色々責められたら……と思うと胸が苦しくなる。
「少し時期が早まったってだけで、大した問題にはならない。キストラー家は王家側に付いているし、ノイマン家も問題は無いだろう。残るはハスラー家だけだが、恐らく大した脅威にはならないはずだ」
「カトリナ様も、ユリアさんも納得しているんですか?」
「お前が知っているかは分からないが、カトリナは既にザシャ様の候補からは外されている。本人の意向でな」
「どうして……」
「お前が候補にならなければ、間違いなくカトリナが婚約者に選ばれていたはずだ。だが、カトリナがここに来たのにはもう一つ大きな目的があったようだ。友人であるエリーザ・ノイマンの死の真相を探るという目的がな」
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