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初恋と命運
妖書
しおりを挟む付きまとわれている。
この得体の知れない変なやつに。
実央は、動揺を隠しつつ後退すると背後に扉を確保する。
まずは安全な逃げ道が必要だ。
「どうして辞めたの?ここならそんなに場所も時給も変わらないよね?」
「え……、っと楽なんですよ。コンビニは暇っていってもやること多いじゃないですか」
「まぁねぇ」
実央は後ろ手でドアノブを回した。
「が、岩梵さんこそ、1人カラオケですか?」
「あーいやぁ?ここだとはかどるからさ、勉強」
テーブルの上に、ノートパソコンと黒い紐で綴られている黄ばんだ表紙の古書が置いてあった。
「なるほど、ではごゆっくり」
実央はその古書に少なからず興味を覚えたが、すぐに目を反らし天井を仰ぎながら平淡に言った。
そうやって個室から出てやっと息をつく。けれど、なんだろう?
この胸がざわつく感じは。
初見のときの怖さはもうなく……ただ焦燥と不安が押し寄せてくる感覚がやけに強い。
「鈴木さん9番の部屋、清掃お願いします」
深夜勤務の先輩バイトから指示を受け、実央は清掃セットを持ってそこへ行った。
9番といえば、岩梵がいた部屋だ。
いつのまに帰ったんだろう。
帰る姿は見なかったな。
室内の照明をつけると、テーブルの上にさっきの古文書が置いたままになっているのが見えた。
「忘れたのか……」
実央はそれを手に取ってペラペラとめくる。
コピー用紙とは違う、厚い和紙の感触が新鮮だった。
何より、その見たこともない文字、というか記号、の連なりに瞬間的に目を奪われ離せなくなっていた。
もちろん日本語でもなく、漢字でもなく実央が知っている範疇には、これに似ているものはなく、何処か外国の古い言語だろうか、と考えた。
大学ではそんな専門的な勉強もするだろう。
ふと目の前が一瞬暗くなり何も見えなくなった。立ちくらみのように数秒程度ぼんやりしたが、じっとして待っているとまた視野が戻った。
そこで不思議なことが起こった。
今までなんの意味もなさなかった、古書の記号のような文面が、突然頭の中で言語らしく連なり始め、苦もなくその内容がすんなり入ってきたのだ。
「虎の毒は棘のある祭魚、これ1匹分で死に至るから、注意すること」
実央はページをめくる。
「大百足の治療中、麻酔が切れこれが暴走。家屋一棟が全焼。人の子二人が巻き込まれる。一人は半妖であるから施さず、一人に虎玉を与えた。虎玉の効力は凡そ人の歳で十三、一時の延命である。後は命運に任せるのみ。大百足の脚を数本固定、外れた顎を元に戻し治療を終える」
実央はその箇所を何度も読み込む。
これは誰かの日記のような、そんなもので、そしてこの……
いや、こんな曖昧で抽象的な内容から、どうして現実に起こった、自分達が経験したあの日の事故が結び付いてしまうんだ?
これは「鈴の家」が燃えたあの日のこと、そうなのだろうか?
まさか、そんなはずはない。
これはただの誰かの古い日記で、作り話で、物語だ。
大百足の治療だって?ハハ、笑える。
人の子どもが二人いて、一人が半妖?
なんだそれ。
妖怪と人間のハーフってことか?
死にそうになっていた一人に何かの延命措置をして、それは十三年しか持たないって?
いや、もっと長いのにしとけよ……。
もし、それが本当なら??
自分か椿のどちらかがハーフで、どちらかは十三年の命ってことか?
いや可笑しいだろ、ハハハ。
「岩梵さん?!」
そうだ、彼にこの本が何なのか聞こう。これはフィクションなんですよね?と。
古書を片手に部屋を出ると、先輩バイトが実央へ声をかけた。
「おい、大丈夫か?めっちゃ顔色悪いけど」
「は、はい?」
「それ、忘れ物?」
先輩バイトが実央が手に持っている書物に目をやって尋ねた。
「あ、これは……あのお客さん知り合いなんで、渡そうと思って、ます」
「ふーん」
「あの人よく来ますか?」
「いいや。今日初めて会員になったお客さん」
「そ、そうか」
「ほんとに平気?少し休む??」
「大丈夫です」
「そ、じゃあ、落ち着いたら8番の清掃頼む。俺、オーダー入ってるから、作ってくる」
「はい、すみません」
先輩バイトが厨房へ入ったところで、実央はカウンターのパソコンから新規の顧客データを検索した。
そして岩梵の住所を覚えた。
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