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初恋と命運
桜飴
しおりを挟む「塾行ってきまーす」
椿は、まるで家族に言うような口調で、診療室にいるヨルと梵天へ声をかけた。
二人はホウキを片手に診察室の片付けをしている。
「あ、椿さん待って」
ヨルが玄関まで来て椿を呼び止めた。
「これを持っていって下さい。試験前に風邪をひかないように」
ローファーを履いた椿が振り返った。
目の前に銀色の丸い缶が差し出されている。
「庭のハーブと桜の蜂蜜を飴にしました。ゆっくり舐めてください、ガリガリ噛んではダメですよ」
「わっ、人間用に作ってくれたんだ嬉しい、ありがとう!」
椿は缶を受け取るとコートのポケットへしまった。
「じゃあ、行ってきまーす!」
「人間用って……椿さんのために用意したんです」
玄関のドアがパタンと閉まり、その声は椿には届かない。
ヨルは玄関脇の小窓から桃色の夕暮れに染まる庭を真っ直ぐ走っていく椿の背中を見送った。
椿は塾の帰り、実央に会うためコンビニへ行った。いつも居残って自習するところを少し早めに切り上げ、母が迎えに来る時間までには戻るつもりだった。
22時を少し過ぎていた、店外から実央の姿を探したが見当たらない。
今日はシフトの入っている曜日のはず、お休みなのかな。
少し迷ったが時間もないので店へ入って聞いてみることにした。
「あれ、この前の早朝ガールさん?」
「あ、こんばんは」
ちょうど店内の事務所から出てきた店長とばったり出会う。
「あの、鈴木さん今日はお休みですか?」
「ああ、鈴木くんか……」
「鈴木さん」
「彼ね、辞めちゃったんだ」
「えっ?!」
「そんな急に言われても困るから、って引き留めたんだよ。なかなか夜やってくれる人いないしね」
「辞めた……、あ、他のバイトとか?」
「知らないなぁ。彼自分のことはなんにも言わないタイプだから。辞める理由も言わなかったな」
「そうですか……」
椿は店を出るとすぐに梵天へ電話をかけた。
「ふーん、そうなの? 知らなかった」
何も知らない、と梵天の素っ気ない返事に椿はいささか憤る。
なんで誰も知らないかな。
連絡先だってくれなかった。
店長に聞いてもきっと教えてくれないだろう。
もう会えない……のかな。
憤りの次にやってきた感情は寂しさだ。
もっと話したかった、もっと、もっと、もっと、たくさん。
会いたかった。
椿は帰りの車のなか、どうにか気持ちの整理をつけようと頑張った。
最初から実央とは会っていない。
そうだ、そう考えよう。
それなのに、椿の頭に浮かんでくるのは
初雪の降るあの日に見た実央の綺麗な横顔と、雪と一緒に舞っていた雪舞蝶だ。
「どうなの調子は」
「最近、急に寒くなってきたから、体調管理にはよりいっそう気を付けないとね」
だから運転席の母親が何度も声をかけていたことに気付かなかった。
「つーちゃん?どうしたの暗い顔して、何かあった?具合でも悪い?」
「うん、平気」
「そう……なんだか顔色が悪いみたい、家に帰ったらお父さんに診てもらいましょう」
「ぜんぜん大丈夫だから」
「寒い?ヒーターの温度上げるわね」
「……」
「大事な時期でしょう、体調崩して試験受けられないなんてことになったら、せっかく頑張ってやってきたことがみんな無駄になっちゃうじゃない」
「気をつける」
頑張ってきたのも私、無駄かどうかを決めるのも私、お母さんは何もしていない……ただちゃんと言うことを聞いて病院を継いでくれるお医者さんが欲しいだけ。
そんな愚痴をつい頭の中で言ってしまう。
でも、本当は違う。
こうやって送迎してくれて、お弁当も作ってくれて、家に帰れば暖かいお風呂もご飯も用意されている。
彼の言う通りレールが敷かれていることは悪いことじゃない、そしてきっととても運がいい。
私はお父さんもお母さんも好きだ。
だから期待に答えたいし喜ぶ姿を見たい。
お医者さんにだってなりたい。
期待されてるからじゃない、それしか道がないからでもない。
私がやりたいと思うから。
人もアヤカシもどちらも助けられる人になりたい。
そのために頑張るんだ。
受験が終わってからにしよう、
彼を探すのは。
「お母さん、手を出して」
椿はポケットから銀色の丸い缶を取り出した。
「どうして?」
「飴あげる」
椿は母が出した手のひらに、ヨルから貰った丸い飴をひとつのせた。
「あら?何かしらこの味……」
母は飴を口のなかで転がしながら考えているようだ。
椿もひとつ口に入れる。
「んんん、春の味?……桜の花」
「かまないで、ゆっくりなめてって」
「戴いたの?塾の先生に?」
「うん、まぁね」
「縁起がいいわ、桜」
「美味しい?」
「美味しい。優しい味ね」
「優しくてそれにほんのり甘い」
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