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初恋と命運
急患
しおりを挟むアヤカシの治療とは、おもにその主の妖気の陰陽を整えることにある。
アヤカシの類は人と同じように免疫機能と治癒力を持っているから、妖気に滞りがない状態であれば傷や病などは自然に治ってしまうものだ。
しかしなんらかの理由で妖気のバランスが崩れると、傷や病がなかなか治らず悪くすればアヤカシといえども死に至ることもある。
妖気の陰陽を薬や治療で整えることが妖医学の概念である。
もちろん必要に応じれば外科的な手術を施すこともあるし、お産を手伝うこともあった。
妖医学の歴史は意外に浅く、ヨルの師匠である水鏡、その師匠である千寿、千寿がこの妖医学を生み出してからは、まだほんの数千年くらいのことである。
大先生と呼ばれる千寿は、今も世界を渡り歩き様々なアヤカシの治療を行い研究している。
その治療の記録を書したものが「妖薬学医術之覚書」という書物であるが、これは他にも日記や雑記という部分も担っている。
その書物の写しがこの診療所の地下にあり、原本は高天原の書物蔵に保管されている。
椿はその書物を読むことが出来ない。
妖気のない人には解読は不可能で、そもそも言語というものではなく文字や記号といった規則性もない。
説明は難しい、人とアヤカシは同じ時や世界を生きているようでそうではないし、出生も存在する過程も様々で、便宜上アヤカシと括るがその範疇は途方もないほど広く、如何せんまとめようがないもの。
椿がヨルから教わったアヤカシ医術の概要は、おもにそんなところである。
アヤカシ同士でも意思の疎通は実は言語ではなく妖気の波長のようなものを使うときがある。
ヨルと梵天もそのよくわからない会話を時々椿の前ですることがあった。
椿はヨルが教えてくれること(おそらくわかりやすい日本語で伝えてくれている)をノートに書きとめ、その都度覚えていた。
薬の名前や効能、作り方、処方の仕方など、それも大雑把な部分だけだ。
初めての患者が来ればまず問診をして、ああ、このアヤカシの種は獅子で属性は温と乾だから、それを促す薬を処方すれば陰陽の道が良くなるだろう、くらいな感じで、その都度覚えて慣れていくのだ。
見当が及ばなければ、薬学医術之覚書で過去に似たような症状の患者がいなかったかを調べたりする。
であるから助手で10年、というのはまったく大袈裟な話ではないし、まして人の椿ではもっとかかることだろう。
さて、診察室は大変な状況である。
何もかもが乱雑に飛び散り、ひっくり返り、壊れている。
しかし幸いにも北側の壁一面にある薬棚だけは奇跡的に難を逃れ無事だった。
椿はヨルが言った薬の名をひとつずつ口にする。
白心丸はおもに痛み止め。
天浄、水盅は、妖気を清め正常にする。
九分の杏菏は熱冷まし。
貴玉は妖気を高め活発にする、いわば気付け薬のようなものだ。
棚の引き出しをあけ、薬紙で包まれたそれらを適当な量持ち出す。包には椿が分かりやすいように漢字でその名が記されている。
椿は薬を入れた四角い薬缶と水差しを持って、和室の襖をそっと開け中を覗いた。
診察室にあったベッドが持ち込まれ、その上に顛が仰向けで寝ていた。
「鬼……って初めて見た」
日本の昔話やお祭りで有名な想像上の鬼とは随分違う。
背格好は普通だし、肌の色も赤くもなければ青くもない、ただ少し開いた口から牙が覗き、おでこに小さな突起がある、その程度じゃないか、お話は盛り過ぎている、と椿は思った。
ヨルは顛のおでこ辺りに手をかざし、そこから腹の辺りまで探るようにゆっくりと診ている。
妖気の様子と滞りを探り悪い箇所を特定しているのだ。
椿はヨルの集中を妨げないよう、そっと入り静かに襖を閉じた。
「脱獄囚を追っている途中で急に倒れたと?」
「はい、いつも元気に飛び回って錫を振り回しているのに……」
顛の足元に立っていた臥鐵が心配そうな顔でヨルを見る。
「妖気がほとんどないようだ」
「え?」
椿だけが声をあげた。
「梵、池から雷魚を」
「血ですね」
「一刻を争う」
梵天は和室の窓を開け庭へ走るとそのまま半ば凍った池へと飛び込んだ。
「椿さん、お湯に黒百合の蜂蜜」
「はい」
「臥鐵くん、君は妖気を分けたことはあるかい?」
「……はい」
「よければ彼に少し分けてくれ」
「わかりました」
「ほんの少しだけでいい、君の気は強いから」
椿は台所へ走り、食品庫の棚から黒い蜂蜜の瓶をとって、大匙できっちり三杯を量り硝子の計量カップへ入れた。
ポットのお湯を100cc注ぎよく混ぜる。
そこへ、虹色に光る鱗を持った魚を咥えた梵天が駆け込んできた。
まな板の上でピチピチとはねるその美しい魚の頭を、椿は包丁に力を込めドンと落とす。
梵天がその頭を持ち、蜂蜜の湯の中へ魚の血を数滴垂らした。
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