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再会と初雪
天蟲(あまむし)
しおりを挟むヨルは、診察室にあつらえてある黒革のソファに埋もれ、ぼんやり庭を眺めている椿を、同じようにぼんやりと眺めていた。
ヨルと椿は同じソファの左端と右端に離れて座っている。
ヨルは芳ばしく香るコーヒーの湯気を心地よく吸い込んで、少しずつ用心しながら啜る。
熱いうちが美味しいのは知っているのだが、猫舌ゆえにそこはある程度冷まさないといけない。
時間がゆったりと過ぎていく。
「なにかありましたか?」
西陽が金色の光を射し込んできた頃、ヨルがようやく声をかけた。
「ヨルせんせ、今日、とても不思議な人を見たの」
「不思議なものならいつもずっと見ているじゃないか」
椿は持っていただけの参考書を脇に置いて、ヨルの白玉のようなつるんと艶めく顔を見た。
「モノじゃなくて、人なんだけど」
「おや」
ヨルも開いていた『怪薬学医術之覚書』を静かに閉じ膝の上へ置くと、椿の血色の良い顔に目を向ける。
「私と同じ目を持った人」
ヨルは一度頷き、彼女の次の言葉を待った。
「あ、でも、ちゃんと聞いたわけじゃなくて、多分そうかなぁって」
ヨルは再びコクりと頷く。
「どうしたらいい?」
椿の黒い瞳がすがるようにヨルを見る。
「どうしたらいいのか……と?」
うん、と今度は椿が頷く。
「もし、そうなら、私と同じものが見える人なら、たくさん話したいことがあるんだけど、そうじゃなければ変なヤツだって思われるだろうし」
ヨルがつり上がった目を細くして、ふふっと笑った。
「椿さんらしくないですね、僕にはなんの躊躇もなく話してきたのに」
「そ、そのときはとても子供だったから」
椿は口をすぼめ恥ずかしそうに下を向いた。
ヨルと椿が出会ってからもう10年以上は経っただろうか……
椿は今習ったばかりの、ゲール作曲「蝶々」の旋律を口ずさみながら母の迎えを待っていた。
今日、秋の発表会用の曲だと、ピアノの先生が新しい楽譜を渡してくれ、お手本に聞かせてくれたのだ。
椿はたった一度聞いただけのその曲をもう覚えてしまっていた。
レッスン中に降っていた雨がすっかりやんでいる。梅雨時のうっとおしい重い雲が、今は少しだけ切れ、その切れ間から日が射していた。
切れ間から覗いた日の光が、濡れた世界を金色に輝かせている。
椿はその儚く美しい輝きを手の中へ閉じ込めようと、足元にあった水溜まりの中へ手を差し入れ遊んでいた。
有名な音大を出た先生が教えている教室は、住宅街の中にある白い洋風の戸建てである。
椿の家から歩いて10分程度の距離だが、母親は車での送迎を好んでいた。
いつもなら椿がピアノ教室から出てくる時間には到着して待っているのだが、今日は珍しいことに母親はまだ来ていないようだ。
椿は向かいの家の玄関から、白衣を着た背の高い男が出てきたのに気付く。
右手には長い木の棒と、左手には銀色のバケツを持っている。
男が出てきた家は三角屋根から煙突か伸びる古い左右対称の洋館で、煉瓦を積んだ外壁には蔦が絡まり怪しい雰囲気である。
壁の側を槍のような鉄柵がぐるりと囲み、門は鉄のアーチと植物装飾が美しく見事なものだった。
そんな外観はどこか人を寄せ付けないような荘厳さを漂わせていたが、絵本に出てくる魔女の家のようだと、椿はこの家が好きで気に入っていた。
ピアノ教室には1年生の頃からもう3年も通っていたが、この魔女の家の住人を見るのは初めてのこと。
家の古さから年老いた夫婦とか、あるいは本当に魔女が住んでいると半ば思っていたので、白衣を着た若いお兄さん風の人物が出てきたことに驚いた。
男は玄関脇にある、青い葉がこんもり茂った大木を見上げている。
春と秋にはオレンジ色のとても良い香りのする小さな花を咲かせる金木犀だ。
しばらく見上げていた男は、狙いを定めたように、手に持った棒で枝を揺らした。
パラパラと雨の雫が落ちてきた。
男はおもむろにそこへしゃがみこむと、落ちてきた雫の中から何かをつまんでポンポンとバケツへ放り込んでいる。
「その子達をどうするの?!」
男は驚いた顔で、門の外へ立つ椿を見た。
椿は門の鉄柵を掴み「銀色の天蟲」がうにょうにょと蠢いているバケツを指さしている。
「これが見えるの?」
男は立ち上がると椿へ近づきバケツの中を見せ、不思議そうに彼女を見つめた。
「うん、お兄さんも見えるんでしょう!?」
椿は喜びに満ち溢れた顔で男を見た。
「驚いた」
男は椿を繁々と眺める。
「なんていう生き物なの? 名前はあるの? それをどうするの?」
椿は興奮して矢継ぎ早に男へ質問する。
男はバケツの中にいる銀色の豆粒のようなものを見てから、再度椿の顔を見つめ、やがて口を開いた。
「天蟲というんだ、薬にする」
「あまむし?! くすり? くすりになるの?!」
「薬になる蟲は多いんだ、他にも雪羽や風足なんかも」
「ゆき? かせ? それってどんなの?」
椿は門の鉄柵をギュッと握り顔を張り付けると、目を輝かせ尋ねた。
「つーちゃん!」
背後で母の厳しい声が聞こえた。
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