2 / 51
山猫ヨルの妖(あやかし)診療所-ご案内
美しいヨルの庭
しおりを挟む美しい朝だ。
ヨルは診察室の両開きの窓を開け放った。
暑くも寒くもない、風もなく、緩やかな日差しが温かく心地が良い。
こんなに穏やかでさっぱりとした朝は、一年のうちでもそう滅多にありはしない。
庭の端にある瓢箪池の周りに白水仙が咲いている。
程なくして診察室は清々しく甘い香りで充たされた。
ヨルは黒いジャケットをコートかけに預け、代わりに三つ巴のベストの上に白衣を羽織った。
診療は作業がしやすいよう、人の像を取っていた。
真の姿は体長3m、黒い長毛に銀白色のブチ模様がある大山猫の妖である。
生まれは東北の人里離れた山奥で、妖のなかでも田舎出身、そのせいか性格は温厚でぼくとつとしている。
人像は高身長、長くすっきりした首に小さな頭、尖った顎のシャープな輪郭は猫由来の面影を写している。
トチの実色の前髪を目の上にさらりと落とし、20歳そこそこかと幼く見せているが、実年齢はゆうに百歳を越えていた。
雪のように白く透明な肌に深緋色の唇でアヒル口、大きな一重の切れ長の涼しい目元は髪の色と同じ、トチの実色である。
「ううーん」
ヨルは両手をそらに突き上げ軽く伸びる。
そしてクイックイッと左右へ腰を捻った。
それから北側の壁一面にあつらえた薬棚へ向かう。
たくさんある引き出しの中から迷わずにそこを開ける。
引き出しの全面の小表札には、朱色の、とだけ記してある。
そこから褐色の布巾着を取り出して、診察室の隅に置いた作業台へ赴くと、そこの回転椅子にあさく座った。
作業台の椅子からも50坪程の庭が見渡せる。
様々な植物が育つ庭は、四季折々でその景色を変えた。
今は緑は少なく、水仙の他に待雪草が凛と咲き、椿は紅色の固い蕾をつけ咲き頃を伺う。
ヨルは作業机に重ねて置いてある乳鉢をひとつとり、巾着の中身をそこへ落とした。
山梔子の実がふたつ白い鉢の中に転がる。
「ヨル先生、助手募集の張り紙は、こんなものでどうでしょうかね?」
庭を見ながら涼やかな顔でコーヒーを啜っているヨルに、白い毛むくじゃらの細長い生きものが声をかけた。
顔はカワウソのようで、からだつきはイタチのようである。
「ああ、もう寒い」
白い毛むくじゃらは手に持っていたA4の用紙を口に咥え、ひょいひょいとヨルの診察机に上り、両開きの硝子扉を両足と尻尾とを器用に使いパタリと閉じた。
ヨルは少し残念そうに閉じられた窓を作業台の椅子から眺めている。
「ヨル先生」
毛むくじゃらはそれから作業台の机へと駆け上がってきて、ついっと二本足で立ってヨルの前へ紙を掲げた。
ヨルは椅子をくるりと回転させ彼と向き合い、その紙に目をやる。
彼のからだはA4の用紙の後ろにほぼ隠れてしまい、小さな黒い手だけが見えていた。
「助手求ム、年齢経験問ワズ、住ミ込ミ可、ヨル診療所」
ヨルが読もうとする前に、彼が声高に読み上げたので、ヨルの口は少しだけ開いたまま止まった。
紙の向こうから、彼がひょっこりと顔を覗かせた。丸く艶々とした黒い瞳でヨルを見ている。
ヨルは毛筆で書かれたそれと、彼の大きな丸い目を交互に見比べ、
「達筆……」
「上手でしょう?尻尾の捌きにはちょいと自信があるんですよ」
達筆だな、と言おうとしたヨルの口はまた中途半端に開いたまま。
「どこに貼りましょう。玄関扉ですか?それとも壁の方が良いですか?」
「まかせるよ」
「そうですか、それでは今すぐ貼り付けて参ります」
「ありがとう、よろしくたのみます」
彼は大きな口で紙を咥え、ひょいっと床へ飛びおりた。
そして飴色の古い板張りの床を滑るように進み、診察室の引き戸と壁とのほんの数センチの隙間から抜け出ていった。
「忙わしない」
ヨルは誰に言うでもなく独り呟き、またコーヒーを啜り庭の趣を楽しむ。
作業台の乳鉢の中では綺麗な黄朱色の粉薬が出来ていた。
「本当に良い朝だ」
梅の木に小さな訪問者が舞い降りた。
枝に挿した蜜柑の実をついばみに来たのだ。1羽、また1羽とやってきて橙色の果実をつついた。
その様子を見て、ヨルは微笑む。
「おはよう小さい子達」
☆☆☆
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
世界的名探偵 青井七瀬と大福係!~幽霊事件、ありえません!~
ミラ
キャラ文芸
派遣OL3年目の心葉は、ブラックな職場で薄給の中、妹に仕送りをして借金生活に追われていた。そんな時、趣味でやっていた大福販売サイトが大炎上。
「幽霊に呪われた大福事件」に発展してしまう。困惑する心葉のもとに「その幽霊事件、私に解かせてください」と常連の青井から連絡が入る。
世界的名探偵だという青井は事件を華麗に解決してみせ、なんと超絶好待遇の「大福係」への就職を心葉に打診?!青井専属の大福係として、心葉の1ヶ月間の試用期間が始まった!
次々に起こる幽霊事件の中、心葉が秘密にする「霊視の力」×青井の「推理力」で
幽霊事件の真相に隠れた、幽霊の想いを紐解いていく──!
「この世に、幽霊事件なんてありえません」
幽霊事件を絶対に許さない超偏屈探偵・青木と、幽霊が視える大福係の
ゆるバディ×ほっこり幽霊ライトミステリー!
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。
石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。
自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。
そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。
好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。
この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

大神様のお気に入り
茶柱まちこ
キャラ文芸
【現在休載中……】
雪深い農村で育った少女・すずは、赤子のころにかけられた呪いによって盲目となり、姉や村人たちに虐いたげられる日々を送っていた。
ある日、すずは村人たちに騙されて生贄にされ、雪山の神社に閉じ込められてしまう。失意の中、絶命寸前の彼女を救ったのは、狼と人間を掛け合わせたような姿の男──村人たちが崇める守護神・大神だった。
呪いを解く代わりに大神のもとで働くことになったすずは、大神やあやかしたちの優しさに触れ、幸せを知っていく──。
神様と盲目少女が紡ぐ、和風恋愛幻想譚
大正石華恋蕾物語
響 蒼華
キャラ文芸
■一:贄の乙女は愛を知る
旧題:大正石華戀奇譚<一> 桜の章
――私は待つ、いつか訪れるその時を。
時は大正。処は日の本、華やぐ帝都。
珂祥伯爵家の長女・菫子(とうこ)は家族や使用人から疎まれ屋敷内で孤立し、女学校においても友もなく独り。
それもこれも、菫子を取り巻くある噂のせい。
『不幸の菫子様』と呼ばれるに至った過去の出来事の数々から、菫子は誰かと共に在る事、そして己の将来に対して諦観を以て生きていた。
心許せる者は、自分付の女中と、噂畏れぬただ一人の求婚者。
求婚者との縁組が正式に定まろうとしたその矢先、歯車は回り始める。
命の危機にさらされた菫子を救ったのは、どこか懐かしく美しい灰色の髪のあやかしで――。
そして、菫子を取り巻く運命は動き始める、真実へと至る悲哀の終焉へと。
■二:あやかしの花嫁は運命の愛に祈る
旧題:大正石華戀奇譚<二> 椿の章
――あたしは、平穏を愛している
大正の時代、華の帝都はある怪事件に揺れていた。
其の名も「血花事件」。
体中の血を抜き取られ、全身に血の様に紅い花を咲かせた遺体が相次いで見つかり大騒ぎとなっていた。
警察の捜査は後手に回り、人々は怯えながら日々を過ごしていた。
そんな帝都の一角にある見城診療所で働く看護婦の歌那(かな)は、優しい女医と先輩看護婦と、忙しくも充実した日々を送っていた。
目新しい事も、特別な事も必要ない。得る事が出来た穏やかで変わらぬ日常をこそ愛する日々。
けれど、歌那は思わぬ形で「血花事件」に関わる事になってしまう。
運命の夜、出会ったのは紅の髪と琥珀の瞳を持つ美しい青年。
それを契機に、歌那の日常は変わり始める。
美しいあやかし達との出会いを経て、帝都を揺るがす大事件へと繋がる運命の糸車は静かに回り始める――。
※時代設定的に、現代では女性蔑視や差別など不適切とされる表現等がありますが、差別や偏見を肯定する意図はありません。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。

【完結】新皇帝の後宮に献上された姫は、皇帝の寵愛を望まない
ユユ
恋愛
周辺諸国19国を統べるエテルネル帝国の皇帝が崩御し、若い皇子が即位した2年前から従属国が次々と姫や公女、もしくは美女を献上している。
既に帝国の令嬢数人と従属国から18人が後宮で住んでいる。
未だ献上していなかったプロプル王国では、王女である私が仕方なく献上されることになった。
後宮の余った人気のない部屋に押し込まれ、選択を迫られた。
欲の無い王女と、女達の醜い争いに辟易した新皇帝の噛み合わない新生活が始まった。
* 作り話です
* そんなに長くしない予定です
男装官吏と花散る後宮〜禹国謎解き物語〜
春日あざみ
キャラ文芸
<第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。応援ありがとうございました!>
宮廷で史書編纂事業が立ち上がると聞き、居ても立ってもいられなくなった歴史オタクの柳羅刹(りゅうらせつ)。男と偽り官吏登用試験、科挙を受験し、見事第一等の成績で官吏となった彼女だったが。珍妙な仮面の貴人、雲嵐に女であることがバレてしまう。皇帝の食客であるという彼は、羅刹の秘密を守る代わり、後宮の悪霊によるとされる妃嬪の連続不審死事件の調査を命じる。
しかたなく羅刹は、悪霊について調べ始めるが——?
「歴女×仮面の貴人(奇人?)」が紡ぐ、中華風世界を舞台にしたミステリ開幕!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる