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第3章 帰らぬ善者が残したものは
9話 失ったもの ????
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「ザウ レウレス セオド ウォイ グニウリーグナウ!」
意識を取り戻した少年が最初に聞いたのは、ドスのきいたハスキーボイスだった。声の質からして女性だろうが、その迫力に驚き、少年のぼやけていた意識がハッキリとする。
目のあたりにズキズキと鋭い痛みを感じるが、意識を失う前よりは僅かに弱くなっているように思えた。
「ヘウ リウコ」
男性の声がすぐそばで聞こえると、床を何かが擦れる音が少年の耳に届く。相変わらず目の前は真っ暗で何も見えない。瞼は何かで押さえられて、頭の周りに何かがまかれているような感覚がある。恐る恐る近づけた少年の指に触れたのは、表面がザラザラしていてそれでいて柔らかいもの。それが包帯であると気付くまでさほど時間はかからなかった。
「ウォウ セオド ウォイ グニクルジナ?」
別の女性の声が少し離れたところから聞こえたかと思うと、革靴に似た足音と共にカチャッカチャッと金属が擦れる音が近づいてくる。
「誰!?……ここは!?……えっと……ホワット……じゃなくて」
日本語でなければ英語で……少年は頭の中で単語や文法を思い出そうとするも文章が組み上がらない。英語は今後必要になるだろうと思って必死に勉強した。日常会話程度なら外国人とも会話できた。
冷静になれと何度も自分に言い聞かせるが、初めての経験と焦りが少年の思考を狂わせる。
『これで、話が通じるかしら?』
少年は状況がうまく飲み込めなかった。外国人と英語で会話しているときと似ていると少年は考えたが、根本的な何かが違う。
女性が話しているのは、先ほどまでと変わらぬ聞いたことのない言語だ。なのに今は、彼女の話している言葉がわかる。日本語が聞こえているわけではないし、彼女の話している単語の意味すらわからないはずなのに。
『あの……これ……』
少年は何故か言葉が通じるかもしれないと考え、話しかけてきた女性に質問を投げかける。聞きたいことが多すぎて何から聞いたらいいかわからなくなっていた少年は、思わず自分の顔に巻かれている包帯に触れる。
『目にひどい怪我をしていたから治療を』
『モーテ! 敵かもしれない奴に優しくする必要なんてないよ!』
『大きい声出さないで、ネーシャ。相手はまだ子供だよ?』
『子供に見えるだけかもしれませんよ。東の大陸にも背の小さい種族がいるでしょう』
『ヒュートも!? なんでよォォォ』
『目を覚ましたんだ。直接吐かせりゃいい』
女性の声と共に強い力で胸ぐらを掴まれ、少年はベッドから引き摺り下ろされる。冷たい石の床にぶつけた頭を押さえながら、少年は膝を曲げて体を縮める。どうしてこんな目に……そんな考えが頭をよぎる。
『テメエの目的はなんだ!? 素直に白状すれば、苦しむ前に楽にしてやる!』
「もっ……目的?」
女性の言っている意味が少年には理解できない。どうしてこの場にいるのかすらわからない。返すべき言葉はそう決めているのに、女性の声に含まれた怒気が少年の喉を締め上げる。
『惚けても無駄だ、シフキィの少年。あの場所には君以外誰もいなかった。我々が到着する前に下山した者も確認されていない。君以外いないんだよ、ロドを開いた者は』
少年の耳元で呟かれる落ち着いた様子の男性の声。しかし、穏やかとは言い切れないそれを聞いて少年の背筋に冷たいものが走る。
『盟約に反いた者を生かしておくわけにはいかないんだ」
「ロド?……開く?……盟約?……」
『……副長、どう?』
『魔力を使う様子は全くない。目的があって来た割には何も道具を持ってないし、体も大して鍛えてない。今回は団長の勘が当たっているかもな」
『ってことは、もう怒鳴らなくていい? 結構疲れんのよ』
『え? 2人とも何言ってるの?』
『試したんだよ』
『試した?』
『ロドを扱えるなら少なくとも魔力の扱いを知ってるはずです。少し手荒い対応をとって、様子を伺ってました。感情の乱れが出れば、無意識に魔力の放出が確認できるはずですから』
『なんで相談してくれないの!』
『アンタ、演技なんてできないでしょ』
『ひどいよぉ』
それまでの張り詰めていた空気が、団長と呼ばれる女性の声で一気に色を変えていく。
少年は地面に手をついて体を起こす。目のあたりの痛みと見えないこと以外は特に問題ないように思えたが、妙に体が強張る。
『手荒な真似をしてすまなかった。立てるか?』
「あっ……はい」
脇の下に入れられた腕に持ち上げられ、少年はゆっくりと立ち上がる。しかし、ふらついてじっとしていられない。地面が揺れているわけではないのに、平衡感覚が狂ったような錯覚に陥っている。
『ヒュート、ベッドに座らせな。まだ立たせるのは危ないよ』
『わかった』
誰かに支えられながら、少年は一歩ずつ慎重に足を運ぶ。そして自分が寝ていたであろうベッドに近づき、少し硬いマットの上に腰を下ろす。
『今まで見えてたものが見えなくなると、自分の状態をうまく掴めなくなんのよ。慣れるまでは壁とかに掴まって動きな』
少年の耳が女性のハスキーボイスの接近を聞き取ると、少年は思わず身構える。
『さっきは悪かったね。目の包帯を取らせてもらうよ』
女性はそういうと、少年の頭の後ろに腕を回し包帯の結び目を解いていく。少年の額には冷たく硬いものが当たり、かすかに柑橘系の果実のようないい匂いがする。
『やっぱり厳しい?』
『傷は目玉に到達してたし、時間も経ってた。元の状態に戻ることはないよ』
巻かれていた包帯と傷に貼られた布が取り外される。しかし少年は瞼を開かない。
『目ぇ開けてみな?』
『もしかして開かない? 瞼上がらない!?』
『団長がまず落ち着いてください』
女性たちの会話は少年に入っていかない。いや、聞こえてはいるし喋ってる中身も理解できているが、それどころではなかった。
(傷が目玉に……眼球に到達?……失明ってこと?……)
瞼を開けて何も見えなかったら……そんな考えが少年の頭をぐるぐる駆け回り、瞼を開ける動作を阻害する。
『少年』
男性の声が聞こえた次の瞬間、少年の瞼が強引に持ち上げられた。抵抗も虚しく、少年は自分の目で部屋の様子を確認することになる。
『少年、何が見える』
「……白いのが少しだけ……それだけ……」
声は聞こえているが人の姿は映らない。彼の目が捉えている白いものが一体何かもわからない。それを理解した途端、少年の目から雫がスーッと頬を流れていく。
『それが現実だ。過去は変えられない。過去があるからこそ私たちは生きている。受け入れるしかないんだ』
顔を離れた男性の手がそっと、少年の頭に乗せられる。自身の心の内を見透かしているかのような男性の言葉は、少年が作っていた壁を取り払い、言葉にならない声と共に不安と悲しみの感情を部屋の中に響かせる。この少年は巻き込まれた「ただの子供」だ。そう判断するには十分だった。
『少年、名前は?』
「……え?」
『いつまでも少年と呼ぶのは失礼だからな。俺はヘイオル ヒュート。他にいるのは』
「私はね、モーテ! イエリリーア モーテよ!』
『アタシはキャヒボア ネーシャ。さっきは悪かったね』
それぞれが名前を名乗ると、少年は濡れた頬を手で拭い呼吸を整えていく。
「稲葉……光秀です」
『えーっと、どっちが名前なの? 私だったらモーテが名前ね』
「光秀が……名前です」
『へぇ、アタシらと同じなんだ』
『ミツヒデ、先ほどの場所で私たちと会う前のことを詳しく聞かせてもらえないだろうか? 君を元の世界に帰すためにも重要なんだ』
『ヒュート、それは後にしてお茶にしましょうよ。この子だって、丸一日寝てたんだからお腹もすいてくるはずよ』
空腹を知らせる合図が少年の腹から聞こえる。しかし、一つではなかった。少年のよりもはるかに大きな音がすぐ側で鳴り響いた。
『モーテ……アンタね……』
『いやその……報告とか色々あってまだご飯が……』
『さっきつまんでいたでしょう?』
『……私だって好きでお腹鳴らしたわけじゃ……』
再び女性の腹からグゥゥゥゥゥッと音が鳴り響き、それを聞いた2人の深いため息が少年の頬の緊張を解いていった。
******
「すみません。これも仕事なので」
「わかってるわ」
神奈川県内のとあるマンションの1室。黒いスーツ姿の男2人が棚や押入れの中を漁っている。床は調べ終えたものが無造作に投げ出され足の踏み場が少ない。
それを呆れた様子で見つめる赤縁のメガネをかけた 1人の女性。ブルネットの短いショートボブヘアの彼女の名前は朝比奈 茉陽。行方不明となっている朝比奈 護の妻である。一人息子である5歳の勇人は怖がっている様子で、男たちを見つめながら茉陽の足にしがみついている。そして彼女の横には、調べ物をする2人の部下を見守る真面目そうな黒髪の男が1人。他の2人と違って黒いつなぎのような服を身に纏う彼は、法執行機関日本支部所属 西海 進捜査員。この部屋の捜索を指示されたチームのリーダーである。
「でも、怪しいことをしてたら流石に私が気付くわよ」
「愛し理解していると思う人のことほど、実はわかっていないものっていいますから」
「確かアメリカの作家の言葉よね。先輩としてはその教養の高さを喜ぶべきかな」
「いえ、そんな。海外ドラマでたまたま見ただけですよ」
「それでも十分立派な知識よ。ところで、そこの2人に注意しなくていいの?」
「……何のことです?」
茉陽は笑顔であったが、その目に見つめられた男は彼女の瞳の奥から向かってくる圧力を感じ思わず姿勢を正した。
彼女の声を聞いて、部屋の中を調べていた2人も作業を止めて西海の方に目を向ける。
「……多少荒くなって申し訳ありませんが、2人ともちゃんと調べていますよ」
「そうかしら」
不敵な笑みを浮かべる彼女の肩にいつのまにか小さなネズミが乗っている。本物ではない。クレヨンで書いた子供の落書きのようなおかしな体をしたネズミであった。
「調査機関の行う調査と、法執行機関のする捜査は根本的に違うわ」
「それはわかってます」
「なら、まずやるべきは?」
茉陽の態度に西海はかつての研修時代を思い出す。彼が入りたての頃、何度か茉陽が指導する訓練を受けたことがある。優しく見えて突然鋭い質問を飛ばしてくる彼女に恐怖を覚える研修生も少なくなかった。
「発光結晶の反応確認と適切な魔道具を用いた容疑者の動向確認。物的証拠の確認はそれからです」
「わかってるならどうして」
「調査機関で所有している魔道具や発光結晶のほとんどが、朝比奈 護名義で持ち出されていて行方不明なんです。今ある分は光の柱の捜査に持っていかれており、協会が大急ぎで複製を準備してますが」
「護が……そんなこと……」
茉陽の視線から力が薄れ左右に彷徨い始める。
魔道具の持ち出しには本人の魔法使い登録証が必要となる。偽造はもちろん不可能。誰かの代行だったとしても、取りに行った本人の名前で持ち出される。
「私も朝比奈支部長の仕事ぶりは知ってますし、罪を犯すような方じゃないと信じたいですが、あの光の柱の発生場所に向かったという情報もある以上は」
事件現場に行って行方がわからない人物が、調査に必要な魔道具を大量に持ち出す。それを「何を起こしたのか知られないようにした」と捉えるのは決して間違った行動では無い。元捜査員であるからこそ、茉陽はそれを理解出来てしまう。そういった相手に対し法執行機関がどう動くのかも……。
とまどいを隠せぬまま、茉陽は自分の頭を支えるように額を右手で押さえる。
「疑わしきは速やかに調べる……正しい判断だと思うわ」
「ご理解いただけましたか」
「でも、それならその胸ポケットに入ってるそれは何? てっきり調査用の魔道具を持ってるのかと思ったんだけど」
茉陽のその言葉が聞こえたところで、捜査員たちは視界の外にいたそれらの存在に気が付く。押入れの奥、棚の裏、食器棚の上……まるで捜査員たちを監視するかのように小さなネズミたちがじっと見ている。よく見ればそれらは皆、茉陽の肩に乗っているのと同じだ。
「ごめんなさいね。子供に何かあったら困るから、いつも家中にいるのよ」
「なるほど。先ほどの質問はそのせいですか」
そういって男が上着の内ポケットから出したのは、カナビラとチェーンに繋がった石。ネックレスのようにも見れるが、チェーンはそれほど長くはない。
「魔道具なのは間違いないですが、これはうちのものですよ。上から携帯するようにとの指示が出ているものですから」
「他の2人も?」
「ええ。犯人の危険度が不明ということです、行動中の全捜査員に同様の指示が」
「そう……」
捜索を再開する2人の捜査員を茉陽が一瞥する。その視線に西海は妙な違和感を覚える。まるで、彼女自身がこの部屋の捜査に来ているかのような。
「そろそろ調べ尽くしたと思うが、どうだ?」
「これといって、今回の件と関係ありそうなものは見当たりませんね」
「こっちもです」
「そうか……ならいったん引き上げよう。朝比奈さん、また何か分かりましたらご連絡しますので」
「そうしてもらえると助かるわ」
西海たちは丁寧なお辞儀をして玄関から出ていく。インターホンのカメラ越しに彼らがエレベーターの方へ去っていくのを確認すると、茉陽は己の魔力で構築した膜を広範囲に向かって断続的に広げていく。そうやって確認するのは、マンション内の人間と西海たち、そしてマンション外にいる雑踏の動き。
「気にしすぎかな」
ニュースにもなっている光の柱の発生から容疑者として名前が上がり、家まで捜査員がやってくるまであまりにも早すぎる。茉陽はそう感じずにはいられなかった。護の過去が知られたのかとも思ったが、西海の様子からそれは考えにくい。
もし仮に護が犯人だったのなら、むしろ別の人物に疑いが向くようにしているはずである。そう考えた時、彼女の中に生まれたのは誰かが夫を陥れようとしているのではないかという疑念。そして、その矛先は今日来た3人の捜査員やこのマンションの住人、そしてここを目視できる外の人々に向いていた。
「かといって私は動けないし……」
あくまで茉陽の想像であり確証があるわけではない。それに容疑者の家族が動けば、証拠隠滅に動いていると思われ護の状況は悪くなる。
もどかしい。連絡の繋がらない家族が困っているかも知れないというのに、頭の中ではどこをどう調べようかという案が次々と浮かんでいるというのに。
「パパ、わるいことしたの?」
足から離れようとしない勇人が考え込んでる母親の顔色を窺っている。幼いとはいえ、来年には小学校に上がる年だ。この状況を見て何かを察したのだろう。不安が顔に色濃く出ている我が子を見て、茉陽はニコッと笑顔を見せると少年の頭をそっと撫でる。
「そんなことないよ。だってパパは悪い人を捕まえる正義の味方だもんね。さっ、お片づけしなくちゃ。勇人も手伝ってくれる?」
「うん!」
茉陽の足を離れ、勇人は床に散らかった荷物を小さな手で拾っていく。そんな子供の様子を見て心を穏やかにすると、茉陽は携帯の電話帳から1人の人物の名を選び電話をかける。
「あっ、茉陽です。ご無沙汰してます、日之宮隊長」
意識を取り戻した少年が最初に聞いたのは、ドスのきいたハスキーボイスだった。声の質からして女性だろうが、その迫力に驚き、少年のぼやけていた意識がハッキリとする。
目のあたりにズキズキと鋭い痛みを感じるが、意識を失う前よりは僅かに弱くなっているように思えた。
「ヘウ リウコ」
男性の声がすぐそばで聞こえると、床を何かが擦れる音が少年の耳に届く。相変わらず目の前は真っ暗で何も見えない。瞼は何かで押さえられて、頭の周りに何かがまかれているような感覚がある。恐る恐る近づけた少年の指に触れたのは、表面がザラザラしていてそれでいて柔らかいもの。それが包帯であると気付くまでさほど時間はかからなかった。
「ウォウ セオド ウォイ グニクルジナ?」
別の女性の声が少し離れたところから聞こえたかと思うと、革靴に似た足音と共にカチャッカチャッと金属が擦れる音が近づいてくる。
「誰!?……ここは!?……えっと……ホワット……じゃなくて」
日本語でなければ英語で……少年は頭の中で単語や文法を思い出そうとするも文章が組み上がらない。英語は今後必要になるだろうと思って必死に勉強した。日常会話程度なら外国人とも会話できた。
冷静になれと何度も自分に言い聞かせるが、初めての経験と焦りが少年の思考を狂わせる。
『これで、話が通じるかしら?』
少年は状況がうまく飲み込めなかった。外国人と英語で会話しているときと似ていると少年は考えたが、根本的な何かが違う。
女性が話しているのは、先ほどまでと変わらぬ聞いたことのない言語だ。なのに今は、彼女の話している言葉がわかる。日本語が聞こえているわけではないし、彼女の話している単語の意味すらわからないはずなのに。
『あの……これ……』
少年は何故か言葉が通じるかもしれないと考え、話しかけてきた女性に質問を投げかける。聞きたいことが多すぎて何から聞いたらいいかわからなくなっていた少年は、思わず自分の顔に巻かれている包帯に触れる。
『目にひどい怪我をしていたから治療を』
『モーテ! 敵かもしれない奴に優しくする必要なんてないよ!』
『大きい声出さないで、ネーシャ。相手はまだ子供だよ?』
『子供に見えるだけかもしれませんよ。東の大陸にも背の小さい種族がいるでしょう』
『ヒュートも!? なんでよォォォ』
『目を覚ましたんだ。直接吐かせりゃいい』
女性の声と共に強い力で胸ぐらを掴まれ、少年はベッドから引き摺り下ろされる。冷たい石の床にぶつけた頭を押さえながら、少年は膝を曲げて体を縮める。どうしてこんな目に……そんな考えが頭をよぎる。
『テメエの目的はなんだ!? 素直に白状すれば、苦しむ前に楽にしてやる!』
「もっ……目的?」
女性の言っている意味が少年には理解できない。どうしてこの場にいるのかすらわからない。返すべき言葉はそう決めているのに、女性の声に含まれた怒気が少年の喉を締め上げる。
『惚けても無駄だ、シフキィの少年。あの場所には君以外誰もいなかった。我々が到着する前に下山した者も確認されていない。君以外いないんだよ、ロドを開いた者は』
少年の耳元で呟かれる落ち着いた様子の男性の声。しかし、穏やかとは言い切れないそれを聞いて少年の背筋に冷たいものが走る。
『盟約に反いた者を生かしておくわけにはいかないんだ」
「ロド?……開く?……盟約?……」
『……副長、どう?』
『魔力を使う様子は全くない。目的があって来た割には何も道具を持ってないし、体も大して鍛えてない。今回は団長の勘が当たっているかもな」
『ってことは、もう怒鳴らなくていい? 結構疲れんのよ』
『え? 2人とも何言ってるの?』
『試したんだよ』
『試した?』
『ロドを扱えるなら少なくとも魔力の扱いを知ってるはずです。少し手荒い対応をとって、様子を伺ってました。感情の乱れが出れば、無意識に魔力の放出が確認できるはずですから』
『なんで相談してくれないの!』
『アンタ、演技なんてできないでしょ』
『ひどいよぉ』
それまでの張り詰めていた空気が、団長と呼ばれる女性の声で一気に色を変えていく。
少年は地面に手をついて体を起こす。目のあたりの痛みと見えないこと以外は特に問題ないように思えたが、妙に体が強張る。
『手荒な真似をしてすまなかった。立てるか?』
「あっ……はい」
脇の下に入れられた腕に持ち上げられ、少年はゆっくりと立ち上がる。しかし、ふらついてじっとしていられない。地面が揺れているわけではないのに、平衡感覚が狂ったような錯覚に陥っている。
『ヒュート、ベッドに座らせな。まだ立たせるのは危ないよ』
『わかった』
誰かに支えられながら、少年は一歩ずつ慎重に足を運ぶ。そして自分が寝ていたであろうベッドに近づき、少し硬いマットの上に腰を下ろす。
『今まで見えてたものが見えなくなると、自分の状態をうまく掴めなくなんのよ。慣れるまでは壁とかに掴まって動きな』
少年の耳が女性のハスキーボイスの接近を聞き取ると、少年は思わず身構える。
『さっきは悪かったね。目の包帯を取らせてもらうよ』
女性はそういうと、少年の頭の後ろに腕を回し包帯の結び目を解いていく。少年の額には冷たく硬いものが当たり、かすかに柑橘系の果実のようないい匂いがする。
『やっぱり厳しい?』
『傷は目玉に到達してたし、時間も経ってた。元の状態に戻ることはないよ』
巻かれていた包帯と傷に貼られた布が取り外される。しかし少年は瞼を開かない。
『目ぇ開けてみな?』
『もしかして開かない? 瞼上がらない!?』
『団長がまず落ち着いてください』
女性たちの会話は少年に入っていかない。いや、聞こえてはいるし喋ってる中身も理解できているが、それどころではなかった。
(傷が目玉に……眼球に到達?……失明ってこと?……)
瞼を開けて何も見えなかったら……そんな考えが少年の頭をぐるぐる駆け回り、瞼を開ける動作を阻害する。
『少年』
男性の声が聞こえた次の瞬間、少年の瞼が強引に持ち上げられた。抵抗も虚しく、少年は自分の目で部屋の様子を確認することになる。
『少年、何が見える』
「……白いのが少しだけ……それだけ……」
声は聞こえているが人の姿は映らない。彼の目が捉えている白いものが一体何かもわからない。それを理解した途端、少年の目から雫がスーッと頬を流れていく。
『それが現実だ。過去は変えられない。過去があるからこそ私たちは生きている。受け入れるしかないんだ』
顔を離れた男性の手がそっと、少年の頭に乗せられる。自身の心の内を見透かしているかのような男性の言葉は、少年が作っていた壁を取り払い、言葉にならない声と共に不安と悲しみの感情を部屋の中に響かせる。この少年は巻き込まれた「ただの子供」だ。そう判断するには十分だった。
『少年、名前は?』
「……え?」
『いつまでも少年と呼ぶのは失礼だからな。俺はヘイオル ヒュート。他にいるのは』
「私はね、モーテ! イエリリーア モーテよ!』
『アタシはキャヒボア ネーシャ。さっきは悪かったね』
それぞれが名前を名乗ると、少年は濡れた頬を手で拭い呼吸を整えていく。
「稲葉……光秀です」
『えーっと、どっちが名前なの? 私だったらモーテが名前ね』
「光秀が……名前です」
『へぇ、アタシらと同じなんだ』
『ミツヒデ、先ほどの場所で私たちと会う前のことを詳しく聞かせてもらえないだろうか? 君を元の世界に帰すためにも重要なんだ』
『ヒュート、それは後にしてお茶にしましょうよ。この子だって、丸一日寝てたんだからお腹もすいてくるはずよ』
空腹を知らせる合図が少年の腹から聞こえる。しかし、一つではなかった。少年のよりもはるかに大きな音がすぐ側で鳴り響いた。
『モーテ……アンタね……』
『いやその……報告とか色々あってまだご飯が……』
『さっきつまんでいたでしょう?』
『……私だって好きでお腹鳴らしたわけじゃ……』
再び女性の腹からグゥゥゥゥゥッと音が鳴り響き、それを聞いた2人の深いため息が少年の頬の緊張を解いていった。
******
「すみません。これも仕事なので」
「わかってるわ」
神奈川県内のとあるマンションの1室。黒いスーツ姿の男2人が棚や押入れの中を漁っている。床は調べ終えたものが無造作に投げ出され足の踏み場が少ない。
それを呆れた様子で見つめる赤縁のメガネをかけた 1人の女性。ブルネットの短いショートボブヘアの彼女の名前は朝比奈 茉陽。行方不明となっている朝比奈 護の妻である。一人息子である5歳の勇人は怖がっている様子で、男たちを見つめながら茉陽の足にしがみついている。そして彼女の横には、調べ物をする2人の部下を見守る真面目そうな黒髪の男が1人。他の2人と違って黒いつなぎのような服を身に纏う彼は、法執行機関日本支部所属 西海 進捜査員。この部屋の捜索を指示されたチームのリーダーである。
「でも、怪しいことをしてたら流石に私が気付くわよ」
「愛し理解していると思う人のことほど、実はわかっていないものっていいますから」
「確かアメリカの作家の言葉よね。先輩としてはその教養の高さを喜ぶべきかな」
「いえ、そんな。海外ドラマでたまたま見ただけですよ」
「それでも十分立派な知識よ。ところで、そこの2人に注意しなくていいの?」
「……何のことです?」
茉陽は笑顔であったが、その目に見つめられた男は彼女の瞳の奥から向かってくる圧力を感じ思わず姿勢を正した。
彼女の声を聞いて、部屋の中を調べていた2人も作業を止めて西海の方に目を向ける。
「……多少荒くなって申し訳ありませんが、2人ともちゃんと調べていますよ」
「そうかしら」
不敵な笑みを浮かべる彼女の肩にいつのまにか小さなネズミが乗っている。本物ではない。クレヨンで書いた子供の落書きのようなおかしな体をしたネズミであった。
「調査機関の行う調査と、法執行機関のする捜査は根本的に違うわ」
「それはわかってます」
「なら、まずやるべきは?」
茉陽の態度に西海はかつての研修時代を思い出す。彼が入りたての頃、何度か茉陽が指導する訓練を受けたことがある。優しく見えて突然鋭い質問を飛ばしてくる彼女に恐怖を覚える研修生も少なくなかった。
「発光結晶の反応確認と適切な魔道具を用いた容疑者の動向確認。物的証拠の確認はそれからです」
「わかってるならどうして」
「調査機関で所有している魔道具や発光結晶のほとんどが、朝比奈 護名義で持ち出されていて行方不明なんです。今ある分は光の柱の捜査に持っていかれており、協会が大急ぎで複製を準備してますが」
「護が……そんなこと……」
茉陽の視線から力が薄れ左右に彷徨い始める。
魔道具の持ち出しには本人の魔法使い登録証が必要となる。偽造はもちろん不可能。誰かの代行だったとしても、取りに行った本人の名前で持ち出される。
「私も朝比奈支部長の仕事ぶりは知ってますし、罪を犯すような方じゃないと信じたいですが、あの光の柱の発生場所に向かったという情報もある以上は」
事件現場に行って行方がわからない人物が、調査に必要な魔道具を大量に持ち出す。それを「何を起こしたのか知られないようにした」と捉えるのは決して間違った行動では無い。元捜査員であるからこそ、茉陽はそれを理解出来てしまう。そういった相手に対し法執行機関がどう動くのかも……。
とまどいを隠せぬまま、茉陽は自分の頭を支えるように額を右手で押さえる。
「疑わしきは速やかに調べる……正しい判断だと思うわ」
「ご理解いただけましたか」
「でも、それならその胸ポケットに入ってるそれは何? てっきり調査用の魔道具を持ってるのかと思ったんだけど」
茉陽のその言葉が聞こえたところで、捜査員たちは視界の外にいたそれらの存在に気が付く。押入れの奥、棚の裏、食器棚の上……まるで捜査員たちを監視するかのように小さなネズミたちがじっと見ている。よく見ればそれらは皆、茉陽の肩に乗っているのと同じだ。
「ごめんなさいね。子供に何かあったら困るから、いつも家中にいるのよ」
「なるほど。先ほどの質問はそのせいですか」
そういって男が上着の内ポケットから出したのは、カナビラとチェーンに繋がった石。ネックレスのようにも見れるが、チェーンはそれほど長くはない。
「魔道具なのは間違いないですが、これはうちのものですよ。上から携帯するようにとの指示が出ているものですから」
「他の2人も?」
「ええ。犯人の危険度が不明ということです、行動中の全捜査員に同様の指示が」
「そう……」
捜索を再開する2人の捜査員を茉陽が一瞥する。その視線に西海は妙な違和感を覚える。まるで、彼女自身がこの部屋の捜査に来ているかのような。
「そろそろ調べ尽くしたと思うが、どうだ?」
「これといって、今回の件と関係ありそうなものは見当たりませんね」
「こっちもです」
「そうか……ならいったん引き上げよう。朝比奈さん、また何か分かりましたらご連絡しますので」
「そうしてもらえると助かるわ」
西海たちは丁寧なお辞儀をして玄関から出ていく。インターホンのカメラ越しに彼らがエレベーターの方へ去っていくのを確認すると、茉陽は己の魔力で構築した膜を広範囲に向かって断続的に広げていく。そうやって確認するのは、マンション内の人間と西海たち、そしてマンション外にいる雑踏の動き。
「気にしすぎかな」
ニュースにもなっている光の柱の発生から容疑者として名前が上がり、家まで捜査員がやってくるまであまりにも早すぎる。茉陽はそう感じずにはいられなかった。護の過去が知られたのかとも思ったが、西海の様子からそれは考えにくい。
もし仮に護が犯人だったのなら、むしろ別の人物に疑いが向くようにしているはずである。そう考えた時、彼女の中に生まれたのは誰かが夫を陥れようとしているのではないかという疑念。そして、その矛先は今日来た3人の捜査員やこのマンションの住人、そしてここを目視できる外の人々に向いていた。
「かといって私は動けないし……」
あくまで茉陽の想像であり確証があるわけではない。それに容疑者の家族が動けば、証拠隠滅に動いていると思われ護の状況は悪くなる。
もどかしい。連絡の繋がらない家族が困っているかも知れないというのに、頭の中ではどこをどう調べようかという案が次々と浮かんでいるというのに。
「パパ、わるいことしたの?」
足から離れようとしない勇人が考え込んでる母親の顔色を窺っている。幼いとはいえ、来年には小学校に上がる年だ。この状況を見て何かを察したのだろう。不安が顔に色濃く出ている我が子を見て、茉陽はニコッと笑顔を見せると少年の頭をそっと撫でる。
「そんなことないよ。だってパパは悪い人を捕まえる正義の味方だもんね。さっ、お片づけしなくちゃ。勇人も手伝ってくれる?」
「うん!」
茉陽の足を離れ、勇人は床に散らかった荷物を小さな手で拾っていく。そんな子供の様子を見て心を穏やかにすると、茉陽は携帯の電話帳から1人の人物の名を選び電話をかける。
「あっ、茉陽です。ご無沙汰してます、日之宮隊長」
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「あのルイーザが受け入れたのか?」
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「代わり?」
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しかもルイーザは誰もが畏れる冷酷な侯爵令嬢。
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「ふたりで見返そう――あいつから王位を奪うんだ」
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絶望の中、偶然助けた子が許嫁の娘で、
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何故か求婚されることに。
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こちらは他のウェブ小説にも投稿しております。
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