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第3章 帰らぬ善者が残したものは

プロローグ③ 憎むもの 稲葉光秀

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「……と、いうわけなんだ。休み、合わせられないか?」
「随分と急な話だな」

 仕事中だった稲葉 光秀宛に1本の電話が入った。家族からの緊急の連絡かとも思われたが、それはドルアークロに勤める友人、国生 蛍司からだった。
 
「それはまーさんに聞いてくれよ。僕の方にも、さっき連絡が来たばっかりで」
「少し前からニュースになってたぞ。今日の朝だって」

 光秀はそれを、明希が見ていたニュース番組で知った。海外で映画化が決まった『守護者の軌跡』の著者、マーク・アレクサンダー氏が最新刊の発売に合わせて来日するのだという。蛍司がまーさんと呼ぶのは、そのマークのことだ。彼とは15年前から面識がある。 

「まあ……その日なら休めなくはない。如月には声をかけたのか?」
「これから。まーさんが一番会いたがってるのはとっちんだし」
「そうだろうな。なんせ、自分の作品のモデルだ」

 同僚たちがその作品の話をしていたとき、どこかで聞いた内容だと思った光秀は1巻を試しに読んでみた。序盤に目を通しただけで、話を聞いていた光秀にはすぐにわかった。違った点といえば表紙や挿絵に書かれた灯真の容姿が実物の数倍美化されていたことくらいだ。

「今なら会って話をしても大丈夫だと思うんだけど……ヒデミーはどう思う?」
「どうだか。あいつの症状は僕らよりも重たい。あの作品の話をされて、また悪くなる可能性だってあるんじゃないか?」

 眼鏡の位置を指で直すと、光秀は椅子の背もたれに体を預ける。世界で唯一の第1級障害認定。灯真の魔法暴走ラーズィープランブについては光秀の耳にも入っている。

「原因の一つを作った人がいうセリフとは思えませんな」
「そっ、それに関してはちゃんと話しただろうが!」

 突然響いた光秀の、滅多に聞くことのない荒い口調に同僚たちの視線が集まる。注目されてしまったことに気付いて彼らに頭を下げると、受話器を手で隠しながら声を小さくする。 

「お前のせいで恥かいたじゃないか……」
「ごめんごめん」

 軽い口調の謝罪に光秀は眉を顰める。

「まあでも、とっちんも僕らに話したいことがあるって言ってたし。まーさんと会った後にちょうどいいかと思って……ね?」
「……わかった。場所と時間はメールでくれ」
「よろしく!」

 受話器を元に位置に戻すと、光秀はすぐにパソコンの画面を切り替えて有給休暇の申請を始める。

「なっ……何かあったのかい?」

 困り顔をしながら恐る恐る光秀に声をかけてきたのは、同じ職場の先輩であるドニー・ブランドだった。

「いいえ。古い友人が急に変なことを言ってきたもので……すみません、驚かせてしまって」
「いや、いいんだ。最近ミツヒデの表情が良くなったと思っていたから、心配になっちゃって」
「表情……ですか?」

 思わず光秀は自分の頬を指で摘む。特に何か変わった自覚はなかった。

「柔らかくなったというか、以前よりも話しやすくなった気がするんだ」
「そうでしょうか?」
「なんとなくだけどね。その古い友人と、いいことでもあったんだね」

 満足そうな笑みを浮かべ、ドニーはその膨よかなお腹を揺らしながら自分の席へと戻っていった。

「いいこと……か……」

 再び画面の方を向いた光秀は頭上に浮かぶ見えないレンズを頻繁に動かして同僚たちの目を気にしながら、有休の申請とは別の画面を開いていく。それは協会ネフロラ、 法執行機関キュージスト調査機関ヴェストガイン 、研究機関アルヘスクの職員名簿。今のものではない。ネフロラジャパンで働きながらようやく見つけることができた、今から15年前の名簿をデータ化したものである。朝比奈 護という人物が行方不明扱いになっていることも、それを探している時に見つけた。閉じた口の中で歯を食いしばる光秀。彼の心の中に浮かぶ小さな火種から、ボッと激しい炎が生まれる。

『Catch you later』

 光秀の記憶から男の声が蘇ってくる。あの時……大事な人たちを失った時、何も見えなかった光秀の耳に入ってきたそれは全く聞き覚えのない声だった。何よりあの日あの場所で、『彼』以外の大人の男性の声で『英語』を聞くはずはなかった。それが一体誰に向けられた言葉なのかはわからないが、あの鼻につく言い方を光秀は忘れられずにいる。

(誰なんだ……)

 灯真に向けていた黒い感情は、光秀自身が自らの罪として認めたことで今は心の内に受け入れられている。しかし今光秀の心で激しく燃えている炎は灯真に対するものとは別の、大事な人たちの命を奪った人物への憎しみ。殺意を帯びた明確な復讐心。

 自分が真っ向から立ち向かって勝てるとは思っていない。何かしたところで過去が変わらないこともわかっている。しかし、光秀はあの時の人物を探し続けている。自分の出来る方法で、この燃え盛る感情をぶつけてやるのだという思いが彼を突き動かしていた。

 このことは誰にも話していない。灯真や蛍司にも。ちょっと前までは「誰があいつらの手なんか借りるか」と、そう考えていた。しかし今は違った。

(止めようとするだろうな、あいつらは)

 机に置かれたスマートフォンが震える。蛍司からのメールの通知だった。画面には日時が書かれた数行の文章の裏に、家に集まったあの日にみんなで撮った写真が映し出さていれる。画面の中で笑顔を見せる蛍司と表情の固い灯真をレンズを通して一瞥した光秀は静かにスマートフォンの画面を下に向けた。
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