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第1章 その翼は何色に染まるのか

32話 魔法暴走

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『奴は阻害結界ホルビニシオの中でも魔法を使ってくるだろう』
「そんな力があるようには見えませんが?」
『奴の魔法は、奴自身が止めようとしなければ止まらない。そういう障害だからな。それにおそらく使えるのは魔法だけではない。探知デクトネシオ活性ヴァナティシオも使ってくる可能性がある。油断するなよ』
「そんなことが本当にあり得るのですか?」
『障害の根底にあるのは、《味方を守らなければ》《敵を探さなければ》《自分が動かなければ》という意識だ。そのために必要な力は全て使ってくると思っていい』
「すぐに魔力が尽きてしまう気がしますが……」
『半年とはいえ魔法がなければ生きていけない世界にいたのに加えて、こちらに戻ってきてから症状を完全に抑えられるようになるまで、24時間魔力を消費し続ける生活をやってみろ。嫌でも魔力量は増える』
「よく生きてられたものですね。運のいい奴め」
『実際何度も死にかけたと聞いている。運がいいのは間違いないないな。だが、奴の力を封じる手はある。あの黒い腕を見せて邪魔な奴の腹を貫け。そうすれば昔のことを思い出して奴は魔法を使えなくなる』
「……なるほど。ちょうど始末しなければならない輩が二人います」
阻害結界ホルビニシオを展開した直後は奴自身が力を抑えているから、魔法も探知デクトネシオも使われることはない。その瞬間を狙え』



 ここに来る前、松平はそのように申し送りを受けその指示通り行動した。その結果、ディーナを守るはずの灯真は行動不能となり、山本の妨害がなければ今ごろはワインでも嗜んでいたかもしれない。しかし状況の変化が、トラウマに苦しんでいた灯真の覚醒が、彼の心の余裕を奪っていった。

「二人は先にディーナを安全なところへ。この人は俺が抑えておきます」
「バカか。お前の魔法は熱を防げねぇんだろ?」
「大丈夫です。この人は今、自分の魔法は使えないと思います」
 松平は驚愕し顔色を変える。灯真の言ったことは仲間たちも知らないことだった。

「魔法に比べて魔術は魔力の消費量が多い。その右腕を作るだけでもそこそこ消費したでしょう。それ以外にも黒い棒を出す魔術を使い、拡張探知アンペクスド活性ヴァナティシオ、さらには罠から身を守るための障壁エービラルの継続使用。魔力の生産が追いつかないんじゃありませんか?」
「バカにするのも大概にしろ! この私を誰だと思って」
「人は魔力を貯蔵する器官を持たず、必要な量を魂で作らなければならない。でも一度に大量消費すれば生産量は落ち、そこに加えて消費が少ないとはいえ三種の仙術を連続で使い続けていれば魔力を生み出す魂が休まらない。貴方だからではなく、それが普通です」
「……貴様は自分が特別だとでも言いたいのか?」
「俺のことを知って、貴方は俺みたいになりたいと思いましたか?」
「それは……」

 わずかに口角を上げてそういう灯真に、松平は口籠る。彼の抱える障害は、幼い頃から魔法使いとして生きる松平でも驚くほど稀有なものであり、彼のようになりたいとは決して思わない。

「二人とも早く。俺はこの人と少し話したいこともありますので」
「……わかった」

 山本は構えを解いて少し離れた位置にいるディーナのところへ向かう。広瀬は迷っていたが、仕方なく山本の後を追った。交差した黒い棒によって動きを制限されているディーナは抗うことを止め、灯真のことを心配そうに見つめていた。

「貴様はなぜそこまでする? 魔法のことを忘れて生活していれば生きていくこともできただろうに」

 彼の行動は、まるで自分の命などどうでもいいと思っているかのようで、《自分》を何よりも優先して生きている松平には理解不能であった。

「楽になりたいと思ったことは何度もあります。でも、それを許してはもらえなかったので」
「生きるのに人の許しを請う必要がどこにある!?」
「普通はそんなのいらないでしょうね。あんなことがなければ、悩むことなんてなかったのでしょうが……」

 灯真はそういって憂いを帯びた笑みを浮かべる。自分とそう変わらない歳の男がする顔ではない。松平はそう感じ彼の行動がさらに理解できなくなった。

「少なくとも今の状態からよくなりたいという思いはあるのだろう。どうだ、我々と手を組まないか?」

 松平は考えた。このままでは灯真たちに拘束され目的が達成されないどころか、予定されていた未来からの転落が待ち構えていると。

協会ネフロラの連中では貴様の症状を改善するのは不可能だろう。だが、我々ならば可能かもしれない。実際、お前と同じように苦しんでいる15年前の被害者たちの中には、我々の同志となった者も大勢いる。どうだ?」

 それは賭けだった。灯真の症状を改善することは不可能と判断されている。しかし、自分の命が惜しくない人間などいない。エルフ創造という禁じられた技術を持った者たちであれば、もしかしたら可能性があるのかもしれないと想像するはず。松平はその考えに絶対の自信を持っていた。



* * * * * *

「ふんっ!」

 灯真たちが話をしている頃、山本たちはディーナを拘束する棒の撤去作業に入ってた。しかし、どれだけ力を込めようと抜けず山本が一本ずつ叩き折っていく。

「おい、山本……この棒って」
「俺も同じことを考えていたところ……だ!」

 ディーナを拘束する黒い棒は、近くで見ると鏡のように顔が映るほど表面は滑らかで、その先端は山本の腕に突き刺さるほど鋭く尖っている。二人はこれと非常によく似たものを見たことがある。
 最後の1本を折ったところで、動けるようになったディーナは慌てて立ち上がるとすぐに二人から距離置いた。

「安心しろ。俺たちはあいつの仲間じゃねぇ」
「疑われてもしょうがないが……ひとまず子供達のいる方へ走れ。あそこなら、如月の羽が君を守ってくれる」
「でも……」

 有利な状況である灯真をチラチラと横目に見ながら、それでもディーナの心配そうな表情は崩れない。広瀬たちはそれが不思議でしょうがなかったが、彼女を安全な場所に連れて行かねば灯真の邪魔になってしまうだろうと、山本は彼女を無理やり肩に担いだ。

「はっ……離してください!」
「如月は君を安全なところに連れていくようにといった。それを守るだけだ」

 そういって山本は右足で地面を強く踏み込む。まるで重力の弱い月面にいるかのように軽やかに空高く飛び上がると、松平や彼の部下たちの頭上を飛び越えた先で急激に高度を下げていく。

「相変わらず言葉が足らねぇんだよ、全く」

 やれやれといった表情で肩を竦める広瀬は、山本が無事岩端たちのところに着地したのを確認すると、地面から飛び出ていた棒に目を向ける。これを生み出す魔法の使い手を広瀬はよく知っている。

「総大将の予想よりやばいことになってるかもな……」

 もしもこの魔法の使い手が松平の味方だとしたら……そう頭の中で想像した広瀬は、事の重大さに頭を抱える。しかし今は主任を捕まえる方が先だと、頭を何度も振って気持ちを切り替え灯真のところへと駆け足で戻っていった。


* * * * * *



「お断りします」

 松平の提案に考える時間すら取らず灯真は即答した。呆気に取られ、松平の開いた口が塞がらない。

「本当にいいのか? 我々の同志になれば、あの女と一緒にいることもできるんだぞ? 決して悪い話ではないはずだ」
「あなたのその右腕……それを作る魔術が使えるということは、そちらの同志とやらにその魔法を使える人がいるってことですよね。誰なんですか?」
「我々の同志になればいずれ会えるさ、だから」

 灯真の目を見て、松平はそれ以上言うのを躊躇った。底の見えない深い穴のような黒い目が、松平のことを見つめている。それまで灯真から感じる事のなかった気配に、松平は喉元にナイフを突きつけられているような感覚であった。

「その腕は、俺の大事な人の命を奪ったんですよ。仲間になるなんて冗談じゃない」
「だっ……だが、そのままではいずれ睡眠すらまともに取ることもできなくなるぞ。そのクマ、すでに不眠症状が出ているんじゃないのか?」
「どういうことだよ、それは」

 合流した広瀬は、松平の言葉の意味がわからなかった。先ほど彼が言った15年前という話といい、聞かされていない情報が多い。

「このまま主任を抑えるために魔法を使い続けたら、如月はどうなっちまうっていうんだよ!?」
「ふん。裏切り者だとわかってから貴様らには情報を流さずにいたからな。いいだろう、特別に教えてやる。この男は、15年前ある事件に巻き込まれたことで《魔法暴走ラーズィープランブ》を患っているんだよ」
魔法暴走ラーズィープランブって……」

 自分の意思とは関係なく魔法を発動させてしまうその病は広瀬も知っている。実際に事件の加害者がこの病を患っていたケースに遭遇したことは何度もある。
 近年、法執行機関キュージストで対処する事件の約半数が、魔法暴走ラーズィープランブを患った魔法使いの仕業である。ストレス社会といわれる現代だからこそ起きている事案と協会ネフロラは考えており、特別なケアをする部署を新たに作ることまで考えられている。

「その患者の中でもこの男は世界でただ一人、第1級障害の認定を受けている。その意味は貴様も習っただろう」
「第1級って……確か治療不可能な……」
「その通り。魔法暴走ラーズィープランブといっても軽度であれば命に別状はない。魂にあるとされるリミッターによって、魔力を過剰消費することはないからだ。しかし本来機能するはずのそれが壊れ、魂がその機能を停止するまで魔法を使い続けてしまう状態なんだよ、彼は!」

 どうして阻害結界ホルビニシオの中でも魔法が使えたのか、その謎を広瀬はようやく理解した。魔法暴走ラーズィープランブはトラウマから逃げるために魔法を発動してしまうものである。それは例えどんな状況であっても、どんな条件であっても。

「魔法を使い続けたら、それに必要な魔力を作る魂も成長するはずだ。作れる魔力の量も増えるし、気をつけていりゃ……」
「確かに貴様の言う通りだ。しかしこの病の怖いところは、自分の扱いきれる限界の魔法を使い続けることだ。これまで逮捕した魔法暴走ラーズィープランブ患者を思い出してみろ」

 広瀬は以前対応した事件を思い出しハッとなる。魔法暴走ラーズィープランブを患っていた犯人たちは魔法の威力を調整できないのかと思うほど乱発していた記憶がある。松平の言う通りならばあれは、コントロールできていなかったのではなくあれが彼らのコントロールできる限界の威力であったということだ。

「その顔……どうやら私のいったことを理解したようだな。第1級障害の認定を受けたこの男は、常日頃から魔法を使わないよう意識し続けなければならず、それができない長時間の睡眠は魔力枯渇ラグナトルスによる死に直結する。目の下にできたクマは、魔法の発動を止めるために睡眠時間が削られている証拠なんだよ」
「おい待てよ……如月は今日……」

 今日の灯真の行動を思い返し、広瀬は急に青ざめる。それを見た松平がニヤリと不気味な笑みを浮かべた。

「そうさ。この男は自分やガキどもを守るだけでなく、私が殺したガキを蘇生させるほどの治癒魔術を使い、部下どもを封じる魔術まで作った。このまま戦いを続ければ魔力枯渇ラグナトルスを起こすのは目に見えている。しかし、この男の能力は惜しい。もう一度言う。我々の同志になれ、如月灯真。我々の技術ならばお前を救ってやれるはずだ」

  松平の自信に満ち溢れた発言に、灯真は嘆息を漏らす。

「本当に人の話を聞かない人だな……2回も同じことを言わせないでください。お断りです」
「そうか……それは残念だ……本当に……」

 目を閉じて残念そうに項垂れる松平を不審に思いながら、広瀬はゆっくり彼を避けながら灯真に近づいていく。途中、松平の顔を伺うと口元がわずかに緩んでいることに気付き、灯真の隣に急いだ。

「如月! 何か仕掛けてくるぞ!」
「残念だよ!」

 だらんと下がっていた松平の右腕が、突然勢い良く振り上げられる。その動きに呼応するかのように地面から湧き出た炎が灯真達に向かって波打つ。灯真と広瀬、二人の前に展開した羽が炎の波を二つに分断するが、波は止まることを知らず、後方にいる彼の部下達へと襲いかかる。

「なんてことを!」

 灯真が左手を自分の後ろに向かって広げると、松平の左半身を拘束していた羽がその場を離れ、彼の部下達を守るように壁を作る。

「やるとは思ってたが、本当に仲間ごと攻撃するなんてな」
「使えないものに用はない。くだらん話で休憩も取らせてもらったし、何よりそちらはもう限界が近いようだぞ。私の拘束を取らなければならないほどにな」

 灯真との会話中、松平は余計な魔力を消費しないように3種の仙術(探知、活性、障壁)の全てを止めて回復に勤しんだ。それに対し灯真は、松平の言う通り来栖の治療と敵の足止めの魔術で大量に魔術を消費しただけでなく、子供達や自身を守るために必要な羽を作るのを止めず、さらに常に魔力を放出して敵の動きを探り魔力を消費し続けた。
 その結果、探知デクトネシオに使うべき魔力が足りなくなり機能を停止。松平の攻撃への対応が遅れ、空中を漂わせ待機させていた羽の4割以上が炎に巻き込まれその姿を消してしまった。

「単品で浮いていた羽が波に巻き込まれて消えたところをみると、どうやら貴様の羽は集まることで強度を上げるのだろう。壁になった時の防御力もそれなら納得だ」
「さすが……法執行機関キュージスト日本支部長……ですね」

 羽では防ぎきれない熱が灯真たちに襲いかかり、身体を冷やそうと肌から汗が吹き出る。松平の部下達や子供らと一緒にいる山本は魔道具マイトによって生み出した氷柱を地面に打ち込み、自分たちの周囲の冷却を試みる。しかし広瀬はそれをやろうとはしない。魔道具マイトは隊員たちに配布されたもので持ってはいるものの、魂の回復を優先し使うことを躊躇っている。

「貴様の洞察力も大したものよ。確かにこの腕もあの黒い棒も、我らが同志より授かった魔術。魔力の消費も激しく、私の炎と同時に使うのは難しい。だが、わずかでも休憩が取れればこの通りよ」

 勝ち誇ったように声をあげながら、松平は再び右手を振り上げて炎の波をより一層強くしていく。高さを増していく炎に羽を増やして抵抗する灯真だったが、突然目の前が揺らぎその場に膝をついた。

「如月!?」
「限界が近いようだな。選びたまえ。今すぐその邪魔臭い羽をどかして一瞬で炎に焼かれて死ぬか、限界まで耐えに耐えて魔力が切れてから死ぬか。ああ、生存という選択肢はないから注意することだ」

 優しい笑みを浮かべながらさらにもう一度右手を振り上げ、松平は炎の波をさらに大きく強いものにしていく。

「うわあぁぁぁ、壁が!」
障壁エービラル展開、急げ!」

 松平の部下達を守っていた壁が次第に小さくなっていく。炎に負けて羽が一枚ずつ減ってきていた。男達は動けなくなった仲間を集め、円陣を組むと障壁エービラルを自分たちの周囲に展開。それとほぼ同時に彼らを守っていた羽が全て消え、炎の波が彼らを包み込んだ。

「くそっ……あいつの姿さえ見えていれば……」

 額の汗をぬぐいながら、広瀬は策を考えていた。しかし、今の状況ではそれを成功させることができないと頭を抱える。

「手が……あるんですか?」
「魔法が使えるようになったっていっても、まだ完全じゃないはずだ。たぶん、今なら俺の魔法であいつの意識に介入できる。でもそのためにはこの炎を消さねぇといけねぇし、俺もそこまで回復できてねぇから無駄撃ちはできねぇ」
「わかりました……」

 必死に意識を保っている灯真は、口をすぼめてゆっくり呼吸すると眉間の間に右の人差し指を当て、記憶の中のある人物を思い浮かべる。

「やめろ、これ以上魔力を使ったら!?」
「イーマスルフタウ……ペルテアトン。オーセァグ フォウセォン エルタイス」
(同じ過ちは……繰り返さない。それがフォウセの流儀)

 自分に魔法を教えてくれた師の、背中を押してくれた最愛の人の言葉を胸に秘め、灯真はこの状況を打開できる唯一の策を実行する覚悟をすでに決めていた。
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