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第1章 その翼は何色に染まるのか

6話 覚醒美女

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(守らなきゃ……俺が守らないと)
 
 どこからか声が聞こえる。苦しそうな、悲しそうな、辛そうな、切なそうな、子供の声。暗い闇の中に彼女は立っていた。周りには何も見えず、その声だけが響き渡っている。

「……それしかできないんだから……それしか……」

 目の前からよりはっきりとした声が聞こえたかと思うと、そこには重たい足取りで進んでいる少年の姿があった。自分自身を責めるかのように言葉を繰り返すその顔はやつれ、手足は細く歩いているのがやっとのようだ。その少年を追いかけ手を伸ばすが、彼女は何かにつまずいて転んでしまった。転んだ拍子に閉じた目を再び開けた時、彼女の目の前にあったのは倒れている無数の人の姿であった。鋭利なもので切り裂かれているもの、岩に押しつぶされているもの、剣や槍を突き立てられているもの、彼女がいる空間は彼らの体から流れる血の色に染まっていた。

「……もっと頑張らなきゃ……守らなきゃ……」

 少年は突然足を止めその場に膝をつくと、目の前に横たわっていた少女を抱きかかえた。だらんと下がった少女の手からは血が滴り落ちる。その少女が動くことはもうないのだと、そう悟った少年の頬を流れる涙は顔についた少女の血と合わさり赤く染まっていた。

「僕のせいで……僕がちゃんとやれなかったから……ああああああああ!」

 泣き叫ぶ声と共に彼の背中から眩い光が溢れ出し、血で染まった空間を照らしていく。彼女はあまりの眩しさに目を開けていられなくなった。

 「ん……」

 彼女が再び目を開けると、そこには見たことのない天井が広がっていた。先ほどまでの暗い空間ではない。彼女の右側からは、カーテンの隙間から明るい光が差し込んでいる。

「さっきのは一体……」

 聞こえていた声も見えていた姿も、夢だったのだろうか。そう思ったところで自分の左手に不思議な感覚を覚える。柔らかくて暖かい。恐る恐る目をやると、そこには彼女の左手を握って座ったまま寝ている灯真の姿があった。彼女は自分が見た、あの泣き叫ぶ少年にどことなく似ていることに気が付いた。

「目が覚めたか?」

 握っていた手がわずかに動くのを察知した灯真は、瞼を擦りながら目を覚ますとすぐに彼女の顔色を伺う。彼女は警戒するがまだ体がうまく動かない。

「あんな状態だったんだ。まだ無理に動かない方がいい」

 動きたくても動けない。そんな彼女の様子に気付いた灯真は、彼女の手を離すと立ち上がって部屋を出ていってしまった。
今まで出会った男性たちと様子が違う。その違いが何なのか彼女にもよくわからなかった。明確に違ったとわかるのは、左手に伝わってきた温もりだけだった。
 彼女が左手を見つめながら考えているうちに、灯真は飲み物が入ったコップなどを載せた小さなお盆を持って部屋に戻ってきた。

「内臓の様子がどうなってるかわからないから、食事はこれにしておいた方がいい」

 お盆を近くの机に置くと、その上に置いてあった銀色の小さなパックを手に取る。付いていた指先ほどの小さな蓋を外し、彼女の口へと近づける。

「ゼリーだ。変な食い物じゃない」

 得体の知れないものを口に近づけられて彼女は一瞬躊躇ったが、彼の言葉と雰囲気に不思議と抵抗感は薄れていった。恐る恐る蓋の取られた部分を口に入れる。それを見て灯真が袋を優しく握ると、彼女の口に冷たく柔らかい何かが入り込んで来た。舌にそれが乗ってくると程よい甘さが口の中に広がる。噛む必要のないほどの柔らかさで、そのままでも抵抗なく喉を通っていく。灯真は彼女の様子を伺いながら握る力を強め、ゼリーを口の中に流し込んでいく。飲み終えると、彼女は初めて口にしたそれに酔いしれていた。

「気に入ってもらえたようで何より」

 再びイスに腰掛けると、一緒に持って来たコーヒーを口に含む。彼女は起き上がろうとするが、やはり力がうまく入らない。ゆっくりと手を握ったり広げたりを繰り返していく。

「どういう理由かは知らないけど、死にかけて二日間眠りっぱなしだったんだ。いきなり元のようには動かないよ」

 彼女は思い出した。死にたくない一心で逃げて来たことを。ここに留まっていたら追っ手が来るかも知れない。

(早く逃げなきゃ……)

 そう思い体を起こそうとするが、灯真に肩を押さえられて止められた。

「大丈夫。ここにいる限り誰が来ても守れる」

 それはまるで彼女の心の声を聞いていたかのような、そんな言葉だった。

「挨拶がまだだった……俺は如月 灯真。道で倒れてた君を見つけてここまで運んできた。事情はよくわからないが、体の方はなんとか対処したから。今のところ大丈夫だ」
「え?」

 困惑した様子の彼女を見た灯真は、少し悩んでから再び口を開いた。

「今すぐ君が死ぬことはないってことだよ」

 体の自由がきかなくなってきたときから彼女は諦めていた。しかし、手足が動かなくなるにつれて死の恐怖は膨れ上がり、どうにもならないとわかっていながらも「死にたくない」と何度も口にした。灯真の発した言葉は、まるで暗闇の中から救い出すかのように、彼女の心に巣食う不安を小さくしていった。
 気がつけば彼女の目から湧き水の如く涙が溢れ出ていた。止めようとするも腕が思うように動かない。目を閉じて流れ出るのを防ごうとするが、治まる気配すら無いそれを止めることなどできるわけもなく、目尻から枕の方に流れ落ちていく。

 彼女の反応をみた灯真は、目の前のカーテンを勢いよく開けた。強い日差しが部屋の中を明るく照らす。未だ目を開けようとしない彼女の額を灯真が指で軽くノックすると、それに促されるように開いた彼女の目には眩しさと共に青い空が映し出された。ところどころに白い雲が散らばって、深い青色を際立たせている。

「きれい……」
「しばらく雲が多かったから、久しぶりの青空だ」
「これが……空……」

 彼女の記憶では、自分の頭上にあるのは天井とそこに取り付けられた明かりだけ。外のことは与えられた資料でしか見たことはなかった。初めて見る外の世界は資料で見るよりもはるかに美しく、彼女を照らす光は不安で冷え切っていた彼女の心まで温めてくれているようだった。ちゃんと見たいのに、未だ止まることを知らない涙が邪魔をしてくる。夢なんじゃないかと疑いもしたが、目から涙が流れていくのも後ろ髪がそれによって濡れているのも感じる。
 灯真はしばらく声をかけなかった。彼の魔力が補填され危険な状態は脱したが、原因がわからないのでは彼女に使った魔法を解いたとき再び同じ状態になる可能性はある。早急に色々と確認したかったのだが、今は少女のような顔で空の美しさに見惚れている彼女の邪魔をする気になれなかった。

(今度は助けられた……)

 灯真は彼女の様子を見てほっと胸を撫で下ろす。だがこのままでいいのか彼にもわからない。家に連れ帰ってから持っている資料や本を一通り見たが、ただ一つの可能性を除けば彼女のような状態になることはあり得なかった。

 魂から作り出される魔力は、魂と肉体をつなげる糸を維持するために常に消費されている。しかし魔法などを使うことで必要以上の魔力を消費すると、この糸を維持することが出来なくなるため自然と魔力の利用が制限され魔法などに利用できなくなる。彼女のような、『魔力枯渇ラグナトルス』と呼ばれる状態になることは本来ならば起こり得ないことなのだ。

 それが起こるただ一つの可能性。それは『魔法暴走』……魔法使いたちが『ラーズィープランブ』と呼ぶ病気になった時だけである。自分の意思とは関係なく魔法を発動してしまう恐ろしい病で、魔法使いたちの間では古くから言い伝えられてきた現象だったが、15年前協会ネフロラによって正式に病気であると公表され、酷い状態の者には協会ネフロラから障害認定が出るようになった。魔力枯渇ラグナトルスという言葉も、この病気と共に公表されたものである。

 強いトラウマを抱えることで発症するとされるこの病気は、睡眠中に魔法を発動し続けてしまうという特徴がある。彼女が眠っている間に発光結晶ルエグナを近づけてみたところ、わずかに白い光を放ったのだが、協会ネフロラの出した定義によれば睡眠中の魔法使用はかなり激しく、発光結晶ルエグナの反応はとても顕著だという。ただ、魔力が枯渇するまで消費してしまうというもう一つの定義には当てはまっているので、今の時点では魔力暴走ラーズィープランブの可能性を否定できない。

 余計に謎は深まるばかりだが、彼女に使用した魔法は人命救助のために使ったとはいえ違反は違反。いつまでもこのままにするわけにいかない。

「あの……」

 考え込んでいると、彼女の方から灯真に声をかけて来た。先ほどとは一変して不安そうな顔で彼のことを見ている。無理もない。助けてくれたとはいえ、見ず知らずの人間なのだ。

「少し、君のことを教えてもらえないか?」

 彼女は自分の素性を話すことを躊躇っていた。自分のいた場所の人たちとつながっていたら連れ戻されるかもしれない。いろんな思考が交錯し、話すべき言葉が見つからない。

「俺は君のいた場所のことは知らないし、君のことをどこかに売ろうなんて思ってない」

 言葉に詰まっていた女性は驚いた。彼女が思っていることがわかっているかのように、灯真は不安を消す的確な言葉を口にしたからである。

「ごめん。君を助けるためにかけた魔法のせいで、全部ではないが聞こえてしまうんだ。君が考えていることが」
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