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第1章 その翼は何色に染まるのか

1話 如月灯真

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「検知なし。特に異常はない……か」

 道路から外れた茂みの中、周囲をブルーシートに囲われた車の中をこの男、如月 灯真きさらぎ とうまはまるで落とし物を探すかのように見回していた。

 下を向くたび視線を遮る前髪をゴム手袋をはめた右手で何度もずらしているその男は、左手に直方体にカットされた水晶のような鉱石を持ち、座席やハンドルなど車のあらゆるところにそれを近づけ様子を窺っている。だが、窓から入るオレンジ色に変わり始めた太陽の光が反射するだけで何ら変化する様子は見られない。

 周囲は見渡す限り畑で、建物は目視できる範囲にない。近くにある道路も地元の人しか使わないので、この時間の交通量はほぼゼロといっていい。シートによって外から見えないようにされているが、畑での作業を終えて片付けを始めていた人達は、集まっている警察官の動きを気にして手が止まり、携帯で誰かに連絡している人もいる。

「こっちでも調べておくか」

 男は左手に持っていた鉱石をポケットにしまうと、同じ場所から別のものを取り出した。細いチェーンで繋がれた透明な球体で、中央部分で黄色いインクのようなものが揺らいでいる。表面は綺麗に磨かれていて、ガラスのように滑らかだ。

「何が出るか……」

 それを左手で握りしめると指の隙間から弱い光が溢れ出す。それとほぼ同時に彼の周囲に存在する全てから、まるで洗い流されるように色が失われ白黒の世界へと変わっていく。窓の外には周りを囲っていたブルーシートはなく、何もない灰色の世界が広がっている。灯真が運転席の方に目をやると、誰もいなかったはずのそこに人の姿があった。まるでモノクロ映画のような色合いをしたその人物は、鼻筋は高く通っており堀も深く日本人の顔でないことはすぐにわかった。また、体の凹凸からしておそらく女性であろう。しかし、苛立っているのか眉間に力が入ってせっかくの端正な顔が歪んでしまっている。口が動いているのが見えた灯真が耳を澄ませると、音量は小さいがその女性の声が聞こえてきた。

(こんな仕事、請け負うんじゃなかったわ。さっさとこれ渡して逃げないと)

 焦っているようにも感じる声だが、それ以上の言葉を聞くことはできなかった。他にも車内には灰色の人影のようなものは現れたが、声を聞くことはできずその形も蜃気楼のように歪んで見えた。

「——これ以上は無理そうだな」

 他に何も聞こえてこないことを確認した灯真は、握っていた左手を緩める。すると持っていたものから光が消え、周囲は巻き戻されたかのように元の色に戻り、見えていたものはスーッとその姿を消していく。窓の外も、青いシートや外に立っている人の姿が見えるようになった。

 車の前ではスーツ姿の警察官が、灯真の作業が終わるのを待っていた。灯真が見ていたものは彼らには見えていない。顎の無精ヒゲを撫でながら三科みしな警部が灯真の作業を気にする一方で、少し離れた位置で若い刑事の須藤すどうと、作業着姿の鑑識班数名が灯真の行動が終わるのをただ静かに待っていた。

「特に怪しい様子はありません。普通の事件だと思います」

 車から出て来た灯真は、近くにいた三科に感情の起伏を感じさせない声で報告を行うと、持っていたものを胸ポケットに収めて両手にしていた手袋を外す。前かがみの状態を維持していたからか、体が硬くなっているのを感じて肩や腰をゆっくりと伸ばす運動を始めた。

「そうか……すまんな。呼び出しておいて」

 彼の報告を聞いて残念そうに肩を落とした三科が右手をゆっくりとあげる。その合図を見て須藤は肩を竦め、待っていた鑑識班はやれやれと言った様子で車に近づき車内の調査を再開した。

 刑事たちはある事件の捜査の過程で、この場に乗り捨てられていた犯人の逃走車両を発見した。今朝方、畑の作業へとやって来た人から通報を受けようやく見つかったのだが、周りに畑しかないここには監視カメラの類など設置されておらず、農作業以外では人が通ることも少なかったため怪しい人物の目撃情報は全く出なかった。

 そこで三科が頼ったのが灯真である。体の線は細く、目の下にはうっすらクマを作り、瞼が下がっているのか黒目が半分ほどしか見えない。頼り甲斐があるようには見えないその男の行動に、現場にいた多くの人が疑念を抱いていた。ただ一人、彼の報告を受けている中年刑事を除いて。

「なあ灯真、お前らの力で犯人の手掛かり探してもらえねぇのか?」  
「それは法令違反になってしまうので、申し訳ないですが……」
「《力を持たない人の手で起きた事象に力を用いて干渉してはならない》だっけか?」

 三科の問いに小さく頷くと、灯真は外に置いていた鞄の中に手を入れ、黒いバインダーとそれに挟まれた書類を取り出す。一番上にある『業務報告書』と書かれた紙に、時間や作業場所の住所といった必要事項を記入していく。彼を横目に鑑識の様子を伺う三科は頭を抱えていた。

 彼の追っている事件はまだ公にはなっていないが、市内で発生した社内データの盗難事件である。データベースへのアクセスまでは確認できているが、どの程度の情報が持ち出されたかは定かではない。建物内の監視カメラ等の映像も綺麗にすり替えられており、プロの仕業か計画的な犯行であることに間違いない。ただ、三科はこれがただの事件ではないという、言葉にできない違和感に悩まされていた。そのため、『魔法』という特別な力を使う機関に調査を依頼したのだった。



*  *  *  *  *  

 魔法——それは人の持つ特別なエネルギー『魔力』を用いて発現する超常現象の総称。

 かつて全ての人が使うことができたといわれているが、力を持った者『魔法使い』たちの数は激減。その強大で危険な力を悪用されまいと自らの力を隠しながら生きてきた。

 しかし、力に溺れ罪を犯す者はいつの時代にも現れ、力を持たない者たちでは解決不可能な事件を生み出していった。

 魔法を使う者は同じ力を持つ者でなければ捕まえることはできない。そう考えた一部の魔法使い達は、罪を重ねる同士を取り締まるためにいくつかの組織を立ち上げた。

 その一つが、実際に魔法が使われた事件なのかを調査する機関。灯真もそこに所属している。

*  *  *  *  *  



「——魔法が使われていない以上、調べれば犯人は見つかると思います」
「それができればこんな苦労してないんだがな」
「協力したいのは山々ですが、違反したらこちらも仕事ができなくなりますので……こちらにサインを」
「あいよ」

 三科は渡された書類に殴り書きで自身の名前を記入していく。汚い字ではあるが「三科」とかろうじて読むことができる。

「……外国人っぽい女の人でしたけど日本語ペラペラで……何か焦っていたみたいですよ……」

 書類に漏れがないかを確認している灯真の呟きを、三科は聞き逃さなかった。犯人は巡回中の警備員によって偶然発見されたが、すぐに逃走され男か女かもわかっていない。三科は彼の言葉を、持っている手帳に書き込む。何を話しているのか聞こえていないが、その行動を遠目で見ていた須藤が険しい表情で灯真を睨みつける。

「そういうのは違反なんじゃなかったのか?」
「さあ……ちょっとした独り言ですよ」

 無表情ながら肩を上げて自分の発言をごまかす灯真。本来であれば魔法を使った犯行か否かを調べるのみで、調査の過程で得たそれ以外の情報は伝えない決まりとなっている。灯真のやった行為はバレたらそれなりの処罰があることなのだが、彼の反応を見て三科の口元が緩む。

「毎回同じこと言いやがって。でも、お前のそういうところ嫌いじゃねぇぜ」
「三科警部! ちょっと来てもらえますか?」

 鑑識に呼ばれ車の方へ向かう三科と呆気に取られ遅れた須藤に一礼した灯真は、鞄を持って近くの道路に停めていた車の方へ歩いていく。運転席の前に着いたところで鞄から携帯を取り出すと、通話履歴から「本部」と表示された番号を選び電話をかける。しかし何度試みるも通話中の音が流れるだけで全くつながらなかった。軽くため息をついて電話を再び鞄にしまう。

「帰ってから報告にするか」

 乗り込んでエンジンをかけると、現場の入り口に立っていた警察官の誘導に従って車を発進させる。まだ日が落ち始めたばかりだが、街灯がないため辺りはもう暗くなり始めている。この後やらなければいけない書類の作成を考えると、帰宅時間は定時を超える。鼻でため息をつきながら灯真はライトを点灯させ車を走らせた。


「三科警部、何なんですかあんな男は!?」

 鑑識が車の調査を続けている中、手に持った箱からタバコを一本取り出している三科に、近寄ってきた須藤が疑問を投げかける。

「如月のことか?」

 胸ポケットから取り出したライターでタバコに火をつけると、車とは逆の方向に向いてふかし始めた。須藤にタバコの箱を差し出すが、彼は首を横に振る。

「他にいませんよ。たかが民間企業の調査員を現場に入れて、鑑識の作業まで中断させて」
「色々と事情があんだよ」

 三科はタバコの灰が落ちそうになって慌てて携帯灰皿を探す。上着の内ポケットにあることを探し当て、かろうじて地面に灰が落ちるのを防いだ。再び口にくわえてゆっくりと息を吸い込む。

「事情って……」
「まあ、お前の言いたいこともわかる。けど、今回の事件はちょっと嫌な予感がすんだ。だからこそあいつを呼んだ。事情は話せんが、信用できる奴だってことは間違いない」

 須藤は未だ疑心暗鬼だった。先輩である三科が呼んだというからどんなすごい人物かと思えば、やってきたのは事件には全く関係のない民間企業の男。しかし、神奈川県警でも有数の事件解決率を誇る敏腕刑事がかなり信用している様子である。

「すぐに聴き込み開始すんぞ。この辺で見慣れない外国人の女を見た奴がいたら片っ端から情報とれ」
「外国人の……女!?」

 三科は短くなったタバコを携帯灰皿に押し込み、それを再び上着のポケットにしまう。一体どこからそんな情報を仕入れたのかと、若い刑事が口を開こうとしたその時だった。

「警部! ちょっといいですか?」
「何か見つかったか?」

 車の周辺を調べていた鑑識に呼ばれ早足で向かう三科。聞き出すチャンスを逃して舌打ちしつつ、須藤は彼の後を追った。
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