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第一章 立志篇 Fräulein Warlord shall not walk on a virgin road.

第1話 ラッキースケベで前世を思い出しました!

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彁歴2020年 7月中旬 
プロセルピナ大陸辺境 バッコス王国 王都アリアドネ 
王立アリアドネ学園

 わたくしは廊下を一人、たった一人で走っていました。
 あまりの惨めさに涙が止まらず、視界はぼやけたままで。
 誰も味方はいませんでした。
 フェンサリルさまは、わたくしの婚約者なのに、今年の夏のバカンスをあの女の、ディアスティマ・ギムレーの実家の領地であるエレイン州で過ごすとクラスメイトの皆に聞こえるように言ったのです。
 もっともらしい理屈はつけていました。
 クラスの皆もバカンスには招待するし、わたくしのことも連れていくから、あくまで親睦会に過ぎないと。
 でもそんな建前を誰も信じてなんかいなかったのです。
 何よりもわたくしが一番そんなのを信じていなかったのですから。
 婚約者であるわたくしを差し置いて、他の女の領地で過ごす。
 その意味がわからないほど子供じゃないのです。
 王国領土の三分の一を領有する大貴族アイガイオン家の長女であるこのわたくしが、湖とその周辺くらいしか領有してないただの男爵の娘に負けた。
 王子がクラスでバカンスのことを話したとき、たしかにギムレーはわたくしを見て笑みを浮かべた。
 このわたくしを嘲笑ったのです。
 実家に力のない貧乏貴族なのに、手練手管だけで王子の心を掴み奪っていったのです。
 わたくしの持っているものすべては、そんな彼女の魅力には何一つも及ばなかった。
 その事実に打ちのめされて、カッとなってしまったわたくしは、ギムレーの頬を思いきり張りました。
 それが良くなかった。
 彼女に魅了されているクラスの男子はわたくしを責め立てて、女子は実家の派閥に気を使って見て見ぬふり。
 惨め。余りにも無残な仕打ち。
 だから今、誰にも追いかけられずに、わたくしは一人走って逃げています。
 だからでしょう。
 廊下の途中で誰かにぶつかりました。

「きゃっ!」

「うわっ!」

 プリントが宙に舞い上がるのが視界の端に見えました。
 勢いよくぶつかったものだから、わたくしの体は階段の方へとよろついてしまったのです。
 そしてそのままフラフラと階段の方へと足はもたついて。
 とうとう階段で足を踏み外してしまったのです。
 宙に投げ出された体にまとわりつく不快な浮遊感。
 注意散漫だったから体を守るための魔法を張り忘れてしまいました。
 このまま行けば階段に体を打ち付けて大怪我でしょう。
 だいたいの怪我は魔法で治せてもこの夏はあざくらい残ってしまうかもしれません。
 でもどうせバカンスのために用意した水着を着ることも無いのです。
 諦めの気持ちと共にわたくしは目を瞑りました。
 だけど待っても待っても来るはずの痛みは来なかったのです。
 代わりに背中と膝の下に何か柔らかな感触を覚え、わたくしは目を開けました。

「大丈夫?怪我はない?」

 知らない誰かがわたくしの顔を心配そうな声を上げて覗き込んでいました。
 制服の襟にはH組の徽章、そして両目が隠れてしまうくらいに長い前髪。
 他のクラスの男子でした。
 助けてくれたようです。
 でも良く知りもしない男性が自分の体に触れて、あまつさえ抱き上げているこの状況にわたくしの頭は一瞬にしてパニックになったのです。

「いや!放してください!放して!」

「ちょっと!暴れないで!」

 わたくしは彼の手の中で暴れました。
 だって怖かった。
 嫁入り前の淑女が男性にその体に触れさせることを許すなんてあってはならないこと。
 貴族としての名誉を守らなければなりません。

「落ち着いてくれ!頼むから!ぐぇ…」

 わたくしはすぐそばにあった彼の顔を手で押しました。

「放してください!放しなさい!!」

 そしてとうとう彼の手はわたくしから離れました。
 その代わり二人そろって床に倒れてしまったのです。

「いててて…。まったく…暴れるなんてひどいよ…。あれ?なんだこれ?柔らかい?」

 床に倒れた彼の上にわたくしは、跨って体を密着した体勢になっていました。

「ひゃん!」

 私の胸を男の手が触れていました。
 時たまその感触を確かめるかのように、フワフワと握ってきます。
 わたくしの頭はこの理解の及ばない状況に真っ白になり、そして。
 突然、頭の中に見たことも無い異世界の風景と人々の顔が浮かびました。


 その中に『彼女』はいました。
 『彼女』はある国の軍隊的組織に属していて、平和の下でキャリアを積んでエリート街道を突き進み、あってはならないはずの出来事の中で亡くなったのです。
 『彼女』は故郷からはるか遠い異国の街にいます。
 迷彩服にヘルメットを装備しライフルを構えていた。
 背中の後ろには武器を持たない人々が震えていました。
 彼女が職責の上に守ると誓った人々ではないけれど。
 だけど彼らを守るために、迫る『軍閥』に向かって銃を向けて。

『だから私は引き金を弾く』
 
 彼女は満たされて死にました。
 でもそれは、わたくしには悲しい結末にしか思えなかった。

「あっ…あっ…。なに?今のはいったいなんなの?うぐぅ…!」

 そして次に見たのはわたくしの物語。
 これから起きる出来事の予言。
 未来のわたくしが見える。
 服は剥ぎ取られ、あられもない姿でベットに横たわっている。
 彼女に覆いかぶさる男がいた。
 彼女の苦悶に満ちた悲鳴を嬌声だと勘違いして、満足そうに笑っている。
 彼女は自分の領地を守るために挙兵し、そしていずれ大陸すべてを、この世界そのものを統べることになる英雄に敗北した。
 それがこの末路の因果。
 犯されながら何もかも諦めたかのように笑って言う。

『だってわたくしにはこの道しかなかった』

 彼女は怯えながら、頼るべき人もいない中、たった一人で戦い、敗れ去った。
 敗者は蹂躙されるだけ、嬲られ弄ばれて、生きるために媚びることだけが許される。
 必ず訪れる避けることのできない絶望の未来。

『だけどあなたは金の枝を臨んではいけない』

 その声と共になぜその未来へいたるのか、そのための『設定』と『ストーリー』が頭の中に流れ込んでくる。
 いくつもの断片的な単語が頭の中をよぎっていく。

『軌道エレベーター』『王子を待つ女神』『国連軍』『事象変奏基幹』『王殺し』

 それはこの世界のあらまし。
 何処かの誰かが最高のオナニーをキメるために作った『エンターテイメント』の設定。

 そしてもっとも大切な一言。

『本作『holy warlord of goddess』は十八禁です』

 その大事な一言を思い出して私は叫ぶ。

「乙女ゲーじゃねぇ!エロゲーだここ!」

 私はまだボケっと胸を揉む無駄に前髪の長い男の子の胸倉を掴む。

「何を勘違いしている!わたくしは貴様の攻略対象ヒロインじゃない!胸から手を退けろ!」

 鬱陶しいくらいに長い前髪の男の子はハッとして私の胸から手をどかす。

「ご、ごめん!そんなつもりじゃ…!」

「喧しい!囀るな!喚くな!」

 私は胸倉を引っ張り、超至近距離から文句を言ってやった。

「いや!うるさいのってどっちかっていうと君の方だよね!?」

「五月蠅い!男らしくない!言い訳するな!ラッキースケベは他所でやれ!助けるならもっとスマートに助けろ!エロゲーは嫌いだ!乙女ゲーのヒーローどもを見習え!」

「ごめんなさい!だから揺らすのやめて!」

 私は目の前の気持ち悪いくらいに前髪の長い男の子をブンブンと前後に激しく揺らす。
 この男のことは良く知っている。
 そう。この男はこの世界の『主人公』。
 乙女ゲーではなく男性向けエロゲーの主人公。
 ザ・精子脳。
 ハーレムくそ野郎。
 女の敵。

「ねぇ。あれって…?」

「うそ!あの子ってアイガイオン家の長女様じゃ…?」

「まさか王太子様以外の男の人と密会?!」

 近くに女子生徒たちが通りかかってきた。
 私が昔のままだったら、この状況に青ざめているだろう。
 中世の女性への抑圧は強い。
 貞操が疑われれば、それは社会的な死に即繋がりかねない。
 だけどそれはわたくしの話だ。
 私には関係ない。
 とは言え外聞がいいに越したことはない。
 私は揺さぶっていた手を止めて、立ち上がる。
 ついでに嫌悪感すら湧く長い前髪の男の子を引っ張って立ち上がらせる。
 服に着いた埃をはたいてあげて。

「あなたのおかげで助かりましたわ!わたくしったら明日から行く王子様のことで頭がいっぱいになっていてついつい足を滑らせてしまってこのままだと大けがしかねないところをたまたま通りかかったあなたがまるで物語の騎士様のように颯爽と庇ってくださって!ありがとうございました!わたくしはジョゼーファ・ネモレンシスと申します。今日のことは感謝しきれません。是非お名前をお聞かせくださいな。フィアンセである王子さまと実家の父にご報告差し上げて何かの形でお礼を差し上げようと思うので!」

 ここまで一息!出来るだけ大声で女の子たちに聞こえるように仕向ける。
 案の定、

「なーんだ。密会じゃないんだ。つまんなーい」

「でも女の子助けるのってかっこいいよね。あの子ちょっといいかも」

「たしかにねーよく見ればかっこいいかな?」

「うん!ありだよね!ありあり!」 

 女子たちの興味はキモくて長い前髪の男の子へと移っていった。
 ほっと息をつく。いずれ世間体などどうでもよくなる。
 だけどそれは今ではない。

「さっきメッチャ怒ってたよね…女の子って本当に心変わり早いんだなぁ。女の子怖い」

 私はお前が怖いよ、エロゲー主人公。
 そしてブツブツと独り言を言っているのがすげーキモイ。
 エロゲー的な説明台詞ってやつみたい。
 リアルで見るとマジでキモい。

「騎士様。お名前を」

 私は自己紹介を促す。
 一応ここで顔を繋いでおいた方がいい。
 このまま原作ストーリーが進めばこいつとは必ず敵対するが、それまでは仲良くするフリはしておかないといけない。
 女の子は笑顔で相手を殴る準備をしておかないといけない。

「え?ああ、はい。カンナギ・ルイカです」

 うん、知ってるー。超知ってるー。
 お前のことはお前さえ知らないことも知っているぞ。
 なんせこのまま行けば、ジョゼーファ・ネモレンシスはお前にお股を開くことになるのだから。
 脳裏にジョゼーファのエロCGがチラつく。
 プレイヤーだった昔ならアルコールとおつまみでゲラゲラ笑えたが、今となっては薄ら寒い。

「カンナギ・ルイカさま?珍しいお名前ですね」

「確かにここらへんだとそうかもね。でも中央行くと結構普通だよ」

 この世界はガバガバヨーロッパ風なので、和風な名前のやつが普通にそこらにいる。
 一応傾向としては和風文化は大陸の中央の方が強めに出てくるようだ。

「もしかして外国出身ですか?」

 主人公は大陸中央の帝国直轄領生まれというのが表向きの設定。
 実は主人公らしく重たい出生の秘密がある。

「うん。帝都の出身なんだ。両親の仕事の都合でここにきた」

 はーい。知ってまーす。
 だからぶっちゃけここでお話することなんてない。

「あら、そうでしたのね」

 というか話したくない。
 だってこいつはエロゲー主人公。
 おかしなエロゲー的な因果律が働いたりして、即ベットインとかしたらシャレにならない。
 ヤることしか頭にないエロゲー脳に抱かれてやるほど私のヴァージンは安くはない。

「是非今度お話ししましょう騎士様。名残惜しいのですが、今日は立て込んでいるのです。今度何かお礼を差し上げようと思います」

「別にそんなのいらないよ。君に怪我がなければそれで十分だよ」

 そう言って、気色悪い長い前髪の少年は微笑する。
 こいつの目は無駄に長い前髪に隠れている、だから私にはどうしたって、ニチャアァァァって笑っているように見えてしまう。
 …キモい…。
 直視に堪えない。
 笑顔はイケメンに限る!
 だが私にとってはキモいものでも他からは違うようで、後ろの女子たちから甘い吐息が漏れる。
 頬を赤く染めてモジモジしていた。

「見てよ。彼の笑顔…素敵…」

「目がキラキラしてる…守られたい…」

 おい、そこの女子二人!よく見ろ!
 こいつ、前髪めっちゃ長いから顔がどうなってるのかわからないんだぞ!
 なぜそんな奴の笑顔に魅了されてるの?
 これがエロゲー世界の法則なの?

「あの二人大丈夫かな?顔赤いけど…風邪が流行ってるのかな?夏休みはもうすぐなのに…」

 こいつはこいつで鈍感だ!もうついていけない!

「ほほほ。では失礼いたします。いずれまたお会いしましょうカンナギ・ルイカさま」

 カーテシーして私はカンナギ・ルイカに別れを告げる。
 出来るだけ速足で、カンナギ・ルイカが見えなくなってからダッシュする。
 あいつと同じ空間に出来るだけいたくない。
 それに一刻も早く行動を起こさなくてはいけない。
 今日はまだ授業があるけど、早退させてもらう。
 私はすべてを思い出してしまった。
 この世界はかつてプレイした男性向けエロゲー『holy warlord of goddess』の世界だ。
 原作ゲームはいわゆる戦略シュミレーションRPG。
 剣と魔法の戦記ファンタジーだ。
 主人公は大陸全土を巻き込む大戦の中で自分の軍隊を率いるウォーロードすなわち軍閥となる。
 ちなみにハーレムもの、くたばれ。
 現時点からそこで描かれる大戦の勃発まであと一年ちょっと。
 原作通りになればこの世界は血みどろの地獄となる。
 既存の国家や社会はすべて崩壊し、戦国大名みたいな恐ろしい軍閥たちが大陸の支配権をかけて血で血を洗う戦争を繰り広げることになる。
 この大陸に平和なところは何処にもなくなる。
 すべての人々が闘争という地獄へと放り込まれる。

「在王都カドメイア州総領事館へ急いで!」

 私は校門前に止まっていた馬車の騎手に大銀貨を握らせて馬車を一台チャーターし、タクシー代わりにする。
 馬車はすぐに発車して、急ぎ目でアイガイオン邸へと向かった。
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