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17 謎の初日

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 女官補佐としての最終日だったはずが、謎の初日となった。

 ヴェラ女官長によると“王太子付きの女官”とは文字通り王太子専属の女官であって、出身や身分が確固たる由緒あるべきなのはもちろんのこと、長年城内での仕事をあちこち習得し信用を得て、ベテランと化したスペシャリストのみがなれるのだという。

「私、一般市民ですけどっ?! まだ経験が一月しかないペーペーの極みな人間ですけどっ?!」

 池ポチャからの救出といい、いったい自分に何が起こっているのかさっぱりわからないリリアナには、もはや恐怖しかない。
 例えば、池ポチャしたのが王子のほうで、それを自分が救った、ならまだわかる。『なんて立派で勇敢な者なのだろう』と昇格なら、まだわかる。
 ……ポチャったのは自分な上、大迷惑をかけたのだが、これはいったい……。

 連日考え事が多すぎて、引き締まった表情をしているリリアナを、メイド達は憧れるように眩しく見送った。もはや彼女達にとっては、リリアナは異例のスピード出世を成し遂げた生きる伝説となっている。

 リリアナは客室棟から離れるのが名残惜しく、何度も振り返ってメイドへ手を振る。
 何故か多くのお見送りに胸を打つ。
(みんな優しいな! 厨のみんなまで見送ってくれてるっ)

 まさか伝説と崇められているとは露知らずである。

 スッドへの挨拶も済ませたのだが、
「リリアナ、勝ち取りなさい。わたくしはあなたを応援する為にここに残るわ。オヴェストの為にもやりとげましょう」
 と謎の言葉を送られている。

 よくわからないまま、リリアナは足を踏み入れたことのない区画へ案内された。
『宮殿』と呼ばれる王族の居住エリアである。建物や装飾品の雰囲気も変わって、華美すぎず落ち着いている。

 リリアナの女官制服も色違いで、高級感漂う茶色のチュニックになった。

 先導するチェルソン侍従長の代理と思われる若い男についていくと、大きな扉の前だった。
「こちらです。ジルベルト様のお部屋です」
 扉横に控えていた騎士に先導の男が頷くと、その大きな扉が開かれた。

(えー、本当に入っちゃうよ? いいの? 一般市民のペーペーだよ?)

 なんとなく自分の両手を握りしめ怯えながら進めば、チェルソン侍従長が笑顔で立っていた。
 今度はチェルソンについていく形で、部屋のまた別扉が開かれた。

 一気に視界が開けた広々としたリビングのような部屋に通され、ワタワタしている間にチェルソンがリリアナを置いて、部屋を出ていってしまった。

「え! あれ! チェルソン様ああああ」
 閉ざされた扉に飛び付いたところで背後から、呆れたような声が飛ぶ。
「なんだよお前、生け贄にでもなったのか?」

 その口調と声音に聞き覚えしかないリリアナは、喜びあふれんばかりに振り向いた。
「オットーさん?!……あれ?」

 どこからどう聞いてもあの、人を小バカにした言い回しはオットーしかありえないのだが、今目の前に映る人物は、どこからどう見てもパーティーで目撃した麗しく気品に満ち溢れた完璧な佇まいのジルベルト王子であった。

「あれっ?!」

 リリアナは扉に背を張り付けるようにして固まった。
 その見事な混乱っぷりに堪えきれず、ジルベルトは整った顔を大きく崩して「ぶふっ!」と吹き出し、ついには腹を抱えて大笑いしはじめる。

「あーおもしれっ! お前ほんとサイコーにアホだな!」
「え? え?」

 リリアナは自分の耳を疑わずにはいられない。とてもあの、優雅で物腰柔らかく紳士な対応をしていた王子と、同一人物とは思えない現象が起きている。

「こりゃ本当に、チェルソンの言う完璧な人事じんじだった訳だっ」

 そう言いながらも笑いがこみ上げて止まらない王子に、リリアナは既視感を覚えた。

(こ、これは……この感じは……まさか……?)

「……オットー、さん?」

 自然と漏れた言葉に、妙な確信を得たリリアナは、目の前の銀髪をサラサラと靡かせる美しい男の、綺麗に弧を描く口元に釘付けになった。

「やっと気付いたか。これならどこまで気付かれないか試せばよかったな」
「えーーっ!!」

 頭を抱えて絶叫したリリアナに、今度は指を差しながらジルベルトは腹を抱えて笑う。

「うそでしょ! え、なんでよっ! 意味がわかんないっ! オットーさん、王子に変装してたのっ?!」
「アホ、逆だろ。存在しない男が王子の変装してどーする」
「なんでそんなややこしいことしてるんですかっ」
「チェルソンがお前に絶大なる自信を持ってたからだろ」
「意味がわかりません! 誉められてることしか!」
「誉めてはないからなっ。お前だと俺の身バレの心配が皆無だから、直接令嬢達の情報を聞けとチェルソンが言ってきたんだっ。だから俺は最低限の変装をしただけだっ」
「なっ!」

 確かにマントを被っただけの状態だったはずのオットーを、王子と疑うことなど微塵も思いつかなかった自覚があるリリアナは絶句した。
 パーティーの時に王子に既視感を覚えたのは、銀髪でも弟王子でもなく、マント下から少し覗く口元や顎のラインからだったのかもしれない。

「それにしたってオットーさん、パーティーの時と全然雰囲気違うじゃないですかっ」
 ジルベルトはフンッとばかりに腕を組んでみせた。
「当たり前だ。俺は王太子だぞ。いつでも完璧じゃなけりゃいけないんだ。猫被りまくって当然だろ」
「まじですか……皆騙されてるのか。オットーさんのほうが本性なのかいっ」
「言っとくけど、今度からその名前を呼ぶなよ、周りに違和感しか与えないぞ。あの日咄嗟に付けた名前だから、お前とチェルソンしか通じないからな」
「えーーっ!」

 リリアナの積み上げた一月が完全に覆された。あーだこーだと、自分でももはや何を喋りまくってきたのか不安になるほど、この国の王太子にペラペラと呑気に喋りかけていた。絶対あってはならないことで、むしろよく牢屋に放り込まれなかったもんだと思う。

 そこでハッと我に返った。今現在、進行形で王太子に対して横柄な態度をとりまくっていたことに。

「で、殿下っ! この度はわたくしを女官として雇いくださり、ありがとうございますっ。一生懸命働きますっ」
「ぶっ!」
 何故か王子は吹き出した。
「え」
「あのな、今さらだぞ。そして気味悪いからやめてくれ」
「なっ!」

 礼の形を取ろうとして、リリアナはやめた。確かに、むず痒いものがある。見た目は王子だが、やりとりからオットー相手にしているとしか思えなくて、気持ち悪かったのだ実際。

「あのー、王子?」
「なんだ?」
「私、王太子専属の女官って言われたんですけど、いったいどんな仕事するのか皆目見当つきませんが」
「ああ」

 ジルベルトはやっと笑いをおさめて向き直った。
「まあ、それは名目上だから気にするな。チェルソンが決めたことだ。適当に俺の身の回りの世話っぽいことしとけばいいさ」
「はい?」 

 そんな大雑把なことでいいのだろうか。リリアナは頭を捻った。名目上とはどういうことだろうか。

「あ、ひょっとして、継続するってことですか? 令嬢の件」
「ああ、そのことはもういい。お前も大変だったな。巻き込まれたのか巻き込んだのかは別として」
「なんで私が巻き込む側ありえるんですかっ」

 リリアナがむくれてみせると、ジルベルトは行儀悪く鼻を鳴らした。
「辞退したオヴェストとノルドだが、二人から丁寧な詫びの手紙が届いた」
「わ、二人とも元気ですかっ?」
「本来なら、城内で起こったことだ。大事な令嬢達を預かる側としても誠心誠意で、もてなし応えなければならなかった。今回のことだって謝罪してもしきれない。なのに……」

 ジルベルトは表情を引き締めた。
「こちらにまったく責める言葉がなかった。それどころか、お前のことばかり気にしていたよ」
「え?」
 ジルベルトは今度はムスッとしたようにリリアナを睨む。
「まるでお前への恋文のようだぞっ。この俺を差し置いて、なんでお前のことばかりなのか、面白くないっ」
「なんですかそりゃ」

 変なところで張り合うジルベルトに、リリアナが今度はプッと吹き出した。

「とにかく、お前の仕事は女官としてではない、夜の仕事がメインだ、わかったか?」
「はっ?!」

 聞き捨てならない単語にリリアナは目を剥いた。しかし、それに気づいていないのかジルベルトは「俺はこれから仕事だ」と奥の扉へ向かって颯爽と歩き出す。

「え、ちょっと待った! せ、説明をっ、詳細をっ!」

 駆け寄ろうとしたリリアナに、一瞬振り返ったジルベルトは、更なる追撃をしていった。

「説明は全部夜だ。夜まで大人しく待ってろよ」
「えーーっ!!」

 何度目か、もはやわからないリリアナの悲鳴が、誰もいなくなった広いリビングに鳴り響いた。



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