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峯森誠司
18話 よみがえる約束(1)
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「え、誠司くん、すごい汗だよ」
俺の様子に気付いたのか、羽馬の表情がハッと動いた。
「ああ、チャリ漕いだから」
多分それ以外の要素でも尋常じゃない発汗をしているんだろうけど。
チャリのカゴに突っ込んでいた水筒を取り出したが、すでに体育祭で飲み切っていて空っぽだった。
「は、入って! お茶飲んでこっ!」
羽馬が大きくドアを開いて真っ青になっている。
「あ、おう……」
自分の代謝に感謝した。羽馬に逆に催促されるように家へ邪魔することになって、初めて羽馬の部屋に入り込んでしまった。
羽馬は帰宅直後だったらしく、二階の部屋に上がるとすぐにエアコンのスイッチを入れて、階下にものすごい勢いで降りて、またすぐにものすごい足音を立てて戻ってきた。
「はい、スポドリ! あとこれ濡らしたタオルだよ!」
「お、おう」
渡されるまま受け取れば、羽馬は机から下敷きを取って扇風機がわりだろうか、扇いできた。
「誠司くん、体調悪かったんじゃないの? もーっ」
なぜか怒っている。
「俺、体調悪かったっけ?」
「え、だって、選抜リレー辞退してたから、熱中症にでもなったかと」
「それは、お前を心配したからだぞ」
「え」
羽馬はピタリと手を止め、ペチャンと力なく床に座った。
「ご、ごめんなさい」
「なんで謝るんだよ」
「ごめんなさい」
体育座りのようにして顔まで伏せてしまった。
話題を変えよう。
「そうだ、見てくれた? 俺、応援合戦けっこうがんばったぞ、めっちゃ恥ずかしかったけど」
羽馬の指先がピクリと動いた。「うん」と微かすぎる返事が返ってくるのみだ。
いやそこは、「かっこよかった」と言ってくれるもんだと思ってたから、わりとショックがでかい。
「……あの長い学ランがさ、黒で余計に暑くってさ、参ったよ」
「……うん」
わ、話題を変えようか。本当は、羽馬の状態を聞きたいけど、触れてくれるな案件かもしれないと思うと、何も言い出せない。かといってこの状況で気の利いた会話なんて俺にできるはずもなく。
羽馬の横へ並ぶように座り直した。頭が冴えるようにと、濡れタオルで顔や首を冷やす。貰ったスポドリもゴクゴクと一気に半分まで飲んでみた。
だけど全然何も浮かばない。
横で小さく縮こまっている羽馬をそっと見て、触れていいのか悪いのかわからない自分が悔しい。元気付けたい、でも間違って傷付けるようなことはしたくない。むやみに混乱させたくないし、でも励ましてやりたい。どうするのが正解なのかわからない、けど。
恐る恐る、羽馬の手に自分の手の平を乗せた。ピクリと指先が跳ねた。それごとぎゅっと握りしめた。伝われって思った。俺の心の中、全部羽馬に伝わっても覗かれても、全然いい。
「……誠司くん」
「ん?」
伏せたままの微かな声は消え入りそうだ。
「すっごく、かっこよかったよ」
「そっか、よかった」
「……眩しくって、目が眩んじゃう」
「褒めすぎだなそれは」
「ううん」
羽馬の頭が少しだけ上がって、覗いた瞳は細められた。一筋、涙が落ちていったように見えた。
「誠司くんは、いつも真っ直ぐで眩しくって、キレイな色なんだ」
「色?」
「うん」
腕に額を乗せてまた顔を伏せてしまった。
「好きって最強にキラキラしてると思ってたんだ。みんな恋してるとき、幸せそうで甘い香りまで届いてくるかんじ。毎日が楽しくて、好きな人とずっと一緒にいられるなんて、恋人同士になるって、すごいことなんだって」
「そうかもな」
確かに。自分のそばに、当たり前のようにいてくれるなんてすごいことだ。それに誰かの手が伸びてきても、手を払いのけることができる距離、してもいい関係。友達と恋人の違いは、そこなんだなと。
「でもね、私は違ったみたい」
「え?」
羽馬が立ち上がり、握っていた手が離れた。表情を隠したまま、背を向けて勉強机に座った羽馬は肘を着いた両手で顔を覆っている。
「全然キレイにならないの。どんどん、いろんな色が混ざっていって、ぐちゃぐちゃになるんだよ。好きって気持ちだけだったはずなのに、すごく嫌なこと考えちゃうんだ。どんどん気持ちが汚れていっちゃうんだ」
「それは俺も同じだ。誰だって嫉妬する。それはきっと好きな人がいれば、自然なことじゃないのか? 俺だって、先輩にすごい嫉妬してたし、対抗意識がすごかったと思う」
羽馬は顔を覆ったまま首をフルフルと横に振った。
「そうじゃないよ。私はもっと、真っ黒だよ」
椅子を回転させて、こちらに向き直った羽馬は手をおろし、真っ赤な瞳で真っ直ぐ俺を見た。
「……今日だって、頑張ろうって思ってただけなのに。キラキラな誠司くんの、横にいられるように、好きになってもらえるように、がんばりたかったのに。今は誠司くんが、これ以上かっこよくならなければいいって思ってる。なんだったら嫌われてひとりぼっちになっちゃえってさえ……最低でしょ? あぁ、私ほんと最低。自分のことしか考えてない」
言葉を失ってしまった。でもそれは、威嚇してるようにも怯えているようにも見える羽馬の表情に、釘付けになったからだ。
俺の様子に気付いたのか、羽馬の表情がハッと動いた。
「ああ、チャリ漕いだから」
多分それ以外の要素でも尋常じゃない発汗をしているんだろうけど。
チャリのカゴに突っ込んでいた水筒を取り出したが、すでに体育祭で飲み切っていて空っぽだった。
「は、入って! お茶飲んでこっ!」
羽馬が大きくドアを開いて真っ青になっている。
「あ、おう……」
自分の代謝に感謝した。羽馬に逆に催促されるように家へ邪魔することになって、初めて羽馬の部屋に入り込んでしまった。
羽馬は帰宅直後だったらしく、二階の部屋に上がるとすぐにエアコンのスイッチを入れて、階下にものすごい勢いで降りて、またすぐにものすごい足音を立てて戻ってきた。
「はい、スポドリ! あとこれ濡らしたタオルだよ!」
「お、おう」
渡されるまま受け取れば、羽馬は机から下敷きを取って扇風機がわりだろうか、扇いできた。
「誠司くん、体調悪かったんじゃないの? もーっ」
なぜか怒っている。
「俺、体調悪かったっけ?」
「え、だって、選抜リレー辞退してたから、熱中症にでもなったかと」
「それは、お前を心配したからだぞ」
「え」
羽馬はピタリと手を止め、ペチャンと力なく床に座った。
「ご、ごめんなさい」
「なんで謝るんだよ」
「ごめんなさい」
体育座りのようにして顔まで伏せてしまった。
話題を変えよう。
「そうだ、見てくれた? 俺、応援合戦けっこうがんばったぞ、めっちゃ恥ずかしかったけど」
羽馬の指先がピクリと動いた。「うん」と微かすぎる返事が返ってくるのみだ。
いやそこは、「かっこよかった」と言ってくれるもんだと思ってたから、わりとショックがでかい。
「……あの長い学ランがさ、黒で余計に暑くってさ、参ったよ」
「……うん」
わ、話題を変えようか。本当は、羽馬の状態を聞きたいけど、触れてくれるな案件かもしれないと思うと、何も言い出せない。かといってこの状況で気の利いた会話なんて俺にできるはずもなく。
羽馬の横へ並ぶように座り直した。頭が冴えるようにと、濡れタオルで顔や首を冷やす。貰ったスポドリもゴクゴクと一気に半分まで飲んでみた。
だけど全然何も浮かばない。
横で小さく縮こまっている羽馬をそっと見て、触れていいのか悪いのかわからない自分が悔しい。元気付けたい、でも間違って傷付けるようなことはしたくない。むやみに混乱させたくないし、でも励ましてやりたい。どうするのが正解なのかわからない、けど。
恐る恐る、羽馬の手に自分の手の平を乗せた。ピクリと指先が跳ねた。それごとぎゅっと握りしめた。伝われって思った。俺の心の中、全部羽馬に伝わっても覗かれても、全然いい。
「……誠司くん」
「ん?」
伏せたままの微かな声は消え入りそうだ。
「すっごく、かっこよかったよ」
「そっか、よかった」
「……眩しくって、目が眩んじゃう」
「褒めすぎだなそれは」
「ううん」
羽馬の頭が少しだけ上がって、覗いた瞳は細められた。一筋、涙が落ちていったように見えた。
「誠司くんは、いつも真っ直ぐで眩しくって、キレイな色なんだ」
「色?」
「うん」
腕に額を乗せてまた顔を伏せてしまった。
「好きって最強にキラキラしてると思ってたんだ。みんな恋してるとき、幸せそうで甘い香りまで届いてくるかんじ。毎日が楽しくて、好きな人とずっと一緒にいられるなんて、恋人同士になるって、すごいことなんだって」
「そうかもな」
確かに。自分のそばに、当たり前のようにいてくれるなんてすごいことだ。それに誰かの手が伸びてきても、手を払いのけることができる距離、してもいい関係。友達と恋人の違いは、そこなんだなと。
「でもね、私は違ったみたい」
「え?」
羽馬が立ち上がり、握っていた手が離れた。表情を隠したまま、背を向けて勉強机に座った羽馬は肘を着いた両手で顔を覆っている。
「全然キレイにならないの。どんどん、いろんな色が混ざっていって、ぐちゃぐちゃになるんだよ。好きって気持ちだけだったはずなのに、すごく嫌なこと考えちゃうんだ。どんどん気持ちが汚れていっちゃうんだ」
「それは俺も同じだ。誰だって嫉妬する。それはきっと好きな人がいれば、自然なことじゃないのか? 俺だって、先輩にすごい嫉妬してたし、対抗意識がすごかったと思う」
羽馬は顔を覆ったまま首をフルフルと横に振った。
「そうじゃないよ。私はもっと、真っ黒だよ」
椅子を回転させて、こちらに向き直った羽馬は手をおろし、真っ赤な瞳で真っ直ぐ俺を見た。
「……今日だって、頑張ろうって思ってただけなのに。キラキラな誠司くんの、横にいられるように、好きになってもらえるように、がんばりたかったのに。今は誠司くんが、これ以上かっこよくならなければいいって思ってる。なんだったら嫌われてひとりぼっちになっちゃえってさえ……最低でしょ? あぁ、私ほんと最低。自分のことしか考えてない」
言葉を失ってしまった。でもそれは、威嚇してるようにも怯えているようにも見える羽馬の表情に、釘付けになったからだ。
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