京に忍んで

犬野花子

文字の大きさ
上 下
32 / 33
第三章

炎上

しおりを挟む
 タキが囚われていたどこかの小さな民家を飛び出すと、周囲はのどかな田園風景が広がっていた。延々と続く砂利道の横には田んぼ。ポツポツと同じようなこじんまりした民家が点在しているだけだ。

 京ではない場所ということに気付き、タキの焦りは益々膨らむ。空を見上げて、太陽の位置から見当を付け砂利道を駆け出した。
 しばらくすると牛車に出会い、京に向かう商人だと知ると、タキは迷わず羽織っていた淡紫のひとえを渡し、荷台に乗せてもらった。これは、帰ってきた愛娘タキの為に、父である左大臣源兼仁が作らせたものであり、生地や紋様を食い入るように見た商人は何も問わず乗せてくれた。

 荷を引きながらもあり牛の歩みは遅く、タキは焦りを募らせるばかりであったが、この長い距離、体力が落ちてしまっていた身体を休ませるにはとてもありがたかった。

 牛車はやがて泰平京の南に位置する大門をくぐった。大内裏に向かって順調に北上していたのだが、「おや?」という商人の声に、荷を砂煙から守る為の簡易に張られた帆の奥からタキは顔を出した。
「どうされました?」
「いやあ、ほら、見てください」
 商人は真っ直ぐ大路の先を指差した。

 東西南北に規則正しく道が張られて、ここはまさしく泰平京であり、さきほど南の大門をくぐり真っ直ぐとこの大路を北上している。この先には京の政治を司る中枢部や帝達が住まう大内裏がある。その北の空がもくもくと広がる黒煙で汚れていた。

「ありゃあ、火事ですかな」
 商人の言葉に、月弥の台詞が甦り、タキの頬に汗が滑り落ちる。

(内裏に、火を放ってすべてを終わらせる気っ?!)
 タキは、動き続けていた牛車の荷台から飛び降り駆け出した。
「あっ! ちょっと大丈夫かいっ?!」
「ありがとう! ここまででいいわっ!」

 大路を駆け続ける。周りの景色も変わってきた。立ち止まり空を見上げる者はもういない。あちこちの建物や道から人が荷を持って逃げ出している。
 すでに視界に広がる空は黒く塗り潰され、走り抜け続けると、バチバチと焼き付くされていく建物の音、逃げ惑う悲鳴や消火作業に吠える怒声が、どんどん増え飛び交う。

「あ! タキ! タキじゃないかっ!」

 すれ違いざまに声をかけられ振り返ると、煤まみれだが懐かしい顔の伝助だった。
「……伝助? なぜこんなところに?」
「え? ちょっと仕事で来ててさ……。それよりどこ行こうとしてんの? そっちはもう危ないから、」
「ねえ! どこが燃えてるの?! まさか、やっぱり大内裏なのっ?!」
 物凄い剣幕で飛び付いてきたタキに、伝助は狼狽える。
「え、いやまあ、そうだけど。風が出てきて火の回りが早いからさ、これ以上行くな……あ、おいっ!!」

(どうしよう!! 慶時様っ!! 東宮である以上内裏からは離れられない!! 間違いなくあの先にいるのにっ!!)

 赤い舌のようにチロチロと火の粉を巻き上げながら、黒煙は京の都を呑み込もうと広がり続けていた。

 タキはそれでも走った。
 辺りは貴族の邸が立ち並ぶ区域に入っていたが、そこかしこから飛び火して燃え出した建物を、火の手を遮る為に壊す男達が出入りし、女房達や貴族が逃げ出している。
 正面に巨大な門の屋根が見えてきた。大内裏の南入り口のひとつである。
 逃げ出してきたのか多くの貴族や女房達が、煤汚れたまま呆然と立ち、または座り込んで門を見つめている。
 タキの足も、徐々に力なく弱まり、やがてピタリと止まってしまった。
 同じように、呆然として燃え行く巨大な門を見ることしか出来なかった。
 大きく開け放たれた門の先には、ゴウゴウと炎の柱がぶつかり合い絡み合い、そしてさらに膨らみ、やがて門の屋根をも呑み込んでしまったのだ。


 遠くでゴウゴウと、風とも言えぬ空気を削るような音が聞こえてくる中、風太郎は村長の横に立つ男を睨みながら胡座を崩し立ち上がった。
 女と見紛みまごうばかりの面差しに長い髪、しかしすらりと背は高く、唯一露になっている喉元や手の角ばった造りが、男であると示している。
 タキと囚われていた、右大臣の邸で見かけた男に間違いなかった。

「お前、タキをどこにやった」
 真っ直ぐ睨んでくる風太郎を、月弥は落ち着いた様子で眺め首を傾げた。
「あなたは、確か……」
月之弥つきのひさ様すまぬ、ワシの孫じゃ」
 村長の言葉に、月弥は一瞬目を見開いた。
「そうですか……。なら早くここから立ち退かせなければなりませんよ。火は着きました」
「そうなんじゃが……」
「おいっ! タキの居場所吐くまでここから退かないぞっ!」
 風太郎の怒鳴り声に村長は息を吐いた。
「あの調子でな……」

 月弥は一歩前に出て、凪いだ瞳を風太郎に向けた。
「かの姫はこの京にはいません。ここは、京はやがて火の海です。あなたも早く逃げたほうがいい」
「……お前、タキをどうしたかったんだ……」
 風太郎も一歩、前に詰めた。
「クソババァと手を組んでタキを拐って自分達の復讐に使ったんだろ。焼き尽くすつもりのこの京から今度は拐った。あんたのしてる事が、わからねえっ」
「……そうですね……少なくとも、わたしは姫を愛していたようです」
「……は?」
「……」
 風太郎は目を見開き、村長も顔を上げた。二人の視線を受け、月弥は続けた。
「右大臣の邸で、あなた方を見た時に、自分がどうしたいのかわからなくなったほどには、仁子姫を愛していたようです。東宮が彼女の腕に契りを巻くよりもずっと前から」
「月之弥様……」
 村長はシワシワの顔をさらに歪めて俯いた。その肩をそっと抱きながら月弥は真っ直ぐ風太郎を見つめ返した。
「それでも、どうにもならない事は起きるのです。わたしの手からはすべてのものが消え行くものでしたから、その感情を取り戻すのが、遅かったようですね」
「お前……」
 清らかに微笑む月弥を、風太郎は両手を握りしめて受け取ることしか出来ない。
「仁子姫は、京の南に下った小さな里に呪で縛っています。早くここから行きなさい。この邸と一緒に焼かれたくなかったら」
「……あんたたち、まさか……」

 風太郎が言いかけたその時、無意識に風太郎と村長の耳が、火の勢いに紛れる小さな音を捉えた。
 その指笛に弾かれるように風太郎は部屋の閉じられていたひとつの蔀を押し上げ飛び出した。

 その開け放たれた先を見つめながら、村長は口を開いた。
「……月之弥様、あなた様は生きてくだされ。ワシがそもそも言い出した事。さらにあなたを不幸にしたかった訳じゃなかった……」
 震える白髪を優しく見下ろしながら月弥は首を振る。
「なにを言いますか。わたしはあなたに救われたのです。あなたをひとり残すなどありえません。わたしのそばにずっといてくれた、今までも、これからもですよ」
「ううっ、月之弥様……」
 崩れ落ちた村長を、腰を降ろし庇うように抱きしめた。
 勢いを増す炎の轟で、建物は悲鳴を上げ揺れていた。


 風太郎は飛び出した途端、目の前の庭や向こう側の建物に火がついていていることにたじろいだものの、すぐにピュウッと鋭く指笛を返す。すぐに応える音が近付いてくるのがわかるとその方向に向かって駆け出し、すぐに真っ黒に煤汚れた伝助と出会い頭にぶつかった。

「よかった! 風太郎無事かっ! この邸にも火が放たれてるぞ、すぐ出ろ! いやそれよりっ」
「どうした?!」
「タキが、なんでか知らねえけど、燃えまくってる大内裏に向かっていっちまったんだ!」
「な、んだって?!」
 風太郎の顔から一気に血の気が失せた。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~

ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。 2021/3/10 しおりを挟んでくださっている皆様へ。 こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。 しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗) 楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。 申しわけありません。 新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。 お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。 修正していないのと、若かりし頃の作品のため、 甘めに見てくださいm(__)m

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

【R18】幼馴染がイケメン過ぎる

ケセラセラ
恋愛
双子の兄弟、陽介と宗介は一卵性の双子でイケメンのお隣さん一つ上。真斗もお隣さんの同級生でイケメン。 幼稚園の頃からずっと仲良しで4人で遊んでいたけど、大学生にもなり他にもお友達や彼氏が欲しいと思うようになった主人公の吉本 華。 幼馴染の関係は壊したくないのに、3人はそうは思ってないようで。 関係が変わる時、歯車が大きく動き出す。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

高級娼婦×騎士

歌龍吟伶
恋愛
娼婦と騎士の、体から始まるお話。 全3話の短編です。 全話に性的な表現、性描写あり。 他所で知人限定公開していましたが、サービス終了との事でこちらに移しました。

明智さんちの旦那さんたちR

明智 颯茄
恋愛
 あの小高い丘の上に建つ大きなお屋敷には、一風変わった夫婦が住んでいる。それは、妻一人に夫十人のいわゆる逆ハーレム婚だ。  奥さんは何かと大変かと思いきやそうではないらしい。旦那さんたちは全員神がかりな美しさを持つイケメンで、奥さんはニヤケ放題らしい。  ほのぼのとしながらも、複数婚が巻き起こすおかしな日常が満載。  *BL描写あり  毎週月曜日と隔週の日曜日お休みします。

処理中です...