京に忍んで

犬野花子

文字の大きさ
上 下
31 / 33
第三章

照らされぬ月

しおりを挟む
 月弥は、快楽の世界から何度も抜け出ようとして躊躇してしまっていた。それだけタキの身体に溺れて後悔をする。

 短くなった燈台の蝋燭をひとつずつ新しいものに付け替えては火を灯していく。
 部屋の中央に畳二枚を重ね、しとねを敷いただけの場所に横たわるタキを見下ろしながら髪をすいてやった。
 身じろぎしてタキの長い睫毛がふるふると揺れ、月弥を見上げる。
「……あ……」
 その掠れた声に、月弥は微笑んだ。
「無茶をさせてしまいましたね……。最後と思うと、なかなか歯止めがきかなくなりました」
「……さい、ご?」
 タキはその言葉に、重い身体を起こして腕をつきながら、目の前の美しい男を見つめた。
 それを受け、月弥はフッといつになく柔らかい笑みを浮かべる。
「あなたに、聞いて欲しいことがあります。……あなたには、懺悔しなければならない」
 タキの顔にかかった髪を指先で肩に流すと、月弥は視線をそこから外し、燈台の炎を瞳に揺らめかせた。

 タキはその瞳に吸い込まれそうになりながらも、口元をキュッと引き締めた。
「……聞いても、きっとあなたを許すことは出来ないわ」
「ええ、それで良いのです。わたしは許されざる者でしたから、今も、昔も」
 どこか遠くに想いが飛んでいるような、儚げな面持ちでポツリと月弥は溢した。
「……あなたは、何者なの?」
 腕をつき真っ直ぐと艶やかな黒目を向け、タキは問う。すべては、そこにあると肌で感じたのだ。

「わたしの母は、今の弘徽殿女御や麗景殿女御よりも前に帝の元へ入内したと言えば、わかりますか?」
「え?」
「それすらも記録から抹消されてますけどね」
 フッと冷え冷えとした笑みを溢した月弥の横顔を見ながら、タキは驚き二の句が継げないでいた。

 今は弘徽殿女御が下ったので順位は違うが、その弘徽殿女御が帝の第一后であるものと誰もが認識していた。だからこそ慶時親王が、年上の恒和親王を抑えて東宮となっているのだ。産まれた順番ではなくあくまで、后がどれだけ帝に寵愛されているか、なおかつ子供の性質が買われているかで、世継ぎが変わる。

「母はあまりにも美しかった。それ故に、短命で終わってしまいました。噂を聞いた上皇が帝の后にと、無理矢理に入内させたのですがね、わたしがもうすぐ元服をし、正式な東宮となるという時に、不義の子と糾弾される事態になって、一族ごと潰されましたよ」

 あまりにもサラリと顛末を語られた内容は、それでも深くタキのしんの奥に刺さった。
「……不義ではない、ということなのね。誰かに嵌められたのね」
「ええ。母は何も語らぬまま床に伏せそのまま召されてしまいましたので、本当のことはわかりませんが。他の権力者からのはかりごとで噂が立てられたのか、上皇に閨を強要された上、都合が悪くなり切り捨てられたのか。人は色んな噂をそれは楽しそうに話すものですから、純粋で優しかった母の心は、すぐに壊れてしまいました」

 短い間だが入内していたタキには、ありありと浮かび上がる起きてもおかしくない卑俗さであった。
「誰の差し金だとはわからず?」
「ええ」
 月弥はいまだボンヤリと炎に見入ってるかのように、心ここにあらずと吐露する。
「もう、誰だったかなど、良いのです。あの忌わしい世界さえなくなればそれで」
「ひょっとして、今までの事件は、すべてあなたが操ってた、の?」

 今まで起きた事が、あまりにもスッキリと解決していったからこその違和感。それは、すべてこの月弥が計画して淡々と行われていただけのものだったのか。だからこそ、こちらを協力している風を装って、右大臣を陥れたのだろう。

「てっきり、大納言の言いなりで動いてるのかと思った。でも、あなたが大納言をも操っていたのね」
 蒼白な面持ちのままそう問うと、柔らかな笑みで向き直った月弥は首を振った。
「そこまで大それた事はしていないのですよ。焦りや虚栄心が彼らの欲を増大させた。わたしの意図を越える人達に驚かされましたし。……ただ、あなたには本当に申し訳ないとは思ってますよ。東宮に求婚されたあの幼き女童を、利用したのは他でもないわたしですから」
「右大臣を唆して私を拐わせ、それを後の札にして内裏から追いやった」
「そうです」
「それは、大納言に協力をするフリでもあったのね」
「ええ。まさかまたあなたを浚うとは思ってもいなかったですけどね。起きた事、起こされた事はすべて利用させてもらいました。しかし、買いかぶりすぎたのか、彼らはもう一歩のところで詰めが甘い。もう、ひとつずつ壊していくのが面倒になってしまいましたよ」
「えっ?!」

 すくりと立ち上がった月弥に、妙な胸騒ぎを覚えて見上げた。
 それを受け止めるように月弥は僅かにその美しい唇に弧を描く。
「お別れです。……もう一度、やり直せるのなら、あなたのその腕に契りが巻かれる前に……」

 最後まで言わず、ぐるりと囲っている几帳の隙間を縫って、月弥の姿は消えた。
「待って! 月弥っ!」
 燈台の炎がそれに答えるようにフワリと揺れるだけで、もう男の気配がこの部屋にないことを映すだけだった。

 タキの身体は一気に汗が吹き出す。心音が、身体を支えている腕を揺らめかせる。

『ひとつずつ壊すのが面倒になってしまいました』
『お別れです』

 月弥の目的はただひとつ、すべてを奪っていった者への復讐であることは間違いない。
 ただ、直接の始まりであったろう母上を無理矢理入内させたという上皇は、病死でもうすでにこの世にはいない。
 だとすると復讐の矛先は、右大臣や大納言への復讐が終えたとして、いや、もう面倒だと言った。
 ということは、帝に手をかけようと?

『あの忌わしい世界さえなくなれば』

 違う、月弥は、誰であろうともういい、と言った。
 彼にとって憎むべきものは、あの内裏ばしょがすべてなのだ。

「慶時、様」
 思わず溢れた名にハッと頭を上げた。
 彼もまた、憎むべき人であり、憎む場所にいる者。
(いけないっ! 慶時様の身がっ!)

 腕の力を込めて立ち上がろうとするが、腰に力が入らない。這いずって畳の上から降りようとするも、なぜか身体が不自由に鈍く重く感覚を切断されていくようだ。
「月弥……また、呪をかけたのねっ」
 気持ちが焦れば焦るほど、畳の上に崩れ落ちるだけ。暫くもがくも、どうにも打破できる気がしなくなってきた。

 タキはひと呼吸置く。
 呪が施されたのなら、『この場所から逃げ出す事』を封じられたはずである。考えがそちらに向くと身体が重くなる。しかし、月弥は自分をこのままここに留めて衰弱死させる気まではないだろうと思った。殺すならまどろっこしい事はせずに手をかけ、すぐに内裏へ向かっていたはずである。もっと言えば殺すことが目的であれば、わざわざ連れ出さずとも左大臣邸で手を下していたであろう。

(時間経過を待つ?! いや、いつまでこのままなのかわからないっ。何か、私を一定時間縛るモノがあるはずっ)

 心を静めて、逃げる事を頭から追い出し空っぽにすると、タキはゆっくりと部屋を見渡していった。
 部屋には、この畳とぐるりと囲んだ几帳、そして燈台が四脚。
 結界に使うとするなら、この畳が降りられないということで怪しいが、それだと時間による制約は行えないだろう。

 タキは、心を無にして畳の端になるべく身体を寄せた。不自然に畳の角付近に置かれている燈台の蝋燭に、フッと息をかけて消す。黙々と四脚とも吹き消すと、さきほどまで鉛のようだった身体が浮遊する感覚を手に入れた。




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

蛇神様の花わずらい~逆ハー溺愛新婚生活~

ここのえ
恋愛
※ベッドシーン多めで複数プレイなどありますのでご注意ください。 蛇神様の巫女になった美鎖(ミサ)は、同時に三人の蛇神様と結婚することに。 優しくて頼りになる雪影(ユキカゲ)。 ぶっきらぼうで照れ屋な暗夜(アンヤ)。 神様になりたてで好奇心旺盛な穂波(ホナミ)。 三人の花嫁として、美鎖の新しい暮らしが始まる。 ※大人のケータイ官能小説さんに過去置いてあったものの修正版です ※ムーンライトノベルスさんでも公開しています

【R18】八香姫は夜伽に問う

皐月うしこ
恋愛
時は、戦国。まだ暴力が世界を支配し、弱き者が虐げられる時代。 この乱世の時代において、淑化淫女(しゅくかいんにょ)を掲げ、武将や権力者との交りを生業にすることで、影の支配者と恐れられた稀有な一族が存在する。その一族の名を「八香(やか)」。代々女が君主としてつき、夜の営みを主導することで、政を操作したという。 ※2018年にムーンライトノベルズで掲載した作品。連載再開を機に、こちらでも公開します。

【R18】騎士たちの監視対象になりました

ぴぃ
恋愛
異世界トリップしたヒロインが騎士や執事や貴族に愛されるお話。 *R18は告知無しです。 *複数プレイ有り。 *逆ハー *倫理感緩めです。 *作者の都合の良いように作っています。

ねえ、私の本性を暴いてよ♡ オナニークラブで働く女子大生

花野りら
恋愛
オナニークラブとは、個室で男性客のオナニーを見てあげたり手コキする風俗店のひとつ。 女子大生がエッチなアルバイトをしているという背徳感! イケナイことをしている羞恥プレイからの過激なセックスシーンは必読♡

完結【R―18】様々な情事 短編集

秋刀魚妹子
恋愛
 本作品は、過度な性的描写が有ります。 というか、性的描写しか有りません。  タイトルのお品書きにて、シチュエーションとジャンルが分かります。  好みで無いシチュエーションやジャンルを踏まないようご注意下さい。  基本的に、短編集なので登場人物やストーリーは繋がっておりません。  同じ名前、同じ容姿でも関係無い場合があります。  ※ このキャラの情事が読みたいと要望の感想を頂いた場合は、同じキャラが登場する可能性があります。  ※ 更新は不定期です。  それでは、楽しんで頂けたら幸いです。

【R18】隣のデスクの歳下後輩君にオカズに使われているらしいので、望み通りにシてあげました。

雪村 里帆
恋愛
お陰様でHOT女性向け33位、人気ランキング146位達成※隣のデスクに座る陰キャの歳下後輩君から、ある日私の卑猥なアイコラ画像を誤送信されてしまい!?彼にオカズに使われていると知り満更でもない私は彼を部屋に招き入れてお望み通りの行為をする事に…。強気な先輩ちゃん×弱気な後輩くん。でもエッチな下着を身に付けて恥ずかしくなった私は、彼に攻められてすっかり形成逆転されてしまう。 ——全話ほぼ濡れ場で小難しいストーリーの設定などが無いのでストレス無く集中できます(はしがき・あとがきは含まない) ※完結直後のものです。

マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子

ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。 Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

処理中です...