京に忍んで

犬野花子

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第三章

裁き

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 京の内裏にて登花殿から長い距離を、足の速度を緩めることなく袴を美しくさばきながら行く慶時の表情は青ざめていた。
 そのすぐ後ろを追う忠明も、同じく険しい表情を浮かべていたが、幾分冷静に目の前の主の背に声をかけた。
「どうか興奮せずに落ち着いてくださいっ」
「わかってる! わかっているがっあの男っ」
 慶時は右手に握り潰した紙をさらに締め上げた。

 そのままの勢いで、麗景殿に向かう。そこに、麗景殿女御の兄である大納言藤原宗鷹が参内していると聞き付けたからだ。

「な、何事でございましょう」
 簀子に飛び出るようにして女房が道を塞ぐが、「東宮が参ったと、に伝えよ」と忠明が鋭く声を上げると、よろめくように戻っていった。
 そのまま後を追う形で慶時は止まることなく進み、大納言の連れた女房が伏せている場所で座すると御簾向こうに声をかけた。
「麗景殿女御殿、ご無礼つかまつる」

 東宮と言えども、帝の妃である女御と対面することは皆無と言っていい。しかも、不意を突く為突然押し掛けた。

「まあ、東宮様ともなろう方が、このように常識を欠いてまで、いかがされたのでしょう」
 奥から高い声が隠しもしない嫌味を飛ばすが、慶時は冷ややかな表情を崩すことなく応える。
「そこにいる大納言殿に火急の用がございまして。この場をお借りいたしたく参りました」
「なんの先触れもなく、さような無礼を引き受ける義理などございませんのよ」

 言外に、“あなたよりも帝の実質的正室になった自分が上にある”と示している。
 自分の実母である弘徽殿女御がいなくなって、我が物となったこの内裏でさぞかしご機嫌に過ごしていたのだろうと、慶時はフッと自嘲的に笑みを溢した。それもこれも、東宮の後ろ楯であった右大臣を内裏から退かせたのは他の誰でもない、自分であるのだから。

「さようですか。それでは、このままここでわたくしの独り言をお聞きいたしますか? 謀叛が行われていたという投書がありましてね、帝に上申する前に大納言殿に確認いたそうかと思ったのですが」
「麗景殿よ、この場を借りるぞ」
 上擦った濁声が鋭く飛び、立ち上がる気配がすると御簾が上がった。ギョロリと周囲を見渡し「お前達、控えで待機しろっ」と女房達を追い払う。
「お兄様」と、半ば咎めるような女御の呼び止めにも、血の気の失せた顔を奥に向け、「下がられよっ」と一喝する、動揺ぶりであった。

 渋々というていで麗景殿女御は自らの女房を従えてゾロゾロと姿をなくした。
 絹ずれの音が消えシンッと静まると、大納言はドスンッと重さに任せてひさしに座り込む。それを受け、慶時も御簾をくぐり大納言の前に座した。
 冷静さを取り戻すかのようにパタパタと扇子を扇ぐ大納言の顔をヒタと見据えて、慶時は口を開いた。

「まず、あなたの意図をお聞きしたい。あなたのご息女がわたくしの寝所に入り込んだ件について」
「おや、それはわたしに聞くのは見当違いでございましょう。こちらでは、よくあることではないのですか?」
 大納言はいやらしく笑みを浮かべて流し目を向ける。
「なるほど。その言葉、今後なきよう肝に命じておきましょう。幸い、そこにいるわたくしの優秀な侍従が過ちを寸での所で防いでくれたのでね」
 チラリと忠明のほうに視線を流すと、大納言は一瞬眉を動かしたものの扇で口元を隠したまま笑った。
「それはそれは、こちらが礼を言わねばなりませんなあ。娘の貞操を守ってくださった。我が娘ながらお恥ずかしいかぎりで」

 あくまで娘が独断での行為だとすっとぼける大納言を、慶時は顔色変えず見つめた。
「ところで、内裏で毒や呪詛の事件が相次いでいたのをご存知ですか?」
「ああ、あれは厭わしい事件でしたなあ。なんたる不敬な輩がおるもんかと驚いた次第ですわ」
「大納言殿が、そう思われるのは意外でしたね」
「意外ですと? 心配で夜の寝つきも悪いほどでしたぞ。東宮がこうして元気でいらっしゃるのが何よりの救いですなあ。大事に至らなくてよかった」
「わたくしが、ですか?」
「間違って飲んではおられんのでしょう? さすが東宮殿ですな」

 慶時は片時も視線をそらさず大納言を貫くように見る。
「その話は、どこで?」
「え?」
 一瞬戸惑いを見せるも笑顔を張り付ける。
「それは、もう噂が持ちきりで皆も心配しとりましたわ」
「わたくしへの毒や呪詛については、どこにも明かしておりませんし、内密のうちに終わったのですがね」
「……え……いや」
「わたくしが今話していたのは、右大臣が行った事についてです」
「あ、そうです! いやあ女の嫉妬というものは怖いものですな!」
 汗でテカる額もそのままに扇を扇ぐ音が忙しくなっている。
 慶時は妖しく瞳を細めた。
「ほう、なぜ女の嫉妬だと?」
「いや、東宮妃候補の者同士の……」
「おかしいですね。その件については犯人が誰とも公にしておりませんが、なぜ女と断定されて申されたのか。右大臣の娘、頼子殿が里下りしたのと、毒の事件が結び付いていらっしゃる。よくご存知なようで」

 そこで初めて大納言は明らかに血相を変え、薄い唇を震わせた。

「では本題に入りましょう。わたくしの元へ届いた投書、いや、密書がありましてね」
 手に持ったままであった書状を、握りしめてついたシワを伸ばすことなく、前に置いた。
 ピクリと大納言の恰幅良い体が揺れるが、それでも声色は震えはしても優雅に取り繕う。
「これが、先ほど、申されていた?」
「そうです。見覚えはないですか?」
 開いてみせるが、大納言は「さて」と首を傾げる。しかし、その表情は岩のように固まっていた。

 構わず慶時は書状を持ち、真っ直ぐ大納言を見据えた。
「ここには、『月』という紋様のようなものがありまして、あなたはこの印に覚えがあると見受けられますが、ここ最近のいくつかの事件について箇条書きがされているのです」
 何も発せず固まったままの大納言に向かって読み上げた。
「その壱、右大臣の娘。嫉妬を煽りて罪を炙り出す。その弐、右大臣。焦心をつついて罰を露に。その参、内裏を燃やし娘を差し出す。日時、方角、すべて吉」

 大納言は口をパクパクとさせながら、言葉にならない呻き声を出した。その目の前に、密書を放り投げ慶時は笑った。
「さて、ここで先ほどの話に戻りますが、その壱とその参、大納言殿はよくご存知のようで」
「いやっ……」
「この密書を送り付けてきた者に、どうやら吉凶を占わせていたようですが」
「わっ、ワシはしっ」
「知らないとは言わせません」
 ピシャリと慶時は鋭く遮った。
「あなたの名はどこにも無い。ですが、内裏の放火で宣耀殿から出たわたくしの元に、あなたの娘が入り込んだのは偶然とは片付けられませんね」
 大納言は、はぁはぁと呼吸を乱しながら懸命に扇を振る。
「と、東宮殿っ、こ、これには訳がございますっ! わ、ワシっいや、わたしは嵌められたのですっ!」
「ユゲノツキヤ、ですか」
「な、なぜその名をっ……」
 大納言は溢れるほどに両目を開いて戦慄く。
「どちらにしろ、この事は帝の耳に入れさせてもらう」
「まっ、待ってくだされっ! ひ、ひとつお教えいたしますから許してくだされっ!」
 スクリと立ち上がった慶時の足元に転がり込むように、大納言は真っ青な顔をひれ伏し叫んだ。
「その、弓削月弥は、ワシが脅して使っていた陰陽師っ。脅していた内容はっ」

 急に辺りが騒がしくなった。遠くから激しく鐘の鳴る音に、御簾向こうで控えていた忠明が異変を察知して叫んだ。
「慶時様! あの音は火事です!」
 鋭く大納言を見下ろすと、真っ青なまま脂汗で濡れる丸い顔を必死に振っていた。
「違います! これはワシではありませんっ!」

 その音はやがてすぐに、内裏のみならず大内裏をも呑み込むほどに急速に広がった。
 帝が住まう内裏と、さらに泰平京の国家中枢を担う役所を含んだ大内裏のすべての門から火の手が上がっていた。
 火の壁による、巨大な密室になっていたのだった。


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