京に忍んで

犬野花子

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第一章

ひとつの綻び

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 梨壺の簀子すのこには、忠明を真ん中に狩衣姿の男達がズラリと並んで座っている。
 御簾みすの中の頼子はイライラとした様子で扇子を扇いでいた。
「これはいったいどういうことかしら。なんの先触れもなく、急にこのような。失礼ではありませんの?」
「このような形を取らざるを得ないことをお詫び申し上げます。しかしながら頼子殿の、疑惑を招かざる行動有りと密告を受け、これよりその疑いを晴らすべく協力頂こうとの所存でございます」
「疑惑、ですって?」
 頼子はピクリと眉をしかめた。
「はい。桐壺の件、と言えばおわかりでしょうか?」
 ヒタと御簾向こうを見据えたまま、忠明はきっぱりと言う。
 頼子の動揺は明らかだったが、取り乱すことはせず、小刻みに扇子を扇ぐ。
「噂で聞き及んでおりますわ。なにやら呪いに苛まれたとか。……それがこちらとなんの関係がおありですの?」
「呪いではありません。人為的なものでございました。眩暈を強く起こす薬でございます」
「なっ……」
 頼子は絶句してのち、周囲の女房を見やった。
「わたくしは、そのような物、持っていませんわ」
「ええ、ですからその疑いをこの場で晴らさせて頂きたいのです」
「……なるほど……わかりましたわ、お好きになさいませ」
 頼子はそれについては自信があるのか、扇子をクイッと動かした。周囲の女房達が立ち上がり御簾を上げていく。

「では失礼つかまりまする」という忠明の声とともに、控えていた男達が立ち上がって建物内へと入っていく。
 棚に並べた調度品や壺の中など丹念に調べていく。

 硯箱すずりばこの中や脇息きゅうそくの位置をずらしたり入念に調べる中で、ひとりの男が声をあげた。
「これは」

 御調台にかかる白いとばりの端を持ち上げ手にしているものは、小さな懐紙であった。

「そっ! そんなっ!」
 ガバリと裾も気にせず立ち上がり頼子が叫ぶ。
「なぜっ! まだここに?!」
 振り向きざま傍にいた年配の女房を睨むと、その女は怯えたように首を振る。
「いえっ……そんなはずはっ……」

 簀子に座ったまま一部始終を静かに見守っていた忠明は、パシリッと大きな音を立てて笏で手を打つ。
 その音にビクリと頼子と女房が振り向いた。

「大事にするつもりはないのです、頼子殿。あなたの立場がどのようなものか、おわかりでしょう」
「お、お待ちくだされっ、これはわたくしがひとりでしたことでございますっ!」
 女房が慌ててへばりつくよう床に膝をつき忠明の前に行くが、男の顔は能面のように色を消し去っていた。
「ひとり、あなたが? それが嘘だということはすでに証拠を握っております。あなたひとりで出来ることではありません。食事を運ぶ者に心つけをされましたね? 桐壺を通る物は位置的にこの梨壺の横を通ります」
「そ、それはっ」
「この内裏の中で心つけをすることは普通では難しいことでしょう。しかし、頼子殿にはつながりがたくさんおありでしょう。あなたの父上は弘徽殿女御様の実兄なのですから」
 そう言って目の前の女房を通り越して、立ち上がったまま蒼白になっている頼子を睨み上げる。

 その瞬間クタリと力を無くして頼子が座り込むと、他の女房が慌てて体を支えた。
「……ち、父上は関係ないのです……。わ、わたくしがひとりで……本当です……」
 気丈な姿はどこにもなく、ただただ怯えるように忠明を見る。
「そのお言葉、信じてよろしいのですね?」
「はい……。わたくしが、東宮様のお側に、仕えることだけがわたくしの……」
 そのまま崩れるように伏せ、咽び泣く声だけがその場に響いた。


「はあ……まったく女というものは……」
 忠明は深い溜息をついた。

 それをからかうように御簾の中からクスクスと笑い声がたつ。東宮の愉快そうな声がかけられた。
「おやおや、これではまた一段と忠明の女嫌いが深まってしまいますね」
「からかわないでください」
 忠明は行儀悪く顎を膝上に乗せて再び溜息をついた。

「それにしても、右大臣がこの件について関知してないというのは本当なのでしょうか?」
 東宮の不安気な声に忠明も隠さず眉根を寄せた。
「ええ、わたしもそれが心配でしたが、これ以上調べようもなく」
「頼子殿は里下りを認めたのですね」
「はい。これで東宮は晴れて独身街道行きですね」
「ふふふ、それは忠明がでしょう?」
「いえ、わたしは……」
 何かを言いかけて忠明は首を傾げた。

 そんな忠明に東宮は話を振り替えた。
「そういえば、こたびの件、あの小滝の頑張りがなくては収まらなかったと」
「え? ええ……」
「では褒美をつかわそうではないですか」
「……そうですね」
「おや? 忠明らしからぬ歯切れの悪さですね」
 そう言って東宮はクスクス笑う。
「あなたのお気に入りに手を出そうなんて恐れ多いこと、しませんよ」
「からかってますね、東宮」
 横目で睨むように御簾を見やる。
「ふふふ、こんなこと、一生に一度あるかどうかですからね。まあ、それは別としても、小滝殿に希望の褒美があるか、聞いてみてはいかがですか忠明様?」
「……あんまりからかうと、怒りますよ、東宮様」
 そう言ってスクッと無駄なく立ち上がった。


 タキは忠明に呼ばれて、無人となった梨壺に座っていた。
 ほどなくして、スルスルと音がして忠明が中に入ってきて正面に座った。
「この度はあなたのお陰で無事解決とあいなりました。誠にありがとうございます」
 深く頭を下げられてタキは慌てた。
「いえっ、こちらこそご協力頂きまして、ありがとうございます」と頭を下げた。
「このことは文子殿に?」
「はい。すぐに文を送りました」
「そうですか」

 なぜかそのまま沈黙が続く。
 堪えられずタキは口を開いた。
「あの、以上ですか?」
 自分から問いかけたものの忠明にじっと見つめられて、つい視線を伏せてしまう。別にやましいことなどないのに。

「小滝殿は、これからどうなさるおつもりですか?」
「わたし、ですか?……」

 実際のところ、タキは何一つ東宮との繋がりを得ていなかった。このままここに残りたいのだが、今となってはその理由がない。

「……文子様の傍に、と思う気持ちもあります……でも……」
 どう答えればよいのかわからず唇も閉じてしまったところで、忠明の手がそっと膝上のタキの手に重ねられた。
 見上げると、僅かに熱の籠った瞳が目の前にあった。
「どうです? 東宮の元に仕えてみませんか?」

 言われた意味がわからなくて、タキはポカンと見つめたままだった。
「……え?……え?」
「東宮があなたに褒美を、と言っております。さすがに妃にとは無理ですが、傍に、わたしの傍に今しばらくいてくださいませんか?」
「……はい?」

 タキは忠明の言葉に混乱し瞳を瞬かせた。
(つまり……どういうこと……?)


 事件は呆気なく解決したかに見えたが、それは解決したかのように見せている、とはまだタキには知るよしもなかった。

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