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第1話
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とある良く晴れた日。
「はい。はい。そうですね。徒歩で来ていただいて、当社から車でいう形で。
はい。日程厳しいようでしたら、なるべく早くご連絡いただければと思います。
はい。はい。よろしくお願いします。はい。失礼いたします」
爽やかな口調で話をし、爽やかな空中のまま電話を切る。
この爽やかな笑顔の男性。汐田 伊織、26歳。不動産会社勤務。
電話を切った後、伊織の表情がみるみるうちに死んでいく。
「はぁ~…」
ため息を1つ。綺麗な空を見上げる。
「仕事…行きたくないなぁ~…」
さっきまでの爽やかな男性はどこへやら。仕方なく職場へ歩き出す。
「よおっ!」
パシンッ!っと肩を叩かれる。伊織が振り返る。そこには満面の笑顔の女性が。
「おぉ、尾内か」
「おはよ」
「おはよ」
この女性は尾内(オウチ) 気恵(きえ)26歳。伊織と同じ不動産会社勤務。
目は鋭く、キツい印象を受けがちだが、すごく柔らかく、温かい笑顔の持ち主である。
「さっきのはお客様?」
「そうそう。今度アポあるお客様。当日はどうしたらいいですかって電話。
部屋何軒か回るんだけど、車で行きますのでっていう」
「朝から大変ですわねぇ~」
「電話来たら尾内だって取るだろ」
「まぁ~ねぇ~」
2人で職場までの道を歩く。
「ちょっとはビックリしてほしかったなぁ~」
「ん?」
「さっき。せっかくそぉ~っと近づいたのに」
「あぁ、さっきね。ビックリしてたでしょ」
気恵(キエ)は思い出す。忍び寄り
「よおっ!」
っと勢い良く伊織の方を叩いて、振り返ったときの伊織の顔を。
「いやいやいや!どこが?この顔のどこが?」
「この顔って言われてもわからんけど。ビックリしてたって」
「いや、思い出してみ?…あの顔が?」
「いやいやマジマジ」
めちゃくちゃ死んだ目で顔の前で左右に手を振る伊織。
「おい。嘘つけ。めちゃくちゃ目が死んどるがな」
2人で職場までの道を歩く。
「あ、そうだ」
気恵(キエ)がなにかを思い出す。
「そういば昨日帰り際に社長がさ「明日伊織くんに良い報告があるから
必ず出社するようにって伝えといて」(社長の声真似のつもり)って言われてたんだ。
伝え忘れてた。よかったぁ~今日出勤してくれて」
と笑顔を向けると踵を返し、クラウチングスタートの体勢を取る伊織。
「おい待て」
発車しそうになる伊織のリュックを掴んで止める気恵(キエ)。伊織も諦めて重い足を進める。
「なに?どしたん急に」
「え。だってあのおっさんの“良い報告”でしょ?」
伊織が社長のシルエットを思い浮かべる。
「自分とこの社長をおっさん言うなよ」
「嫌な予感しかしない」
そんな伊織に反して空は晴れ晴れとしていた。
「あぁ~着いてしまった」
「着いてしまったねぇ~」
「マジで今日だけ帰りたい」
「今日帰っても明日ってなるだけでしょ」
町の不動産 オーライ おおらか不動産
「帰りたい」
「ダメ」
気恵(キエ)が伊織の背中を押し、扉に近づける。伊織が仕方なく扉に手をかける。
「う~わ。入るのキツ」
「そんな、心霊スポット入るみたいな」
「あ。オレが休まずとも社長が風邪ひいてれば無しじゃん」
「人の不幸を願うなよ。てかあの社長が風邪ひくとでも?」
「たしかになぁ~…」
仕方なくドアを開けて出勤。入るとドアの上部についている鈴が鳴る。
デスクのある部屋を覗くと社長が笑顔で2人に手を振ってきていた。
「ほら見てみ?あの笑顔。十中八九なにかある。オレにはわかる。
なんなんあのたかが数メートルなのに、100メートル先に恋人が現れたみたいな手の振り方」
「…まあ、たしかに。あの笑顔にはなにか裏がありそう」
2人とも死んだ目で社長を見た。
カチャッっとドアノブを下げてオフィスのドアを開き中に入る。
「おはよう!尾内くんに伊織くん!」
「お…」
はようございますと言い切る前に社長の隣に人影があるのに気づく。
「はようございます」
どんどんテンションが低くなる。
「おはようございます」
「2人とも一緒に出社だなんて仲良いねぇ~」
「え!いや!たまたまですよ!たまたま!」
「なに焦ってんの」
「うるさい!」
少し焦り、少し照れる気恵(キエ)。
この髭がたわわでメガネのグレー髪の男性が、ここ「オーライ おおらか不動産」の社長
和大(わひろ) 楽界(がっかい)、64歳。
町の不動産として有名で無理難題もなるべく寄り添う
オーライでおおらかな不動産会社なのである。
「明観(あみ)もおはよ」
「おはー」
「おは」
「おう。汐田もおはよ」
同僚にも挨拶する。
「ま、社員仲良いことはいいことだから。
そうだ。尾内くんから聞いてると思うけど、伊織くん!良い報告があるんだよ!」
「はい。ついさっき聞きました」
「跳んで喜ぶこと間違いなし!」
「いや間違いだらけですね。跳ばないし喜ばない」
「じゃ、もう気づいてると思うけどこちら」
「おい。話聞けよ」
社長が左手で左側を見るように促す。
「こちら今日から新人として、うちの会社で働いてもらうことになった」
「ヴァロック・ルビア・ドゥルドゥナードです!
なにもわからないので、先輩方にいろいろと教えていただければと思います!」
「ヴァロ…なに」
「…わからん」
伊織と気恵(キエ)は小さな声で話をする。
新人というヴァロック・ルビア・ドゥルドゥナードと名乗る者は
耳がエルフ耳のように尖っていた。そのことに2人も気づいていて
「これ触れていいやつ?聞いてもいいやつ?」
「わからん」
「今多様性だしさ、ご時世的にも聞いたらなに言われるかわからんやん」
「それな」
「頼む。自分から説明してくれ」
「ま、お酒の席でさ、無礼講のとき聞ける雰囲気なら聞こうよ」
「そもそも20歳(ハタチ)越えてんの?」
「わからん」
「よろしくお願いします!」
元気に敬礼をするヴァロック・ルビア・ドゥルドゥナード。
「よろしくお願いします」
「よろしくね」
「で!」
「社長。良い報告ってのは新人くんが入りましたって報告ですね。
ありがとうございます。ありがとうございました。
それだけですよね。うんそれだけ。それだけであれ。頼む」
社長がニコッっと笑う。
「あぁ…」
それだけでないことを察する。
「実は伊織くんにもう1つ良い報告があります!」
「なくていいです」
「ルビアくんの教育係を伊織くんに担当してもらおうと思います!拍手!」
あ、察し。の顔でゆっくりと拍手する気恵(キエ)。
「…」
死んだ目の伊織。
「改めまして伊織先輩!
至らない点も多くあるかと思いますがこれからよろしくお願いいたします!」
反して元気が良く、礼儀がしっかりしているルビアくん。
「うん。よろしくね」
死んだ目でとりあえず挨拶する。伊織は心の中で
礼儀正しいし、ハキハキしてるし、笑顔…
伊織が笑顔を見る。とびきりの笑顔。
魅力的な笑顔だし、無下にするのも悪いしな
と思うのであった。タプタプタプ。スマホをしきりに触る女性。
「そんなあからさまな顔してやんなよ」
と笑顔で言いながらもスマホから目を離さない女性。
彼女は景馬(ケイマ) 明観(あみ)、26歳。伊織や気恵(キエ)の同僚。
最低限の仕事をこなすタイプで、ずっとゲームのことを考えているらしい。
いつも寝不足なのか眠そうな目をしている。
「良い子そうじゃん。ま、少し運が悪かったって思えば。それに運が全てじゃないしな。
それに社長も汐田が仕事できるやつだから任せたんでしょ。
私には任せられないし、任せようとも思わないでしょ」
「たしかに」
「たしかに。言うやん。まあ、だからあんま悪く捉えんなよ」
という明観(あみ)に伊織は
コイツずっとゲームのことしか考えてないのかと思ったけど
こんなこと言える…ってのも失礼だけど、こんなこと考えてるんだな
と感心した。ピロン。明観(あみ)のスマホに通知が来る。
「お!マジか!」
「どうした。珍しくテンション高い」
「トップ オブ レジェンズの限定スキンのコードが当たったんよ」
「おぉ、おめでとう」
「やはり運が全てだな」
「おい」
伊織は心の中で思ったことを即座に撤回した。
「伊織くん伊織くん。
今日からルビアくんをお願いしたいんだけど、今日の伊織くんの予定はどんな感じ?」
「今日ですか」
伊織はスマホを開く。カレンダーアプリを見る。
「今日は12時半から吉田様の内見の予定が入ってますね」
「お!ならとりあえず連れてってあげて」
「はあ。まあ、いいですけど、そんな勉強になることないと思いますけど」
スマホの上部に表示されている時刻を確認する。9時41分。
「12時まで全然時間ありますし、社長、基本業務とか社内の案内してあげたらどうです?
って言ってもそんな広くないけど」
「んん~…それはお断りします」
「え、それはなんで」
「じゃ、じゃあ私が説明しますよ」
気恵(キエ)が名乗り出てくれた。
「ありがとう。助かる」
ルビアが気恵(キエ)の近くへ寄る。
「よろしくお願いします」
「うん。よろしくね。えぇ~っと、ま、まずはここ。ここがオフィス…ってことになるのかな?
パソコンとかでチラシ作ったり、予定入れたり検索したり。
電話でアポ取ったり、逆に電話来たりね」
「あ、ルビアくんの机とかパソコンとか諸々発注したんだけど間に合いませんでした」
社長が言う。
「ということだから。で次こっちね」
気恵(キエ)とルビアは場所を移動する。
「こことそっち。この2つのテーブルがあるとこが
お店に来てくれたお客様をご案内するところ。
一応私たち従業員のイスが1脚、お客様用が2脚だけど
ま、あんまないけど足りなければ予備もあるから」
さらに場所を移動する2人。
「でここが、ま、休憩所というか、だね。水は無料だし、お茶も基本無料。
お茶は社長も好きで飲んでるけど、基本的にお客様に出す用ね。
ま、飲んでも全然いいんだけど。自販機はお金払わないとだけど
真夏に外出なくてもいいっていうメリットは大きいよ。で自販機の奥にトイレね。
…こんな感じかな?」
と一通り説明が終わった。ルビアは頬を掻きながら
「あ、ありがとうございます。でも大体見ればわかりますよ」
と苦笑いで言った。
「そ、そうだね」
気恵(キエ)は少しイラッっとしている様子だった。
たしかにオフィスから一通り見えるのだ。さらに移動する2人。
「んんっ」
先程イラッとしたのを吐き出すように声を整える。
「ここが、ま、来たときわかっただろうけど(語気強め)
飛び込みでお部屋を探して欲しいって言われたときに対応するカウンター」
「さっきのテーブルとはどう違うんですか?」
「あぁ、さっきのあのテーブル席ね?ま、基本的には以前いらしてくれたお客様が
仕事帰りとか休憩時間とか学校の空きコマとかそーゆーときに来てくれて
「やっぱこういう条件追加したいんですけど」とかそーゆーときに使うのが
さっきの応接室みたいなとこ。
でここはほんとに初めて飛び込みで来てくれたお客様って感じかな。
でも、まあ、初めてで飛び込みってお客様も割といるから
そのときは奥へお通しするんだけどね」
「なるほどですね」
「うちは基本的には賃貸契約が多い。
家を売りたい、買いたいってお客様もたまにいるけど~…」
「少ないね」
明観(あみ)が入ってきた。
「私も何回か経験したけど、売買は基本社長に丸投げでいいから。
って言ってもうち知ってる人は売買の話するときは「社長います?」って聞いてくれるから。
うちを全然知らないで「売りたい!買いたい!」って人はまあ珍しいね。
いうなれば物欲センサー発動しまくりのときに出会う色違いのポシェモンみたいなもん」
「ごめん。その例えはピンとこない」
と気恵(キエ)が言うと明観(あみ)が愕然とする。
「え…マジ?割と一般人向けの例えだったんだけど。
え、一般人はポシェモンも知らないレベルにまでいったの?ガチ?」
「あ、いや、ポシェモンは知ってる。あの色違いとか物欲センサーがわかんなかっただけ。
あ、でもまあ、ポシェモン知らん人もいるとは思う」
「あ、じゃああれは?あつまれせいぶつの森で、お目当てのキャラクタースカウトしたくて
マイル貯めまくって島ガチャしたけど、最後の1枚使っても出ないレベルとかは?」
「それめっちゃわかる!」
「これがゲーマーよ。一般人がわかる例えもお茶の子さいさい」
この例えは気恵(キエ)にもわかったらしい。女子同士盛り上がる。
ルビアは苦笑いをした後職場内をうろつく。
伊織先輩どこだろ…トイレ?
入り口の鈴が鳴る。伊織が帰ってきた。
伊織は一直線で休憩室に向かい、バーにあるような少し高めのイスに腰掛ける。
「伊織先輩。コンビニでも行ってたんですか?
尾内先輩と景馬(ケイマ)先輩、なんかゲームの話で盛り上がっちゃって…」
伊織はバーにあるような丸テーブルに約1日分の鉄分 のむヨーグルトを置いて突っ伏している。
「聞いてます?」
「ごめんごめん。…どうも朝は血が足りなくてさ」
「血!?」
ルビアは青ざめ
伊織先輩ってもしかしてヴァンパイア族なの?
とすごい勘違いをするルビアくんであった。
ストローを刺したのむヨーグルトを飲み干し、ゴミ箱に入れ
「ま、緊張すると思うけど
とりあえず12時までやることないから、気持ちの準備でもしておきな」
と伊織はルビアの肩にポンッっと手を置いてカッコよく去ろうとする。
しかし貧血気味でふらふらっとして壁にもたれかかる。
「先輩…」
ルビアは先程伊織が突っ伏していたテーブルに戻し
「もう少し休んでてください」
と手を合わせた。ルビアはオフィスに戻る。
「あ、…えぇ~…なんて呼んだらいい?」
「あ、自分すか?あ、いやなんでもいいっすよ」
「ルー…ビアくん?」
「うっす」
「ま、とりあえず座りなよ。汐田の席だけど」
ルビアが申し訳なさそうにオフィスチェアに座る。
「尾内先輩」
「なに?」
「伊織先輩ダウンしてるんですけど大丈夫なんですか?」
とルビアは休憩室のほうを指指す。
「あぁ、大丈夫大丈夫。毎朝だから」
「毎朝?」
「あいつ血足りないのよ。貧血だから」
「あぁ、貧血か。ヴァンパイア族ではないんですね」
「ヴァンパイア?」
「お!君もしかしてゲーマーか?実況者か?
あのゲームの中々奥が深いというか、レベル上げて宝箱取って武器とか能力強化して」
明観(あみ)が語り出す。しかしそれを無視して
「貧血ってあれですよね。
酸素を送り届けるはたらきをする血液中のヘモグロビンの量が少なくなることで起こる症状。
で、貧血の約60~80%はヘモグロビンの材料となる鉄分が不足することで起きる
鉄欠乏性貧血(てつけつぼうせいひんけつ)だっていうやつですよね。
伊織先輩も鉄欠乏性貧血なんですかね」
めちゃくちゃ詳しいルビアに
目を丸くさせる気恵(キエ)。
「え、ルビアくんってめちゃくちゃ頭良い?」
「いや~?…」
と少し考えるルビア。
「あ、まあ、こっちでは頭良い方か、も?」
「こっち?ルビアくんって外国の方?名前的にも」
「まあ…そんなもんですね」
「まあね?エンディングってエンディングはないわけだけどさ、こう、なんてーいうの?
どういう能力とか武器でクリアしたかっていう、それがエンディングみたいなもんだからさ
キャラ、そして能力、武器の組み合わせ的にめちゃくちゃエンディングの種類あるよねぇ~」
気恵(キエ)とルビアがジトッっとした目で明観(あみ)を見る。
誰も聞いてないのにここまで語れるというのはさすがゲーヲタである。
始業時間である10時になった。
「ポスティング行ってきまーす」
明観(あみ)がバッグを持って出ていく。
「ポスティング?」
「うん。ま、あんまないんだけど、家売ろうと思ってませんかー?とか
お部屋探してませんかー?とかそーゆーチラシをここら一帯のポストに入れてくの。
そーすると売ろうとしてる人の目に留まれば電話かかってくることもあるし
お部屋探してる人はご来店してくれることもあるのよ」
「営業みたいなもんですか?」
「あぁ~…私はそもそも営業を詳しく知らないけど、ま、自社を売り込むって点では同じかもね」
「僕はなにをすればー…」
「パソコンないしねぇ~…」
「オレの使えば?」
伊織がオフィスに来た。
「サボりたいだけでしょ」
「まあね」
社長の前で堂々とサボりたい宣言である。
「あ、あれは?お客様来たときのお部屋探しのやり方」
「あぁ~…」
と納得した伊織は
「任せた」
と気恵(キエ)に言う。
「汐田、教育係だよね?」
と言いつつも仕方なく引き受ける気恵(キエ)。
「あぁ~…移動…いっか」
と立ち上がろうとする気恵(キエ)。すると
「いいよ。持ってくる」
と言って立ち上がってオフィスを出る伊織。カッコいい。
「あ…りがと」
しばらくしてバインダーを持って戻ってくる伊織。そのバインダーを気恵(キエ)に手渡す。
「ありがと」
「ん」
「それでね。初めて来てくれたお客様には
このバインダーに挟んである書類に記入してもらうの。
お部屋探しの条件とかが書いてる感じ。
お家賃はいくらからいくらまでの範囲内が希望とか間取りの希望、風呂トイレ別とかいろいろ」
「なるほど」
伊織はデスクに肘をつき、眠そうな目をしながら2人を眺めている。
「で、これを記入してもらって、書類を受け取って。で、ま、私のパソコンで説明するけど」
と言ってノートパソコンをルビアの座る伊織の席のデスクに近づける。
「このアイコンクリックすると…うちのサイトに飛ぶのよ。
でパスワード打てば…社員用のページに行くから
ここからお客様に記入して貰った条件で絞り込んで…
ま、例えば…1DK…風呂トイレ別…12万~14万で絞り込むと…まあまあ出てくるわけ。
で、12万からってお客様が記入してたら、一応安いものを優先的に。
で一応14万ギリのとこも1件押さえといて
何枚か間取りとかをプリントして、プリントをお客様に見てもらいながら
私たちはパソコンを見たり、プリントの間取りを説明したりする。
で、もちろんお客様によって異なるけど、何件か内見して決めるお客様がほとんどだから
内見してみたいって仰ったら先方…
あ、貸し出しを希望してる大家さんとか管理人さんに電話して
日取りを決めて内見しに行くって感じ」
「へぇ~スゲェ。便利」
「操作は簡単だけど、部屋のピックアップは私たちも
まあ、ある程度お客様の希望を汲めるようになったかな?って思うけど
まだわかんないときもあるから、そこは…経験だね」
「コイツみたいに天性の才能持ってるやつもいるけどね」
と言いながら今自分が座っているイスのデスクを指でトントンする伊織。
「ま、とりあえずオレのパソコンでいろいろやってみ?条件で絞って
いろんな間取り見てみ?意外と面白いから」
「はい!」
ルビアは伊織のパソコンをいじっていると11時30分になり、伊織はいろいろと準備を始める。
12時少し前に入り口の鈴が鳴る。伊織が早歩きで飛んでいく。
「あ、吉田様。ご来店ありがとうございます。では車で1件目から回らせていただくのですが…。
1つ変更点というか、少し追加をさせていただいてもよろしいですか?」
お客様である吉田様を後部座席に乗ってもらい
助手席にルビアを乗せ、伊織の運転で内見へ行く。
「新人さんなんですね」
「そうなんです」
「汐田さんの後輩なんですか?」
「まあ~そうですね。後輩といえば全員の後輩ですが、まあ、なんか教育係を任せられまして」
「あぁ~。社長さんに」
「そうなんです。あのおじさんに」
自分のとこの社長を「おじさん」と呼ぶ伊織に笑う吉田さん。
「あ、今のは内緒でお願いします」
「わかりました」
「あ、ここ~ですねぇ~。駐車場はなくても良いとのことでしたので駐車場がないので~…
少し離れたところに停めて移動します」
と言って大家さんに指定された場所に車を停めて3人で移動する。
「足元お気をつけ下さい。2階の203ですね」
鍵を開けて扉を開ける。
「ワンルームですね」
「あ、意外と広いですね」
「そうですねぇ~。間取りで見るだけだと広さって分かりづらいですもんね」
「陽当たりも良い」
「そうですね~。窓のほうは道路に面していないのでお洗濯物も安心して干しやすいかと。
ま、最近は部屋干しが多いらしいですけどね」
「実家は外干しなので、きっと母は陽当たり良いほうがいいって言うと思う」
「ここが1件目ですね~」
「なるほど~」
収納やいろいろ確認して2件目へと向かった。
2件目も大体同じ。ワンルームで広さも大体同じ。陽当たりだけ少し違う。
3件目も大体同じ。決めるのは難しいだろうなぁ~と思う伊織。
近所のコンビニの近さ、駅の近さ、陽当たりなどで決めるしかない。
「なるほど~。家賃も」
「本日ご覧いただいた3件ともに7万円ですね」
「んん~…悩むなぁ~」
「ま、まだ初日なので。ゆっくり考えていただければ」
「でも考えてたら決まっちゃうこともありますよね?」
「それはぁ~…ありますね」
「んん~…」
「どうされます?帰りにもう1回先程の2件見て帰ります?」
「いいですか?」
「もちろんです」
帰りに先程行った2件に寄って見て会社に帰った。応接室にお通しして伊織がオフィスへ戻る。
その間吉田さんとルビアは2人きり。
「お兄さんは入社してまだ間もない感じですか?」
「あ、はい。今日が初です」
「あ!え!今日が初めてなんですか!?」
「そうなんです」
「わ~。貴重な日に立ち合わせていただきまして」
「いえいえ。こちらこそ。なんというか
内見のときもただ突っ立ってるしかできず申し訳ない」
「いやいやいや。全然全然。…」
吉田さんがまじまじとルビアを見る。
「お兄さん…めちゃくちゃイケメンですよね」
「え?あ、そうですか?」
「ヤバいくらいイケメンですよ」
「恐縮です。ありがとうございます」
「お名前お聞きしてもいいですか?」
「あ、ヴァロック・ルビア・ドゥルドゥナードと申します」
「ヴァロ…?」
大抵の人は聞き返すだろう。
「海外の方ですか?」
「まあぁ~…そんなもんですね」
「じゃあイケメンか」
そんな話をしていたら、伊織がノートパソコンやいろいろ持ってきて戻ってきた。
「お待たせしましてすいません」
「いえいえ」
伊織はテーブルの上を見て、またどこかへ行く。紙コップを持って戻ってくる。
「あ、すいません。ありがとうございます」
伊織が持ってきたのはお茶だった。
「えぇ~、難しい質問だとは思うのですが
本日実際にご覧いただいたお部屋で気に入ったお部屋はありましたか?」
「んん~…。やっぱり最初の部屋ですかねぇ~」
「陽当たりが良かったところですね」
「はい。多少駅から遠くてもいいかな、と」
「では一応キープしておいて。次回の内見なのですがー」
その後、吉田さんの次回の内見のお部屋と日程を決めた。
「本日はありがとうございました」
「こちらこそありがとうございました」
鈴の音と共に吉田さんが会社を出た。伊織とルビアは頭を上げる。
「ルビアくん」
「はい」
「あのぉ~あれ。さっきオレがパソコンとか書類とか取りに行ってたとき
吉田様と2人だったでしょ?」
「はい」
「あのときなんにも出してなかったでしょ。
なるべくお客様がご来店されたときにはお茶をお出しして?」
「あ、すいません。わかりました」
「ま、初日だからしょうがないけどね」
「頑張ります」
その後も吉田さん以外のお客様のお部屋を探したり
ルビアに仕事を教えたりしているとあっという間に終業時間となった。
「よし!みんなお疲れ様!
この後ルビアくんの歓迎会でもしようと思うんだけど、どうですか!というか行きましょう!」
「行きましょうはアルハラでしょ」
とクスッっと笑いながら呟く明観(あみ)。
「アルハラ?」
「ま、私は全然気にしませんけど。嫌だったら嫌って言うし」
「嫌なの?」
「全然いいですけど…」
と空いているデスクを見る。
「これが出勤してるときでもいいんじゃないですか?」
「あぁ~たしかに」
ルビアが伊織に近寄り
「あそこ空きじゃないんですね」
「あぁ。うん。うちの一番の稼ぎ頭」
「え。そうなんですか」
「そ。意味わかんないよね。出勤してないのに稼ぎ頭って」
苦笑いする伊織。
「じゃあ~そうだね。あ。ちょっと待っててぇ~」
小さな体、短い足でトコトコとオフィスを出ていく社長。しばらくしたら帰ってきた。
「じゃ、ま、歓迎会はまた今度ってことで飲み物、好きなの持ってっていいよ」
「マジっすか!ワーニングあります?ワーニングエナジー」
「いや、普通のペットボトルの飲み物。
エナドリはない。あ、オレコーヒー貰います。ありがとうございます」
「じゃあ私は~…明観(あみ)ちゃんどうする?あ、てかルビアくん先決めて?」
「ありがとうございます。じゃあ~…」
「あ、コーヒーが良かった?なら、はい」
「あ、いえいえ。僕はぁ~…アスピスウォーターをいただきます。ありがとうございます社長」
「いいのいいの」
その後、気恵(キエ)も明観(あみ)も飲み物を選んだ。
「じゃ、歓迎会はまた今度ということで。皆さんお疲れ様でした」
「「お疲れ様でした」」
みんなパソコンの電源を落としたり、終業作業をしてバッグを持って会社を出た。
気恵(キエ)は伊織と一緒に帰ろうとしたが、ルビアも伊織と一緒の方向らしかったので諦めた。
その様子を明観(あみ)が見て、ポンッっと優しく気恵(キエ)の肩に手を置いた。
「ルビアくんもこっちなんだね」
「はい!…」
ルビアがまじまじと伊織の顔を見る。
「伊織先輩…」
「ん?」
「お客様と接してるときとまるで違いますよね。別人みたい」
お客様と接してるときの伊織は笑顔が素敵で爽やかな青年。
オフィスで仕事をしているとき、そして今は目が死んでいる。
「そりゃ、な。あんな感じでずっといるってヤバいぞ。狂ってる」
言い過ぎである。
「いるでしょ。そんな人も」
「いるだろうね。でもオレには無理。スイッチ切らないと体力持たない」
「そんなもんなんですね」
「そんなもんそんなもん。ルビアくんもすぐわかるよ」
そんな話をしていると伊織の住むマンションに着いた。
「じゃ、オレここだから。お疲れー」
と帰ろうとする伊織を
「あ、伊織先輩!」
引き止めるルビア。
「ん?どした」
「先輩、あの…」
この間、告白前のそれである。
「どした?辞めたくなった?」
「違います違います!あの…オレ悪魔なんです!」
言った。ある意味告白である。
「…」
死んだ目でルビアを見る伊織。
「なんか言ってくださいよ!」
「あ、いや、なんて言おうか迷ってた。あ、あれか。コスプレ?
プライベートではなにかしらのキャラになりきって生活してる感じ?
あ、まあ、仕事に持ち込まなきゃいいと思うよ」
「違います!ガチなんです!」
「んん~…」
少し困る伊織。
「なんて言えばいい?」
「え?」
「いや、うん。悪魔設定でそれ言われて、なんていう返答を求めてるのかなって」
「あ、あぁ~…たしかに…」
「考えといて。お疲れ~」
伊織はエントランス入っていった。鍵を差し込み回し、ガラス製のスライド自動ドアが開く。
ポストを確認する。恐らく明観(あみ)がポスティングしたチラシが入っている。
丸めて捨てたい気持ちを抑えて、紙の節約のために翌日会社へ持っていく。
エレベーターを待ってエレベーターに乗って5階へ。自分の部屋の鍵を開ける。
風が吹き抜ける。「?」と思う。玄関のライトをつけ、靴を脱ぎ
廊下のライトをつけて玄関のライトを消す。リビングへ進む。
リビングのライトをつけるとリビングのど真ん中にルビアが立っていた。
「うわっ!」
感情をあまり出さない伊織が珍しく驚き尻もちをついた。
「信じてくれましたか。伊織先輩」
得意気な顔のルビア。意味のわからない伊織。
「え、待って。警察呼んでいい案件だよね」
たしかに。
「待ってください!見えてますよね?これ」
伊織はルビアが手で触っているものを見る。紫色の半透明の炎のような、オーラのようなもの。
「え、なにそれ」
「羽です」
相変わらず意味がわからない伊織。
「ん?え?そのコスプレ見せるためだけに今日初対面の先輩の家に不法侵入したわけ?」
「だから、コスプレじゃないですって」
「ん?そもそもどっから不法侵入した?玄関は閉まってたぞ?」
「ここです」
ベランダを指指すルビア。
たしかにベランダに行くためのガラス製のスライドドアは開いていた。
「あぁ~、だから玄関開けたら風が吹き抜けたのか」
納得したが冷静考える。
「は!?ここ5階だぞ?」
「はい。だから悪魔なんですって。この羽で飛んできたんです」
「は?は?は?」
どんどん意味がわからなくなってくる伊織。その様子を見ながら羽を動かすルビア。
「え、それ燃えてるんじゃないよね?消化しなくていいんだよね?」
「はい。これは~…なんてーんだろ。ま、羽です」
「あ、マジで意味わかんないかも」
マジで意味がわからない伊織。
「え、5階まで飛んできたってこと?」
「そーゆーことです」
「…はあ。なるほど?いや、なるほどか?」
「羽触ってみます?ま、触れないと思いますけど」
「え、怖い。大丈夫なん?」
「害はないはずです」
「明確に宣言してくれよ。怖いわ」
「ないっすないっす。害なし!無害っす!」
ルビアは自分の前に羽を持ってくる。伊織恐る恐る手を伸ばす。珍しく手が震えている。
ふわっ。触れると思った手は空を切る。
「あ、触れない」
「ですよね」
「え、これはなに?めちゃくちゃよくできたコスプレとかじゃないの?」
「残念ながらマジ悪魔です」
「残念ながらマジ悪魔です」この文言は恐らく世界初であろう。
「いや、わからん。え?は?ビール飲んでいい?」
「いっすよ」
立ち上がってリビングに入って、キッチンの冷蔵庫を開けて缶ビールを取り出し
プルタブ開け、一気にビールを流し込む。美味い。美味いはずだけどどこか無味にも感じた。
「はぁ~…。わからん。やっぱわからん」
やっぱわからないらしい。
「あ、見てください。角ー」
ルビアはもう緊張もなにもしなくなっている。
ルビアのこめかみの上くらいの髪の生え際から
羽と同じ紫色の半透明の炎のような、オーラのようなものが出ている。
「それ角なんだ。イメージと違うわ」
「ガッツリ“角”!の種族もいますけどね」
「ん?え?あ、悪魔っていっぱいいるんだ」
「そりゃオレ1人なわけないっすよ」
「まあ、そうか。そうだよな」
いつの間にかルビアが悪魔だということを受け入れ始めた伊織。
「え、人に見られても平気なの?てか、悪魔だって知られて平気なの?」
「大人数に知られるのはマズイですけど
信用できる、なおかつ身近な人には教えておいたほうがいいって教わりました」
「オレSNSで大拡散するかもだよ?」
「伊織先輩そんなことしないでしょ」
「しないけど」
しないらしい。
「だから信用できる身近な人って言ったじゃないですか」
「はあ…。ビール飲む?」
「いいんすか!?」
「いよ。歓迎会出できなかったし」
伊織は冷蔵庫から缶ビールを2本取り出し、1本をルビアに渡す。
「ありがとうございます」
2人はプルタブを開け
「じゃ、ようこそ?おおらかへ」
「ありがとうございます!」
「かんぱーい」
「乾杯!」
お互い缶ビールをあてる。
「ジャケット脱いで座んな。オレも着替えてくるわ」
「ありがとうございます」
伊織は部屋へ着替えに行き、ルビアはジャケットを脱いでネクタイを緩めた。
部屋着の伊織がリビングに戻ってくる。
「なんかドッっと疲れたわ」
「すいません」
もう角や羽はしまっていた。
「え、もっかい角って生やせる?」
「いけますよ」
本当にライターから出る炎のようにこめかみの上
生え際から紫色の半透明の炎のような、オーラのような角が生えた。
「これはなんなの?」
「角です」
「いや、そうじゃなくて。…物質的には?」
「あぁ。えぇ~まあ、オーラとかが一番近いですかね」
「へぇ~…なんか色エロいな」
「ま、オレたちそういう種族ですからね」
「エロい種族?」
「そういうと語弊がありますけど、まあ、似たようなもんです。誘惑とかそういうやつなんで」
「へぇ~」
もう慣れたのか伊織はルビアの触れない角をさわさわする。
「他にも種族いるんだ?」
「いっぱいいますよ。炎、雷、毒」
「なんかゲームの属性みたいだな」
「そんな感じです。オレもやろうと思えば
人に自分の魅力を何倍にもして見せることできますし」
「うわ。怖っ」
「人の魅力もアップさせることもできます。ま、一時的なものですけど」
「じゃ、オレも魅力も上げることできるんだ?」
「できますね。一時的なら」
「スゴいな」
ぐぅ~。伊織のお腹が鳴る。
「あぁ~なんかいろいろあって夜ご飯の時間だっての忘れてたわ。
ルビアくんもなんか食べる?」
「食べてっていいんですか」
「ま、別にいいよ。あ、ちゃんと帰ってね。明日も仕事なんだから泊まりはなし」
「りょーかいです」
2人は食事宅配サービス、オーバーイーツで食べたいものを注文して
ビールを飲み、テレビを見ながら夜ご飯を食べた。
「すいません。なんかいろいろありがとうございました」
荷物を持って玄関へ行くルビア。
「あ、帰りは玄関からなんだ」
たしかに。
「いや、伊織先輩に悪魔だってのをどうやったら信じてもらえるかなって思って」
「てかなんでオレの部屋わかったの?」
「あのポスト見てたじゃないですか。その番号を見ました」
「え。外から?」
「はい」
「嘘つけ」
「マジですマジ」
「マジで?」
「悪魔なんで目もめっちゃ良いんですよ」
「悪魔が目良いイメージないけど、そうなんだ」
「じゃ、すいません。お邪魔しました。夜ご飯もビールもご馳走様でした」
「うん。また明日ね」
「はい!失礼します」
「うぃ~」
ルビアは徒歩で帰った。伊織はソファーにドサッっと体を預ける。
「はぁ~…なんか…疲れたわ~…」
伊織はそのままソファーで眠ってしまった。
12時頃に起きてしっかりとベッドに移動して眠った。
これは接客のとき以外は悪魔のように表情が死んでいる先輩、伊織と
そんな伊織にできた本物の悪魔の後輩、ルビアのクスッっと笑える非日常だけど日常の物語。
あ、ラブコメ要素も入ってるよ。
「はい。はい。そうですね。徒歩で来ていただいて、当社から車でいう形で。
はい。日程厳しいようでしたら、なるべく早くご連絡いただければと思います。
はい。はい。よろしくお願いします。はい。失礼いたします」
爽やかな口調で話をし、爽やかな空中のまま電話を切る。
この爽やかな笑顔の男性。汐田 伊織、26歳。不動産会社勤務。
電話を切った後、伊織の表情がみるみるうちに死んでいく。
「はぁ~…」
ため息を1つ。綺麗な空を見上げる。
「仕事…行きたくないなぁ~…」
さっきまでの爽やかな男性はどこへやら。仕方なく職場へ歩き出す。
「よおっ!」
パシンッ!っと肩を叩かれる。伊織が振り返る。そこには満面の笑顔の女性が。
「おぉ、尾内か」
「おはよ」
「おはよ」
この女性は尾内(オウチ) 気恵(きえ)26歳。伊織と同じ不動産会社勤務。
目は鋭く、キツい印象を受けがちだが、すごく柔らかく、温かい笑顔の持ち主である。
「さっきのはお客様?」
「そうそう。今度アポあるお客様。当日はどうしたらいいですかって電話。
部屋何軒か回るんだけど、車で行きますのでっていう」
「朝から大変ですわねぇ~」
「電話来たら尾内だって取るだろ」
「まぁ~ねぇ~」
2人で職場までの道を歩く。
「ちょっとはビックリしてほしかったなぁ~」
「ん?」
「さっき。せっかくそぉ~っと近づいたのに」
「あぁ、さっきね。ビックリしてたでしょ」
気恵(キエ)は思い出す。忍び寄り
「よおっ!」
っと勢い良く伊織の方を叩いて、振り返ったときの伊織の顔を。
「いやいやいや!どこが?この顔のどこが?」
「この顔って言われてもわからんけど。ビックリしてたって」
「いや、思い出してみ?…あの顔が?」
「いやいやマジマジ」
めちゃくちゃ死んだ目で顔の前で左右に手を振る伊織。
「おい。嘘つけ。めちゃくちゃ目が死んどるがな」
2人で職場までの道を歩く。
「あ、そうだ」
気恵(キエ)がなにかを思い出す。
「そういば昨日帰り際に社長がさ「明日伊織くんに良い報告があるから
必ず出社するようにって伝えといて」(社長の声真似のつもり)って言われてたんだ。
伝え忘れてた。よかったぁ~今日出勤してくれて」
と笑顔を向けると踵を返し、クラウチングスタートの体勢を取る伊織。
「おい待て」
発車しそうになる伊織のリュックを掴んで止める気恵(キエ)。伊織も諦めて重い足を進める。
「なに?どしたん急に」
「え。だってあのおっさんの“良い報告”でしょ?」
伊織が社長のシルエットを思い浮かべる。
「自分とこの社長をおっさん言うなよ」
「嫌な予感しかしない」
そんな伊織に反して空は晴れ晴れとしていた。
「あぁ~着いてしまった」
「着いてしまったねぇ~」
「マジで今日だけ帰りたい」
「今日帰っても明日ってなるだけでしょ」
町の不動産 オーライ おおらか不動産
「帰りたい」
「ダメ」
気恵(キエ)が伊織の背中を押し、扉に近づける。伊織が仕方なく扉に手をかける。
「う~わ。入るのキツ」
「そんな、心霊スポット入るみたいな」
「あ。オレが休まずとも社長が風邪ひいてれば無しじゃん」
「人の不幸を願うなよ。てかあの社長が風邪ひくとでも?」
「たしかになぁ~…」
仕方なくドアを開けて出勤。入るとドアの上部についている鈴が鳴る。
デスクのある部屋を覗くと社長が笑顔で2人に手を振ってきていた。
「ほら見てみ?あの笑顔。十中八九なにかある。オレにはわかる。
なんなんあのたかが数メートルなのに、100メートル先に恋人が現れたみたいな手の振り方」
「…まあ、たしかに。あの笑顔にはなにか裏がありそう」
2人とも死んだ目で社長を見た。
カチャッっとドアノブを下げてオフィスのドアを開き中に入る。
「おはよう!尾内くんに伊織くん!」
「お…」
はようございますと言い切る前に社長の隣に人影があるのに気づく。
「はようございます」
どんどんテンションが低くなる。
「おはようございます」
「2人とも一緒に出社だなんて仲良いねぇ~」
「え!いや!たまたまですよ!たまたま!」
「なに焦ってんの」
「うるさい!」
少し焦り、少し照れる気恵(キエ)。
この髭がたわわでメガネのグレー髪の男性が、ここ「オーライ おおらか不動産」の社長
和大(わひろ) 楽界(がっかい)、64歳。
町の不動産として有名で無理難題もなるべく寄り添う
オーライでおおらかな不動産会社なのである。
「明観(あみ)もおはよ」
「おはー」
「おは」
「おう。汐田もおはよ」
同僚にも挨拶する。
「ま、社員仲良いことはいいことだから。
そうだ。尾内くんから聞いてると思うけど、伊織くん!良い報告があるんだよ!」
「はい。ついさっき聞きました」
「跳んで喜ぶこと間違いなし!」
「いや間違いだらけですね。跳ばないし喜ばない」
「じゃ、もう気づいてると思うけどこちら」
「おい。話聞けよ」
社長が左手で左側を見るように促す。
「こちら今日から新人として、うちの会社で働いてもらうことになった」
「ヴァロック・ルビア・ドゥルドゥナードです!
なにもわからないので、先輩方にいろいろと教えていただければと思います!」
「ヴァロ…なに」
「…わからん」
伊織と気恵(キエ)は小さな声で話をする。
新人というヴァロック・ルビア・ドゥルドゥナードと名乗る者は
耳がエルフ耳のように尖っていた。そのことに2人も気づいていて
「これ触れていいやつ?聞いてもいいやつ?」
「わからん」
「今多様性だしさ、ご時世的にも聞いたらなに言われるかわからんやん」
「それな」
「頼む。自分から説明してくれ」
「ま、お酒の席でさ、無礼講のとき聞ける雰囲気なら聞こうよ」
「そもそも20歳(ハタチ)越えてんの?」
「わからん」
「よろしくお願いします!」
元気に敬礼をするヴァロック・ルビア・ドゥルドゥナード。
「よろしくお願いします」
「よろしくね」
「で!」
「社長。良い報告ってのは新人くんが入りましたって報告ですね。
ありがとうございます。ありがとうございました。
それだけですよね。うんそれだけ。それだけであれ。頼む」
社長がニコッっと笑う。
「あぁ…」
それだけでないことを察する。
「実は伊織くんにもう1つ良い報告があります!」
「なくていいです」
「ルビアくんの教育係を伊織くんに担当してもらおうと思います!拍手!」
あ、察し。の顔でゆっくりと拍手する気恵(キエ)。
「…」
死んだ目の伊織。
「改めまして伊織先輩!
至らない点も多くあるかと思いますがこれからよろしくお願いいたします!」
反して元気が良く、礼儀がしっかりしているルビアくん。
「うん。よろしくね」
死んだ目でとりあえず挨拶する。伊織は心の中で
礼儀正しいし、ハキハキしてるし、笑顔…
伊織が笑顔を見る。とびきりの笑顔。
魅力的な笑顔だし、無下にするのも悪いしな
と思うのであった。タプタプタプ。スマホをしきりに触る女性。
「そんなあからさまな顔してやんなよ」
と笑顔で言いながらもスマホから目を離さない女性。
彼女は景馬(ケイマ) 明観(あみ)、26歳。伊織や気恵(キエ)の同僚。
最低限の仕事をこなすタイプで、ずっとゲームのことを考えているらしい。
いつも寝不足なのか眠そうな目をしている。
「良い子そうじゃん。ま、少し運が悪かったって思えば。それに運が全てじゃないしな。
それに社長も汐田が仕事できるやつだから任せたんでしょ。
私には任せられないし、任せようとも思わないでしょ」
「たしかに」
「たしかに。言うやん。まあ、だからあんま悪く捉えんなよ」
という明観(あみ)に伊織は
コイツずっとゲームのことしか考えてないのかと思ったけど
こんなこと言える…ってのも失礼だけど、こんなこと考えてるんだな
と感心した。ピロン。明観(あみ)のスマホに通知が来る。
「お!マジか!」
「どうした。珍しくテンション高い」
「トップ オブ レジェンズの限定スキンのコードが当たったんよ」
「おぉ、おめでとう」
「やはり運が全てだな」
「おい」
伊織は心の中で思ったことを即座に撤回した。
「伊織くん伊織くん。
今日からルビアくんをお願いしたいんだけど、今日の伊織くんの予定はどんな感じ?」
「今日ですか」
伊織はスマホを開く。カレンダーアプリを見る。
「今日は12時半から吉田様の内見の予定が入ってますね」
「お!ならとりあえず連れてってあげて」
「はあ。まあ、いいですけど、そんな勉強になることないと思いますけど」
スマホの上部に表示されている時刻を確認する。9時41分。
「12時まで全然時間ありますし、社長、基本業務とか社内の案内してあげたらどうです?
って言ってもそんな広くないけど」
「んん~…それはお断りします」
「え、それはなんで」
「じゃ、じゃあ私が説明しますよ」
気恵(キエ)が名乗り出てくれた。
「ありがとう。助かる」
ルビアが気恵(キエ)の近くへ寄る。
「よろしくお願いします」
「うん。よろしくね。えぇ~っと、ま、まずはここ。ここがオフィス…ってことになるのかな?
パソコンとかでチラシ作ったり、予定入れたり検索したり。
電話でアポ取ったり、逆に電話来たりね」
「あ、ルビアくんの机とかパソコンとか諸々発注したんだけど間に合いませんでした」
社長が言う。
「ということだから。で次こっちね」
気恵(キエ)とルビアは場所を移動する。
「こことそっち。この2つのテーブルがあるとこが
お店に来てくれたお客様をご案内するところ。
一応私たち従業員のイスが1脚、お客様用が2脚だけど
ま、あんまないけど足りなければ予備もあるから」
さらに場所を移動する2人。
「でここが、ま、休憩所というか、だね。水は無料だし、お茶も基本無料。
お茶は社長も好きで飲んでるけど、基本的にお客様に出す用ね。
ま、飲んでも全然いいんだけど。自販機はお金払わないとだけど
真夏に外出なくてもいいっていうメリットは大きいよ。で自販機の奥にトイレね。
…こんな感じかな?」
と一通り説明が終わった。ルビアは頬を掻きながら
「あ、ありがとうございます。でも大体見ればわかりますよ」
と苦笑いで言った。
「そ、そうだね」
気恵(キエ)は少しイラッっとしている様子だった。
たしかにオフィスから一通り見えるのだ。さらに移動する2人。
「んんっ」
先程イラッとしたのを吐き出すように声を整える。
「ここが、ま、来たときわかっただろうけど(語気強め)
飛び込みでお部屋を探して欲しいって言われたときに対応するカウンター」
「さっきのテーブルとはどう違うんですか?」
「あぁ、さっきのあのテーブル席ね?ま、基本的には以前いらしてくれたお客様が
仕事帰りとか休憩時間とか学校の空きコマとかそーゆーときに来てくれて
「やっぱこういう条件追加したいんですけど」とかそーゆーときに使うのが
さっきの応接室みたいなとこ。
でここはほんとに初めて飛び込みで来てくれたお客様って感じかな。
でも、まあ、初めてで飛び込みってお客様も割といるから
そのときは奥へお通しするんだけどね」
「なるほどですね」
「うちは基本的には賃貸契約が多い。
家を売りたい、買いたいってお客様もたまにいるけど~…」
「少ないね」
明観(あみ)が入ってきた。
「私も何回か経験したけど、売買は基本社長に丸投げでいいから。
って言ってもうち知ってる人は売買の話するときは「社長います?」って聞いてくれるから。
うちを全然知らないで「売りたい!買いたい!」って人はまあ珍しいね。
いうなれば物欲センサー発動しまくりのときに出会う色違いのポシェモンみたいなもん」
「ごめん。その例えはピンとこない」
と気恵(キエ)が言うと明観(あみ)が愕然とする。
「え…マジ?割と一般人向けの例えだったんだけど。
え、一般人はポシェモンも知らないレベルにまでいったの?ガチ?」
「あ、いや、ポシェモンは知ってる。あの色違いとか物欲センサーがわかんなかっただけ。
あ、でもまあ、ポシェモン知らん人もいるとは思う」
「あ、じゃああれは?あつまれせいぶつの森で、お目当てのキャラクタースカウトしたくて
マイル貯めまくって島ガチャしたけど、最後の1枚使っても出ないレベルとかは?」
「それめっちゃわかる!」
「これがゲーマーよ。一般人がわかる例えもお茶の子さいさい」
この例えは気恵(キエ)にもわかったらしい。女子同士盛り上がる。
ルビアは苦笑いをした後職場内をうろつく。
伊織先輩どこだろ…トイレ?
入り口の鈴が鳴る。伊織が帰ってきた。
伊織は一直線で休憩室に向かい、バーにあるような少し高めのイスに腰掛ける。
「伊織先輩。コンビニでも行ってたんですか?
尾内先輩と景馬(ケイマ)先輩、なんかゲームの話で盛り上がっちゃって…」
伊織はバーにあるような丸テーブルに約1日分の鉄分 のむヨーグルトを置いて突っ伏している。
「聞いてます?」
「ごめんごめん。…どうも朝は血が足りなくてさ」
「血!?」
ルビアは青ざめ
伊織先輩ってもしかしてヴァンパイア族なの?
とすごい勘違いをするルビアくんであった。
ストローを刺したのむヨーグルトを飲み干し、ゴミ箱に入れ
「ま、緊張すると思うけど
とりあえず12時までやることないから、気持ちの準備でもしておきな」
と伊織はルビアの肩にポンッっと手を置いてカッコよく去ろうとする。
しかし貧血気味でふらふらっとして壁にもたれかかる。
「先輩…」
ルビアは先程伊織が突っ伏していたテーブルに戻し
「もう少し休んでてください」
と手を合わせた。ルビアはオフィスに戻る。
「あ、…えぇ~…なんて呼んだらいい?」
「あ、自分すか?あ、いやなんでもいいっすよ」
「ルー…ビアくん?」
「うっす」
「ま、とりあえず座りなよ。汐田の席だけど」
ルビアが申し訳なさそうにオフィスチェアに座る。
「尾内先輩」
「なに?」
「伊織先輩ダウンしてるんですけど大丈夫なんですか?」
とルビアは休憩室のほうを指指す。
「あぁ、大丈夫大丈夫。毎朝だから」
「毎朝?」
「あいつ血足りないのよ。貧血だから」
「あぁ、貧血か。ヴァンパイア族ではないんですね」
「ヴァンパイア?」
「お!君もしかしてゲーマーか?実況者か?
あのゲームの中々奥が深いというか、レベル上げて宝箱取って武器とか能力強化して」
明観(あみ)が語り出す。しかしそれを無視して
「貧血ってあれですよね。
酸素を送り届けるはたらきをする血液中のヘモグロビンの量が少なくなることで起こる症状。
で、貧血の約60~80%はヘモグロビンの材料となる鉄分が不足することで起きる
鉄欠乏性貧血(てつけつぼうせいひんけつ)だっていうやつですよね。
伊織先輩も鉄欠乏性貧血なんですかね」
めちゃくちゃ詳しいルビアに
目を丸くさせる気恵(キエ)。
「え、ルビアくんってめちゃくちゃ頭良い?」
「いや~?…」
と少し考えるルビア。
「あ、まあ、こっちでは頭良い方か、も?」
「こっち?ルビアくんって外国の方?名前的にも」
「まあ…そんなもんですね」
「まあね?エンディングってエンディングはないわけだけどさ、こう、なんてーいうの?
どういう能力とか武器でクリアしたかっていう、それがエンディングみたいなもんだからさ
キャラ、そして能力、武器の組み合わせ的にめちゃくちゃエンディングの種類あるよねぇ~」
気恵(キエ)とルビアがジトッっとした目で明観(あみ)を見る。
誰も聞いてないのにここまで語れるというのはさすがゲーヲタである。
始業時間である10時になった。
「ポスティング行ってきまーす」
明観(あみ)がバッグを持って出ていく。
「ポスティング?」
「うん。ま、あんまないんだけど、家売ろうと思ってませんかー?とか
お部屋探してませんかー?とかそーゆーチラシをここら一帯のポストに入れてくの。
そーすると売ろうとしてる人の目に留まれば電話かかってくることもあるし
お部屋探してる人はご来店してくれることもあるのよ」
「営業みたいなもんですか?」
「あぁ~…私はそもそも営業を詳しく知らないけど、ま、自社を売り込むって点では同じかもね」
「僕はなにをすればー…」
「パソコンないしねぇ~…」
「オレの使えば?」
伊織がオフィスに来た。
「サボりたいだけでしょ」
「まあね」
社長の前で堂々とサボりたい宣言である。
「あ、あれは?お客様来たときのお部屋探しのやり方」
「あぁ~…」
と納得した伊織は
「任せた」
と気恵(キエ)に言う。
「汐田、教育係だよね?」
と言いつつも仕方なく引き受ける気恵(キエ)。
「あぁ~…移動…いっか」
と立ち上がろうとする気恵(キエ)。すると
「いいよ。持ってくる」
と言って立ち上がってオフィスを出る伊織。カッコいい。
「あ…りがと」
しばらくしてバインダーを持って戻ってくる伊織。そのバインダーを気恵(キエ)に手渡す。
「ありがと」
「ん」
「それでね。初めて来てくれたお客様には
このバインダーに挟んである書類に記入してもらうの。
お部屋探しの条件とかが書いてる感じ。
お家賃はいくらからいくらまでの範囲内が希望とか間取りの希望、風呂トイレ別とかいろいろ」
「なるほど」
伊織はデスクに肘をつき、眠そうな目をしながら2人を眺めている。
「で、これを記入してもらって、書類を受け取って。で、ま、私のパソコンで説明するけど」
と言ってノートパソコンをルビアの座る伊織の席のデスクに近づける。
「このアイコンクリックすると…うちのサイトに飛ぶのよ。
でパスワード打てば…社員用のページに行くから
ここからお客様に記入して貰った条件で絞り込んで…
ま、例えば…1DK…風呂トイレ別…12万~14万で絞り込むと…まあまあ出てくるわけ。
で、12万からってお客様が記入してたら、一応安いものを優先的に。
で一応14万ギリのとこも1件押さえといて
何枚か間取りとかをプリントして、プリントをお客様に見てもらいながら
私たちはパソコンを見たり、プリントの間取りを説明したりする。
で、もちろんお客様によって異なるけど、何件か内見して決めるお客様がほとんどだから
内見してみたいって仰ったら先方…
あ、貸し出しを希望してる大家さんとか管理人さんに電話して
日取りを決めて内見しに行くって感じ」
「へぇ~スゲェ。便利」
「操作は簡単だけど、部屋のピックアップは私たちも
まあ、ある程度お客様の希望を汲めるようになったかな?って思うけど
まだわかんないときもあるから、そこは…経験だね」
「コイツみたいに天性の才能持ってるやつもいるけどね」
と言いながら今自分が座っているイスのデスクを指でトントンする伊織。
「ま、とりあえずオレのパソコンでいろいろやってみ?条件で絞って
いろんな間取り見てみ?意外と面白いから」
「はい!」
ルビアは伊織のパソコンをいじっていると11時30分になり、伊織はいろいろと準備を始める。
12時少し前に入り口の鈴が鳴る。伊織が早歩きで飛んでいく。
「あ、吉田様。ご来店ありがとうございます。では車で1件目から回らせていただくのですが…。
1つ変更点というか、少し追加をさせていただいてもよろしいですか?」
お客様である吉田様を後部座席に乗ってもらい
助手席にルビアを乗せ、伊織の運転で内見へ行く。
「新人さんなんですね」
「そうなんです」
「汐田さんの後輩なんですか?」
「まあ~そうですね。後輩といえば全員の後輩ですが、まあ、なんか教育係を任せられまして」
「あぁ~。社長さんに」
「そうなんです。あのおじさんに」
自分のとこの社長を「おじさん」と呼ぶ伊織に笑う吉田さん。
「あ、今のは内緒でお願いします」
「わかりました」
「あ、ここ~ですねぇ~。駐車場はなくても良いとのことでしたので駐車場がないので~…
少し離れたところに停めて移動します」
と言って大家さんに指定された場所に車を停めて3人で移動する。
「足元お気をつけ下さい。2階の203ですね」
鍵を開けて扉を開ける。
「ワンルームですね」
「あ、意外と広いですね」
「そうですねぇ~。間取りで見るだけだと広さって分かりづらいですもんね」
「陽当たりも良い」
「そうですね~。窓のほうは道路に面していないのでお洗濯物も安心して干しやすいかと。
ま、最近は部屋干しが多いらしいですけどね」
「実家は外干しなので、きっと母は陽当たり良いほうがいいって言うと思う」
「ここが1件目ですね~」
「なるほど~」
収納やいろいろ確認して2件目へと向かった。
2件目も大体同じ。ワンルームで広さも大体同じ。陽当たりだけ少し違う。
3件目も大体同じ。決めるのは難しいだろうなぁ~と思う伊織。
近所のコンビニの近さ、駅の近さ、陽当たりなどで決めるしかない。
「なるほど~。家賃も」
「本日ご覧いただいた3件ともに7万円ですね」
「んん~…悩むなぁ~」
「ま、まだ初日なので。ゆっくり考えていただければ」
「でも考えてたら決まっちゃうこともありますよね?」
「それはぁ~…ありますね」
「んん~…」
「どうされます?帰りにもう1回先程の2件見て帰ります?」
「いいですか?」
「もちろんです」
帰りに先程行った2件に寄って見て会社に帰った。応接室にお通しして伊織がオフィスへ戻る。
その間吉田さんとルビアは2人きり。
「お兄さんは入社してまだ間もない感じですか?」
「あ、はい。今日が初です」
「あ!え!今日が初めてなんですか!?」
「そうなんです」
「わ~。貴重な日に立ち合わせていただきまして」
「いえいえ。こちらこそ。なんというか
内見のときもただ突っ立ってるしかできず申し訳ない」
「いやいやいや。全然全然。…」
吉田さんがまじまじとルビアを見る。
「お兄さん…めちゃくちゃイケメンですよね」
「え?あ、そうですか?」
「ヤバいくらいイケメンですよ」
「恐縮です。ありがとうございます」
「お名前お聞きしてもいいですか?」
「あ、ヴァロック・ルビア・ドゥルドゥナードと申します」
「ヴァロ…?」
大抵の人は聞き返すだろう。
「海外の方ですか?」
「まあぁ~…そんなもんですね」
「じゃあイケメンか」
そんな話をしていたら、伊織がノートパソコンやいろいろ持ってきて戻ってきた。
「お待たせしましてすいません」
「いえいえ」
伊織はテーブルの上を見て、またどこかへ行く。紙コップを持って戻ってくる。
「あ、すいません。ありがとうございます」
伊織が持ってきたのはお茶だった。
「えぇ~、難しい質問だとは思うのですが
本日実際にご覧いただいたお部屋で気に入ったお部屋はありましたか?」
「んん~…。やっぱり最初の部屋ですかねぇ~」
「陽当たりが良かったところですね」
「はい。多少駅から遠くてもいいかな、と」
「では一応キープしておいて。次回の内見なのですがー」
その後、吉田さんの次回の内見のお部屋と日程を決めた。
「本日はありがとうございました」
「こちらこそありがとうございました」
鈴の音と共に吉田さんが会社を出た。伊織とルビアは頭を上げる。
「ルビアくん」
「はい」
「あのぉ~あれ。さっきオレがパソコンとか書類とか取りに行ってたとき
吉田様と2人だったでしょ?」
「はい」
「あのときなんにも出してなかったでしょ。
なるべくお客様がご来店されたときにはお茶をお出しして?」
「あ、すいません。わかりました」
「ま、初日だからしょうがないけどね」
「頑張ります」
その後も吉田さん以外のお客様のお部屋を探したり
ルビアに仕事を教えたりしているとあっという間に終業時間となった。
「よし!みんなお疲れ様!
この後ルビアくんの歓迎会でもしようと思うんだけど、どうですか!というか行きましょう!」
「行きましょうはアルハラでしょ」
とクスッっと笑いながら呟く明観(あみ)。
「アルハラ?」
「ま、私は全然気にしませんけど。嫌だったら嫌って言うし」
「嫌なの?」
「全然いいですけど…」
と空いているデスクを見る。
「これが出勤してるときでもいいんじゃないですか?」
「あぁ~たしかに」
ルビアが伊織に近寄り
「あそこ空きじゃないんですね」
「あぁ。うん。うちの一番の稼ぎ頭」
「え。そうなんですか」
「そ。意味わかんないよね。出勤してないのに稼ぎ頭って」
苦笑いする伊織。
「じゃあ~そうだね。あ。ちょっと待っててぇ~」
小さな体、短い足でトコトコとオフィスを出ていく社長。しばらくしたら帰ってきた。
「じゃ、ま、歓迎会はまた今度ってことで飲み物、好きなの持ってっていいよ」
「マジっすか!ワーニングあります?ワーニングエナジー」
「いや、普通のペットボトルの飲み物。
エナドリはない。あ、オレコーヒー貰います。ありがとうございます」
「じゃあ私は~…明観(あみ)ちゃんどうする?あ、てかルビアくん先決めて?」
「ありがとうございます。じゃあ~…」
「あ、コーヒーが良かった?なら、はい」
「あ、いえいえ。僕はぁ~…アスピスウォーターをいただきます。ありがとうございます社長」
「いいのいいの」
その後、気恵(キエ)も明観(あみ)も飲み物を選んだ。
「じゃ、歓迎会はまた今度ということで。皆さんお疲れ様でした」
「「お疲れ様でした」」
みんなパソコンの電源を落としたり、終業作業をしてバッグを持って会社を出た。
気恵(キエ)は伊織と一緒に帰ろうとしたが、ルビアも伊織と一緒の方向らしかったので諦めた。
その様子を明観(あみ)が見て、ポンッっと優しく気恵(キエ)の肩に手を置いた。
「ルビアくんもこっちなんだね」
「はい!…」
ルビアがまじまじと伊織の顔を見る。
「伊織先輩…」
「ん?」
「お客様と接してるときとまるで違いますよね。別人みたい」
お客様と接してるときの伊織は笑顔が素敵で爽やかな青年。
オフィスで仕事をしているとき、そして今は目が死んでいる。
「そりゃ、な。あんな感じでずっといるってヤバいぞ。狂ってる」
言い過ぎである。
「いるでしょ。そんな人も」
「いるだろうね。でもオレには無理。スイッチ切らないと体力持たない」
「そんなもんなんですね」
「そんなもんそんなもん。ルビアくんもすぐわかるよ」
そんな話をしていると伊織の住むマンションに着いた。
「じゃ、オレここだから。お疲れー」
と帰ろうとする伊織を
「あ、伊織先輩!」
引き止めるルビア。
「ん?どした」
「先輩、あの…」
この間、告白前のそれである。
「どした?辞めたくなった?」
「違います違います!あの…オレ悪魔なんです!」
言った。ある意味告白である。
「…」
死んだ目でルビアを見る伊織。
「なんか言ってくださいよ!」
「あ、いや、なんて言おうか迷ってた。あ、あれか。コスプレ?
プライベートではなにかしらのキャラになりきって生活してる感じ?
あ、まあ、仕事に持ち込まなきゃいいと思うよ」
「違います!ガチなんです!」
「んん~…」
少し困る伊織。
「なんて言えばいい?」
「え?」
「いや、うん。悪魔設定でそれ言われて、なんていう返答を求めてるのかなって」
「あ、あぁ~…たしかに…」
「考えといて。お疲れ~」
伊織はエントランス入っていった。鍵を差し込み回し、ガラス製のスライド自動ドアが開く。
ポストを確認する。恐らく明観(あみ)がポスティングしたチラシが入っている。
丸めて捨てたい気持ちを抑えて、紙の節約のために翌日会社へ持っていく。
エレベーターを待ってエレベーターに乗って5階へ。自分の部屋の鍵を開ける。
風が吹き抜ける。「?」と思う。玄関のライトをつけ、靴を脱ぎ
廊下のライトをつけて玄関のライトを消す。リビングへ進む。
リビングのライトをつけるとリビングのど真ん中にルビアが立っていた。
「うわっ!」
感情をあまり出さない伊織が珍しく驚き尻もちをついた。
「信じてくれましたか。伊織先輩」
得意気な顔のルビア。意味のわからない伊織。
「え、待って。警察呼んでいい案件だよね」
たしかに。
「待ってください!見えてますよね?これ」
伊織はルビアが手で触っているものを見る。紫色の半透明の炎のような、オーラのようなもの。
「え、なにそれ」
「羽です」
相変わらず意味がわからない伊織。
「ん?え?そのコスプレ見せるためだけに今日初対面の先輩の家に不法侵入したわけ?」
「だから、コスプレじゃないですって」
「ん?そもそもどっから不法侵入した?玄関は閉まってたぞ?」
「ここです」
ベランダを指指すルビア。
たしかにベランダに行くためのガラス製のスライドドアは開いていた。
「あぁ~、だから玄関開けたら風が吹き抜けたのか」
納得したが冷静考える。
「は!?ここ5階だぞ?」
「はい。だから悪魔なんですって。この羽で飛んできたんです」
「は?は?は?」
どんどん意味がわからなくなってくる伊織。その様子を見ながら羽を動かすルビア。
「え、それ燃えてるんじゃないよね?消化しなくていいんだよね?」
「はい。これは~…なんてーんだろ。ま、羽です」
「あ、マジで意味わかんないかも」
マジで意味がわからない伊織。
「え、5階まで飛んできたってこと?」
「そーゆーことです」
「…はあ。なるほど?いや、なるほどか?」
「羽触ってみます?ま、触れないと思いますけど」
「え、怖い。大丈夫なん?」
「害はないはずです」
「明確に宣言してくれよ。怖いわ」
「ないっすないっす。害なし!無害っす!」
ルビアは自分の前に羽を持ってくる。伊織恐る恐る手を伸ばす。珍しく手が震えている。
ふわっ。触れると思った手は空を切る。
「あ、触れない」
「ですよね」
「え、これはなに?めちゃくちゃよくできたコスプレとかじゃないの?」
「残念ながらマジ悪魔です」
「残念ながらマジ悪魔です」この文言は恐らく世界初であろう。
「いや、わからん。え?は?ビール飲んでいい?」
「いっすよ」
立ち上がってリビングに入って、キッチンの冷蔵庫を開けて缶ビールを取り出し
プルタブ開け、一気にビールを流し込む。美味い。美味いはずだけどどこか無味にも感じた。
「はぁ~…。わからん。やっぱわからん」
やっぱわからないらしい。
「あ、見てください。角ー」
ルビアはもう緊張もなにもしなくなっている。
ルビアのこめかみの上くらいの髪の生え際から
羽と同じ紫色の半透明の炎のような、オーラのようなものが出ている。
「それ角なんだ。イメージと違うわ」
「ガッツリ“角”!の種族もいますけどね」
「ん?え?あ、悪魔っていっぱいいるんだ」
「そりゃオレ1人なわけないっすよ」
「まあ、そうか。そうだよな」
いつの間にかルビアが悪魔だということを受け入れ始めた伊織。
「え、人に見られても平気なの?てか、悪魔だって知られて平気なの?」
「大人数に知られるのはマズイですけど
信用できる、なおかつ身近な人には教えておいたほうがいいって教わりました」
「オレSNSで大拡散するかもだよ?」
「伊織先輩そんなことしないでしょ」
「しないけど」
しないらしい。
「だから信用できる身近な人って言ったじゃないですか」
「はあ…。ビール飲む?」
「いいんすか!?」
「いよ。歓迎会出できなかったし」
伊織は冷蔵庫から缶ビールを2本取り出し、1本をルビアに渡す。
「ありがとうございます」
2人はプルタブを開け
「じゃ、ようこそ?おおらかへ」
「ありがとうございます!」
「かんぱーい」
「乾杯!」
お互い缶ビールをあてる。
「ジャケット脱いで座んな。オレも着替えてくるわ」
「ありがとうございます」
伊織は部屋へ着替えに行き、ルビアはジャケットを脱いでネクタイを緩めた。
部屋着の伊織がリビングに戻ってくる。
「なんかドッっと疲れたわ」
「すいません」
もう角や羽はしまっていた。
「え、もっかい角って生やせる?」
「いけますよ」
本当にライターから出る炎のようにこめかみの上
生え際から紫色の半透明の炎のような、オーラのような角が生えた。
「これはなんなの?」
「角です」
「いや、そうじゃなくて。…物質的には?」
「あぁ。えぇ~まあ、オーラとかが一番近いですかね」
「へぇ~…なんか色エロいな」
「ま、オレたちそういう種族ですからね」
「エロい種族?」
「そういうと語弊がありますけど、まあ、似たようなもんです。誘惑とかそういうやつなんで」
「へぇ~」
もう慣れたのか伊織はルビアの触れない角をさわさわする。
「他にも種族いるんだ?」
「いっぱいいますよ。炎、雷、毒」
「なんかゲームの属性みたいだな」
「そんな感じです。オレもやろうと思えば
人に自分の魅力を何倍にもして見せることできますし」
「うわ。怖っ」
「人の魅力もアップさせることもできます。ま、一時的なものですけど」
「じゃ、オレも魅力も上げることできるんだ?」
「できますね。一時的なら」
「スゴいな」
ぐぅ~。伊織のお腹が鳴る。
「あぁ~なんかいろいろあって夜ご飯の時間だっての忘れてたわ。
ルビアくんもなんか食べる?」
「食べてっていいんですか」
「ま、別にいいよ。あ、ちゃんと帰ってね。明日も仕事なんだから泊まりはなし」
「りょーかいです」
2人は食事宅配サービス、オーバーイーツで食べたいものを注文して
ビールを飲み、テレビを見ながら夜ご飯を食べた。
「すいません。なんかいろいろありがとうございました」
荷物を持って玄関へ行くルビア。
「あ、帰りは玄関からなんだ」
たしかに。
「いや、伊織先輩に悪魔だってのをどうやったら信じてもらえるかなって思って」
「てかなんでオレの部屋わかったの?」
「あのポスト見てたじゃないですか。その番号を見ました」
「え。外から?」
「はい」
「嘘つけ」
「マジですマジ」
「マジで?」
「悪魔なんで目もめっちゃ良いんですよ」
「悪魔が目良いイメージないけど、そうなんだ」
「じゃ、すいません。お邪魔しました。夜ご飯もビールもご馳走様でした」
「うん。また明日ね」
「はい!失礼します」
「うぃ~」
ルビアは徒歩で帰った。伊織はソファーにドサッっと体を預ける。
「はぁ~…なんか…疲れたわ~…」
伊織はそのままソファーで眠ってしまった。
12時頃に起きてしっかりとベッドに移動して眠った。
これは接客のとき以外は悪魔のように表情が死んでいる先輩、伊織と
そんな伊織にできた本物の悪魔の後輩、ルビアのクスッっと笑える非日常だけど日常の物語。
あ、ラブコメ要素も入ってるよ。
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