猫舌ということ。

結愛

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再会

第89話

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校舎から出て大学校内を出口の正門まで歩いているときに
「あ、そうだ。音成さん。ごめん!」
と卒業アルバムについて謝った。
「ん?なにが?あぁ、さっきの気づかなかった発言?」
と言われる。それもそうだと思った。
「あ、まぁそれもごめんなんだけど~…」
「なになに?」
パッっと最初に言おうとして挫かれ、少し言い出しにくくなった。
しかしここまで言って言わないのは
相手の立場になったら気持ち悪さを残すと思ったので意を決して
「卒業アルバム!書いてくれてたんだね!?気づかなくてごめんね!」
と頭を深々下げて謝った。肩にかけていたバッグがずれ落ちてくる。
妃馬さんと音成さんの靴が見える。
スタイリッシュだけど少しゴツいデザインの赤ベースに白のアクセントのあるスニーカーに
足のサイズが妃馬さんより小さいのか、少し小さめの青よりは薄く
水色よりは濃い青のモンターニュのスニーカー。
なんか4足のスニーカーのコントラストすごいなと思っていると
ポスン。と頭に軽い衝撃が加わる。顔を上げる。
「そんな謝ることじゃないから顔を上げぇ~」
握られた右手を肩叩きをするときのように僕の頭にポンポンと落とす音成さん。
「え、でも卒業アルバムに書いてもらってて忘れてたんだよ?」
「ま、あぁ~?寂しいっちゃ寂しいけど、私そんときのこと覚えてるし」
「いやなおさらごめんじゃん!」
「いや、あんときさ同じクラスの子が「これ暑ノ井くんの!
書いてない人で書いてくれる人書いてー!」って言われて私は話したことも~たぶんないし
同じクラスにもなったことないから、いいやって思ってたけど」
スッっと顔を近づけてきて右手で自分の口元の右側を隠しながら小声で
「萌佳ちゃんが」
と囁かれ
「書いて書いてっていうから書いただけであって
別に読まれなかった、気づかれなかったから悲しぃ~とはならんのよ」
と戯けた表情で言う音成さん。訝しげに僕と音成さんを交互に見る妃馬さん。
ホッっとした感情と妃馬さんの表情への「へ?」という感情と
妃馬さんの前で元カノの話をされた焦りと
元カノの名前を小声で言ってくれた音成さんの配慮への感謝の気持ちが
一気に押し寄せてきて、気持ちがクチャグチャグチャァ~となった。
「あぁ、そっか。なんか先走りすぎたわ」
「そーだそーだ」
という音成さんと
「なに?なにコソコソ話してたの?」
とコソコソと音成さんに話す声が聞こえてしまっている妃馬さんがいた。
「じゃ、まぁ帰りますか」
と言うとコクンと頷く音成さんとなにかどこか納得していない妃馬さんで
再び出口の正門へ向かい歩き始める。
「あ、でも匠に忘れられてたら、さすがにキレて…」
「た?」を言う瞬間にお尻に鋭くも鈍い衝撃が走る。
「痛った!なに?」
と振り返ると音成さんの右足が僕のお尻に向かって伸びていた。
「え…」
としばし音成さんの顔を見て絶句する。
「そんなキャラだったの?」
「姉がキックボクシングやってて、遊び程度に教えてもらったことあるので」
「へぇ~」
と関心する妃馬さん。2人が何事もなかったかのように歩き出す。
「いやいやいや」
と僕も追いつき、一緒に歩く。
「姉に教えてもらってーとかではなくですね。なんで蹴ったん?音成さん?」
「んでねーお姉ちゃん教えるときに「軽くね」って言って太ももとかお尻蹴るんだけど
ふつーに強いのよ。だから痛いの」
「ちゃんと習ってると力加減わかんなくなるのかな?」
「ちゃんと習ってるからこそ、力加減わかるもんでしょ」
「そうなの?」
普通に会話を進める2人。
「おーい。音成さーん。おーい」
音成さんは無視して妃馬さんと会話を続ける。
「おいこら音成。無視すんな」
それでも無視する音成さんにあることが思いつき口に出す。
「匠にLIMEしよーかなぁ~?」
するとスッっと音成さんの体の向きが変わり、僕の太ももに足が飛んできた。
「痛った!…はあぁ~ん?なるほど?」
「なに?なるほどって」
「え、言っていいの?まぁ当たってる確信はないけど」
「あ、ダメダメ。仮に当たってたらやだし」
「でも妃馬さんにならいいんじゃないの?てかもう言ってるとかない?」
「言ってたっけなぁ~…」
「なにが?なにが?」
笑顔で話に入ってきた妃馬さんだがどこか圧力を感じた。
「いやぁ~…」
と話し始めようとした音成さんが僕の顔を見て
妃馬さんの肩を抱き僕から少し離れて、僕に聞こえないように話し始めた。
僕は聞いてやろうと少し早歩きしたがやめた。
もし仮に僕の予想が当たっていたとしたら
というか、コソコソ話しているのを盗み聞いて、良いことなどほとんどないだろうからやめた。
「あぁ~、なんか結構前に聞いた気がする」
妃馬さんの声が耳に入る。
「え!?今もなの!?」
妃馬さんの驚いたような少し大きい声が耳に届く。一瞬周りの視線が集まる。
「声大きいって!」
音成さんの声もそこそこ大きい。
「恋ちゃんも大きいって」
そう言って2人で笑っていた。女子ノリである。完全に置いてけぼりである。
「で?言っていいのー?」
声をかけていいかわからなかったが
このまま行くと話に割り込む隙が伺えないまま
ズルズルと駅まで無言かもしれないと思ったので、思い切って話に割って入った。
「え、ダメに決まってんじゃん」
「だって妃馬さんに話してたんでしょ?」
「聞いてたの!?」
「「聞こえた」ね。」
「ほらぁ~サキちゃんの声が大きいからぁ~」
「ごめんてー」
また女子ノリが始まった。
「やっぱ恋バナとかするんね」
また無理矢理割って入る。
「あんましないですけど、話が切れたらとりあえず?」
「あぁそうなんですね?男子と一緒っすね」
「そうなんですか?」
「まぁ他は知らないですけど、オレの周りはそうです」
「じゃあ、怜夢さんも?」
「…ですね。匠とか鹿島とかといるとき
まぁあの2人となら沈黙も別に苦じゃないんですけど
なんかないかなぁ~。なんか話すことないかなぁ~って探してると
まぁ無難に恋バナに行き着きますね」
「うわぁ~気になるぅ~。怜夢さーんーというかその3人の恋バナ気になるぅ~」
妃馬さんが目を瞑って酸っぱいものを食べたときの表情のような妃馬さんが
ドンッっと右から押されて僕の右肩に妃馬さんの左肩がぶつかる。
「うおっと。大丈夫ですか?」
本当なら手を添えて受け止めたかったが手を妃馬さんの体にあてるのに抵抗があり
せめて倒れないように妃馬さんの肩が当たった瞬間、腕を妃馬さんの背中に回し
手で触れはしなかったが受け止めるように両手を軽く広げた。
「あ、大丈夫です大丈夫です」
と僕に言った後
「ちょっとぉー!」
と言いながら音成さんに体当たりする。どうやら音成さんに押されたようだった。
「えぇ~だってねぇ~気になるもんねぇ~?」
「ちょ、うるさい黙ってくださいぃ~」
なんだろう。女子のイチャつきというか
この光景は見てられるなぁ~。と思うのと同時に懐かしさも感じた。
しかし「この光景は見てられるなぁ~」という感想について
心に住む住人が「気持ち悪いぞー!」とか「キモいぞー!」とか書かれたプラカードを掲げて
シンプルにブーイングしていた。すると
「恋ちゃんだって、匠さん?の恋バナ~」
と言いかけた妃馬さんの口を
「あぁー!!」
と叫びながら塞ぐ音成さん。そのやり取りで僕の解答用紙に丸がつけられた気がした。

音成さんは匠が好き?

その解答欄に赤ペンで丸がつけられた。
ただその丸の右上に小さく「?」がまだあったので口には出さなかった。
そして仮にその小さな「?」が消え、確信的に丸がつけられたとしても
匠には言わないでおこうと決めた。
そんな会話をしているうちに出口の正門どころか駅にまで到着していた。
交通系電子マネーを改札にあてるピッっという電子音が近づき
音成さん、妃馬さんと僕も交通系電子マネーを改札にあてホームに入る。
ホームで電車を待っている間も会話は続く。
「音成さんてさ、あ怒んないで聞いてね?」
「怒らすような内容でなければ」
「匠とさー?一緒のクラスになったことあるんだよね?」
「あるよ?」
「いつだったか覚えてる?」
「えぇ~っとね。中学~2年だったかな?あと高3」
「あれ高3?高3ってオレ匠とぉ~」
「違うクラスだよ」
「違ったか」
「ほぼ毎日一緒にお昼ご飯食べてたし、昼休みも一緒にいたからね。君たち」
「あぁ~おんなじクラスだと思ってた」
「高3担任高田先生ね」
「あ、違うわ!うちヤーマだったもん!あ!あぁ~そうだ!思い出したわ!
卒業アルバム見てて、別クラスに匠の写真あったわ!B組か!」
「そうそう!暑ノ井くんE組でしょ!?」
「あぁ~そうかぁ~」
「山下先生、E組に手焼いてるってよく言ってたわ」
「マジ!?オレらそんな手かからなかったと思うけどなぁ~」
「いやいやいや、結構ヤンチャしてたでしょ。
ヘッドホンで堂々と音楽聴いてる子いたって言ってたよ?」
「あぁ~。あいつは変わり者だったから。つかオレじゃないし」
「よく小野田くんが話してたよ?暑ノ井くんもヤンチャしてるらしいって」
「例えば?」
「授業抜け出してカラオケ行ったり?」
「あぁ~…」
「ね?」
「…いや!そのカラオケ匠もいたぞ?」
「マジでか」
「あいつなに自分のこと棚に上げて、オレをヤンチャしてるとか言ったな」
「たしかに」
音成さんと僕、2人で笑う。ふと笑い声が2つしかないことに気付き、妃馬さんのほうを見る。
妃馬さんは不貞腐れた顔で
「同級生トーク楽しそうですね!」
と言う。表情といい発した言葉といい
楽しそうに同級生トークを繰り広げる音成さんと僕に構ってほしくて不貞腐れているようで
無性に可愛く思えて、ドキドキした。
「ごめんてぇ~よしよし」
と音成さんが妃馬さんの頭を撫でる。
妃馬さんのほうが背が高いので音成さんは少し背伸びしていた。
「楽しそうで悔しい」
「悔しい?」
「悔しい?」
思わず僕も食いついてしまった。
「私より出会ったの後なのに恋ちゃんが私より怜夢さんと仲良くなってて」

ん?

僕は一瞬時が止まったように感じる。
思考は完全に停止した。頭の中を妃馬さんの言葉が巡る。

「悔しい」
「私より出会ったの後なのに恋ちゃんが私より怜夢さんと仲良くなってて」

はたしてこれは僕が聞いてもいいことなのだろうか?

もしかして妃馬さんは僕のこと…。

と勘違いしそうになる思考を振り払う。
さぞかし心に住む住人はキモいだなんだとプラカードを掲げているかと思いきや
心の住人までも思考が停止したようにボーっとしていて
僕が思考を振り払うために頭を振ると、心に住む住人も我に返ってようにハッっとなっていた。
「あっ!いや!嬉しいんですけどね!?」
妃馬さんの大きな声で現実に引き戻される感覚になる。
勘違いしそうになった思考を正しい道に戻す。

ただ音成さんと僕が楽しそうにしていて、話に入れなかったから悔しかっただけ。

そう言い聞かせて勘違いしそうになった思考を正しい道に戻そうとするが
どこか奥底に勘違いした思考があるような
どうしてもその勘違いした思考を除き切れていない気がした。
焦る様子の妃馬さんにニマニマする音成さん。
勘違いしそうになった僕。という変な空気になる。
「でぇ~も!」
と僕がその変な空気を切り裂く。
「ね!音成さんと僕は中学、高校と同じだったわけですし
仕方ないっちゃ仕方ない…かなぁ~…って」
フォローしようとしたが言葉を口から出しながらも
全然フォローになっていないことに気付き、後半に行くにつれ歯切れが悪くなる。
「全然フォローになってないよ。暑ノ井くん」
今度は僕の肩をポンッっと叩く音成さん。
「オレが一番気にしてんだよ。チビ」
背伸びしている音成さんの頭を下に向かってグッっと押し込む。
「誰がチビじゃ。誰が」
僕の腕を振り払う音成さん。
「他にいるか?他に」
とわざと周りを見渡す素振りをする。
「ほらぁ~あの人とかぁ~」
指指そうとする腕を
「やめなさい。失礼でしょ」
と事前に阻止する。すると
「プッ」
と声が漏れたほうを向くと妃馬さんが弾けたように笑い出す。
そんな妃馬さんを見ていたら、僕の口角も自然と上がった。
不貞腐れていた妃馬さんが笑ってくれた安心感と
なぜ、なにに対して笑っているのかがわからない疑問感が同時に押し寄せてきた。
音成さんも同じことを思ったのか
「なになに。どったの急ーにー」
と妃馬さんに引っ付く。
「いや、なんか、ね?兄妹みたいなやり取りで、おもしろかったのと」
「まもなく電車が参ります」
「安心して気が抜けちゃったのかな?」
駅構内に流れるアナウンスと妃馬さんの言葉が被る。
だけどなぜだろう。妃馬さんの声のほうが鮮明に大きく聞こえた気がした。
そのときの妃馬さんの笑顔が言葉と共に脳裏に焼きついた。
まもなくして電車が風を引き連れてホームに入ってきた。
その間も妃馬さんから目が離せなくなる。
風で靡く妃馬さんの髪。肩にかかるかかからないかくらいのミディアムヘアー。
少し栗色の髪が妃馬さんの顔にかかり、妃馬さんが手を使って直す。
「ん?」という顔をした妃馬さんと目が合う。
心臓が跳ねると共に現実に引き戻されたように我に返る。
妃馬さんと音成さんと一緒にドアの横に行き、電車から降りてくる人たちを待つ。
僕の前の音成さんが振り返り、ニマーっとした顔を向けてくる。
「なんだよ」
音成さんに聞こえるくらいの声の大きさで言う。
「別にー?」
気になるが降りる人たちが降りきり、僕たちが電車に乗り込む。
電車内に入るとシートが2席だけ空いていた。
「「「どうぞ」」」
3人で顔を見合わせて笑う。
「妃馬さん音成さん座ってください」
「いいんですか?」
「はい。もちろん」
「モテようとしてるな」
とニヤニヤした顔でぼそっと言いながら座る音成さん。
「んー?聞こえてるぞー?」
僕は吊り革の輪っかの部分ではなく、鉄のパイプと輪っかを繋ぐ「吊り革」の部分を掴み
音成さんのほうへ体重をかけ、前のめりになり言う。
「でも図星でしょ」
「んー。音成さんはちっちゃいから吊り革に届かないと思ったから譲っただけー」
脛に鋭くも鈍い衝撃が走る。
「痛った!」
右足を1歩後ろに下げ、足元を見ると
音成さんのモンターニュのスニーカーの爪先部分が先程まで僕の右足があった部分にあった。
「脛はダメよ?」
と音成さんを見ると微笑んでいた。
「え、音成さんてこんなキャラなんすか?」
と妃馬さんを見る。
「あぁ~…。んん~。たぶん人見知りするタイプだから最初は大人しく見えたのかも?」
「え、じゃあ実際はこんな感じ?」
「えぇ~でも普段はふつーですよ?パーッってはっちゃけるキャラでもないし
大人しく本を読んでる寡黙なタイプでもない。至ってふつーなんですけどね…」
「これが?」
「怜夢さんだけかも?」
「うん。暑ノ井くんだけだよ?」
そうぶりっ子のようなポーズをして上目遣いで言う音成さん。
「全っ然嬉しくねーし、可愛くもねぇ」
今度は左脛に鋭くも鈍い衝撃が走る。
「だっ!から!脛はやめろって!」
そんなバカなやり取りを続けていたら、いつの間にか僕の降りる駅のアナウンスが聞こえ
当たり前のように乗り過ごす。そして当たり前のように
妃馬さんと音成さんの最寄り駅で妃馬さんと音成さんと一緒に降りる。
「なんか2人が幼馴染に見えてきました」
妃馬さんと音成さんの帰り道を3人で歩きながら妃馬さんが言う。
「いやいやいや、まぁ中1から一緒とはいえ
音成さんと僕、6年間一度も同じクラスになったことないし
高校の卒業アルバムに一言もらってたくらいだし」
「そうそう。それにそのこと忘れてたしね。
さっきもサキちゃんばっか見て私のこと気づかなかったって言うし」
「バーカなのかな?」
「そうなんですか?」
妃馬さんがこちらを向いているような気がして音成さんから視線を妃馬さんに移す。
するとそこにはどこか嬉しそうな、でも悪戯っぽい微笑みの妃馬さんがそこにいた。
「えぇ~…いや、まぁちっさすぎてわかんなかっただけです」
太ももに鋭くも鈍い衝撃が走る。
「おっまえ、足癖悪ぃな!」
「お姉ちゃんの影響だから」
「キックボクシングしてる人の印象悪くなるから他所では言うなよ」
「私してないし。キックボクシング習ってるお姉ちゃんとたまに遊びでやってるだけだし」
「屁理屈こくな」
「屁理屈ってこくものなの?」
「もう屁理屈言ってんじゃん」
「あ、言い直した。井伊直弼」
「しょーもな」
3人で笑った。根津家の入っているマンションのエントランスを通り過ぎ
数十メートル進んだら音成さんの家が見えてきた。
「なんか今日で一気に2人の距離縮まりましたね」
「こんなキャラだとは思いもしませんでしたけどね」
「私もこんな私がいるとは思わなかった」
「なんだそれ。厨二病か?」
「Oh!久シブリニ聞イタ」
「Oh!急ニカタコト!」
「ナゼニ2人トモカタコト?」
全員片言になり全員で笑った。
「じゃ、また」
「恋ちゃんまたねぇ~」
「またな~」
音成さんを家まで送って今度は妃馬さんの家まで送る。
「じゃ、送ります。ってもすぐそこですけどね」
「たしかに」
2人で笑う。
「妃馬さんの学生時代を知る人は~あぁ、森本さん?」
「そ う で す ね?私の学生時代を知ってるのはフィンちゃんくらいかな」
「仲良くなって妃馬さんの学生時代のこと聞こー」
「やめてください」
「てか、そもそも仲良くなれるかな?」
「んん~どうですかね?仲良くなってほしいですけど」
「音成さんの話を聞く限り、優しそうではありますけど」
「まぁ優しいですよ?」
そんな話をしているうちにすぐそこに根津家の入っているマンションのエントランスが近づく。
妃馬さんの歩くペースに合わせていたが、わざと少しスピードを落としながら進む。
「優しいなら~大丈夫かな。まぁ第一印象が問題ですよね」
「たしかに。あっ」
っとなにか気がついたような声を出し、なにか気がついたような表情をする妃馬さん。
「どうかしました?」
「あぁ…いえ…。もしかしたら初対面は…」
「初対面は?」
「私も付き添います」
「ん、はい。ん?」
よくわからなかった。そして疑問がもう1つ生まれた。
僕はわざと歩くペースをゆっくりにしたのに妃馬さんとの距離が変わっていないということだ。
本来ならゆっくりのペースで歩く僕と普通のペースで歩く妃馬さんで距離が開くはずなのに
まだ僕の半歩前に妃馬さんがいる。

もしかしたら僕にペースを合わせてくれてる?

そう思うと少し申し訳なく感じて
少しずつペースを戻そうかとも考えたがエントランスまであとほんの数メートル。
もう少し長くいたいと思ってしまい、不自然にゆっくりのペースのまま歩くことにした。
「もしかしたら私のせいで初対面はちょっと冷たいかもなので」
「え!?あ、そうなんですか」
妃馬さんは森本さんにどんな説明をしたのだろう?
初対面では冷たいかも?ということはネガティブな説明をしたのだろうか?
悪い方悪い方に思考が回る。
「もうですね」
もうエントランス前についているような
正確に言えばまだエントランス前に差し掛かっていないような距離にきた。
「やっぱり早かったですね」
僕が歩くペースをゆっくりにしなければ、もっと早くついていただろう。
「じゃ、また大学で」
「はい。あとでLIMEしますね」
「はい」
嬉しい言葉にニヤけそうになる口を必死に堪える。
「あ」
ととあることを思い出し、ニヤけを必死で堪える必要がなくなった。
「姫冬ちゃんの誕生日27ですよね?」
「はい。明後日か」
「ですよね。明後日明後日。ありがとうございます。ちょっと確認しておきたくて」
「はい。じゃ、また大学で」
「はい。また大学で」
妃馬さんに背を向け、駅への道を歩き出す。
妃馬さんがまだこっちを見てくれているかもしれないと
振り返りたい気持ちが強かったがその気持ちをグッっと堪えて歩く。
角を曲がるときチラッっと、一瞬だけエントランスのほうを見る。
妃馬さんはエントランスに入り、今まさに鍵を差し込み
ガラス製のスライドドアを開けるところだった。
先程の僕の「妃馬さんがまだこっちを見てくれているかもしれない」という
淡い期待は本当に淡い期待だったと知る。
角を曲がり、立ち止まり、スマホとイヤホンを取り出し
スマホにイヤホンを接続し、耳に突っ込む。スマホの電源をつけ
音楽アプリで「お気に入り」のプレイリストをシャッフル再生し、駅への道を歩き出す。
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