猫舌ということ。

結愛

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動き

第77話

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目を開くと白い部屋、目の前には大きな鏡。
その鏡の縁にはLEDライトが入っていて縁が明るく光っていた。
鏡の前には黒いポーチからは様々な化粧品、化粧道具が出ていた。
「いよいよですねぇ~」
女性の声がする。鏡を見ると
なぜ今まで気づかなかったのか不思議なくらい女性に髪の毛をいじられていた。
見知らぬ女性だった。
「はい。緊張します」
口が勝手に話し出す。
体が勝手に動きメイクポーチの横にあった厚さ1cmほどのB5サイズの本を手に取る。
本を開く。縦書きに文字が詰まっており、上段の名前の部分に赤線が引いてあった。森野。
「スゴいですよねぇ~、ご自分の書いた本がドラマ化するって」
どうやら僕が書いた本がドラマ化するらしい。
そして僕もなぜか出演するらしい。そんな変なことあるのか?そう思った。
「で主役の子が森野ドルフィンさん!暑ノ井さんが直談判したってホントですか?」
「あ、はい。顔もキレイですし、なにより常識的で礼儀もしっかりしてて
今の他のタレントよりずっとしっかりしてますし」
どうやら僕が森野ドルフィンさん
森本デルフィンさんを主役にしてほしいと直談判し、それが通ったらしい。
ヘアメイクをしてくれている女性が一度僕から離れ、鏡越しに僕を見て
「はい!オッケーです!じゃ、あとはメイクの仕上げを待って
出番を待って出番少し前になったらスタッフ来ますので」
と言ってヘアメイクさんが白い部屋を出ていった。
せっかくセットしてくれた髪型が崩れないように慎重に動く。
台本を読む限り、第1話から僕の出番はあるらしい。緊張してきた。
するとガッチャと扉が開く音が聞こえ、髪型が崩れないように扉のほうを見る。
「失礼しましたー」
入ってきたのは姫冬ちゃんだった。
「じゃ、メイクの続きしますねぇ~」
とメイクポーチの前に広げられたメイク道具を使い、僕にメイクを施す。
姫冬ちゃんがメイクさんなことになぜか疑問は抱かず台本を読み進める。
「そうだ!お姉ちゃん喜んでましたよ!「フィンちゃんの努力が報われた!」って」
「あ、そう。良かったわ」
そんな会話をしていると、またしてもガッチャと扉の開く音が聞こえ
メイクをされているので鏡越しに視線だけを動かしてそちらを見る。
入ってきたのはハンガーラックとハンガーラックにかかった洋服。恐らく衣装だ。
ハンガーラックを押してきた人も見えた。妃馬さんと姫冬ちゃんのお母さんだった。
「えぇ~と?今回の暑ノ井くんの役は?
デルフィンちゃんの幼馴染のしがない喫茶店の店員ね?
別に今の生活の不満はないけど決して満足はしてない。
でももう半ば「満足すること」を諦めたような感じね?」
一人で僕の役のイメージを言葉に出しながら
ハンガーラックにかかった服を左右に開きながら見る。
「こ れ か な?」
地味な色だけど派手な柄シャツに太めのジーンズ。赤いスニーカー。
赤いワンポイントのロゴが入った地味な色のベースボールキャップを
用意する妃馬さんと姫冬ちゃんのお母さん。
「はい!オッケーです!」
と姫冬ちゃんの声。鏡を見る。普段よりほんの少し血色が悪く眠そうな顔をしていた。
メイクでここまでできるのか。そう思った。トンポンと肩を叩かれ
髪型、メイクが崩れないように慎重に振り向くと、妃馬さんと姫冬ちゃんのお母さんが
「じゃ、一回着てみて」
と言われハンガーにかかった服や小物など一式を渡される。
部屋の奥に洋服屋さんにあるような試着室があり、そこへ入り着替える。
カーテンをガラカラカラと開き、外に出る。
「あ、いいんじゃない?」
「あ、いいね!さすがお母さん!」
2人が僕のほうを見て頷く。コンコン。扉がノックされる。
ガチャッ扉が開くと見知らぬ男の人が部屋に頭を入れて
「失礼しまーす。もうそろそろ前のシーンの撮影が終わりそうなので
スタンバイお願いしまーす」
と言って扉を閉めた。僕はついにか。と思い扉に近づく。ドアノブに手を伸ばす。
ドアノブを下そうとしたが心臓がバクバクで落ち着くために
一旦目を閉じ、鼻から深呼吸をする。
目を閉じたままドアノブを下げ、部屋の外に1歩出る。目を開ける。思った場所ではなかった。
想像では部屋の外に出ると廊下があり
スタッフさんに案内され、スタジオで撮影すると思っていた。
目の前に広がる光景は舞台袖だった。
学生のころ、体育の授業を体育館で何チームかに分かれてバスケなどの試合をするときに
自分のチームが試合をしないとき、暇つぶしで
いつもは行けない舞台袖のほうへ行き、珍しがっていたあの光景に似ていた。
ただその時とまるで違うのが舞台袖からチラッっと見える客席。
舞台上はライトで照らされ明るく
逆にその照らされた舞台上を見やすくするため客席は暗かった。
暗かったがはっきりとわかった。満員御礼だと。
学生のころ、体育の時間、演劇部や雨の日の朝礼などで使われる舞台から見た
体育館の広さとはまるで違った。大きな会場にお客さんがパンパンに詰まっている。
まだセリフも頭に入っていない。
ドラマの撮影だと思い、ミスがあればカットがかかると思っていたがその実、舞台。
その事実がどんどん僕を追い込み、胸が苦しくなるほど
周りの人に心臓の音が聞こえてしまうんじゃないかと思ってしまうほど
心臓がバクバクといっていた。舞台上では見知らぬ役者さんが会話をしていたり
会社のビルの前という設定で通行人として行きかっていた。
そこへ見覚えのある顔が出てきた。森野ドルフィンさん、森本デルフィンさんだ。
OLの格好をして歩いている。
ただ顔はめざめのテレビで見た森野ドルフィンさんそのままだった。
「ドルフィンさんがあちらの方に「あ、お疲れ様です。お昼ですか?」って会話が始まって
その会話が終わって2人が別れたところで出て行ってください」
そうスタッフさんに声をかけられた。
「はい。わかりました。ありがとうございます」
必死にいつも通り振る舞おうとするが
出番が近づけば近づくほど心拍数は早くなり鼓動は大きくなっていった。
胸と背中がひんやりするほど緊張する。
「あ、お疲れ様です。お昼ですか?」
森野ドルフィンさん、森本デルフィンさんのセリフが始まった。
よく緊張したときに聞く「心臓が口から出そう」というのがわかるような気がした。
心臓が喉の辺りでつっかえているように息がし辛かった。
「私も会社戻って上司に報告したらお昼だと思うんで、行けたらLIMEします」
そう言って2人が別れた。僕の出番だ。
鼻から大きく深く深呼吸し、光の当たっている舞台に踏み出す。
テテトテテトテテトテテテン。テテトテテトテテトテテテン。
LIMEの無料通話独特の着信音が流れる。セリフが飛ぶ。辺りを見回す。
視線が僕に集まっている。音の発信源は僕の右ポケットからだった。
衣装なはずなのに、いつの間にかスマホが入っていたらしい。着信音は鳴り続ける。焦る。
吐きそうなほど緊張が増す。一度目を瞑る。落ち着こうと深呼吸をする。そして目を開ける。
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