猫舌ということ。

結愛

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動き

第67話

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帰る人もちらほら出てきて、駅周辺は混み始めてきていた。
妃馬さんの背中を追い、見失わないように無事エスカレーターに乗る。
「混んできましたね」
「そうですねぇ~帰宅ラッシュ前で良かった」
「帰宅ラッシュか…」
そう呟いたあと考える。
「日曜ですけど帰宅ラッシュって適応されるんですかね」
妃馬さんの顔を見上げる。
「はっ…そうか」
気づいて驚いたような顔をしていた。
その様子に笑いそうになったがエスカレーターの終わりが近づいていたので
「妃馬さん」
と前を指指す。
「おっ」
と言い前を向き、エスカレーターを降りる妃馬さん。
僕もエスカレーターを降り、妃馬さんが先に改札を通る。
交通系電子マネーをタッチする電子音とその妃馬さんの背中を追うように
僕も交通系電子マネーをタッチし、改札を抜ける。
横に並んでいる他の改札からもバラバラにその電子音が左右の耳に入ってくる。
改札を抜け、少し待っていてくれた妃馬さんと合流し、電車の前に向かう。
「すごく」混んでいたわけではないが次の電車で座ろうと思っているだろう人が
数人ホームの黄色い線の内側の電車を待つエリアに並んでいた。
「次待って座り…」
と言いかけたところで妃馬さんは空いてても座らないことを思い出し
「乗ります?」
という質問に切り替えた。
「乗っちゃいましょう」
と言うので「はい」と言い、2人で電車に乗り込む。
シートはすでに埋まっており、必然的に立つことになった。
扉の左右にも人は立っていてシートの前に2人並んで立つ。
「まもなく1番線、扉が閉まります」
アナウンスが流れ間もなく扉が閉まる。ゆっくり電車が進む。
ゆっくりだが慣性の法則で体が揺れ、妃馬さんの肩に僕の肩がぶつかる。
なにも考えていなかったが初めてお邪魔するお家だし
なにか手土産あったほうがいいかなと思っていると
「あの話家で話すので」
と肩の布地が触れるくらい近づき僕に囁く。
「あ、はい」
少し上の空で返す。
「どうかしました?」
「いや、妃馬さんの緊張をいじってましたけど、今になって僕も緊張してきて」
「あ…忘れてた」
とつい5秒前に「あの話「家」で話すので」と言っていたのに
忘れていたという衝撃の発言につい吹き出してしまう。
「忘れてたって」
「ちょ、なんで笑うんですか」
「さっき自分で「家で」って言ってたのに「忘れてた」っていうのがおかしくて」
「あ、言ってた」
「やっぱ妃馬さんも姫冬ちゃんのこと言えないくらい天然ですよね」
笑ってそう言うとトンッっと軽い衝撃が肩に伝わる。
「う、うるさいですよ」
口を尖らせて少し不機嫌そうな表情で左拳を肩叩きのような形で僕の右肩にぶつけていた。
心臓がウサギのように跳ねた。
「あ、え、えっと、そんな妃馬さんも」
なにを言っていいかわからず、その場を繕うため咄嗟に言葉を紡いだ。
「そんな妃馬さんも」の後に「好きですよ」と言おうとしていた。
しかし瞬時に頭が働きブレーキをかけ
「良いと思います」
妃馬さんの尖った口が少し緩んだと思ったら、また尖り直して
「ほ、ほんとですか」
と少し下から睨むように聞く。
「ほんとです!ほんとです!か…可愛いですよ」
「可愛い」を言う前ブレーキを踏んだが、もうブレーキが利かないほどスピードが出ていた。
「可愛い」と言ってしまった手前、妃馬さんの顔を見ることができず
窓の外を流れる景色を眺めていた。
しばしの沈黙の中、電車特有のガタンカタンという音。
その揺れの度に窓枠なのか、ドアなのかがガタガタンッと音を立てる。
他にも音が聞こえる。服の擦れれる微かな音。
ほとんどの人がいじっているスマホの画面をタップする音。微かに音漏れして聞こえる音楽。
「姫冬ほどじゃないですけどね」
妃馬さんのその一言で妃馬さんが中心となる。
「あ、そうで す ね?」
「なんですか!その歯切れ悪い感じ」
「いや姫冬ちゃんの天然なところ、実際見たことないし、断言はできないかなぁ~って」
「あ、そうか。いやでも姫冬の天然さはすごくてですね!」
そこから姫冬ちゃんの天然エピソードトークが始まり、それを聞き2人で笑った。
「次はー」
アナウンスの駅名が耳に入る。気がつけば妃馬さんの最寄り駅にすごく近づいていた。
その事に気がつき、心臓がうるさくなりはじめる。
「次はー」
そのアナウンスが聞こえ1駅1駅近づく毎に、心臓のうるささも1段階ずつ上がっていった。
僕の最寄り駅も過ぎ、いよいよ次が妃馬さんの最寄り駅。
これから駅に降りて妃馬さんの家に向かうと考えたら
心臓が胸を突き破り出そうな勢いだった。
妃馬さんが一人暮らしでも2人きりになるということで緊張するし
実家は実家でご両親と会うという変な緊張があった。
電車の速度が落ち始め、窓の景色に駅のホームが入ってくる。
電車が止まり慣性の法則でまた妃馬さんと僕の肩がぶつかる。
扉が開き、数人が電車内からホームに降りた。
僕と妃馬さんもその流れに乗り、ホームに降りる。
妃馬さんが少し先で僕が3歩ほど後をついていく。
改札が近づき、交通系電子マネーをタッチする電子音も近づいてくる。
妃馬さんが先に改札を通り、その後を僕が追いかける。
これで3回目となる妃馬さんの家への道を歩き始める。
電車でもそうだったように歩いて、覚えのある電柱や街灯
交差点や駐車場に止まっている高級車。どんどん妃馬さんの家に近づく。
その度に心臓のジャンプ力が上がる。この間姫冬ちゃんが飛び出してきた角。
すなわちこの角を曲がれば、妃馬さんの住んでいるマンションのエントランスが見える。
角を曲がる。明かりの点いたマンションのエントランスが見える。
「送って「じゃまた」じゃなくてお家上がらせてもらうんですよね」
「はい。そうですね。あ、なんかご予定とかありましたか!?」
急に慌て出す妃馬さん。
「あ、いえいえ。全然引くほど暇ですけど」
「じゃあイヤ…とか」
その聞き方はズルい。
「そんな訳ないですよ。ただ…」
「ただ?」
「緊張しまくってますし、手土産とかないですし」
「手土産とか全然いらないですよ。緊張はー…どうにもできませんけど…」
「あぁ~めっちゃ緊張する」
「やめてくださいよ。私もめっちゃ緊張してきた」
2人でめっちゃ緊張し、僕は初めて妃馬さんのマンションのエントランスに入った。
白というより少し黄色のライトで照らされた高級感のあるエントランス。
大理石のようなツルツルの石のタイルで
そこそこ広い空間で各部屋のポスト、宅配ボックスがあり
腰ほどの高さで斜めに切られた石の柱のようなものに
部屋番号を押すボタン、押した番号を表示するモニター
カメラのレンズ、鍵を差す鍵穴がある装置が取り付けてあった。
妃馬さんは肩から下げた小さなポシェットからキーケースを取り出し鍵穴に鍵を差し回す。
すると微かな機械音とともにガラス製のスライドドアが左に開く。
「どうぞ」
という妃馬さんに
「あ、どうも」
と言い他人はほとんど入れないであろうマンションの内部に足を踏み入れる。
妃馬さんは自分の部屋のポストを開く。
なにかしらが届いていたのか手に数枚の紙を抱えていた。
妃馬さんの後ろをついていくとエレベーターがあった。
妃馬さんは右手でボタンを押す。
エレベーターは6階で止まっていて1階まで下りてくるのに少し時間がかかった。
時間にして2、30秒。ボタンの上のモニターの数字が6から1までカウントダウンする。
そのカウントダウンが心臓が胸を突き破って出てくるまでのカウントダウンのようだった。
心臓が胸を突き破る寸前でエレベーターの扉が開いた。深呼吸をする。
ダークブラウンの内装で奥に大きな鏡が取り付けてあり、僕と妃馬さんが写る。
口角は上がっているものの、どこか硬い表情だった。
妃馬さんが扉の横のボタンを押す。3階のボタン全体が光る。エレベーターの扉が閉まる。
今度は先ほどのカウントダウンとは違い数字が上がっていく。1から3へ。
数字が上がる毎に心拍数のレベルも上がっていった。
心拍数も高くなり胸も苦しく
昇りエレベーター特有の上からの圧迫感に頭を押さえつけられていた。
3階で扉が開き妃馬さんが先に出る。
僕がエレベーターの外に出ると妃馬さんは1度エレベーター内に半身を入れ、また戻ってきた。
緊張で酸素をうまく取り込めず少し苦しい中
「どうかしました?落とし物とか?」
と声をかける。
「あ、いえ。エレベーターを1階の戻すために1階のボタンを押したんです」
そう言いながら自分の部屋に進む妃馬さん。
「あぁ~なるほど。すごいな。どこまでも気を遣える人なんですね」
と言うと妃馬さんは立ち止まり、僕のほうを振り返る。
「そんなことないですよ。だってほら、考えてみてください。
12階まであるこのマンションで、もし次に乗る人が12階から1階に降りる人だったら?
そしたら私は酷いことした人になりますもん」
「あぁ」
考えてもみなかったが納得できる話だった。だが
「ふっ」
笑いが溢れ、そこから止め処なく笑いが溢れた。
「な、なんですか」
と本日何度目かの妃馬さんの尖り口に困り顔。
「いやだって。「そんなことないですよ」っていう割に、最上階の人のことまで気を回してて。
やっぱりどこまでも気遣い屋さんだなって」
「それ褒めてます?バカにしてます?」
「褒めてるに決まってるじゃないですか」
笑いながら言うと
「なら良し!」
と踵を返し自分の部屋へ歩き出す。
さっきのやり取りで忘れていた緊張が戻ってきた。1番奥の部屋で立ち止まる。
ダークブラウンの木の扉。僕の家の扉に似ていたが、ドアノブがうちのと違い縦型だった。
妃馬さんがドアノブを握り、引く。
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