信長伝

夢酔藤山

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第一二話 古河

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               一


 その頃、信濃では小笠原政康の後継者争いが生じていた。跡目を争ったのは、政康の嫡男・宗康と、在京の将軍家奉公衆で政康の甥にあたる持長である。
 この騒動のきっかけは、持長の主張からはじまる。
「そも祖父(小笠原長基)の長子である父は家督も継げず、二人の叔父が守護職となった。我が父は幕府の為に粉骨砕身、先の結城合戦でも励んだ末に討ち死にされた。将軍家奉公衆の忠勤を認めて頂きたい」
 これに、幕府管領・畠山持国が後押ししようとした。
「いまの現状からみれば、信濃と縁の薄い彦次郎(持長)は適正ではない」
 細川勝元がこれを評し、山名入道宗全がこれに同意した。
「出生の順序を復すことに、適正の何のと論じるのは、意味がない」
 畠山持国が不服を唱えた。
「長子が必ず家を継ぐとは限らず。そも、彦次郎の母は側室腹ゆえ、ここでの申し様は出過ぎといえる」
 細川勝元の言葉は、当時の慣習をいう。長子だから家を継げるのではなく、妻の地位もそこには影響するのだ。
 畠山持国は悔しがったが、幕府の重席は勝元を支持した。表面上はこれで決着した。
 しかし、波風というものは単純ではない。一旦こうして国内を騒がした以上、波紋のように国人の立場や意思を大きく揺さぶる。結果として、信濃国内の世論は二分され、対立の構図が誕生した。信濃府中が持長方、下伊那伊賀良が宗康方に分かれ、国人の対立が浮き彫りとなった。宗康と持長、双方は従兄弟同士でありながら、これまでも接点は少ない。いわば他人も同様。ゆえに剥出しとなった憎悪が激しく激突した。
 こののち小笠原家の内乱は、持長が武力で宗康を討ち滅ぼすという結果に至った。これは信濃国内の問題ではなく、正しくは幕府の諍いが反映した代理戦争でもあった。
 この事態を細川勝元は大いに憂いた。管領家の代理戦争に対する責任もあった。
「関東の仕置を急務とする折、小笠原家の内紛は穏やかならざる事態なり」
と、細川勝元は将軍足利義政に諫言した。
「近隣の守護職……おお、そうじゃ、甲斐国の武田家に調停させよう」
「しかし、御所様」
「頼むぞ」
 義政の懇願に押切られ、勝元は溜息を吐いた。
 実のところ、小笠原家調停の役割は甲斐の武田氏しかいないと、勝元も考えていた。かつて流浪の武田信重が甲斐守護職に復帰したとき、その後見役を務めたのは小笠原政康だった。今度は甲斐が、という理屈も通る。
 しかし、勝元は甲斐の実情を知っている。
 頼みとする武田信重は家臣に叛かれ五年前に討死にした。その嫡男・武田信守も、重い病を被り、死の渕を彷徨っている。
「小笠原は内紛、武田は下剋上。関東の仕置はままならぬ。いったいどうなってしまったのだ、世の中は!」
 室町第の周辺だけが、時代に取り残されたようで長閑さが漂う、そんな気がしてならなかった。結局、勝元は小笠原問題をそのままにした。
 当面急務なのは、関東のことだった。

 享徳四年六月一五日。
 成氏の不在を守る鎌倉駐留兵一千は、東征してきた今川勢の攻撃を受けた。
 今川勢は巨福呂坂と極楽寺坂のふたつから鎌倉に入った。駐留兵で西御門を支えることなど、不可能に近かった。が、彼らは成氏の戻る場所を死守すべく奮闘した。戦闘は一昼夜に及んだ。そのあとに塁々と残された死骸は、多くの切傷を有していた。彼ら全員が獅子奮迅の働きをしたことを証明する。
 今川勢の負う命令は鎌倉府の破却であり、追討ではない。
「足利家討伐は幕府の望まざること。それよりも、上杉側にも混乱に至る責があることを自覚されたし」
 今川側からの申し様に、長尾景仲は青筋を立てた。
「足元をみやがって」
 今川勢と上杉全軍で押し立てれば、足利成氏を討ち取れる筈だった。足利を排除すれば上杉の世になる。それを期待していただけに、長尾景仲は地団太踏んで悔しがった。

 成氏が鎌倉破却のことを知ったのは、程なくのことだった。この報せは、成氏を大いに憤慨させた。
「畜生、鎌倉に火を放つなんて」
 上野国平井城に入った上杉房顕の動きも気になる。いま鎌倉を奪回するために動けば、背後が疎かとなるだろう。落胆する成氏を励ましたのは、結城成朝である。
「いっそ、この古河にあらたな御所を構えるというのは如何か」
「なに?」
 思いもよらぬ意見だった。
「既に利根川以東は我らの掌握下にござる。古河城も我らが接収し、改修してございます」
 鎌倉公方という伝統は重い。そのうえで、鎌倉以外に御所を構えろという意見は、成氏の心をかき乱した。
「鎌倉を、捨てろと?」
「これからは、古河が関東を治める政務地となります」
 しかしと、成氏は渋った。
 伝統とは、簡単に捨てられるものではない。成朝は図面でいかに古河が優れた立地条件にあるかを示した。利根川・渡良瀬川の大河が武蔵国からの敵に対する堀であること。栗橋の出城が武蔵国への鉄槌であること。それを防備する関宿城が要塞であること。そして結城城が近いことなどを、一気に捲くし立てた。
 どうだろうか。
「右馬助はどう思う」
 信長に訊ねた。そこには驕りの表情はない、真摯に信長へ向き合う姿勢があった。ゆえに、忌憚なく信長は答えた。
「結城殿の献策はいいものです」
 そういえば、信長は古河の布陣を一度は口にした。そのときの理由も、関宿と結城との連携というものだった。
「ならば、古河でいいのだな」
「はい」
「そうか」
「公方様が胸を張って、関東の府をお移しになると、そう宣言するだけでよいのです。それに皆が従う、ただそれだけのことです」
 不安も、戸惑いも、この言葉がすべてをまとめていた。
「さすがは武田右馬助である。これまでのこと、伏して詫びよう」
「おやめください。今度のことは結城殿の提案です。儂はただ同意したまで」
 その欲のない申し様に、結城成朝も項垂れた。
「これまでの無礼をお許し下さい」
「若い奴は、それくらい生意気で丁度いい」
 信長は歯牙にもかけない。さすがは武田信長だと、成氏は大きく頷いた。

 鎌倉が関東の中心となったのは、源頼朝が幕府を開いてからである。
 このときから鎌倉は武家の都だった。その鎌倉には、室町幕府の関東出張所というべき鎌倉府が設置された。これが全ての元凶だった。ゆえに幕府の東征軍はこれを武力制圧した。いま、鎌倉は今川勢に抑えられて、もはや鎌倉府を回復することは出来なかった。
 名目だけの関東管領である山内上杉氏は、所領地に戻るしかなかった。
 上杉の一族も各々の領地で、こののちの世の流れを見守るしかない。
 鎌倉府がなくなれば、もはや上杉氏は、ただの東国守護大名に過ぎなかった。

 鎌倉府がなくなれば、別の場所に御所を構える。この発想は当時、誰も考えのつかぬものだった。そこに関東公方たる足利成氏が遷座したとなれば、そこが新しい関東行政府となる。
 このことに驚いたのは、幕府だった。
「こんなこと、よくも考えたものだ」
 むしろ愉快だと、細川勝元は笑った。
「笑い事ではござらぬ」
 畠山持国が噛みついた。
「いや、これは驚きだ。考えてもみよ。もしも北条得宗家が鎌倉にこだわらず一族で移転し勢力を保ったならば、きっと鎌倉の幕府は生き残れただろう。室町御所とて、余所に移るという機転を用いるときが来るかも知れぬなあ」
「御所様の御前で、不謹慎である」
「なにが不謹慎か。常識に囚われぬ関東公方が上杉よりも一枚上手じゃった」
 勝元は物事を合理的に考えられる男だった。そして、古河へ御所を構えるという合理性を、むしろ天晴れと受け止める器の大きさがあった。彼の目には、常識に縛られる連中が雑魚に見えた。
 黙ってはいるものの、薄ら笑みを浮かべているのは山名入道宗全だけだ。
(舅殿も懐が広い)
 このことを愉快に思うのは、幕府においてただ二人。
「今川は退かせましょう、よろしいか御所様」
 山名入道宗全が将軍足利義政に仰いだ。
「そうせい」
 下知が達すると、今川勢は駿府へ退いていった。後に残されたのは、無残な鎌倉の焦土だけである。寺社はこういうとき誰に庇護を訴えるべきか、よく知っていた。鎌倉の主は、腐っても関東公方たる足利家だ。上杉家ではない。
「再興に必要なこと、申し出るがよい」
 成氏が受理し、然るべき臣下に普請を命じる方式は、鎌倉府のときと同じものだった。上杉家は、少なくともこういう事態にあって、一切頼りにされなかった。
 これが、真実だ。
 誰が関東の主かは歴然とされた。
「そういうところから絡め取るべきじゃったなあ」
 隠遁先の越生で、太田入道道真は呟いた。
 治世の足元のことを、上杉家の誰も気付いていない。扇谷上杉の家宰・太田道真と資長の父子だけが、戦さの勝負けだけではない民意に気付いた。上杉家は足利成氏を敵視しすぎて、大事な足下を疎かにしていたのだ。
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