閻魔の庁

夢酔藤山

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地蔵帖

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               三



 灼熱地獄に落された罪人たちは業火のなかで焼け爛れ、灰となっては再生してまた焼かれていく。それをただ傍観する権限が、何やら後ろめたくて切なかった。
「どうしたら救済できるのかなあ」
 功徳の術を思って満慶上人は呟いた。現世の罪を清算することこそ功徳なのだと小野篁は答えたが、素直に頷けない。これも生者ゆえの葛藤なのだろう。
 暫らく地獄を歩き廻り、そろそろ朝も近くなる頃
「そろそろ還ろうか」
と、小野篁は満慶上人を促した。
「いや、待ってくれ」
 満慶上人は灼熱のなかに立つ人影に目を止めた。己と同じ僧形の者である。思わず駆け寄り声を掛けた。その者はただひたすら読経を続けていたが、何度目かの問い掛けにようやく振返った。
「不躾で申し訳ない。あなたは出家の身でありながら、何の罪を以てこのような処へ堕ちてきたのか。かなりの徳ある御仁と推察いたす」
 満慶上人の言葉に、その者は虚空に視線を泳がせながら
「この火炎は罪を覚えて悔いる者の良心までも焼き尽くす。せめて僅かなりとも救済せんと……せめて我が身にと、亡者に代わりて、苦患を負っているのです」
 なんと気高き御心か。しかし満慶上人が目を凝らすと、その僧からみるみると神々しい輝きが放たれ、やがて火炎のなかへと、その姿が消え去っていった。
「篁……今のは、一体」
「生六道地蔵菩薩よ」
「地蔵?」
「我が身を犠牲にしてまで庶民を救わんとする、慈悲深い御仏様じゃ」
 尊きことよ。満慶上人は感涙を禁じえなかった。

 その後、満慶上人は再び地獄巡りの日に同行し、地蔵菩薩と再会した。その尊き御心に感化され
「生者にその慈悲慈愛を布教したい」
と請い願うと、地蔵菩薩は漆塗りの箱を土産に持たせた。
 現世でそれを開けると、中には白米が入っていた。
(この白米で庶民を救済せよと仰せであるか!)
 以後、満慶上人は名を満米と改めた。
 ところで地蔵菩薩から貰った箱には不思議な力があった。
 次々と庶民に施しても、翌日には使った分だけ米が元に戻っていた。満米上人は生者の窮民救済に、一生を捧げる決心をする。
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