小町のひとりごと

春

……萌える情熱（１）

　春の季節はわたしの心に刻まれた様々な出来事を思い出させるのです。
　わたしの名前は小野比古（おののひこ）。
　誰が呼んだものか、のちに小野小町などと名を刻んでおりますが、わたしは比古という泥臭く垢抜けない名前は、けっして嫌いではないのです。
　父の御名は小野長友（おののながとも）、祖父が小野篁（おののたかむら）。わたし、祖父様にまつわる、様々な噂を聞いて育ちましたけど、ふふふ、存外、本当かも知れませんわね。
　洛北の草深い小原（おばら）の郷は、小野一族が預かる領地、風と水と雲のたいへん美しいところでございます。余人は小野郷などと呼んだりしておりますし、後の世には大原と名を改め、花売女が都へ通うのです。
　この美しい小原へ、あの御方が参られました。
　わたしの愛した宮様が不遇な生涯を運命づけられたのは、御歳ななつの頃、弟宮が誕生なされてからと思います。
　宮様の御名は惟喬（これたか）親王さまといいます。
　宮様の御父上は道康（みちやす）親王様、御母上は紀静子（きのしずこ）様とおっしゃり、やがては天皇皇后様になられる御方でございます。宮様は御長男にして道康親王様のお気に入りでしたから、ゆくゆくは、御父宮様の跡を継いで帝になられるべき運命という身分の御方です。
　宮様の御歳ななつの年、宮様の御父宮は帝に即位なされました。のちの文徳（もんとく）天皇です。そして御父帝の即位から僅か六日の後、宮様の弟宮・惟仁（これひと）親王さまが誕生しました。弟宮の御母の名は藤原明子といい、あの穢らわしい藤原不比等（ふひと）一族の末裔です。
　わたしが藤原の者を憎むのは、紀家を失脚に貶め、二度と世に出る道を断ち切ったことも含まれているのかも知れません。そう、わたしは、宮様の御母様とは、遠縁にあたる間柄なのです。
　宮様は幼いながらも、御自身の周囲で、大人たちが凄惨な権力闘争を繰り広げる様を、その目でみて、御育ちあそばしました。なんとも御痛わしい限りでございます。