安政ノ音 ANSEI NOTE

夢酔藤山

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第1話 アマビエさま 4

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 ほら、みて御覧。
 あの武家屋敷が並ぶ一郭では、コロリに便乗した詐欺をしている男たちがいるよ。お坊さんみたいな恰好しているけど、あれ、違うね。でも世の中が騒がしいと、そんなことに気づかず騙されちゃうのが人みたいだ。
「この背に負いし観音菩薩に祈れば、コロリは退散。屋敷内だけはコロリになることなき霊験あらたかな観音菩薩。いまだけ五両でお譲り申し上げ候」
 ああ、奪い合うように観音菩薩を侍たちが求めている。あの観音像だって、数日前、どこかの寺で盗んだもの。霊験どころか罰当たりだ。
 こんな詐欺がたくさん満ち溢れている。
 あっちにも、こっちにも。
 ほら、駿河台の大名屋敷では値をつりあげて詐欺をしている者もいる。おや、三田ではそれが露見して、半分くたばりそうな仕置を被った人もいるよ。
恐いねえ、本当に恐い有様だ。
 人が、いちばん恐い。

 えっ?
 ちょっと、その詐欺は、嫌だな。アマビエ札の詐欺?詐欺も何も、私は疫病なんか退ける力なんてないよ。それなのに、霊験あらたかなんて、やめてよ。やめて。
「ほら、この札を軒下に貼っておけばコロリは退散。アマビエ様のご利益は間違いないよ」
 いや、それ、間違っているよ。あんた、やめてよ。あ、あっちでは詐欺どころか本気で信じている人が、木版刷りの札を配って歩いている。
 私はモノノケだから無責任なこと云いたくないけど、間違いなく云えるのは、疫病は感染が拡がる病だから。そんなに人が集まって濃厚な接触していたら、むしろ疫病を流行らせるだけだから。不要不急な出歩きはやめた方がいいよ。
 ほら、高札にも書いてあるでしょ、行動の制約を公方様の家来も理解して、ちゃんと指導しているじゃない。
読めるのなら、いうこと聞こうよ。
 ほら、熱が上がってきたでしょう。吐き気が、下痢が、ああ、いわんこっちゃない。それ、たぶんコロリだよ。いま、季節は暑さの盛りで蒸し蒸ししているだろ。コロリって、こういう気候を好んで流行するみたいだよ。今日も、沢山の人がお寺に運ばれている。みんな息を引き取った人たちだ。大きな穴を掘って、まとめて埋めているんだな。気の毒だな。
 みんながみんなじゃないけれど、やはり人って良心的だものね。
「アマビエ様に助けてもらいたい」
 その声には応えられないけど、信じることで何かが救われるのかな。間違って、治っちゃうことなんかあるのかな。それ、信じることで救われるなら、信仰ということがあってもいいのかな。複雑だけど、許してもいいのだろうか。
 人って、かわいいね。
 私、人って嫌いじゃないよ。
 コロリから沢山の人が救われたらいいね。
 でも、誹謗中傷や詐欺なんてしている姿は、みたくないな。人は基本的には善良であって欲しい。本当だよ、うん。

 コロリが安政の江戸に暗い影を落としたのは、およそひと月余りのこと。およそ二〇万もの人の命が奪われた。そのなかのどれ程が、私を疫病除けと信じていたものやら。デマを飛ばす人も罪なことだ。何も出来ないからこそ、私だって胸が痛い。
 コロリが世を騒がせたのは、何も江戸だけじゃあない。東海道筋で、そんな騒ぎになっていた。もう、私には数えきれない人の命が失われたことになる。
「みんな、俺を信仰しなかったからだ」
 ヨゲンノトリだ。あいつめ、本気で人を助ける気があったのか、怪しいものだ。
「人なんて、呆気ないな」
「ちょっと。お前が余計なことを云わなければ、迷信に頼らず蘭学を学んだ医師に誰もが耳を貸したのではないか?」
「アマビエめ、人はそれほど賢くないぞ」
 ヨゲンノトリは大笑いだ。
 なんだか、疲れたな。もう、海の底に潜って、二〇〇年くらいは目覚めたくない。
 次に目覚めたとき、人はもう少しだけ賢くなっていて、疫病さえも乗り越えられる知恵と勇気と優しさを持っていたらいいなと、心の底から思うよ。でも、一年くらい寝付けなくてね。一年も経つと、コロリがあったことなんて、みんな忘れちまっていた。
 これが人だろうね。
 したたかで、弱いくせに狡猾で、どこか愛しいんだ。
 今度目が覚めたら、また会おう……おやすみ……。
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