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最終話 雪には折れぬ青柳の枝
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最終話 雪には折れぬ青柳の枝 ⑦
キリシタンであっても、蒲生の家は慣習に従うもの。生前の指図だったのだろう。氏郷は大徳寺黄梅院に葬られた。大徳寺は千利休ゆかりのもの、黄梅院はその塔頭で、織田信長にもゆかりがある。
利休と信長、氏郷はもっとも好きだった二人のもとに眠ることを早くから決めていたのだろう。埋められるときは、刀を抱くようにした。武士の嗜みだ。遺髪は取り置かれて、会津に葬ることと決まった。
会津の墓所は興徳寺と定められた。民衆は、麒麟児の死を悲しんだ。キリシタンも、仏教徒も、名もなき民も、氏郷がきてからの会津は、戦乱の影が消えて暮らしの向上が推進された。産業が奨励され、手に職をつける者も増え、農耕に勤しむ者の支援や水路整備も行われた。蘆名の時代にはなかったことだと、在地の者は喜んだ。氏郷を慕ってきた近江・伊勢の商工業の多くも、あたらしい生活に夢を抱いた。
麒麟児の夢に、誰もが想いを重ねた。
その夢は、泡沫のごとく空へと消えた。
氏郷を疎んだ秀吉は、その死に臨み
(ほかに道はなかったものか)
と悩んだ。
後悔とは違う、複雑な心境だった。
生前の遺言が前田利家に伝えられていた。いや、遺言という大袈裟なものではない。
「鶴千代のよき後ろ盾になって下され」
前田利家は氏郷の縁者になる。嫡男・利政の正室・籍姫は、氏郷の娘だ。その跡目についても、後ろ盾になることに異存はない。
しかし、秀吉は違う。
蒲生家で異質なのは氏郷だけで、その子は凡庸、とても伊達政宗や徳川家康に対峙する器ではない。会津における蒲生家の役割はおわったと考えた。
「名跡は嫡子にて安泰」
関白・豊臣秀次は秀吉の意に逆らい、筋目を重んじた。
「お前ぁの代わりなど、おるだがや」
太閤は先の関白、無位無官である。それが、人臣の長である関白を恫喝した。が、秀次は逆らった。氏郷とは小田原陣以後、長く奥州で接し、その人品骨柄に敬服している。その家に不都合なことなど、あってはならない。前田利家もこれに一味した。
この騒ぎは、北政所の仲裁で一応の収まりを得た。
お拾のことを利家に頼んだ秀吉と、氏郷に何の違いがある。利家にも義理があり、同じ重さであるという北政所の言葉は、秀吉の泣き所だった。しかし、執念深い秀吉は四ケ月ののち、秀次を失脚させ死に追い込むのである。
ただし、秀吉の懸念に及ばずとも、蒲生家は家老同士の内紛がふたたび生じた。
刃傷沙汰に至るからには捨て置けず、結局、会津から蒲生家は去る運命であった。会津には、氏郷の残した文化と志だけが強く刻まれた。蒲生家のあとを継ぐ大大名のもとでも、その息吹は、永劫に向けて生き続けていった。
豊臣秀吉の世は、それから逆転びのように壊れていく。
ふたたび大陸遠征をめざす渡海。そのさなかの秀吉の死。一己の才能が天下を握ったということは、それが持ち回りすることを意味している。
徳川家康は一己の才を持ちながら、人材を束ねて才を強くする者だった。
この意図するところは、個人の才ではなく組織の才だった。その家康をしても、もし、蒲生氏郷が生きていたなら上手く立ち回れなかっただろうと考えたに違いない。
そう考えれば、氏郷の死は、世の中の均衡さえも、死後にいたるまで左右したことになる。
徳川家康も前田利家同様、蒲生家と縁を深めた男だ。
ひょっとしたら、天下取りの野心よりも、その澄み切った曇りなき人格と才智に惚れ込んで、その采配に従う想いすら持っていたのかもしれない。家康と氏郷の歳の差は父子ほどであったが、位階は引けを取らず、世が世ならば同格の五大老に処されたといっても過言ではない。
その後の歴史もきっと変わっただろう。
しかし、海の彼方まで視野を広げた氏郷の思惟は万人が理解できるものではない。その具現をみることなく、倭の偃武とともに小さな天下が体系化されていくのである。
慶長一九年(1614)は大坂冬の陣の年である。
徳川家康は伴天連追放を発し、キリシタンを国外へと追放した。これは豊臣家とキリシタンが結びつくのを恐れたためともされる。
しかし、キリシタン側にも原因はあった。
イエズス会の初期宣教師は、日本の独自文化にヨーロッパをあてはめず〈適応主義〉で臨んだ。これが日本の布教に必要な点だった。しかし後から乗り出したスペイン系宣教師の露骨な侵略主義が、キリシタンの印象を悪くした。この事実は拭えない。
追放される宣教師ともども、棄教しない日本人も海外へ赴くことになった。
高山右近もそのひとりだ。棄教を拒んで大名を捨てた類まれなる武人の、正々堂々とした船出は、どこか天晴でもあった。
「レオンも海の外を見たかっただろう。儂は、とくと観てくるぞ」
右近を見送るのは、表向き出来ぬことだった。細川忠興は、追放の一ケ月前に右近から文を貰った。誰よりも会いたい友であったが、時節により、とうとう会えず終まいだった。
友を見送ることが出来ぬ。
忠興は、辛かった。
氏郷を看取れた右近が倭の国から去る。この年九月には、千少庵も世を去った。氏郷の最期を知るふたりが、消えた。
どうして、こういうことになったのだろう。
天下取りの外にある細川家には、結果だけがすべてだった。その時々の世を泳ぎ、よき方へと家を残すことが、忠興の責務だった。いまさらと愚痴になるが、それでも、いま氏郷が生きていたらと、忠興は思う。
秀吉亡きあとの世の中は、氏郷と利休門人で数寄者をめぐり馬鹿話で笑いあった、あの頃とは別のように色褪せて映った。
「窮屈な世の中になる」
忠興のつぶやきが、すべてを物語っていた。
高山右近は翌年にマニラで生涯を終えた。
豊臣家も滅んだ。
もう、麒麟児は世になかった。
了
キリシタンであっても、蒲生の家は慣習に従うもの。生前の指図だったのだろう。氏郷は大徳寺黄梅院に葬られた。大徳寺は千利休ゆかりのもの、黄梅院はその塔頭で、織田信長にもゆかりがある。
利休と信長、氏郷はもっとも好きだった二人のもとに眠ることを早くから決めていたのだろう。埋められるときは、刀を抱くようにした。武士の嗜みだ。遺髪は取り置かれて、会津に葬ることと決まった。
会津の墓所は興徳寺と定められた。民衆は、麒麟児の死を悲しんだ。キリシタンも、仏教徒も、名もなき民も、氏郷がきてからの会津は、戦乱の影が消えて暮らしの向上が推進された。産業が奨励され、手に職をつける者も増え、農耕に勤しむ者の支援や水路整備も行われた。蘆名の時代にはなかったことだと、在地の者は喜んだ。氏郷を慕ってきた近江・伊勢の商工業の多くも、あたらしい生活に夢を抱いた。
麒麟児の夢に、誰もが想いを重ねた。
その夢は、泡沫のごとく空へと消えた。
氏郷を疎んだ秀吉は、その死に臨み
(ほかに道はなかったものか)
と悩んだ。
後悔とは違う、複雑な心境だった。
生前の遺言が前田利家に伝えられていた。いや、遺言という大袈裟なものではない。
「鶴千代のよき後ろ盾になって下され」
前田利家は氏郷の縁者になる。嫡男・利政の正室・籍姫は、氏郷の娘だ。その跡目についても、後ろ盾になることに異存はない。
しかし、秀吉は違う。
蒲生家で異質なのは氏郷だけで、その子は凡庸、とても伊達政宗や徳川家康に対峙する器ではない。会津における蒲生家の役割はおわったと考えた。
「名跡は嫡子にて安泰」
関白・豊臣秀次は秀吉の意に逆らい、筋目を重んじた。
「お前ぁの代わりなど、おるだがや」
太閤は先の関白、無位無官である。それが、人臣の長である関白を恫喝した。が、秀次は逆らった。氏郷とは小田原陣以後、長く奥州で接し、その人品骨柄に敬服している。その家に不都合なことなど、あってはならない。前田利家もこれに一味した。
この騒ぎは、北政所の仲裁で一応の収まりを得た。
お拾のことを利家に頼んだ秀吉と、氏郷に何の違いがある。利家にも義理があり、同じ重さであるという北政所の言葉は、秀吉の泣き所だった。しかし、執念深い秀吉は四ケ月ののち、秀次を失脚させ死に追い込むのである。
ただし、秀吉の懸念に及ばずとも、蒲生家は家老同士の内紛がふたたび生じた。
刃傷沙汰に至るからには捨て置けず、結局、会津から蒲生家は去る運命であった。会津には、氏郷の残した文化と志だけが強く刻まれた。蒲生家のあとを継ぐ大大名のもとでも、その息吹は、永劫に向けて生き続けていった。
豊臣秀吉の世は、それから逆転びのように壊れていく。
ふたたび大陸遠征をめざす渡海。そのさなかの秀吉の死。一己の才能が天下を握ったということは、それが持ち回りすることを意味している。
徳川家康は一己の才を持ちながら、人材を束ねて才を強くする者だった。
この意図するところは、個人の才ではなく組織の才だった。その家康をしても、もし、蒲生氏郷が生きていたなら上手く立ち回れなかっただろうと考えたに違いない。
そう考えれば、氏郷の死は、世の中の均衡さえも、死後にいたるまで左右したことになる。
徳川家康も前田利家同様、蒲生家と縁を深めた男だ。
ひょっとしたら、天下取りの野心よりも、その澄み切った曇りなき人格と才智に惚れ込んで、その采配に従う想いすら持っていたのかもしれない。家康と氏郷の歳の差は父子ほどであったが、位階は引けを取らず、世が世ならば同格の五大老に処されたといっても過言ではない。
その後の歴史もきっと変わっただろう。
しかし、海の彼方まで視野を広げた氏郷の思惟は万人が理解できるものではない。その具現をみることなく、倭の偃武とともに小さな天下が体系化されていくのである。
慶長一九年(1614)は大坂冬の陣の年である。
徳川家康は伴天連追放を発し、キリシタンを国外へと追放した。これは豊臣家とキリシタンが結びつくのを恐れたためともされる。
しかし、キリシタン側にも原因はあった。
イエズス会の初期宣教師は、日本の独自文化にヨーロッパをあてはめず〈適応主義〉で臨んだ。これが日本の布教に必要な点だった。しかし後から乗り出したスペイン系宣教師の露骨な侵略主義が、キリシタンの印象を悪くした。この事実は拭えない。
追放される宣教師ともども、棄教しない日本人も海外へ赴くことになった。
高山右近もそのひとりだ。棄教を拒んで大名を捨てた類まれなる武人の、正々堂々とした船出は、どこか天晴でもあった。
「レオンも海の外を見たかっただろう。儂は、とくと観てくるぞ」
右近を見送るのは、表向き出来ぬことだった。細川忠興は、追放の一ケ月前に右近から文を貰った。誰よりも会いたい友であったが、時節により、とうとう会えず終まいだった。
友を見送ることが出来ぬ。
忠興は、辛かった。
氏郷を看取れた右近が倭の国から去る。この年九月には、千少庵も世を去った。氏郷の最期を知るふたりが、消えた。
どうして、こういうことになったのだろう。
天下取りの外にある細川家には、結果だけがすべてだった。その時々の世を泳ぎ、よき方へと家を残すことが、忠興の責務だった。いまさらと愚痴になるが、それでも、いま氏郷が生きていたらと、忠興は思う。
秀吉亡きあとの世の中は、氏郷と利休門人で数寄者をめぐり馬鹿話で笑いあった、あの頃とは別のように色褪せて映った。
「窮屈な世の中になる」
忠興のつぶやきが、すべてを物語っていた。
高山右近は翌年にマニラで生涯を終えた。
豊臣家も滅んだ。
もう、麒麟児は世になかった。
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