麒麟児の夢

夢酔藤山

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第8話 一期に一度の会のやうに

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第8話 一期に一度の会のやうに③


 驕りとは、人に対すること、己に対すること、天に対することとある。豊臣秀吉のそれは、果たしてどちらだろうか。
 天正一七年(1589)二月二五日、聚楽第南門に落書が記された。
 他愛のない悪戯だが、風刺は、的確に世の声そのものだった。秀吉の成り上がり、ここに極まれり、その登りつめた権勢は、治世のために用いられることはなかった。ただ享楽と敵対粛清だけに費やされ、耳の痛いことを叱ってくれる謙臣を遠ざけて、ただの専制君主へと落ちぶれていった。そのこと、当人が気づくことなし。
「落書、なんと書いてあったのかを読んでくりょう」
 すぐに消したという門番の訴えに、これを書き写したと石田三成が懐紙を差出した。これを手に、脂汗を滲ませて、門番は口にした。

  大仏のくどくもあれややりかたな
       くぎかすがいは子たからめぐむ
  
  ささ絶えて茶々生い茂る内野原
       今日は傾城香をきそいける

「いい歌じゃのう」
 秀吉は門番に詰め寄った。彼らは声も出せない。どう答えていいものか、分かりもしなかった。命取りになるだけだ。
「これほどの歌、即興とは思えぬ。たっぷりとひねり出す刻があろう。あれだな、一緒になって創ったのだろうな。この儂を見くびるでねえだがや」
「殿下!」
「下手人のこと、庇いたてする限りは生かしとけぬで」
 愚かしいことだ。このこと、秀吉は警備不行届きとしてその夜の当直である一七人の番衆の鼻を削ぎ、耳を切り落し、磔にして処刑した。人としての所業ではなかった。『言経卿記』いわく、この下手人は別にあった。真実か否かは詮議もなかっただろう。尾藤次郎右衛門入道道休という男が実行して、天満本願寺に逃れた。指摘したのは石田三成である。
 この天満本願寺は石山の北にあり、大坂城が完成した残り地を本願寺に与えてやったようなものだ。かつての教団の門主たる顕如は、ひっそりとここにいた。ここへ尾藤次郎右衛門入道道休が逃げ込み、蓮如の孫とされる顕悟如俊夫妻が世の浪人ともども匿っていた。
「度し難いことである」
 秀吉の捕り方から逃れることはできない。尾藤次郎右衛門入道道休の身柄は、顕如の手で渡さざるを得なかった。顕悟如俊も連れていかれて、処刑された。それだけで秀吉の怒りは静まらなかった。顕悟の住処がある町区画が焼き払われ、尾藤道休の妻子を含む天満住民六三名が犯人を匿った咎で捕えられ、無関係の者を含んだまま京都六条河原で磔にされた。これを諫める秀吉の近臣はいなかった。
 五月四日、秀吉は大坂城へ戻った。城下一画が焼けて寒々しくなっている様をみて
「いかんでや。町は賑やかがええでよう」
と、陽気に笑った。
 千利休と豊臣秀長は、落書の事、悪戯に民衆を恐れさせ暴君の所業につき温和せしむよう、このとき諫言した。この両名だけは、媚び諂うことなく秀吉を叱る。
「儂への侮辱は天子様への侮辱と思召すべし」
 不服を漏らした。
 秀長は弟ゆえ辛抱しよう。しかし利休が忠義面して物申すのは、些か腹立たしい。むかしはこんな気などしなかったのに、どうしたことか。利休は信長を前にしても、似たようなことを云ったような気がする。つまり、それが利休なのだ。
 これを許せない偏狭な心こそ、増長した秀吉の、狭い心の正体だった。
 むろん、秀吉に知る由はない。

 この年の暮れ、大徳寺山門金毛閣が完成した。応仁の乱で焼けたこの寺は、当時の高僧・一休宗純が堺の豪商らに協力を呼び掛けて復興した。のちに連歌師・柴屋軒宗長が三門の一階の初層を寄進する。
 利休は未完成の山門竣工を支援した。
 これが、出来たのだ。
「立派なものだ」
 細川忠興は目を細めた。
「お師匠様は、関白に嫌われておるまいかな」
 ふと、蒲生氏郷は呟いた。正論は、時として薬になるが災厄にもなる。聞く耳持たぬ相手を諭すと、立場の上下で人は侮り見下す。利休のことが心配でならぬ。
「宗二さんもな」
 この頃、関東の惣無事令違反で、北条征伐の大動員が発せられたばかりだ。
 山上宗二はいま、小田原にいるという。
「せめて身柄だけでも匿いたいなあ」
 利休門人たちの、切なる願いだった。
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