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第7話 茶とデウス
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第7話 茶とデウス①
羽柴秀吉を地下(じげ)から駆け上った英雄と讃えるのは、平凡な大衆の夢の体現に等しく彼らの賛同に寄り添うものだ。それは、当時の世においても、同様にいえる。地下に有った者が信長に引き上げられるまでは想定内だが、そののちに自力で権謀術数を重ねて人臣の長へと昇り詰めていくことを想定した者はいない。
非凡な者こそ、その栄達に戸惑う。
「どうして、この者が」
その者の目からみれば、信長以上の者などいない。
中世を壊して新しい価値観を創造し、南蛮人を凌駕する国際感覚、戦さの概念をひっくり返した個性。最強とうたわれた武田信玄さえ、このことにおいては信長に敵わない。このことは、事実だ。
それと比べれば、羽柴秀吉は見劣りもしよう。
しかし、唯一まさるとすれば、それは人たらしの才だろうか。人心にとびこんで鷲摑みにし、虜とする才は、天才・織田信長にはなかったものだ。これをして、秀吉は世のなかの中心に立つこととなる。
天正一一年(1583)、織田家臣筆頭・柴田勝家と羽柴秀吉が激突した。
柴田勝家に与した滝川一益は、秀吉包囲網の一翼を固める。このとき蒲生忠三郎賦秀は長年の縁を拒み、秀吉に付いた。理由は、本人にもわからない。
(好きになれぬのにな)
蒲生忠三郎賦秀は、その謎に心を傾けながら、伊勢方面の滝川一益に備えた。
四国方面軍を任されていた神戸信孝に属していた関盛信は蒲生勢に合力し、旧領亀山に陣取る滝川勢と戦った。伊勢での戦いは、蒲生勢に軍配が上がった。その間に、賤ケ岳において秀吉は猛将・柴田勝家を討ち果たした。誰もがこのことに驚嘆した。
論功行賞で秀吉は蒲生忠三郎賦秀に亀山を与えた。しかし、一旦は受領したうえで
「当家に縁浅からぬ関の家に亀山を服し給う」
と、秀吉に訴えた。貰ったうえで譲るという、一応の筋を通したのだ。秀吉は信長が生きていた頃から、煌びやかな器量の忠三郎賦秀をみてきた。眩しいほどの出来過ぎな天才は、ともすれば信長の才によく似ている。これを生かさず殺さず手元におくことは、秀吉の将来を左右する。
(この程度の事)
どうでもいい小事だ。
ゆえに、秀吉は大げさに称賛し、許した。
関盛信は隠居して入道万鉄斎と号し、家督を長男・右兵衛佐一政に与え亀山城主となした。蒲生忠三郎賦秀にとって、盛信こと万鉄斎は叔母の夫、つまり義理の叔父にあたる。一政は妹の夫だ。亀山関氏は、蒲生忠三郎賦秀にとって二代の縁戚にあたる。
「こののちは蒲生家に奉公し恩に報いたし」
関一族は蒲生の重臣として、これより忠三郎賦秀を支えた。
翌年、信長の子たちは徳川家康と同心し、かつての家来でありながら不遜である秀吉討伐を下知した。この激突の渦中に、蒲生忠三郎賦秀もいた。小牧・長久手の戦いは、戦さにおいては徳川家康に軍配が上がる。が、蒲生勢の活躍は敵味方に深く刻まれた。
「さすがは麒麟児」
誰もが畏怖した。
その銀色に輝く鯰尾の兜は、兵の先頭にあって、それに遅れじと猛者が押し寄せる。戦場に魔物がいるとしたら、このことをいうのだろう。
この年六月一三日、蒲生忠三郎賦秀は墳墓の地である近江日野より、伊勢松ヶ島一二万石へ移転した。兵はもちろん、賦秀を慕う商工の民もともに移動した。伊勢に蒲生の名が刻まれた第一歩である。
羽柴秀吉を地下(じげ)から駆け上った英雄と讃えるのは、平凡な大衆の夢の体現に等しく彼らの賛同に寄り添うものだ。それは、当時の世においても、同様にいえる。地下に有った者が信長に引き上げられるまでは想定内だが、そののちに自力で権謀術数を重ねて人臣の長へと昇り詰めていくことを想定した者はいない。
非凡な者こそ、その栄達に戸惑う。
「どうして、この者が」
その者の目からみれば、信長以上の者などいない。
中世を壊して新しい価値観を創造し、南蛮人を凌駕する国際感覚、戦さの概念をひっくり返した個性。最強とうたわれた武田信玄さえ、このことにおいては信長に敵わない。このことは、事実だ。
それと比べれば、羽柴秀吉は見劣りもしよう。
しかし、唯一まさるとすれば、それは人たらしの才だろうか。人心にとびこんで鷲摑みにし、虜とする才は、天才・織田信長にはなかったものだ。これをして、秀吉は世のなかの中心に立つこととなる。
天正一一年(1583)、織田家臣筆頭・柴田勝家と羽柴秀吉が激突した。
柴田勝家に与した滝川一益は、秀吉包囲網の一翼を固める。このとき蒲生忠三郎賦秀は長年の縁を拒み、秀吉に付いた。理由は、本人にもわからない。
(好きになれぬのにな)
蒲生忠三郎賦秀は、その謎に心を傾けながら、伊勢方面の滝川一益に備えた。
四国方面軍を任されていた神戸信孝に属していた関盛信は蒲生勢に合力し、旧領亀山に陣取る滝川勢と戦った。伊勢での戦いは、蒲生勢に軍配が上がった。その間に、賤ケ岳において秀吉は猛将・柴田勝家を討ち果たした。誰もがこのことに驚嘆した。
論功行賞で秀吉は蒲生忠三郎賦秀に亀山を与えた。しかし、一旦は受領したうえで
「当家に縁浅からぬ関の家に亀山を服し給う」
と、秀吉に訴えた。貰ったうえで譲るという、一応の筋を通したのだ。秀吉は信長が生きていた頃から、煌びやかな器量の忠三郎賦秀をみてきた。眩しいほどの出来過ぎな天才は、ともすれば信長の才によく似ている。これを生かさず殺さず手元におくことは、秀吉の将来を左右する。
(この程度の事)
どうでもいい小事だ。
ゆえに、秀吉は大げさに称賛し、許した。
関盛信は隠居して入道万鉄斎と号し、家督を長男・右兵衛佐一政に与え亀山城主となした。蒲生忠三郎賦秀にとって、盛信こと万鉄斎は叔母の夫、つまり義理の叔父にあたる。一政は妹の夫だ。亀山関氏は、蒲生忠三郎賦秀にとって二代の縁戚にあたる。
「こののちは蒲生家に奉公し恩に報いたし」
関一族は蒲生の重臣として、これより忠三郎賦秀を支えた。
翌年、信長の子たちは徳川家康と同心し、かつての家来でありながら不遜である秀吉討伐を下知した。この激突の渦中に、蒲生忠三郎賦秀もいた。小牧・長久手の戦いは、戦さにおいては徳川家康に軍配が上がる。が、蒲生勢の活躍は敵味方に深く刻まれた。
「さすがは麒麟児」
誰もが畏怖した。
その銀色に輝く鯰尾の兜は、兵の先頭にあって、それに遅れじと猛者が押し寄せる。戦場に魔物がいるとしたら、このことをいうのだろう。
この年六月一三日、蒲生忠三郎賦秀は墳墓の地である近江日野より、伊勢松ヶ島一二万石へ移転した。兵はもちろん、賦秀を慕う商工の民もともに移動した。伊勢に蒲生の名が刻まれた第一歩である。
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