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第4話 前門の虎 後門の狼
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第4話 前門の虎 後門の狼①
永禄一二年(1569)一月五日、三好三人衆が京都に乱入し、足利義昭が住する六条本圀寺を襲った。洛中に駐留させた織田の軍勢は、これと交戦し、一進一退の様となった。三好三人衆を支持したのは堺の町衆だ。
このことはすぐに信長の知るところとなり、ただちに挙兵に及んだ。大雪であり、往路が難儀という指摘も意に介さず、信長は軍勢を奔らせ入洛した。この神速に三好三人衆は驚愕した。山科言継は『言継卿記』に、織田信長が挙兵するにあたり尾張国・美濃国はもちろん伊勢国・近江国・若狭国・丹波国・摂津国・河内国・山城国・大和国・和泉国の軍勢が悉く上洛し、総数は八万に及んだと記す。足利義昭を奉じたことで、信長は畿内の権勢を得たことになる。
三好三人衆は、もはや信長の敵ではない。
このことを認識した堺の町衆は、信長から要求された二万貫の矢銭に応じることで、このたびの騒動について一切を不問とされた。堺は独立した商業都市であり、どの戦国大名にも属さぬ経済力と軍事力を持っていた。しかし信長の持つ軍と権威の規模はそれを上回り、抗えば一切が灰燼となる危機感があった。
このことは大いに語らい、揉めたことだろう。
しかし、屈服ではなく、投資という概念で信長に与する決定に至った。ここの落としどころは屁理屈だが、そのための内助のため立ち回った人物がいる。今井宗久だ。宗久は昨年の信長上洛のとき、いち早く接近した。名物・松島の葉茶壺や紹鴎茄子などを献上して歓心を得、足利義昭にも茶をもてなしている。そう、今井宗久は商人であると同時に、文化人の最たる茶人でもあった。
「茶のこと、宗久に学ぶべし」
京に駐在する織田の士卒は信長に指図されていた。そのなかでも、下手なりに熱心に学んでいたのが、木下藤吉郎であった。
今度の御所襲撃に心を痛めた信長は、二条の斯波邸跡に新御所を建設する大工事を指図した。普請は二月二七日を鍬始めとし、着工された。大工奉行に任じられた村井貞勝・島田秀順により、作業は遅滞なく行われた。完成した城を〈二条城〉という。併せて信長は、禁裏修復も行った。
秩序あるべきものの荒廃は、人心の荒廃にも等しい。
信長の姿勢に、朝廷や幕府は歓喜した。しかし、見た目だけで秩序は保てぬ。信長は足利義昭の承認のもと、一六か条の定めを制定した。世にこれを殿中御掟という。このことは将軍家の行動制約にも通じ、為に、のちのちに足利義昭と信長の不和のきっかけとなる。ただしこの通説は一面的なものであり、条文の内容については信長の独断専行ではなく、むしろ室町幕府の先例や規範に出典が求められることへの指摘が土台であることが重視される。かつて室町中期、矮小な将軍の私見による御内書濫発が社会的混乱につながったことへの警鐘といってもいい。少なくとも幕府役職にある多くの者に、この殿中御掟は理解された。
が、足利家とは、どうにも社会的混乱につながった身内の反省が出来ぬ一族らしい。
独裁的一面の規制は、むしろ信長こそ独裁であるという誹りを生む。義昭もその妄執に駆られた。不和はこうして芽吹き、やがて、新たな社会的混乱を導く。
永禄一二年(1569)一月五日、三好三人衆が京都に乱入し、足利義昭が住する六条本圀寺を襲った。洛中に駐留させた織田の軍勢は、これと交戦し、一進一退の様となった。三好三人衆を支持したのは堺の町衆だ。
このことはすぐに信長の知るところとなり、ただちに挙兵に及んだ。大雪であり、往路が難儀という指摘も意に介さず、信長は軍勢を奔らせ入洛した。この神速に三好三人衆は驚愕した。山科言継は『言継卿記』に、織田信長が挙兵するにあたり尾張国・美濃国はもちろん伊勢国・近江国・若狭国・丹波国・摂津国・河内国・山城国・大和国・和泉国の軍勢が悉く上洛し、総数は八万に及んだと記す。足利義昭を奉じたことで、信長は畿内の権勢を得たことになる。
三好三人衆は、もはや信長の敵ではない。
このことを認識した堺の町衆は、信長から要求された二万貫の矢銭に応じることで、このたびの騒動について一切を不問とされた。堺は独立した商業都市であり、どの戦国大名にも属さぬ経済力と軍事力を持っていた。しかし信長の持つ軍と権威の規模はそれを上回り、抗えば一切が灰燼となる危機感があった。
このことは大いに語らい、揉めたことだろう。
しかし、屈服ではなく、投資という概念で信長に与する決定に至った。ここの落としどころは屁理屈だが、そのための内助のため立ち回った人物がいる。今井宗久だ。宗久は昨年の信長上洛のとき、いち早く接近した。名物・松島の葉茶壺や紹鴎茄子などを献上して歓心を得、足利義昭にも茶をもてなしている。そう、今井宗久は商人であると同時に、文化人の最たる茶人でもあった。
「茶のこと、宗久に学ぶべし」
京に駐在する織田の士卒は信長に指図されていた。そのなかでも、下手なりに熱心に学んでいたのが、木下藤吉郎であった。
今度の御所襲撃に心を痛めた信長は、二条の斯波邸跡に新御所を建設する大工事を指図した。普請は二月二七日を鍬始めとし、着工された。大工奉行に任じられた村井貞勝・島田秀順により、作業は遅滞なく行われた。完成した城を〈二条城〉という。併せて信長は、禁裏修復も行った。
秩序あるべきものの荒廃は、人心の荒廃にも等しい。
信長の姿勢に、朝廷や幕府は歓喜した。しかし、見た目だけで秩序は保てぬ。信長は足利義昭の承認のもと、一六か条の定めを制定した。世にこれを殿中御掟という。このことは将軍家の行動制約にも通じ、為に、のちのちに足利義昭と信長の不和のきっかけとなる。ただしこの通説は一面的なものであり、条文の内容については信長の独断専行ではなく、むしろ室町幕府の先例や規範に出典が求められることへの指摘が土台であることが重視される。かつて室町中期、矮小な将軍の私見による御内書濫発が社会的混乱につながったことへの警鐘といってもいい。少なくとも幕府役職にある多くの者に、この殿中御掟は理解された。
が、足利家とは、どうにも社会的混乱につながった身内の反省が出来ぬ一族らしい。
独裁的一面の規制は、むしろ信長こそ独裁であるという誹りを生む。義昭もその妄執に駆られた。不和はこうして芽吹き、やがて、新たな社会的混乱を導く。
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