麒麟児の夢

夢酔藤山

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第2話 東風をいたみ

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第2話 東風をいたみ③


 近江との国境。
 かつて足利尊氏の古戦場だった青が原を越えて、今須峠から織田信長がくると誰もが考えた。ここは官道の国境であり、自然なことである。室町中期の関白太政大臣・一条兼良はその著『藤川の記』において〈堅城と見えたり、一夫関に当たれば万夫すぎがたき所というべし〉と記す。古代東山道においてここは軍事的要衝でもあった。攻めるも守るも適地というわけだ。とはいえ、南近江からこれを視認することはできない。観音寺城のある山からも、琵琶湖に接する江北までしか見えない。すなわち信長は浅井勢を寄騎とすると考えられる。
 自然と備えは、北近江に向けねばならない。甲賀方面は手薄になる。しかしこのとき、甲賀と伊勢を通ずる往還の人の流れは顕著だった。このこと、蒲生の一族はまだ気づいていなかった。
 里村紹巴は連歌の旅の途にあって、この年の八月、尾張熱田にいた。丁度、織田信長の北伊勢侵攻に遭遇し、伊勢湾越しに燃える桑名や伊勢方面の様を目の当たりにした。このとき里村紹巴と親しく接した人物がいる。山岡景猶、南近江甲賀の者だが、尾張にも出入りしていた男だ。尾張の商工をよく見知り、これを掌握した織田家の経済力を理解する数少ない人物である。
「近江を目指しておるのかな」
 里村紹巴は伊勢攻めの意図を、ぽつりと呟いた。
「まさか」
 連歌を通じ師とも仰ぐ里村紹巴の着眼点の先までも、山岡景猶は理解できなかった。
 しかし、信長がもしも京を目指すとしたら路はどうかという里村紹巴の問いに、山岡景猶は顔色を変えた。美濃を奪った信長が京を目指すには近江に出る必要がある。江北は同盟関係にあるが、六角氏勢力下は信長と和していない。東山道を避ける路は
「伊勢から甲賀!」
 山岡景猶は顔色を変えた。自領が襲われる懸念が高い。
「伊勢が落ちたら、もう遅い」
「いや、六角が抵抗する限りは、南近江全土が危なかろう」
 里村紹巴は織田信長とも誼を通じていた。このとき信長が美濃を奪い、次に何をするかという行動予測のできる人物だ。
「よいかな、織田弾正は京を目指す理由を持っている。それは越前に逃した覚慶殿を奉じるということだ」
 里村紹巴は京で将軍・足利義輝殺害の場を見聞きしたことがある。首謀者たる松永弾正久秀とも親しい。そして将軍の弟で僧籍にある覚慶が、その凶刃から逃れて六角義治のもとに転がり込んだのは去年のこと。しかし六角義治が三好一族と結んだだめ、覚慶は信長を頼った。信長は美濃平定前でこれに応じることができず、やむなく覚慶は越前の朝倉義景を頼らざるを得なかった。
「しかし、美濃を取った以上、織田弾正は覚慶殿を迎える下地ができた。これを奉じて上洛するならばどうか。六角殿はこれを裏切った手前、道を開けることに応じられまい。どのみち戦さは避けられぬ」
 江北から攻めれば南近江全土が戦乱となる。
 伊勢路より甲賀に至れば、そこだけが影響あることとなり、信長にも益はある。
「えらいこっちゃ」
 山岡景猶はどうすべきか、迷った。六角義定は傀儡当主ゆえ、父と兄が反信長の姿勢を示す以上、話にもなるまい。被官領主たちに訴えて、甲賀救援を求めることが最善だと考えた。
「或いは、恭順も手かと思うぞ」
「お師匠!」
「お前さんも分かっているのではないか?」
 山岡景猶は返事に窮した。経済力の差は歴然だ。一度や二度を払っても、織田の軍勢は果てしなく攻めてくる。伊勢が落ちたら、そのことは確実といえよう。
「儂はな、蒲生の若が討たれることが惜しい。口説くなら、蒲生だ」
 里村紹巴の言葉を山岡景猶は理解し、すぐさま発った。


※ 作品の販売促進のため南信州へ発つため、翌日の更新を中止させていただきます。
  お楽しみの皆様にはご迷惑をおかけしますが、再開を期待して下さい。
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