魔斬

夢酔藤山

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人形奇譚

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               結



 練馬の寒村に暮らす老婆。
 今度の魔斬りの依頼人である。
「そうですか……払って下さりましたか」
 老婆の表情は、しかし複雑である。
「報酬は気持ちでいいのですよ」
「こんな年寄り、もう先はないのです。どうか有金みんな持っていってください」
「しかし」
「実の娘を魔斬りさせた罪深き婆ぁの、せめてもの願いです」
 そう、老婆は怨霊と化した女の実の母親である。二〇年も罪を重ねる変わり果てた娘を見るに忍んでの事であった。
(こういうのも、母親というものなのかね)
 腹を痛めた者にしか判らぬ心境、その境地。もしかしてこの母子にとっては
「もっと最良の」
遣り方があったのかも知れない。
 そう思うと堪らなく遣り切れない。しかし山田浅右衛門にとって、これはいつも通りの、最善を尽くした結果なのだ。
 が、この切なさは何なのだろう。
 母親の子を想う心の重さ。
 山田浅右衛門はただただ思い知らされたのであった。

 ところで。
 宰相に紹介された医者はヤブどころかとんだ名医で、さすがの山田浅右衛門も毒付くことがなかったらしい。
 松本良順。将軍家にも覚えめでたいこの蘭学を極めた男こそ、のちに初代日本陸軍軍医総督になる人物だ。
「へえ、これは大したものですね。蘭学を知らぬ者にしては、的を得た手当ですぞ」
 宰相の施した添木の応急手当に感心しながら、脈や舌を覗きつつ
「夕べはすぐ寝ましたか」
「は」
「酒なんて呑んでませんか」
「ない、ない、ない」
「嘘を云うのではない!」
 浅右衛門の盗み酒を、彼は一目で見抜いた。
「骨の折れている人は炎症を起こしているのです。血行をよくするなんて、治りを遅めているようなもの。酒なんて以ての外です。云うことが効けぬなら熱いお灸をすえますよ」
 松本良順はギロリと睨んだ。
 山田浅右衛門も形なしだ。

 ……それにしても。

 今度の一件は、人の世の切なさを露見する事件だ。山田浅右衛門は崩落した廃寺の跡地に立って、そのことをしみじみ想った。
(娘を失った母親は狂人となった。その強い子への思念が、元来魂を持たぬ人形を動かすことになった。そのこと自体、極めて稀な魔斬りとなった)
 朽ちた人形は、宰相の手で大川に野辺送りされたと聞く。思えば愛してくれた主と死に別れた人形もまた、哀れな存在ではなかろうか。
(オレは親として欠落している)
 最近魔斬りの業を修められずに廃嫡となった長男のことを、恐らく妻の於貞は、怨霊にも似た無念で浅右衛門を恨んだかも知れない。山田家の宿命とはいえ、一己の母親としてそれを得心したかどうか。
 人は業の生き物だ。
 業があるから生きていけるし、死してのちも業が遺る……。
「旦那、於貞さんはもう待っているでしょう。早く行きましょう」
 今日は年に一度、桑名屋での舟遊びだ。午前の仕置が終わったら深川に行くという事で、徳兵衛が駕籠で迎えに来てくれたのだ。廃寺への寄り道は、徳兵衛の与り知らぬ話である。
 長男を廃嫡にしたことを、無口な妻はきっと悩んでいよう。
 そうに違いない。
(折をみて聞いてみよう。舟遊びのときだけ、あいつは童に返る。心の真実が聞けるかもな)
 母親の心境を……腹を痛めて生んだ子への無念を……。
 廃寺は間もなく新地にされると、あれから白川公徳は云っていた。思えば勤勉堅実な役人の鑑のような奴であった。彼にとっても今度の一件は、生まれて初めての不思議な経験だったろう。下手人を上げる事もなく迷宮入りの体裁を繕わねばならぬ不条理を、よくもまあ得心出来たものである。
 とまれ新地となれば、残された無縁墓地たちもタダでは済まぬ。これらもまた、無慈悲に整地されるという。生きている人間の都合で、痕跡なんてものはたちまちこの世から消えていくのだ。
 例えその無縁墓地に怨霊が留まろうが、生きた人はお構いなしだ。
(そのたびに、オレのような男が必要とされていく……おかしなものだな)
 魔斬りという稼業は、もしかしたら生きている人の欲や生活が、無尽蔵に生み出しているのではないか。人がいる限り、魔斬りはなくならない。西洋から妙な文明や学問が入っても、それはきっと変わらないのだ。
 いま云えること。
「因果な稼業さ」
 蒼天は罪や汚れとは無縁に、どこまでも果てしなく広がっていた。
 重くゆっくりとした足取りで、山田浅右衛門は歩き出した。
 宿業の血塗られた道を。



                              了

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みんなの感想(5件)

笹目いく子
2024.04.03 笹目いく子
ネタバレ含む
夢酔藤山
2024.04.04 夢酔藤山

恐れ入ります。
原型は、廃嫡の話など別にありますが、二期で鑑賞に堪えられる一篇のみを公開しました。一期にも未公開があります。この作品が些かでも人様に触れることのできたことが何よりですし、原典となった「安政奇譚」からの派生として皆様からのコメントを賜れましたことを嬉しく思います。
いつもありがとうございます。

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すかいふらわぁ
ネタバレ含む
夢酔藤山
2024.01.03 夢酔藤山

すかいふらわぁ様
この当時、江戸グルメにはまっていた時期の賜物です。仕置など、我慢してたら辛い仕事ですから、これくらいの娯楽は記録の外になったと思います。史実では首切りの夜は宴席で騒がないと恐くて寝られなかったという記述も残る山田浅右衛門。
新年最初の感想です。
いつもありがとうございます。

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笹目いく子
2023.12.31 笹目いく子

深川奇譚、大晦日の完結編堪能いたしました!
孕女奇譚も舶来奇譚も、この深川奇譚も面白いですねぇ。やみつきでございます。
富坂小五郎の最期の台詞が格好いいこと(怨念籠もってますが)。
年末に刑場巡りをする浅右衛門の姿も、凄惨なのに趣きがあり。
おまけに毎回江戸の美食の描写がパワーアップしているような。美味しそうなものばかり…
浅右衛門と弾左衛門、バディのような味わいのある関係も素敵です。

新年も続けてくださるとのこと、嬉しい限りです!
次回も楽しみにお待ちしております♪♪

夢酔藤山
2023.12.31 夢酔藤山

笹目いく子様

恐れ入ります。
総てを蔵から引っ張り出している訳ではないので、飛び飛びで時系列も微妙に変わっておりますが、現在の掲載分は1期として構想していたものです。新年早々、1期後半作になりますが、あるキャラクターは退場して頂くことになります。2期目の構想も途中頓挫で数作のみの尻切れという状況ですが、正直、勿体ない作品です。いつかどなたかが漫画の素材に生かしてくれるなら、有難い処でございます。
だれが、欠けてしまうのか……好きなキャラクターでしたら、今のうちに謝っておきます('◇')ゞ。
いつもありがとうございます。
よいお年をお迎えください。

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